保守ですが何か? へのコメント(No.766

  • No.765 反日教組

    16/01/07 21:18:50

    >>764続き
     その他の実践も似たりよったりで、夫婦別姓を賛美したり、現行の結婚制度や戸籍制度を批判したりといったものが多い。

    その中でも突出しているのが、「三歳児神話を問う」という授業である。

     狙いは「子供は三歳までは大切な時期だから母親が育てるべきだという、いわゆる゛三歳児神話゛があるが、親の労働権を保証されるためには保育所が必要であるため、保育所の実態と意義を伝える」ことだという。

    授業では、保育園は何の問題もない良い所であると教えるのたが、この教師がそう思うに至った経緯がふるっている。

     この教師は以前に、自分の子供を保育所に預けていると生徒に言ったら、「子供がかわいそう」と言われ、「゛母親゛の感覚が甦り」「いますぐ子供を抱きしめたい衝動にかられた」そうである。

    しかし、五歳の子供に聞いたら、保育所が好きだと答えた。

    理由は、おもちゃや先生を独占できるからだという。

    たったこの一言だけで「子供への少しの負い目は完全にふっきれ」、「三歳児神話は家事を女に押し付け、福祉を安上がりにするための仕組みである」ことを見通してしまうのである。

    何という短絡さなのか。

    三歳児神話の是非を問うには、膨大なデータと学問的な検証が必要であろう。

    それを子供の一言だけで都合よく解釈してしまうのだから呆れるばかりである。

     この女教師の文章には

    ―社会的には女性の個人としての労働権が認められていない。
    親が子どもを預けて自分のことをする権利がある。

    等、゛権利゛という言葉が頻出する。

    その反面、育児や家事は

    ―女が経済的生活力を捨て、犠牲を払う。

    ことであるとして、母性による行為を否定する。

    女性として生まれ、子宝に恵まれながらも、働くことのみを優先する一面性には薄ら寒いものを感じてしまう。

    続く

  • No.766 反日教組

    16/01/07 21:26:52

    >>765続き
     たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。

    産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。

    しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう

    【なんでもかんでも女性差別】

     高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。

    次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。

    書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。

    ―高校生にとってモテるというのは重要なことである。
    モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。

    この文脈上に女子マネージャーがいる。

    彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。

     家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。

     つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。

     いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。

    本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。

     自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。

    こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである―

     いやはや何とも凄まじい。

    続く

コメント

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返信コメント

  • No.767 反日教組

    16/01/07 21:35:16

    >>766続き
    この女教師は女子マネージャーに

    ―貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう―

    と非難しているのだ。

    しかも

    ―自らすすんで自分を周辺部に置く―という゛献身゛の概念をまったく理解せず、

    専業主婦は

    ―自分自身を生きることを辞めている―

    と一方的に断罪するのである。

     しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。

    「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。

    この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。

     国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。

    ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で

    ―このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る―

    という。

    この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。

    私の手元には日本推理作家協会の住所録があるが、女性作家が少ないのは女性差別の結果だというのか。

     授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。

    この本は

    ―男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる―という。

    この教師は授業を通して

    ―愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で―

    ―女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない―

    というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが

    生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」

    という感想があったことで

    「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。

    しかし

    公教育の場で「恋愛は支配・被支配の関係だ」「主婦は奴隷だ」などと教えられる生徒こそ哀れである。

    このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。

    続く

  • No.770 反日教組

    16/01/07 22:00:06

    >>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769


    何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。

1件~2件 (全2件)

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