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    • 16/04/16 10:02:30

    >>785つづき
    ■7.「ぼくらはこの国では誰にも理解されない嫌われ者さ」

     スチームボートと同様に、ナパージュを守っているツチガエルの3人兄弟がいると聞いて、ソクラテスとロベルトは会いにいった。

    スチームボートのいる東の岩山のふもとにいるという。

    そこに行くと逞しい三匹のツチガエルが身体を鍛えていた。

     長男がハンニバル、弟たちがワグレラとゴヤスレイと言った。

    彼らは危険なウシガエルを絶えず見張っているという。

    それは彼らの亡き父親から

    「ウシガエルにこの国が襲われるようなことになったら、お前たちは命を懸けて戦え」

    と命じられたからだという。

     三戒は「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」と命じているが、

    ハンニバルは「仲間が殺されるときには戦うよ」と言う。

    そして三戒を破ったことで、

    「そのときは多分---ぼくらは縛り首になる」

    「吊されるのがわかっていても、戦うのですか」

    と聞くと、

    「それが父の教えだからね。ぼくらはこの国では誰にも理解されない嫌われ者さ」

    とハンニバルは寂しげに微笑んだ。

    つづく

    • 0
    • 16/04/16 10:00:33

    >>784中略

    ■6.「自分たちのことは自分たちで守ってほしい」

    「この国の平和は三戒ではなく、スチームボート様のおかげだ」

    と一匹のカエルが秘かに漏らした話を聞いて、二人は東の岩山の頂上に住んでいるというスチームボートに会いにいった。

     頂上の古い松に巨大なワシが止まっていて、それがスチームボートだった。

    恐る恐る話しかけたソクラテスに、スチームボートは語り出した。

     昔、スチームボートがここにやってきた時、この国のカエルたちは追い出そうと抵抗したが、スチームボートに何百匹も虐殺された。

    カエルたちはスチームボートに謝り、この場所を提供した。

    今ではカエルたちがいろいろと便宜を図ってくれるので、スチームボートもカエルたちを守ってやっているという。

     ソクラテスは思った。

    こんなに恐ろしいワシがいるなら、誰もこの崖の上にやってはこないでしょう。

    ナパージュの平和は「三戒」のお蔭などではなかったのだ。

     しかし、スチームボートはこうも言った。

    「わしももう年老いた。そろそろツチガエルたちも、自分たちのことは自分たちで守ってほしいと思っている」

     スチームボートが守ってくれなくなったら、ナパージュ王国はどうなるのだろうか。

    「三戒」だけで本当に平和を守れるのだろうか?
    つづく

    • 0
    • 16/04/16 09:54:45

    >>783つづき

    ■4.「それにわしらには関係ないことだ」

     崖の下の南側を見下ろすと、巨大な沼が広がっていた。

    沼の水はどす黒く汚れ、臭いが崖の上まで漂ってきた。

    近くにいた老ツチガエルが

    「あれはウシガエルの沼だよ。何百匹というウシガエルが棲んでいる」と教えてくれた。

    ウシガエルはあらゆるカエルを呑み込む巨大で凶悪なカエルだ。

    「下の沼にはウシガエルしかいないのですか」

    とソクラテスが不安そうに聞くと、

    「他のカエルたちもたくさんおるよ。彼らは毎日、ウシガエルたちに食べられておるよ。風のない日は、ときどき彼らの悲鳴がここまで聞こえてくる」

     ソクラテスはぞっとした。

    「助けてやろうとは思わないんですか?」

    「助ける? どうやって? それにわしらには関係ないことだ。余計なことをしてウシガエルを怒らせたりしたら、いいことはなにもない。ナパージュのカエルは、他のカエルたちの騒動には関わらないのだ」

    「あそこにウシガエルがいる」と、ロベルトが崖の中腹にへばりついている一匹のウシガエルを見つけた。

    「心配はいらん。あいつらはどうせ途中までしか上がってこない」

    「どうして途中までしか上がってこないのですか?」

    とソクラテスが聞くと、

    「三戒があるからだ」 

    年老いたツチガエルは、何度同じ事を言わせるのだというようなうんざりした顔で、どこかへ跳んでいってしまった。


    • 0
    • 16/04/16 09:49:14

    >>782つづき
     優しかったツチガエルたちが、一斉に罵倒し始めたので、ソクラテスは動揺した。

    「自分たちだけの特殊な状況だったのかもしれません」と謝ると、マイクは「多分そうでしょう」と満足そうに言った。

    「この世界は平和にできています。平和が壊れるのは、平和を望まない心があるからです。ダルマガエルとアマガエルとの争いも、ダルマガエルだけが悪いのではありません。あなたたちにも非はあったはずです。この国で是非それを学んでいってもらいたいと思います」

     それからマイクは集まったカエルたちの方に向かって、「みんなもソクラテスたちを温かく迎え入れてやってほしい。カエルの友はカエルです」

     カエルたちは歓声を上げて、「カエルの友はカエルだ!」と唱和した。

    • 0
    • 16/04/16 09:48:03

    >>781つづき
     この寓話小説が何をテーマにしているかは、上記の一節だけでも明らかだろう。

    小学生にもスラスラ読めるおとぎ話で、「憲法9条さえ守っていれば平和が保てる」という「9条教」の正体を鮮やかに描き出している。

     左翼マスコミではこの本は黙殺されており、百田氏のサイン会では爆破予告の電話まであったというが、9条教信者たちが、この小説で自分たちの正体がバレてしまうことに相当な危機感を持っているのだろう。

    『カエルの楽園』では、9条教信者たちの正体がまざまざと描かれている。

    実際のストーリーは本を読んで貰うこととして、ここでは百田氏がカエルに託して描いた9条教信者たちを紹介しよう。

    ■3.「嘘つきだ!とんでもない野郎だ!」

     ソクラテスとロベルトがお祭り広場に行くと、大勢のツチガエルが集まっており、その中央にひときわ派手な色をしたツチガエルが立っていた。

    彼は「若い旅人さん、ようこそナパージュの王国へ」と歓迎してくれた。

    祭りを取り仕切っているマイクだった。

    「ところで、若い旅人さん、あなたたちは、なぜ生まれ故郷を出て旅をしているのですか」とマイクに聞かれて、ソクラテスは答えた。

    「生まれた土地にダルマガエルがやってきて、仲間たちが食べられたからです」

     マイクの笑顔が消えた。

    「申し訳ないが、そんな話は信じられません。理由もなしにカエルがカエルを食べるなどということはありえません。ダルマガエルがアマガエルを襲ったというのが本当なら、それはあなたたちがダルマガエルを怒らせるようなことをしたからではないのですか」

    「みんなもそう思うでしょう」とマイクが周囲のカエルたちを見渡して言うと、カエルたちは皆、「そうだ、そうだ」「こいつは嘘をついているんだ!」「嘘つきだ!とんでもない野郎だ!」


    つづく

    • 0
    • 16/04/16 09:45:27

    No.943 『カエルの楽園』 ~ 子供たちを「9条教」感染から守るワクチン
    2016/03/20 06:15[下へ]
     この寓話小説を読んだ子供たちは「憲法9条が平和を守ってくれる」という「9条教」に対する免疫ができるだろう。
    ■転送歓迎■ H28.03.20 ■ 44,575 Copies ■ 4,156,787Views■

    ■1.「どうしてこの国はこんなに平和なんだ」
    「どうしてこの国はこんなに平和なんだ」と、カエルのソクラテスは聞いた。

    彼とロベルトは危険な旅の途中で多くの仲間を失いながらも、ようやく崖の上にあるナパージュ王国に辿り着いた。

     ここの住民は、昼間でも葉っぱの上に寝転んだり、水面に気持ちよさそうに浮かんだりしている。

    お祭り広場では、一日中、歌や踊りや芝居に興じている。

    「それは、ぼくらが平和を愛するカエルだからだと思います」とハインツは答えた。

    「平和を愛するって、それだけで、敵がこなくなるのか?」と、ロベルトが訊ねると、ハインツは「ナパージュには『三戒』があるのを知らないのですか」と、説明を始めた。

    「三戒」とは「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」の3つの戒めで、ナパージュの遠い祖先が作って以来、住民はずっと守り続けてきた、という。

    「カエルと争うな、と言っても、もし襲われたらどうするんだ」とロベルトが口を挟むと、ハインツは「襲われるなんてことはありません。三戒が誕生してから、この国は一度も他のカエルたちに襲われたことがないんです。これは三戒のお蔭以外のなにものでもありません」

    「争うための力を持つな」の戒めから、ナパージュのカエルは、生まれながら持っている毒腺を子どもの頃に潰してしまう、という。

    ソクラテスが驚くと、ハインツは残念そうに「毒なんか持ってるから争いが起こるのに」と溜め息をついた。

    そして、胸を張って言った。

    「もし、すべてのカエルたちが僕らの三戒を守れば、世界は永久に平和になるでしょう」


    ■2.描かれた9条教信者たちの正体

     百田尚樹氏の最新作『カエルの楽園』の一場面である。

    2月26日の発売後、まだ一ヶ月も経っていないのにアマゾンでは百件以上ものカスタマーレビューが寄せられ、5つ星評価で4.4、SF・ホラー・ファンタジー部門でトップという高評価である。
    つづく

    • 0
    • 16/03/16 09:25:34

    >>779つづき
    ■8.「あの人はずっと楽でしたね」

     国民からも見離され、野党のみならず民主党内でも辞任を突きつけられる中で、菅は7月29日には記者会見でこう胸を張った。
    __________
     この間、大震災そして原発事故への対応について、もちろん100点とは言いませんが、内閣としてやるべきことはしっかり取り組んでいる。早い遅いの見方はありますけれども、着実に復旧から復興へ物事が進んでおります。
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     この時期の菅の様子を、伸子夫人もこう評している。

    __________
     あの人はずっと楽でしたね。きついことは1回もなかった気がします、私から見ると。3月11日以降、ずっと大変でしたが、何も変わらなかった。
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     これが「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸」の実態であった。「かかる首相」がいなければ、多くの犠牲者も死なずに済み、被災者ももっと早期に助けられたはずである。

     しかし、この「かかる首相」を選んだのは我々国民である。

    菅内閣の発足時の内閣支持率は66%にも達していた。

    この事実は、我々の政治家を選ぶ目がいかに節穴だったか、を示している。

    どうして「かかる首相」を選んでしまったのか、「日本の不幸」の再来を防ぐためには、我々一人一人が反省しなければならない。
    (文責:伊勢雅臣)

    • 0
    • 16/03/16 09:23:18

    >>778つづき
    ■7.「裏切られた。人間として最低、クズだ」

    「菅では震災対応を乗り切れない、早く替えるべきだ」という声は与党・民主党の中にも広がっていった。

    6月2日に野党から内閣不信任案が出され、民主党内の小沢一郎や鳩山由紀夫らの一派も賛成しかねない状況だった。

     切羽詰まった菅は、鳩山ら民主党幹部との会談で「大震災への取り組みに一定の目処がついた段階で、・・・若い世代に色々な責任を引き継いでいただきたい」と発言し、これを鳩山らは早期退陣を約束したものと受け止めた。

    そして民主党の分裂を避けるために、不信任案反対に回った。

     鳩山と菅は覚書きまで交わしていたが、「一定の目処」に関して、鳩山は「復興基本法が成立し、第2次補正予算の目処がつく」時期として6月末での退陣を考えていた。

     しかし、不信任案否決の直後、菅が晴れやかな顔で10月中旬から翌年1月中旬とされている原子炉の冷温停止までは「私の責任」だと言ったことで、鳩山は「裏切られた。人間として最低、クズだ」と激怒した。

     ここから民主党内の菅降ろしのための抗争がさらに3ヶ月近く続く。

    震災対応そっちのけで党内抗争を繰り返す民主党の惨状に、党幹部も「もうだめだ 党内みんなメルトダウン」と自嘲するばかりだった。

     しかし、その間も、菅のスタンドプレーは続いた。

    電力制限を続ける中で、定期点検の終わった九州電力玄海原発2、3号機の再稼働を地元も海江田経産相も了解していたのに、菅は7月6日に新たなストレステストの導入を発表して再開を先送りさせた。 

    前年秋以降、菅自身が主導して決めたベトナムへの原発輸出も、7月13日に菅が突然「脱原発」方針を表明したため宙に浮いてしまった。

     菅が正式に退陣表明をしたのは8月26日だった。

    内閣支持率は18%に下落し、これでは破れかぶれの解散・総選挙も打てない。

    同時に、自民党は菅の資金管理団体が北朝鮮の日本人拉致事件の容疑者親族が関係する政治団体に不透明な政治献金を行っていた問題を追及する姿勢を強めていて、進退窮まったからだ。

    つづく

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    • 16/03/16 09:16:18

    >>777つづき
    ■6.「自ら首相の座を去るべきだ」

     菅内閣は震災対応のための会議を作り続けた。

    震災1ヶ月後には、閣僚級だけで5つもの対策本部ができ、官僚からも「責任の所在があいまいで、かえって非効率だ」と批判された。

    「いくつ会議を作れば気が済むのか。責任逃れとしか思えない」との声まであがった。

     5月6日には菅は突然、「地震の危険性」を理由に、中部電力の浜岡原子力発電所の停止を要請した。

    反原発派からは喝采を受けたが、国民の「なぜ浜岡だけなのか、他の原発は大丈夫なのか」という当然の疑問には、国民の納得のいく説明はなかった。

     こうしたスタンドプレーも虚しく、5月中旬の世論調査では、原発事故の政府対応について「評価しない」と答えた人が73%にも達していた。

     5月19日、西岡武夫参院議長は読売新聞に、次のような一文を寄稿した。

    __________
    ・・・首相としての責務を放棄し続けてきた。・・・必死さも、決意も、術(すべ)もなく、今、お辞めにならなければ、原発事故がもたらす重大な課題も解決できない。政権担当能力を超えた難題なら、自ら首相の座を去るべきだ。
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     立法府の長である参院議長が、同じ民主党出身の行政府の長である首相の退陣を公然と求めるのは極めて異例だったが、この一文には、もう座視していられない、という切迫感が溢れていた。

    つづく

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    • 16/03/16 09:14:24

    >>776つづき
    ■5.「首相官邸に何度申し入れても全く動かない」

     枝野は「広報担当」と呼ばれるほど頻繁に記者会見を開いていたが、原発関係ばかりで、民主党幹部からも「原発対応も大事だが、被災者支援が手薄になっている。国民のライフライン(生活物資補給路)確保のために政府は何をやっているのか」と批判の声があがった。

     特に被災地への物資供給が停滞し、警察車両ですら給油待ちを強いられるほどだった。

    3月16日に震災対応を協議する超党派の「各党・政府震災対策合同会議」が開かれたが、会議後、共産党の市田忠義書記局長は記者会見で「政府は『鋭意対策に努めている』というだけで、ガソリン、軽油といった個別の問題でこんな手を打っているという話が一切ない」と批判した。

     17日には福島県いわき市などで避難中や移送中の患者21人が亡くなっていたことが明らかになった。

    被災者支援が手薄のため、高齢者などが避難後に死亡する「震災関連死」が相次ぎ、政府に厳しい視線がむけられた。

     自民党は経団連と連携して直接救援物資を送る動きを見せた。

    「首相官邸に何度申し入れても全く動かない」(自民党関係者)という被災者支援のお粗末さに業をにやし、直接乗り出したのだった。 

    菅や枝野が原発対応に追われて、被災者支援が手薄になったと言われるが、その原発対応ですらスタンドプレーに過ぎなかったのでは、犠牲者たちも浮かばれないだろう。

    つづく

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    • 16/03/16 09:09:43

    >>775つづき
    ■4.「国際社会が菅政権に対する不信感を強めている」

     首相官邸が機能不全に陥っているなかで、自衛隊、消防、警察が協力して、原発への決死の放水作業を試みていた。

    その作業が難航していた3月17日、陸上自衛隊の大型輸送ヘリ2機による上空からの海水投下が計4回に渡って決行された。

    この作業は、テレビでも中継され、多くの国民が固唾を呑んで見守った。

     ヘリからの海水投下は、見た目の派手さとは裏腹に、危険な割には効果が薄いと見られていた。

    それでも菅があえて北澤防衛相に実施を指示したのは、この日予定されていたオバマ米大統領との電話会議の前に、日本もやるべきことをやっているという実績を示したいとの思惑があったからだと指摘された。

     投下実施後の記者会見で北澤が防衛相が「きょうが限度であると判断をした」と語ったのは、菅の「政治ショー」のために、自衛隊員の生命を危険に晒すのはこれで終わりにしたい、という意思表示ではなかったか。

    その後、北澤防衛相は二度とこの作戦を指示しなかった。

     米国は大震災発生の直後から「トモダチ作戦」を発動して、最大時1万8千人もの兵力を動員して被災地救援に協力してくれたが、日本側の対応はあまりにも遅く、拙かった。

    米国のジョン・ルース駐日大使が最新の情報を求めて官邸に頻繁に電話しても、菅も枝野もなかなか掴まらなかった。

     米側から不満をぶつけられた長島明久・元防衛政務官は菅に「米側には、本当にフラストレーションがたまっています。このままでは、日米同盟は深化どころか、崩壊してしまいます」と進言した。

     菅はこれを受けて、原発事故対応に関する日米の調整会議の設置を了承したが、スタートしたのは22日で、大震災から10日以上経っていた。

    こうした日米のすれ違いは、「国際社会が菅政権に対する不信感を強めている」という見方を広めていった。

    つづく

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    • 16/03/16 09:07:30

    >>774つづき
    ■3.「まるで政治ショーだ」

     3月13日、東京電力は原発停止による電力供給不足に対応するため、1都8県を5グループに分け、各3時間程度、交代での計画停電を14日朝6時20分から行う事を計画した。

    東電は、少しでも計画停電に備えて貰おうと、午後6時半から清水正孝社長が発表を行うこととし、午後2時前に菅にその旨を伝えた。

     ところが、官邸から「まず、首相が国民に直接呼びかける」と横やりが入り、東電の発表を遅らせた。

    枝野は午後5時前の記者会見で、電力不足対応策を検討するための「電力需給緊急対策本部」を設置し、ただちに会合を開くとしたが、計画停電に関しては「ギリギリの調整を電力会社と経済産業省でしている」とぼやかした。

     結局、菅が午後8時に記者会見で計画停電を発表。

    その後も枝野、海江田経産相、蓮舫節電啓発相が次々に国民に節電を呼びかけ、東電側の発表をさらに遅らせた。

    東電の社員からは「首相官邸のやっていることは、まるで政治ショーだ。つきあいきれない」との恨み節が漏れた。

     しかし「事前に十分な準備時間もないまま計画停電を実行すれば、人工呼吸器が止まって死者が出る」との悲痛な訴えが各方面から殺到し、枝野は14日未明、東電幹部を呼び出し、「計画停電を午前中だけでも止めろ」と迫った。

     結局、14日午前の計画停電は見送られたが、政府側から詳細な説明もなく、首都圏のJRや私鉄各線は通勤電車を削減したのに、多くの乗客がいつも通り押し寄せ、駅も車内も大混乱に陥った。

    つづく

    • 0
    • 16/03/16 09:03:18

    >>773つづき

    ■2.現場の足を引っ張る首相

     大震災の翌朝、菅は自ら福島第一原発を視察した。

    枝野官房長官が「このタイミングで官邸を外せば、袋だたきに遭います」と制止したのを、「バカ野郎。事態を食い止めるのと、批判されるリスクを考えるのとどっちが大事だ」とはねのけた。


     菅の思惑は、現場への登場ぶりに現れていた。

    ヘリが到着して、乗員が降りようとすると、「まず総理だけが降りますから、すぐには降りないで下さい」と待たされた。

    写真撮影のためだった。

     その後、菅は吉田昌男・福島第一原発所長に約25分間、事態の説明をさせた。

    大震災発生後、不眠不休で原子炉に海水を注入するまでなんとか漕ぎつけていた吉田所長の貴重な時間を奪ったのである。

    さらに、どこにヘリをとめ、どう首相を案内するのか、足りない防護マスクをどうするのか、など受け入れ準備で現場に無駄な時間を使わせた。

     菅は原発視察ののちに、宮城県の被災地をヘリで視察し、結局、4時間半、官邸を留守にした。

    震災対応の司令塔たるべき首相が、その責務を放り出していたこと自体が問題だ、という批判も噴きだした。

     その後の海水注入にも菅は、再臨界などの恐れがあるから、よく検討せよという指示を出して、横やりを入れた。

    吉田所長はそれを聞き入れるふりをして、部下には海水注入を続けよ、と命じていた。

    1分1秒を争う事態に、菅は知ったかぶりをして、現場で戦う人々の足を引っ張っていたのである。

     政府関係者は「首相が東電の技術者をことあるごとに官邸に呼びつけてどなるので、現場対応の邪魔になっている」と嘆いていた。

    つづく

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    • 16/03/16 09:01:08

    No.942 大震災下で「かかる首相」をいただいた「日本の不幸」
    2016/03/13 07:15[下へ]
     震災対応そっちのけで党内抗争を繰り返す民主党の惨状に、党幹部も「もうだめだ党内みんなメルトダウン」と自嘲するばかりだった。
    ■転送歓迎■ H28.03.13 ■

    ■1.「かかる首相をいただきて」

    「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸」とは、俳人の長谷川櫂さんが5年前の東日本大震災に際して詠んだ短歌である。

    「かかる首相」がどのように「日本の不幸」をもたらしたのか、それをきちんと総括して、その「不幸」を再発させない事が、大震災の犠牲者の方々に対する我々の責務であろう。

    大震災の5周年を期に、この点を振り返って見たい。

     平成22(2010)年6月8日に発足した菅直人内閣は、当初は64%と高い内閣支持率を誇っていた。

    しかし、9月7日、尖閣諸島海域で海上保安庁巡視船に体当たりして逮捕された中国漁船の船長を釈放させ、しかも衝突のビデオを隠すなど、姑息な対応が国民の批判を呼び、翌年1月には内閣支持率は34%に急落していた。

     震災発生直前には、菅が在日韓国人から献金を受けていた事実が発覚した。

    その5日前には、同様に在日韓国人から献金を受けていた「ポスト菅」の有力候補、前原誠司が外相を辞任していた。

     3月11日午前には、自民党、公明党、そして民主党の小沢一郎グループも菅の辞任を求めた。

    そのわずか数時間後に大震災が発生し「政治休戦」となる。菅は絶体絶命の境地を大震災に救われたのだった。

    つづく

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    • 16/03/06 12:24:12

    >>770

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    • 16/01/09 12:57:00

    江田五月が議員引退する。後継者を当選させないで欲しい。

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    • 16/01/07 22:00:06

    >>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769


    何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。

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    • 16/01/07 21:54:19

    >>768続き
    【ジェンダーフリーは女性を不幸にする。】

     以上見てきたように、主観と偏見による奇矯でいびつな思想が、男女共同参画法という゛お墨つき゛を得て、学校や役所によって広められつつある。

    謳い文句は

    ―性別によって差別されたり、人権が侵害されたりすることのない社会を作ろう―

    というのだが、現実はまったく逆になるだろう。

    なぜなら、「らしさ」と子育ては面倒なものでしかないという意識から、放任や虐待が増えるだろう。

    子供の荒廃が家庭や学校の荒廃、ひいては社会の荒廃へとつながっていくのは自明である。

    また、子育てに積極的な意義を見出せない母親は、いかに保育所が完備し労働条件が整ったとしても、進んで子供を産むことはないだろう。

    少子化が国の根幹を揺るがすのは論を待つまでもない。


    以下コピー出来ませんでした。

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    • 16/01/07 21:47:02

    >>767続き
     これまで述べたのは、どれも教師の自主教材による刷りこみだったが、来年度から使われる高校の国語教科書には、とうとうジェンダー思想そのものが登場することになった。

    『国語総合』(桐原書店)にはメンズリブの中心メンバーである伊藤公雄氏が書いた「ジェンダーの視点から」という評論が載っている。

    内容はご多分にもれず勝手な思いこみに満ちており、男女に生物学的性差がないことを説明する部分では、ニューギニアの原住民に男女の゛らしさ゛が逆転している部族がいることを挙げて、これによって

    ―男らしさや女らしさは文化や社会によって作られたものであることが明らかになった―

    と断じている。

    あらゆる文明社会でジェンダーが存在していることを無視して、未開部族のわずかな例ですべてを説明してしまうのだから恐れ入る。

    ―女性は生物学的に男性より体力が劣る―

    という常識には

    ―オリンピックの女性と競争して勝てる男性はそれほどいない―

    と反論し、なぜ

    ―男は仕事、女は家庭なのか―

    と批判する。

    極めつけは

    ―セックスがジェンダーを規定しているのではなく、むしろジェンダーがセックスを規定している―

    という部分である。

    欄外の注釈には

    ―生後のしつけや教育によって、生物学的な性が強化され、また、どちらの性で生きられるか決められることもある―

    と書いてある。

    つまり

    ―社会的要因によって女を男として、男を女として生きさせることもできる―という極論から

    ―生物学的な性は個を決定する要因ではなく、゛らしさ゛も文化的社会的に作り出されたものにすぎない―

    と断じるである。

    どれも例外から一般を導き出そうとする暴論である。

    しかも、最後の「学習の手引き」には

    ―身の周りにある゛男らしさ゛゛女らしさ゛の例を挙げ、それについてジェンダーの視点から話しあってみよう―

    とある。

     いよいよ来年度からは国語の時間でもジェンダーフリー教育が行われるのである。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 21:35:16

    >>766続き
    この女教師は女子マネージャーに

    ―貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう―

    と非難しているのだ。

    しかも

    ―自らすすんで自分を周辺部に置く―という゛献身゛の概念をまったく理解せず、

    専業主婦は

    ―自分自身を生きることを辞めている―

    と一方的に断罪するのである。

     しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。

    「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。

    この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。

     国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。

    ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で

    ―このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る―

    という。

    この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。

    私の手元には日本推理作家協会の住所録があるが、女性作家が少ないのは女性差別の結果だというのか。

     授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。

    この本は

    ―男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる―という。

    この教師は授業を通して

    ―愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で―

    ―女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない―

    というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが

    生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」

    という感想があったことで

    「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。

    しかし

    公教育の場で「恋愛は支配・被支配の関係だ」「主婦は奴隷だ」などと教えられる生徒こそ哀れである。

    このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 21:26:52

    >>765続き
     たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。

    産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。

    しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう

    【なんでもかんでも女性差別】

     高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。

    次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。

    書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。

    ―高校生にとってモテるというのは重要なことである。
    モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。

    この文脈上に女子マネージャーがいる。

    彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。

     家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。

     つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。

     いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。

    本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。

     自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。

    こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである―

     いやはや何とも凄まじい。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 21:18:50

    >>764続き
     その他の実践も似たりよったりで、夫婦別姓を賛美したり、現行の結婚制度や戸籍制度を批判したりといったものが多い。

    その中でも突出しているのが、「三歳児神話を問う」という授業である。

     狙いは「子供は三歳までは大切な時期だから母親が育てるべきだという、いわゆる゛三歳児神話゛があるが、親の労働権を保証されるためには保育所が必要であるため、保育所の実態と意義を伝える」ことだという。

    授業では、保育園は何の問題もない良い所であると教えるのたが、この教師がそう思うに至った経緯がふるっている。

     この教師は以前に、自分の子供を保育所に預けていると生徒に言ったら、「子供がかわいそう」と言われ、「゛母親゛の感覚が甦り」「いますぐ子供を抱きしめたい衝動にかられた」そうである。

    しかし、五歳の子供に聞いたら、保育所が好きだと答えた。

    理由は、おもちゃや先生を独占できるからだという。

    たったこの一言だけで「子供への少しの負い目は完全にふっきれ」、「三歳児神話は家事を女に押し付け、福祉を安上がりにするための仕組みである」ことを見通してしまうのである。

    何という短絡さなのか。

    三歳児神話の是非を問うには、膨大なデータと学問的な検証が必要であろう。

    それを子供の一言だけで都合よく解釈してしまうのだから呆れるばかりである。

     この女教師の文章には

    ―社会的には女性の個人としての労働権が認められていない。
    親が子どもを預けて自分のことをする権利がある。

    等、゛権利゛という言葉が頻出する。

    その反面、育児や家事は

    ―女が経済的生活力を捨て、犠牲を払う。

    ことであるとして、母性による行為を否定する。

    女性として生まれ、子宝に恵まれながらも、働くことのみを優先する一面性には薄ら寒いものを感じてしまう。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 21:15:10

    >>763続き
    【家族と専業主婦への敵視】

     中学ともなると、その内容も多岐にわたるようになる。(以下、A書より)

    ある中学の家庭科教師は、教科書に家族団欒の光景が載り

    「家庭は共同生活を営む場で、家族が安心して毎日の生活を送り、明日への活動力をつくりだす場でもある」(開隆堂)とあることから

    両親がそろっているのが当たり前で、そうでない家庭の子供に対する差別や偏見が生じると思い、様々な家庭があることを認識させるために、深江誠子という人の手記を読ませた。

    深江氏は

    ―五歳で生母と死別し、その後母が三人も変わり、恩義を受けた三番目の母が社会から冷遇されていたのを知り、被差別の立場にある人に関心を持つようになり、自らの子供を差別社会と闘わせるためにあえて私生児した―人である(手記より)

    手記に言う。

    ―私は自分の生んだ子を私生児にすることに何のためらいもなかった。

    私は家庭が波瀾に満ちていたからこそ、既存の結婚制度の欺瞞性を見抜く力を養われた―と。

     深江氏がいかなる考えを持とうと自由だが、学校教育とは社会の仕組みや秩序を教えるのが基本であり、反社会的な考えを持ちこむのは禁物だろう。

    これでは既存の結婚制度や家族を否定しているようなものである。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 21:08:57

    >>762続き
     ジェンダーフリー教育の対象は生徒だけではない。

    PTAの集会などでは外部講師による講演が全国で行われている。

    私の元に寄せられた情報から、ある小学校で行われたセミナーの様子を紹介する。

     講師は若い未婚の女性だった。

    一通り話が終わった後、保護者の一人が質問した。
    …娘がいるのですが、母親としてはお嫁にも行って欲しいし、健康でチャンスがあるなら出産もしてもらいたいのですが、今のように男女平等って教えていくと、何で私たち女だけが産まなくちゃいけないのと言われそうで心配なんですけど。

    どうやって男女平等を教えながら子育ての大切さを教えたらいいですか?

     これに対して講師は次のように答えたという。

    ―今の質問ですが、そういう考え方は子供を産めない女性に対して差別を生むことになります。

    ですから、産んだ方がいいといった考えを子供に押しつけるのは良くないと思います。

    私は子供を産んではいませんが、このような教育の現場で皆さんと一緒に子供を育てていると思いますし、専業主婦に比べて税金も多く払っていますから。

    それに今、世界では人口爆発が起こっていて将来、食料危機の心配もあるわけですから、日本人が子供を産まなくなっても大したことではないと言う人もいます―


     強引な差別認識、出産や育児への抵抗、専業主婦蔑視、少子化への密かな期待―――これらがジェンダー論者の本音のようである。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 21:03:46

    >>761続き
     さて、この学芸会がどうなったかというと、

    ―フィナーレに登場する銀色の馬の役は、はじめ男の子が希望していたが、練習中にその男の子がアテリーナ役の女の子に憧れ、つきしたがう蛇の役になり、かわって馬の役になったのは小柄な女の子だった。

    これまでの学芸会の歴史の中で、疾走する馬に乗って観客席から舞台に駈け上がったヒロインなどなかっただろう―

     何のことはない。

    女生徒が主役となって男子生徒を従えたことを喜んでいるだけで、常々批判している男性中心劇の逆をやったにすぎないのである。

     ちなみに、この国立市の教員組合女性部は、かつて5年国語の教科書(光村図書)に載っていた今江祥智の「どろんこまつり」を男女差別につながるという理由で削除させている。

    以下、B書より引用する。

    「どろんこまつり」は「気弱で゛女っぽい゛男の子と、お転婆で゛男っぽい゛女の子が、最後にどちらも゛本来゛の゛男らしさ゛゛女らしさ゛に゛立ちもどる゛という物語である」ため、彼らは「性差別をあまりにも強く全面に出している作品で、このまま見過ごすことはできない」として光村図書に抗議し

    「これからは女子が活躍する文学を取り上げる」等の確認を取りつける。

    その結果「次回の教科書には掲載されなかった」。

     これにより、「私たちは、教科書会社に質問や抗議をしていくことで、教科書を変えていくということができるということを実践的に学んだ」という。

     しかし、「らしさ」が性差別につながるというのは、この人達の勝手な思いこみであり、世間的な常識となっているわけでも、法的根拠があるわけでもない。

    にもかかわらず、自分たちの意向によって教科書を変えようとするのは、少数による言論統制にほかならない。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 20:57:19

    >>760続き
     続いてB書より、かの国立市の小学校で行われた学芸会の様子を紹介しよう。

     この小学校では

    「女の子が主人公の作品が極端に少なく、あっても女の登場人物は役割分業そのもの、美しいお姫様や優しいお母さんといった具合」なので、自分たちで自分たちで脚本を作ることにした。

    題して「アリーテ姫の冒険」

    有名なフェミニズム童話である。

    「アリーテ姫はかしこくて勇気のある女の子、しかも乗馬うまく、いわゆる男らしい特技だけではなく、縫い物をし、絵を書きダンスをするのが好きという女の子らしい特技も備えている」というが、絵を書きダンスをするのが好きだという男はたくさんいる。

    この人達の方が勝手に性的な役割分担を決めているのが何ともおかしい。

     問題なのは事前の指導である。

    ―授業では女はかしこくない方がいいかというショッキングなテーマを取り上げて四つの狙いを定めた。

    ①『女はかしこくなんかない方がいい』という王様の言葉から女のあるべき姿と社会的偏見について考える。

    ②難題を解決する冒険の過程の中で、力、武器を使わなかったことから何が本当の力かを考える。

    ③お姫様が登場するほかの童話との違いに気づき、どちらのお姫様が生き生きとして魅力的かを感じ取らせる。

    というのだ。

    ①は絶句である。
    「女はバカな方がいい」と男は思っている。

    それをどう考えるかと小学生に聞いたわけである。

    男は女性を蔑視する存在であり、闘うべき相手であると教えたも同然である。

    しかし、実際に男はそんなことを思っていない。

    女性は優しく賢くあってほしいと願っているのが普通である。

    本気でそう思っているのなら、この教師たちこそ偏見に毒されているというべきだろう。

    ②は男の攻撃性を批判し、力に訴えない女性を賛美するつもりらしいが、ジェンダーフリーといいながら男女のカテゴリーに固執している矛盾に気づいていない。

    ③は論外。

    自分達の芝居こそ絶対的に素晴らしいものだと思わせるわけだから、まさに独善そのものである。
    続く

    • 0
    • 16/01/07 20:50:08

    >>759続き
     以下、学校における実践例について『ジェンダーフリー教育』『学校をジェンダーフリーに』(ともに明石書店)という本から引用する。

    (前者をA書、後者をB書と記す)

     B書によれば、ジェンダーフリー教育を行う理由として、現在の学校システムが「性差別を再生産する装置」であるからだとする。

    だが、その論拠としてアメリカの調査報告を挙げるだけで、日本の現状を分析したデータは記されていない。

    そのためか、根本的な教育制度や学習形態には言及せず、「隠れたカリキュラム」という言葉を使って、名簿、制服、呼称など瑣末なことを取り上げて「男性中心に作られた枠組み」を変革していこうとする。

     その一環として、男女の呼び方を統一しようという動きがある。

    男子を「くん」女子を「さん」と呼ぶのは「区別=差別」であるから、男女ともに「さん」づけで呼ぼうというのである。

    男女別の呼び方に差別性など全くないにもかかわらず、このような動きが急速に広がっているのは、ジェンダーフリーの内包する全体主義的な恐ろしさを示唆している。

     授業での実践も首をかしげるようなものが多い。

    ある小学校では一年生を対象として「家族について考えさせ」、「標準モデル以外の家族の子供たちに対して差別意識を生じさせない」ために、次のような授業が行われた。

    (A書より)
     まず、家族の絵を書かせて自分の家族を全員に紹介する。

    片親の子供にも、他の生徒から質問があれば、親が離婚した等の理由を説明させる。

    小学一年生には残酷なことだと思うが、この教師は「離婚は悪いことではない。結婚という形態が当たり前ではないことを伝える」意義があるのだという。

    そうして「大人になったら、おかあさんやおとうさんにならないで一人で暮らしたり、友達同士で暮らしたりしてもいいんだよ」と語りかけるのである。

    たしかに個々の生き方は自由だが、学校という場で、しかも小学一年生に伝えるべき内容であるとは思えない。

    これでは結婚制度の否定を刷りこんでいるようなものである。

    女子からは「おかあさんになって子供を産むのは痛いし、しんどいからいやや」という声が出たそうだが、この教師が子育ての大切さや喜びを伝えた様子はない。

    もちろん、小子化によって国の根底が崩れるであろうことは眼中にもないようだ。

    続く

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    • 16/01/07 20:45:41

    >>758続き
    【ジェンダーフリーのトンデモ実践例】

     男女共同参画法が施行されてより、ジェンダーフリーの洗礼は生まれたばかりの子供にまで及ぶようになった。

    すでに新聞報道されたので承知している向きも多いと思うが、文科省の出した子育て支援パンフレットには、「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼり」を否定するような内容となっていた。

    作成した日本女性学習財団は「子供の性格などを考えずに安易に男女『らしさ』を押しつけてはいけないという趣旨だった」というが、弁明にはなっていない。

    要は、自分たちの思想の前には、親の願いや日本の伝統文化など無視してもかまわないというのである。

     ジェンダー論者による文化破壊は、雛祭りや鯉のぼりにとどまらず、昔話や童話にまで及ぶ。

    例えば、桃太郎のように、おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯(家事)といった昔話は「おかしなかたより」があるとされ、性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。

    自分たちの価値観に合わないものは否定してもよいという発想は、思想統制につながる全体主義そのものである。

    小学校に入れば、その刷りこみは組織的かつ巧妙になる。

    その象徴的な例が男女混合名簿である。

    「男子が先」は女子差別につながるというのだが、これほどナンセンスな話はない。

    「名簿の後半に位置づけるのは差別である」という前提に立つのなら、五十音順にしたところで五十音順で生徒を差別することになってしまう。

    男女というカテゴリーの序列に問題があるというのなら、年ごとに男女の順を入れかえればいいのだが、ジェンダー論者はあくまで混合名簿に固執する。

    それは「区別=差別」だという妄想を抱き、「区別=違いによってわけること」と「差別=扱いに差をつけること」の相違をまったく理解しようとしないからである。

    続く

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    • 16/01/07 20:40:11

    >>757続き
     アメリカ社会がこうした思想から急速に脱却しつつあるのは、その「毒」を現実のものとして認識したからであろう。

    ところが、日本においては男女参画社会という美名のもとにこうした危険性が巧みに隠蔽され、しかも行政主導によってジェンダーフリーが実践されているのであるから、その病理は深いといわねばならない。

     では、そのような思想は具体的にどのように実践されているのか。

    ここではその象徴的な例を紹介してみよう。

    妄想を積み重ねたような思想であるだけに、その実践例は頭を抱えてしまうような戯画性に満ちている。

    続く

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    • 16/01/07 20:36:15

    >>756続き

    【誰も支持しないジェンダーフリー】

    ジェンダーが生得的な男女差から派生したものであり、「らしさ」が全否定されるべきものではないとすれば、論拠として残されたのは「男女間の支配構造」のみとなる。

    「男が仕事、女は家事」といった役割分担は性差別であるというのがその典型だが、これは単なる主観にすぎない。

    専業主婦を「働けない」「育児を押し付けられている」と考えれば差別となるが、「働かなくてもいい」「育児という大切な役割を担っている」と考えれば優遇されていることになる。

    「差別」とは不利益を伴う概念であり、客観的な論拠がなく本人が不利益を認識していなければ、「差別」とはならないのだ。

     現在、多くの者はジェンダー論者のいうように、旧来の役割分担を「差別」だと思っているのか。

    これに関する興味深いデータがあるので紹介しよう。

    以下は、アメリカのチルトン研究サービスという組織がまとめた「フェミニズムによる男女の役割変化をどう思うか」という調査である。
    (対象は1997年における無作為に選ばれた成人804人。

    http://www.gendercenter.org/survey.htmより)

    ・8割の男女がこの役割変化のせいで育児がより困難なものになっている

    ・7割の男女がこの役割変化のせいで結婚を成功させることがより困難なものになっている

    ・5割近くの男女がこの役割変化のせいで女性が満足のいくライフスタイルを持つことがより困難になっている。

    ・男女とも5割近くが小学生の場合、働く母親よりも専業主婦の母親に敬意を感じている。

    ・6歳以下の子どもを持つ専業主婦の5割強が世間から働く母親と同じ敬意を受けている、また3割近くが働く母親よりも敬意を受けていると感じている。

    ・男女とも7割近くが「母親は家庭にいて家事と育児に従事するほうがよい」という意見に強く、もしくは幾分同意している。

     いかがであろうか。

    驚くべきことに、フェミニズム先進国であるはずのアメリカで、旧来の役割分担を支持する割合が過半数を超しているのだ。

    女性も家事と育児をすることに対して不利益とは認めておらず、圧倒的に多くの者が「差別」ではないと考えているのがわかる。

    つまり、「男女の支配構造」というのは一部の見方にしかすぎないのである。

    続く

    • 0
    • 16/01/07 20:08:21

    >>754続き

     もちろん、現在の「らしさ」には男女の生得的特質から派生したジェンダー(社会的文化的性差)があるのは確かである。

    しかし、これらは安定した社会を築くために醸成された文化、あるいは慣習というべきものであり、全否定すべき根拠はどこにもない。

    たしかに「女は~してはならない」とか「女のくせに」といった行動規制(因襲)や男尊女卑的な発想は排除されるべきだが、一般に言われる「らしさ」の大半は望ましいものである。

    「男らしさ」には゛我慢強さ゛や゛逞しさ゛゛責任感゛、「女らしさ」には゛優しさ゛や゛繊細さ゛゛母性的包容力゛等があることからも、それは明らかだろう。

    こうした「らしさ」を、「ジェンダー=悪しきもの」という一面的な見方によって否定すれば、望ましい徳目が消えていき、人間性の荒廃を招くのは必至であろう。

    こうした批判に対しては次の反論がある。

    「らしさ」という枠が存在する限り、その枠に入り切らない個を阻害することであり、それは「差別」につながるというのだ。

    しかし、「らしさ」に入らない少数の個があるからといって、望ましい徳目を含むすべての「らしさ」を否定するというのは、少数による全体支配

    ―――すなわちファシズムと同根の発想である。

    肝心なのは、「らしさ」を否定するのではなく、多様な価値観を許容することであろう。

     ジェンダー論者は抑圧からの解放を叫ぶが、「らしさ=内的規範」なき自由は放縦に過ぎず、放縦が蔓延すれば社会は容易に荒廃する。

    このように、ジェンダーフリーの背後には、モラルを低下させ社会を荒廃へと導く強烈な「毒」が隠されているのである。

    続く(超超長文の為一時休止)

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    • 16/01/07 20:07:50

    維新の松井氏は保守ではないのに
    なぜここへ…??

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    • 16/01/07 20:03:18

    >>753続き
    【ジェンダー論は妄想の産物】

     ジェンダーとは生物学的に規定された性「sex」ではなく、社会的文化的に規定された性差「gender」を意味している。

    こうした「ジェンダー」の概念は、60年代から70年代にかけてアメリカで起きたウーマンリブ運動を発端としている。

     女性が男性に支配されているという「性支配」体系を構築したウーマンリブ運動は、その支配構造から女性を解放するために、社会的制度における同等な権利を得る運動を展開する。

    やがて、これが一定の成果をおさめると、今度は「男女」という枠組み自体に差別構造が内在しているという認識に至り、これを抹消しない限り真の解放はないと考えるようになる。

    ジェンダーとは、生物学的性の差異ではなく、人間が人為的に作り出した社会的文化的性差であり、支配者(男)が被支配者(女)を統治するための道具であるというのだ。

    こうして、「男女」という枠組み、すなわち「男・女らしさ」を撤廃しようとする動きが生じた。

    これがジェンダーフリーである。

     しかし、ここにはいくつもの誤謬がある。

    その最たるものが、ジェンダーのほとんどが社会的文化的に作られたものだという認識である。

    こうした考えはM・フーコーの『性の歴史』やJ・バトラーの『ジェンダートラブル』等による「性欲や性別は歴史的社会的に構築された観念的カテゴリーであるという」分析に拠っているが、最近の大脳生理学はこうした゛思い込み゛を見事に一蹴している。

    医学の専門書には、いわゆる「男・女らしさ」が大脳の構造的差異や男性ホルモン(アンドロゲン)の有無によって生じることが明確に書かれている。

    ジェンダー論者がいかに言質を弄してもこうした学問的事実によって、その論理は根底から覆されるのだ。

    続く

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    • 16/01/07 19:59:45

    恐るべしジェンダーフリー教育
    2002『正論』8月号に掲載されたフェミニズム批判特集の一つです。

    林義道教授、高橋史朗教授、ユキさん、そうして私の論文が掲載されました。

    私の担当は「学校におけるジェンダーフリー教育」についてです。

    雑誌では紙面の関係で数枚分カットされていましたので、これがノーカット版となります。

    【ジェンダーフリーの甘い罠】

    貴方がこんなことを言われたとする。

    「女なんだから、もっとおしとやかにしなさい」

    「男なんだから泣くんじゃない」

     そこで貴方はこう思う。

    「なんで女だから、男だからって、世間が決めた枠にはめられなきゃいけないの。男とか女とか関係ないじゃん」

     すると、貴方の耳に甘く囁きかける者がいる。

    …君がそう思うのは正しいよ。

    男らしさ、女らしさというのは、みんな生まれつきにあるものじゃなくて、社会的文化的に作り出されたものなんだ。

    これをジェンダーといってね、ほとんどは女性に対する差別意識から生じてるんだよ。

    だから、そんなものに縛られる必要なんかないんだ。

    そういう規制や抑圧から解放されて、もっと人間らしく自由に生きるべきなんじゃないのかな。

    こういうのをジェンダーフリーといって、今急速に広まっている運動なんだよ…

    貴方はなるほどと思って、ジェンダーフリーを望ましいものと考えるかもしれない。

     しかし、ちょっと待ってほしい。

    うまい話には嘘があるという。

    不平、不満を持っているときが最もつけこまれやすいものだ。

    貴方に甘く囁きかけた者は、本当に貴方のためを思って言っているのだろうか。

     ここでは、ジェンダーフリーとはどんなものか、またジェンダーフリーという名の下にどんな教育が行われているかをまとめておく。

    現実に行われている奇々怪々な実態を知ることで、貴方のマインドコントロールはきっと解けるだろうからね。

    続く

    • 0
    • 15/12/19 20:47:11

    おおさか維新・松井代表「民主党こそ邪魔」 枝野幹事長の“口撃”に反論:イザ!

    産経新聞社2015.12.16 15:51

     おおさか維新の会代表の松井一郎大阪府知事は16日、来年夏の参院選で全国での候補者擁立を目指す同党を「邪魔」と“口撃”した民主党の枝野幸男幹事長に対し、

    同党が政策の異なる共産党との選挙協力を検討しているとして

    「野合談合選挙互助会で与党にだけ勝てればいいんだという考え方こそ日本の未来にとって邪魔な考え方だ」と切り捨てた。

    大阪市内で記者団に答えた。

     松井氏は「おおさか維新にとって民主党は邪魔ではないか」と問われ、

    民主党の大阪選出議員が少ないことを念頭に

    「大阪ではもう民主党はないのと同じだ」とも皮肉った。

    おおさか維新の幹事長に内定している馬場伸幸衆院議員も都内で記者団に

    「当選するためだけに共産党ともくみする政党は国民にとって邪魔だ」

    と述べ、松井氏に同調した。

     枝野氏は15日にさいたま市で行った講演で、おおさか維新が民主党にとって「邪魔」だと主張。

    記者団には、参院選を念頭に

    「(おおさか維新が)野党の票を割る勢力ではないことが分かった。与党と票を食い合ってほしい」

    と述べ、松井氏が憲法改正を目指す方針であることについても

    「自民党の補完勢力だと自白している」と語った。

    • 0
    • 15/12/01 14:35:58

    兵庫県明石市が、在日外国人に参政権を与える法案を提出するって。
    このままだと、日本は日本じゃなくなっちゃうよ。

    • 0
    • 15/11/24 20:45:40

    石破さん、移民政策進めるべきって言ってるけど大丈夫なの?

    • 0
    • 15/11/24 18:25:15

    >>748

    • 0
    • 15/10/31 08:55:53

    古トピ防止↑

    • 0
    • 15/09/20 10:57:10

    >>746石破さん

    以下、麻生さんのブログより

    2015年9月17日
    「例会挨拶15・09・17」
    【要旨】(前半略)


    ●さて、参議院の平和安全法制に関する特別委員会では、きのう、いわゆる地方公聴会を行い、その後、締めくくりの質疑が予定されていたが、そのようには進まなかった。

    詳しい経緯については後程、藤川先生より報告があると思う。

    ●いずれにしても、

    衆議院で116時間、

    参議院で100時間

    という審議時間となっており、

    論点が出尽くしたことははっきりしている。

    政策論は十分出尽くしたと思う。

    もちろん、

    国民に不安があることは確かなので、

    そういった点については

    地元や後援会等いろいろな場で説明をしていかれることが、

    皆さん方の当然の責務である。

    ●忘れてもらっては困るのは、前にも言ったが、

    昭和35年のいわゆる「60年安保」に際しても

    「抑止力」が論点だったことだ。

    抑止力を高めれば戦争に巻き込まれると言った社会党と、

    抑止力を高めることでそうした危険が低くなると言った自民党。

    その後の歴史を見れば答は出ている。

    今回も同じ論点、抑止力を高めるか否かということだ。

    もちろん、今まで通り、

    専守防衛の方針にいさささかの変りもない。

    ●この法案は我々が国会議員として、

    国民の安全、

    国家の安全、

    領土の保全等を考えた上で、

    今の国際情勢の中で必ず必要だ

    と確信して提出し審議している。

    その点は一点の曇りもなく堂々と自信を持ってほしい。

    この法案を成立させることよって、

    我々に与えられている責務を全うする。

    それに資する法案であり、

    覚悟を持ってきっちり対応することを期待する。

    ●「60年安保」の時もそうだったが、

    あの時も野党が割れた。

    自民党は一致結束まとまって条約を通し、

    その後日本は「所得倍増」で経済が伸びていった。

    それが境だった。

    大きなターニングポイントだった。

    ●今回もその意味では大きなターニングポイントになると思うので、

    この法案をきちんと成立させ、

    その上で、

    アベノミクスなど

    やるべきことはいっぱい残っているので、

    それらをきっちり仕上げていく

    という覚悟で

    臨んでいただくことを期待している。

    • 0
    • 746
    • タイムリーなので
    • 15/09/19 17:41:45

    石破茂(いしばしげる)ブログ
    安全保障関連法案成立など>>742>>743>>744>>745

    • 0
    • 15/09/19 17:38:46

    >>744
     軍事的に言えば、

    日露戦争における機関銃、

    第一次大戦における飛行機、

    第二次大戦における核兵器、

    現代戦における

    核兵器搭載弾道ミサイルや

    サイバー攻撃など、

    「具体的な脅威」は

    規模においてもスピードにおいても、

    時代とともにその大きさや速さが

    格段に増しています。

     「あれは他国に対する攻撃で我が国とは関係ない」

    などと言っているうちに、

    瞬時に我が国の国民の生存を

    根底から脅かす事態になる可能性は

    決して否定できないのです。

     「集団的自衛権」自体は

    国連憲章において初めて明文化された概念ですが、

    日露戦争時における日英同盟は

    今日で言う集団的自衛権の一種です。

    日英同盟がなかったならば、

    日本は帝政ロシアに敗北していたに違いありません。

     国連憲章上、

    何故わざわざ集団的自衛権が明記されたかは以前に論じたとおりですし、

    民主党の諸兄姉が

     集団的自衛権は他国の戦争に巻き込まれ、

    他国と組んで侵略戦争を行う危険で邪悪な権利だ。

    と本気で思っておられるのなら、

    次期参議院選挙の公約に

     民主党が政権を取ったら、

    国連において

    集団的自衛権の

    国連憲章からの削除を求めます。

    と掲げられればよいのです。

     私は日本人が

    ロジカルに物事を考えることが苦手な国民だとは決して思わないのですが、

    いつまでもこの法案を

    「戦争法案」ときめつけ、

    「絶対反対」と叫ぶ方々を見ていると、

    やはり情緒が先立っているように感じられてなりませんでした。

     論理ではなく

    情緒で動くのは、

    瞬時にどちらの立場にも変わりうる危険性を

    内在しているのであり、

    それはとても恐ろしいことのように思われます。

     今後の道程も眩暈がしそうなほどに遠く遥かなものですが、

    この平和で自由な国を

    次の世代に何としても残すために、

    決して諦めることなく

    地道に、

    愚直に歩を進めて参ります。

    以下略

    • 0
    • 15/09/19 17:32:24

    >>743
    「集団的自衛権の行使は憲法違反」との議論が

    この度大きな論点となりましたが、

    過去の経緯について論じる方は多くても、

    憲法第9条、すなわち

     日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

    国権の発動たる戦争と、

    武力による威嚇又は武力の行使は

    国際紛争を解決する手段としては

    永久にこれを放棄する。

    前項の目的を達するため、

    陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。

    国の交戦権はこれを認めない。



     このどの部分からそれが導き出されるのか、

    ということについて論理的に展開された方は、

    一連の審議の過程においてあまりなかったように思います。

    つづく

    • 0
    • 15/09/19 17:27:27

    >>742
     私も含め、ほとんどの日本人は、

     国家の独立を守るのが軍隊、

    国民の生命・身体・財産、公の秩序を守るのが警察。

     国家の独立とは、

    領土・国民・統治機構という国家主権を

    外国の侵略勢力から守ること。


    といった、

    政治的立場やイデオロギーとは関係なく

    国際社会において基本的な常識とされていることを、

    小学校から大学に至るまでの教育の過程においても、

    社会に出てからも全く教わってきませんでした。

     特に大学においては、

    法学部法律学科であればどこもそうだと思いますが、

    「自衛隊は憲法違反」

    との憲法学の通説を教わるのみでした。

     ましてや「抑止力」がいかなる概念なのか、

    「拒否的抑止力」と

    「報復的抑止力」との差異とは何かなど、

    ごく一部の国際法概論などの授業以外には教わらないでしょうし、

    「同盟のジレンマ」に至っては

    ほとんどの国民が聞いたこともないもののはずです。

     賛成・反対、いずれの立場に立つにせよ、

    国会ではこれらについての議論がもっと深く、

    真摯に行われることが期待されたのですが、

    もともと素地が無いところに理解を求めることは

    極めて困難なことでした。

     その責任の多くは、

    戦後長く政権を担ってきた我々自民党が負うべきものですし、

    これからもそうなのでしょう。

    だからこそ、

    今後とも更なる努力が必要だと強く思う所以です。

     すべて国民は

    「言論の自由」

    「思想・信条の自由」

    「結社の自由」

    「信教の自由」等の権利を有し、

    自由を享受しています。

    それが何人(なんぴと)かにより侵害された時、

    その侵害を排除し、

    権利や自由を守ってくれるのは

    「国家」以外にあり得ません。

    その国家自体が

    外国勢力により脅かされ、

    崩壊に至った時、

    国民の権利や自由は一体誰が守ってくれるのか。

    「国家など信用できない」と言うのなら、

    国民国家、

    市民国家とは一体何なのか。

    国家の独立を守る、

    というのは

    畢竟、国民の自由や権利を守るためのものなのだ

    と私は思います。

    つづく

    • 0
    • 742
    • 長文ですが全文
    • 15/09/19 17:19:22

    >>741
    石破茂(いしばしげる)ブログ
    安全保障関連法案成立など

     石破 茂 です。

     様々な紆余曲折の末に、安全保障関連法案が可決・成立致しました。

    関係されたすべての皆様に心から敬意を表します。

    成立した以降も、この法案の意義を引き続きよく説明しなくてはなりません。

     一昨年自民党が党議決定し、

    総選挙において有権者に示した自民党の安全保障基本法案も、

    総理の私的諮問機関であった安全保障と防衛力に関する懇談会の報告書も、

    「憲法上、集団的自衛権は全面的に認められるが、その行使は法律によって厳しく制限される」

    との考えでしたが、

    今国会において政府は

    「集団的自衛権の行使はこの法案に示されたもの以上は現行憲法上認められず、これ以上の行使を可能とするためには憲法の改正が必要」

    との立場を明らかにしました。

     法的安定性と、

    憲法第9条に関する今日までの答弁との整合性を重視したものですが、

    一方において今回の安保法制によっても


     米国は日本を防衛する義務を負う。

    日本は集団的自衛権の行使としての武力行使が出来ないので、

    国土を米国に対し基地として提供する義務を負い、

    これによって(非対称的)双務性を確保する。

    との日米の関係には何ら変更はありません。

    この議論は今後の課題です。

     法案成立後は憲法改正を目指す、

    というのが総理のお考えであり、

    もともと自民党は自主憲法の制定を党是の一つとして結党された政党です。

     私は日本国憲法は大日本帝国憲法の改正手続きに則って成立したものであると考えており、

    形式論としての無効論には立ちません。

    しかしその内容については改正すべきと考えます。

     未だ独立を果たしていない時に成立した憲法であるが故に、

    「国家の独立についての条文」が設けられていないのは、

    ある意味当然の論理的帰結でした。

    昭和27年に独立を果たし、

    主権を回復したからには、

    憲法を改正して

    「国家の独立を守るための組織である軍隊」や

    「独立が脅かされた際の国家緊急事態」について

    の条文を明記すべきである、

    とわが党の先人たちは考えていたはずです。

    つづく

    • 0
    • 15/09/13 23:10:07

    石破茂(いしばしげる)ブログより抜粋

    政策集団など

    (略)

     日本国を、政権を担うことがいかに困難なことか、議員を30年近く勤め、閣僚や党役員を多く経験させていただいて、それを痛感しています。

    10年先、100年先の日本を見据えたビジョンを作るのに費やすべき時間と労力はどれほどあってもこれで十分ということはありません。

     いま日本が抱えている課題、

    安倍政権が必死に取り組んでいる課題の

    ほとんど全ては、

    「これを言っても理解してもらえない、これを言ったら票が減る」

    と言って課題を先送りしてきたものなのではないでしょうか。

    そしてその責任は、長く議員や政府・党の役職をお預かりしてきた私も当然負わねばならないものだと思います。

     現政権を全力で支えつつ、

    10年先、100年先を見据えた、

    政策立案中心の本来の政策集団を、

    一人一人の国民や党員の方々にその軸足を置き、

    その納得と共感が頂ける自民党を作りたいと思っています。

     「明るく、楽しく、元気よく。地道に、愚直に、徹底的に。」

    私が敬愛するある企業経営者のスローガンを、

    とても共感を持って感じます。

    (略)

    • 0
    • 15/08/21 18:05:25

    宮城県立中高一貫校が育鵬社採択 「自国を知り、説明できる教科書」
    産経新聞 8月21日(金)14時37分配信

     宮城県教委が県立中高一貫校の仙台二華中(仙台市)と古川黎明中(大崎市)で来春から使用する歴史教科書として育鵬社(東京)を採択したことが21日、分かった。

    年間採択数は計200冊余り。

    東北地方での育鵬社採択は初めて。

     県教委によると、20日の教育委員会臨時会で採択された。

    21日の県議会文教警察委員会で高橋仁教育長は、育鵬社を採択した理由について

    「グローバルな人材を育成するため、自国の特徴をよく知り、自信と誇りを持って説明できる知識が必要。(育鵬社は)わが国の歴史の流れを理解しやすく、多くの人物が取り上げられ、わが国の伝統や文化が詳しく記述されている」と答弁した。

     育鵬社教科書の発行を支援している教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)によると、同日現在で判明している育鵬社採択の決定・内定状況は次の通り。

    【宮城県】県立中高一貫校(歴史)

    【栃木県】大田原市(歴史、公民)

    【埼玉県】県立伊奈学園中(歴史、公民)

    【東京都】都立中高一貫校(歴史、公民)▽

    都立特別支援学校(歴史、公民)▽

    武蔵村山市(歴史、公民)

    【神奈川県】横浜市(歴史、公民)▽

    同市立特別支援学校(歴史、公民)▽

    藤沢市(歴史、公民)

    【大阪府】大阪市(歴史、公民)▽

    同市立特別支援学校(歴史、公民)▽四

    條畷市(歴史、公民)▽

    東大阪市(公民)▽

    泉佐野市(歴史、公民)▽河内長野市(公民)

    【広島県】呉市(歴史、公民)

    【愛媛県】松山市(歴史)▽

    新居浜市(歴史)▽

    四国中央市(歴史、公民)

    【沖縄県】八重山地区=石垣市、与那国町(公民)

    • 0
    • 15/08/15 20:54:06

    <終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式>>730

    [終戦の詔書]
    詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)>>731

    国史百景>>732>>733>>734>>735>>736>>737>>738

    • 0
    • 15/08/15 20:46:47

    >>737
    ■8.歴代天皇陵への代拝

     終戦の混乱も落ち着きかけた11月29日、7名の皇族をお召しになって、123代に及ぶ歴代天皇の御陵に代拝を依頼された。

     このような終戦は自分の不徳の致すところで、それを歴代天皇に謝り、日本の今後の復興への御加護をお願いしたい。

    神武天皇の畝傍陵、明治天皇の桃山陵、大正天皇の多摩陵は御自身で参拝するが、残りは皇族で手分けして代参してくれ、との御聖旨だった。

     竹田宮は四国と淡路島を担当した。

    各皇族は全国に散って、代参をするかたわら、病院や行政機関などを訪問され、多くの要人や民衆と交流した。

    後に昭和天皇は8年半をかけて、沖縄を除く全都道府県を行幸され、数千万の国民と交流されたが、この皇族方の代参はその原型とも言えるものであった。

    昭和22年10月、直宮(昭和天皇の弟宮である秩父宮、高松宮、三笠宮)を除くすべての皇族、11宮家51人が臣籍降下した。

    皇室の力を弱めようという占領軍司令部の意向であった。

     竹田宮恒徳王も竹田恒徳となったが、その後、スポーツを通じて青年のために奉仕できればと、スケート、馬術などのスポーツ連盟の会長となり、東京オリンピックや札幌冬季オリンピックの招致に貢献し、「スポーツの宮様」と呼ばれた。
    (文責:伊勢雅臣)

    • 0
    • 15/08/15 20:45:05

    >>736
    ■7.「国内での不穏な動きを抑えよ」

     竹田宮は8月20日、無事に帰国し、復命することができた。同様に、サイゴン、シンガポールで南方軍に聖旨伝達した閑院宮、支那派遣軍に伝えた朝香宮も、それぞれ任務を終えて、帰国した。

     帰国して2日後の8月22日、昭和天皇から竹田宮に3度目のお召しがあった。

    昭和天皇は、占領軍の本土進駐に際して、反乱などがあってはならないと心配され、不穏な動きが報告されていた福岡の陸軍航空部隊と、広島県宇品(うじな)の陸軍船舶司令部に行って、自重するよう聖旨の伝達を竹田宮に命ぜられた。

    竹田宮はすぐに福岡と宇品に行き、それぞれ戈を収めさせた。

     8月26日には、連合軍の先遣隊が神奈川の厚木飛行場に降り立つ日だったが、そこを本拠とする相模原航空隊は進駐軍を撃退すべく演習を続けていた。

    海軍上層部はこれを抑えようとしたが、言うことを聞かない。

    昭和天皇に差し遣わされた弟宮の高松宮が直接説得することで、ようやく24日の夕方、強行派は厚木飛行場を明け渡した。

     翌25日には米軍機が東京上空を盛んに飛んだので、厚木飛行場の武装解除が半日遅れたら、戦闘状態になった可能性もあった。

    こうして789万人もの将兵が、君主の号令一下、整然と戈を収めたのは史上でも例のない見事な降伏ぶりであったが、その背景には、各皇族が昭和天皇の分身として、自分の身はどうなっても良いから民を助けたい、という大御心を内外の将兵に伝えたからであろう。

    つづく

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