保守ですが何か? へのコメント(No.767

  • No.766 反日教組

    16/01/07 21:26:52

    >>765続き
     たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。

    産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。

    しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう

    【なんでもかんでも女性差別】

     高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。

    次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。

    書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。

    ―高校生にとってモテるというのは重要なことである。
    モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。

    この文脈上に女子マネージャーがいる。

    彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。

     家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。

     つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。

     いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。

    本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。

     自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。

    こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである―

     いやはや何とも凄まじい。

    続く

  • No.767 反日教組

    16/01/07 21:35:16

    >>766続き
    この女教師は女子マネージャーに

    ―貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう―

    と非難しているのだ。

    しかも

    ―自らすすんで自分を周辺部に置く―という゛献身゛の概念をまったく理解せず、

    専業主婦は

    ―自分自身を生きることを辞めている―

    と一方的に断罪するのである。

     しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。

    「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。

    この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。

     国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。

    ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で

    ―このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る―

    という。

    この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。

    私の手元には日本推理作家協会の住所録があるが、女性作家が少ないのは女性差別の結果だというのか。

     授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。

    この本は

    ―男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる―という。

    この教師は授業を通して

    ―愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で―

    ―女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない―

    というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが

    生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」

    という感想があったことで

    「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。

    しかし

    公教育の場で「恋愛は支配・被支配の関係だ」「主婦は奴隷だ」などと教えられる生徒こそ哀れである。

    このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。

    続く

コメント

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返信コメント

  • No.768 反日教組

    16/01/07 21:47:02

    >>767続き
     これまで述べたのは、どれも教師の自主教材による刷りこみだったが、来年度から使われる高校の国語教科書には、とうとうジェンダー思想そのものが登場することになった。

    『国語総合』(桐原書店)にはメンズリブの中心メンバーである伊藤公雄氏が書いた「ジェンダーの視点から」という評論が載っている。

    内容はご多分にもれず勝手な思いこみに満ちており、男女に生物学的性差がないことを説明する部分では、ニューギニアの原住民に男女の゛らしさ゛が逆転している部族がいることを挙げて、これによって

    ―男らしさや女らしさは文化や社会によって作られたものであることが明らかになった―

    と断じている。

    あらゆる文明社会でジェンダーが存在していることを無視して、未開部族のわずかな例ですべてを説明してしまうのだから恐れ入る。

    ―女性は生物学的に男性より体力が劣る―

    という常識には

    ―オリンピックの女性と競争して勝てる男性はそれほどいない―

    と反論し、なぜ

    ―男は仕事、女は家庭なのか―

    と批判する。

    極めつけは

    ―セックスがジェンダーを規定しているのではなく、むしろジェンダーがセックスを規定している―

    という部分である。

    欄外の注釈には

    ―生後のしつけや教育によって、生物学的な性が強化され、また、どちらの性で生きられるか決められることもある―

    と書いてある。

    つまり

    ―社会的要因によって女を男として、男を女として生きさせることもできる―という極論から

    ―生物学的な性は個を決定する要因ではなく、゛らしさ゛も文化的社会的に作り出されたものにすぎない―

    と断じるである。

    どれも例外から一般を導き出そうとする暴論である。

    しかも、最後の「学習の手引き」には

    ―身の周りにある゛男らしさ゛゛女らしさ゛の例を挙げ、それについてジェンダーの視点から話しあってみよう―

    とある。

     いよいよ来年度からは国語の時間でもジェンダーフリー教育が行われるのである。

    続く

  • No.770 反日教組

    16/01/07 22:00:06

    >>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769


    何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。

1件~2件 ( 全2件)

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