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飲食店で音楽を聴きながら食べている子供
16/01/07 21:35:16
>>766続き この女教師は女子マネージャーに ―貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう― と非難しているのだ。 しかも ―自らすすんで自分を周辺部に置く―という゛献身゛の概念をまったく理解せず、 専業主婦は ―自分自身を生きることを辞めている― と一方的に断罪するのである。 しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。 「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。 この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。 国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。 ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で ―このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る― という。 この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。 私の手元には日本推理作家協会の住所録があるが、女性作家が少ないのは女性差別の結果だというのか。 授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。 この本は ―男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる―という。 この教師は授業を通して ―愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で― ―女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない― というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが 生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」 という感想があったことで 「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。 しかし 公教育の場で「恋愛は支配・被支配の関係だ」「主婦は奴隷だ」などと教えられる生徒こそ哀れである。 このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。 続く
16/01/07 21:47:02
>>767続き これまで述べたのは、どれも教師の自主教材による刷りこみだったが、来年度から使われる高校の国語教科書には、とうとうジェンダー思想そのものが登場することになった。 『国語総合』(桐原書店)にはメンズリブの中心メンバーである伊藤公雄氏が書いた「ジェンダーの視点から」という評論が載っている。 内容はご多分にもれず勝手な思いこみに満ちており、男女に生物学的性差がないことを説明する部分では、ニューギニアの原住民に男女の゛らしさ゛が逆転している部族がいることを挙げて、これによって ―男らしさや女らしさは文化や社会によって作られたものであることが明らかになった― と断じている。 あらゆる文明社会でジェンダーが存在していることを無視して、未開部族のわずかな例ですべてを説明してしまうのだから恐れ入る。 ―女性は生物学的に男性より体力が劣る― という常識には ―オリンピックの女性と競争して勝てる男性はそれほどいない― と反論し、なぜ ―男は仕事、女は家庭なのか― と批判する。 極めつけは ―セックスがジェンダーを規定しているのではなく、むしろジェンダーがセックスを規定している― という部分である。 欄外の注釈には ―生後のしつけや教育によって、生物学的な性が強化され、また、どちらの性で生きられるか決められることもある― と書いてある。 つまり ―社会的要因によって女を男として、男を女として生きさせることもできる―という極論から ―生物学的な性は個を決定する要因ではなく、゛らしさ゛も文化的社会的に作り出されたものにすぎない― と断じるである。 どれも例外から一般を導き出そうとする暴論である。 しかも、最後の「学習の手引き」には ―身の周りにある゛男らしさ゛゛女らしさ゛の例を挙げ、それについてジェンダーの視点から話しあってみよう― とある。 いよいよ来年度からは国語の時間でもジェンダーフリー教育が行われるのである。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
16/01/07 21:54:19
>>768続き 【ジェンダーフリーは女性を不幸にする。】 以上見てきたように、主観と偏見による奇矯でいびつな思想が、男女共同参画法という゛お墨つき゛を得て、学校や役所によって広められつつある。 謳い文句は ―性別によって差別されたり、人権が侵害されたりすることのない社会を作ろう― というのだが、現実はまったく逆になるだろう。 なぜなら、「らしさ」と子育ては面倒なものでしかないという意識から、放任や虐待が増えるだろう。 子供の荒廃が家庭や学校の荒廃、ひいては社会の荒廃へとつながっていくのは自明である。 また、子育てに積極的な意義を見出せない母親は、いかに保育所が完備し労働条件が整ったとしても、進んで子供を産むことはないだろう。 少子化が国の根幹を揺るがすのは論を待つまでもない。 以下コピー出来ませんでした。
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769 何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。
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No.767 反日教組
16/01/07 21:35:16
>>766続き
この女教師は女子マネージャーに
―貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう―
と非難しているのだ。
しかも
―自らすすんで自分を周辺部に置く―という゛献身゛の概念をまったく理解せず、
専業主婦は
―自分自身を生きることを辞めている―
と一方的に断罪するのである。
しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。
「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。
この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。
国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。
ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で
―このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る―
という。
この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。
私の手元には日本推理作家協会の住所録があるが、女性作家が少ないのは女性差別の結果だというのか。
授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。
この本は
―男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる―という。
この教師は授業を通して
―愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で―
―女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない―
というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが
生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」
という感想があったことで
「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。
しかし
公教育の場で「恋愛は支配・被支配の関係だ」「主婦は奴隷だ」などと教えられる生徒こそ哀れである。
このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。
続く
No.768 反日教組
16/01/07 21:47:02
>>767続き
これまで述べたのは、どれも教師の自主教材による刷りこみだったが、来年度から使われる高校の国語教科書には、とうとうジェンダー思想そのものが登場することになった。
『国語総合』(桐原書店)にはメンズリブの中心メンバーである伊藤公雄氏が書いた「ジェンダーの視点から」という評論が載っている。
内容はご多分にもれず勝手な思いこみに満ちており、男女に生物学的性差がないことを説明する部分では、ニューギニアの原住民に男女の゛らしさ゛が逆転している部族がいることを挙げて、これによって
―男らしさや女らしさは文化や社会によって作られたものであることが明らかになった―
と断じている。
あらゆる文明社会でジェンダーが存在していることを無視して、未開部族のわずかな例ですべてを説明してしまうのだから恐れ入る。
―女性は生物学的に男性より体力が劣る―
という常識には
―オリンピックの女性と競争して勝てる男性はそれほどいない―
と反論し、なぜ
―男は仕事、女は家庭なのか―
と批判する。
極めつけは
―セックスがジェンダーを規定しているのではなく、むしろジェンダーがセックスを規定している―
という部分である。
欄外の注釈には
―生後のしつけや教育によって、生物学的な性が強化され、また、どちらの性で生きられるか決められることもある―
と書いてある。
つまり
―社会的要因によって女を男として、男を女として生きさせることもできる―という極論から
―生物学的な性は個を決定する要因ではなく、゛らしさ゛も文化的社会的に作り出されたものにすぎない―
と断じるである。
どれも例外から一般を導き出そうとする暴論である。
しかも、最後の「学習の手引き」には
―身の周りにある゛男らしさ゛゛女らしさ゛の例を挙げ、それについてジェンダーの視点から話しあってみよう―
とある。
いよいよ来年度からは国語の時間でもジェンダーフリー教育が行われるのである。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.769 反日教組
16/01/07 21:54:19
>>768続き
【ジェンダーフリーは女性を不幸にする。】
以上見てきたように、主観と偏見による奇矯でいびつな思想が、男女共同参画法という゛お墨つき゛を得て、学校や役所によって広められつつある。
謳い文句は
―性別によって差別されたり、人権が侵害されたりすることのない社会を作ろう―
というのだが、現実はまったく逆になるだろう。
なぜなら、「らしさ」と子育ては面倒なものでしかないという意識から、放任や虐待が増えるだろう。
子供の荒廃が家庭や学校の荒廃、ひいては社会の荒廃へとつながっていくのは自明である。
また、子育てに積極的な意義を見出せない母親は、いかに保育所が完備し労働条件が整ったとしても、進んで子供を産むことはないだろう。
少子化が国の根幹を揺るがすのは論を待つまでもない。
以下コピー出来ませんでした。
No.770 反日教組
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769
何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。