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>>765続き
たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。
産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。
しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう
【なんでもかんでも女性差別】
高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。
次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。
書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。
―高校生にとってモテるというのは重要なことである。
モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。
この文脈上に女子マネージャーがいる。
彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。
家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。
つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。
いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。
本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。
自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。
こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである―
いやはや何とも凄まじい。
続く- 0
16/01/07 21:26:52