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<子供のLINE>1週間、音信不通なのアリ?
16/01/07 21:15:10
>>763続き 【家族と専業主婦への敵視】 中学ともなると、その内容も多岐にわたるようになる。(以下、A書より) ある中学の家庭科教師は、教科書に家族団欒の光景が載り 「家庭は共同生活を営む場で、家族が安心して毎日の生活を送り、明日への活動力をつくりだす場でもある」(開隆堂)とあることから 両親がそろっているのが当たり前で、そうでない家庭の子供に対する差別や偏見が生じると思い、様々な家庭があることを認識させるために、深江誠子という人の手記を読ませた。 深江氏は ―五歳で生母と死別し、その後母が三人も変わり、恩義を受けた三番目の母が社会から冷遇されていたのを知り、被差別の立場にある人に関心を持つようになり、自らの子供を差別社会と闘わせるためにあえて私生児した―人である(手記より) 手記に言う。 ―私は自分の生んだ子を私生児にすることに何のためらいもなかった。 私は家庭が波瀾に満ちていたからこそ、既存の結婚制度の欺瞞性を見抜く力を養われた―と。 深江氏がいかなる考えを持とうと自由だが、学校教育とは社会の仕組みや秩序を教えるのが基本であり、反社会的な考えを持ちこむのは禁物だろう。 これでは既存の結婚制度や家族を否定しているようなものである。 続く
16/01/07 21:18:50
>>764続き その他の実践も似たりよったりで、夫婦別姓を賛美したり、現行の結婚制度や戸籍制度を批判したりといったものが多い。 その中でも突出しているのが、「三歳児神話を問う」という授業である。 狙いは「子供は三歳までは大切な時期だから母親が育てるべきだという、いわゆる゛三歳児神話゛があるが、親の労働権を保証されるためには保育所が必要であるため、保育所の実態と意義を伝える」ことだという。 授業では、保育園は何の問題もない良い所であると教えるのたが、この教師がそう思うに至った経緯がふるっている。 この教師は以前に、自分の子供を保育所に預けていると生徒に言ったら、「子供がかわいそう」と言われ、「゛母親゛の感覚が甦り」「いますぐ子供を抱きしめたい衝動にかられた」そうである。 しかし、五歳の子供に聞いたら、保育所が好きだと答えた。 理由は、おもちゃや先生を独占できるからだという。 たったこの一言だけで「子供への少しの負い目は完全にふっきれ」、「三歳児神話は家事を女に押し付け、福祉を安上がりにするための仕組みである」ことを見通してしまうのである。 何という短絡さなのか。 三歳児神話の是非を問うには、膨大なデータと学問的な検証が必要であろう。 それを子供の一言だけで都合よく解釈してしまうのだから呆れるばかりである。 この女教師の文章には ―社会的には女性の個人としての労働権が認められていない。 親が子どもを預けて自分のことをする権利がある。 等、゛権利゛という言葉が頻出する。 その反面、育児や家事は ―女が経済的生活力を捨て、犠牲を払う。 ことであるとして、母性による行為を否定する。 女性として生まれ、子宝に恵まれながらも、働くことのみを優先する一面性には薄ら寒いものを感じてしまう。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
16/01/07 21:26:52
>>765続き たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。 産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。 しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう 【なんでもかんでも女性差別】 高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。 次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。 書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。 ―高校生にとってモテるというのは重要なことである。 モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。 この文脈上に女子マネージャーがいる。 彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。 家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。 つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。 いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。 本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。 自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。 こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである― いやはや何とも凄まじい。 続く
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769 何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.764 反日教組
16/01/07 21:15:10
>>763続き
【家族と専業主婦への敵視】
中学ともなると、その内容も多岐にわたるようになる。(以下、A書より)
ある中学の家庭科教師は、教科書に家族団欒の光景が載り
「家庭は共同生活を営む場で、家族が安心して毎日の生活を送り、明日への活動力をつくりだす場でもある」(開隆堂)とあることから
両親がそろっているのが当たり前で、そうでない家庭の子供に対する差別や偏見が生じると思い、様々な家庭があることを認識させるために、深江誠子という人の手記を読ませた。
深江氏は
―五歳で生母と死別し、その後母が三人も変わり、恩義を受けた三番目の母が社会から冷遇されていたのを知り、被差別の立場にある人に関心を持つようになり、自らの子供を差別社会と闘わせるためにあえて私生児した―人である(手記より)
手記に言う。
―私は自分の生んだ子を私生児にすることに何のためらいもなかった。
私は家庭が波瀾に満ちていたからこそ、既存の結婚制度の欺瞞性を見抜く力を養われた―と。
深江氏がいかなる考えを持とうと自由だが、学校教育とは社会の仕組みや秩序を教えるのが基本であり、反社会的な考えを持ちこむのは禁物だろう。
これでは既存の結婚制度や家族を否定しているようなものである。
続く
No.765 反日教組
16/01/07 21:18:50
>>764続き
その他の実践も似たりよったりで、夫婦別姓を賛美したり、現行の結婚制度や戸籍制度を批判したりといったものが多い。
その中でも突出しているのが、「三歳児神話を問う」という授業である。
狙いは「子供は三歳までは大切な時期だから母親が育てるべきだという、いわゆる゛三歳児神話゛があるが、親の労働権を保証されるためには保育所が必要であるため、保育所の実態と意義を伝える」ことだという。
授業では、保育園は何の問題もない良い所であると教えるのたが、この教師がそう思うに至った経緯がふるっている。
この教師は以前に、自分の子供を保育所に預けていると生徒に言ったら、「子供がかわいそう」と言われ、「゛母親゛の感覚が甦り」「いますぐ子供を抱きしめたい衝動にかられた」そうである。
しかし、五歳の子供に聞いたら、保育所が好きだと答えた。
理由は、おもちゃや先生を独占できるからだという。
たったこの一言だけで「子供への少しの負い目は完全にふっきれ」、「三歳児神話は家事を女に押し付け、福祉を安上がりにするための仕組みである」ことを見通してしまうのである。
何という短絡さなのか。
三歳児神話の是非を問うには、膨大なデータと学問的な検証が必要であろう。
それを子供の一言だけで都合よく解釈してしまうのだから呆れるばかりである。
この女教師の文章には
―社会的には女性の個人としての労働権が認められていない。
親が子どもを預けて自分のことをする権利がある。
等、゛権利゛という言葉が頻出する。
その反面、育児や家事は
―女が経済的生活力を捨て、犠牲を払う。
ことであるとして、母性による行為を否定する。
女性として生まれ、子宝に恵まれながらも、働くことのみを優先する一面性には薄ら寒いものを感じてしまう。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.766 反日教組
16/01/07 21:26:52
>>765続き
たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。
産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。
しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう
【なんでもかんでも女性差別】
高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。
次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。
書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。
―高校生にとってモテるというのは重要なことである。
モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。
この文脈上に女子マネージャーがいる。
彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。
家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。
つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。
いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。
本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。
自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。
こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである―
いやはや何とも凄まじい。
続く
No.770 反日教組
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769
何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。