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15/08/15 20:20:18
国際的日本人講座No.912 国史百景(15): 終戦を支えた皇族たち 2015/08/09 04:56 ■1.「不退転のご決意を秘められた荘厳なお姿」(下の方と重なる部分があるので抜粋) 集まった皇族方に、昭和天皇はこう話された。 __________ 私自身はどうなってもよいから、ここで戦争を止めるべきだと思う。 そこで自分は明治天皇の三国干渉当時の御心労を偲び、ポツダム宣言を受けて、戦いを止める決心をした。 どうか私の心中を了解してくれ、そしてこれからは日本の再建に皆真剣に取り組んでもらいたい。 ■2.「自分の心中をよく第一線の将兵に伝えて欲しい」 8月15日正午の玉音放送により、昭和天皇が直接、国民に終戦を告げられた。 その翌日、朝香宮(あさかのみや)鳩彦(やすひと)王、東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦(なるひこ)王、竹田宮恒徳王、開院宮(かんいんのみや)春仁(はるひと)王に、昭和天皇から突然の御召があった。 東久邇宮以外の3名が、まず昭和天皇の御前に案内された。 昭和天皇は14日と同様の緊張した面持ちで、こう話された。 __________ 終戦をつつがなく行なうために、一番心配なのは現に敵と向かい合っている我が第一線の軍隊が本当にここで戈(ほこ)を収めてくれるという事だ。 蓋(けだ)し現に敵と相対している者が武器を捨てて戦いを止めるという事は本当に難かしいことだと思う。 しかし、ここで軽挙盲動されたら終戦は水の泡となる。 自分が自ら第一線を廻って自分の気持をよく将兵に伝えたいが、それは不可能だ。 ご苦労だが君たちが夫々手分けして第一線に行って自分に代わって自分の心中をよく第一線の将兵に伝え、終戦を徹底させてほしい。 急ぐ事だから飛行機の準備は既に命じてある。 ご苦労だがあした早朝発ってくれ。[1,p173]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ つづく
15/08/15 20:22:01
>>732 当時、陸海軍合わせて789万人の将兵がおり、特攻に使える航空機も6千機は残っていた。 特に中国大陸では、陸軍が国府軍を圧倒しており、突然、降伏を命ぜらたからと言って素直に従ってくれるかどうかは、まったく不明だった。 もし、前線や日本本土で降伏を潔しとしない陸海軍将兵が戦い続けたら、終戦は有名無実となる。 イタリアのように内乱状態になるか、ドイツのように全土占領されるまで戦いが続くことになるか、のどちらかだった。 いずれにせよ、民の苦難は続く。 昭和天皇は、これを恐れて、三方の宮を御自身の代理として戦地に派遣して、無事に戈を収めるよう説得しようとされたのだった。 朝香宮は支那派遣軍に、竹田宮は関東軍と朝鮮軍に、そして開院宮は南方総軍にそれぞれ天皇の特使として終戦の聖旨を伝達しに行くことになった。 つづく
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15/08/15 20:33:52
>>733 ■3.「満洲帝国皇帝の亡命を助けよ」 東久邇宮には、終戦決定の後に総辞職した鈴木貫太郎内閣の後を継いで、組閣の大命効果があった。 誰も経験したことのない降伏後の混乱は、これまた昭和天皇の分身としての皇族内閣により乗り切るしかない、という判断だった。 皇族が政府の長となるのは、明治政府が樹立された時に、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王が「総裁」の地位に就いて以来のことであった。 その日の午後、東久邇宮は組閣で忙しい中、竹田宮を呼び出して、東郷外相とともにこう依頼した。 __________ 竹田さんは満州に行くそうだが、もしできたら薄儀(ふぎ)満州国皇帝に会って、皇帝が希望されたならば、一緒に日本へ連れてきてもらいたい。 もちろん、あなたの本来の任務は聖旨の伝達にあるのだから、無理をしてまでとの依頼ではないのだが。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 竹田宮は、つい7月まで関東軍参謀として満洲帝国の首都・新京(長春)に赴任していたから、ソ連軍と中国軍の進駐を目前に控えた現地の混乱ぶりは容易に想像できた。果たして無事に帰れるかも分からないと思って、身辺の整理を始めた所に、さらにこの依頼である。 ■4.「皇族の三人や五人は死、ね」 明治天皇は「男子皇族は軍人となって政治に関与すべきではない」との思召(おぼしめ)しを示され、竹田宮も軍人として生きてきた。 (略) 竹田宮恒徳王の母親は、明治天皇の皇女・昌子内親王だけに気骨ある母親で、「皇族の三人や五人は死、ね」とはその母からの手紙の中の一節であった。 つづく
15/08/15 20:54:06
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No.732 戦後の流れを
15/08/15 20:20:18
国際的日本人講座No.912 国史百景(15): 終戦を支えた皇族たち
2015/08/09 04:56
■1.「不退転のご決意を秘められた荘厳なお姿」(下の方と重なる部分があるので抜粋)
集まった皇族方に、昭和天皇はこう話された。
__________
私自身はどうなってもよいから、ここで戦争を止めるべきだと思う。
そこで自分は明治天皇の三国干渉当時の御心労を偲び、ポツダム宣言を受けて、戦いを止める決心をした。
どうか私の心中を了解してくれ、そしてこれからは日本の再建に皆真剣に取り組んでもらいたい。
■2.「自分の心中をよく第一線の将兵に伝えて欲しい」
8月15日正午の玉音放送により、昭和天皇が直接、国民に終戦を告げられた。
その翌日、朝香宮(あさかのみや)鳩彦(やすひと)王、東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦(なるひこ)王、竹田宮恒徳王、開院宮(かんいんのみや)春仁(はるひと)王に、昭和天皇から突然の御召があった。
東久邇宮以外の3名が、まず昭和天皇の御前に案内された。
昭和天皇は14日と同様の緊張した面持ちで、こう話された。
__________
終戦をつつがなく行なうために、一番心配なのは現に敵と向かい合っている我が第一線の軍隊が本当にここで戈(ほこ)を収めてくれるという事だ。
蓋(けだ)し現に敵と相対している者が武器を捨てて戦いを止めるという事は本当に難かしいことだと思う。
しかし、ここで軽挙盲動されたら終戦は水の泡となる。
自分が自ら第一線を廻って自分の気持をよく将兵に伝えたいが、それは不可能だ。
ご苦労だが君たちが夫々手分けして第一線に行って自分に代わって自分の心中をよく第一線の将兵に伝え、終戦を徹底させてほしい。
急ぐ事だから飛行機の準備は既に命じてある。
ご苦労だがあした早朝発ってくれ。[1,p173]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つづく
No.733 つづき
15/08/15 20:22:01
>>732
当時、陸海軍合わせて789万人の将兵がおり、特攻に使える航空機も6千機は残っていた。
特に中国大陸では、陸軍が国府軍を圧倒しており、突然、降伏を命ぜらたからと言って素直に従ってくれるかどうかは、まったく不明だった。
もし、前線や日本本土で降伏を潔しとしない陸海軍将兵が戦い続けたら、終戦は有名無実となる。
イタリアのように内乱状態になるか、ドイツのように全土占領されるまで戦いが続くことになるか、のどちらかだった。
いずれにせよ、民の苦難は続く。
昭和天皇は、これを恐れて、三方の宮を御自身の代理として戦地に派遣して、無事に戈を収めるよう説得しようとされたのだった。
朝香宮は支那派遣軍に、竹田宮は関東軍と朝鮮軍に、そして開院宮は南方総軍にそれぞれ天皇の特使として終戦の聖旨を伝達しに行くことになった。
つづく
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.734 つづき
15/08/15 20:33:52
>>733
■3.「満洲帝国皇帝の亡命を助けよ」
東久邇宮には、終戦決定の後に総辞職した鈴木貫太郎内閣の後を継いで、組閣の大命効果があった。
誰も経験したことのない降伏後の混乱は、これまた昭和天皇の分身としての皇族内閣により乗り切るしかない、という判断だった。
皇族が政府の長となるのは、明治政府が樹立された時に、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王が「総裁」の地位に就いて以来のことであった。
その日の午後、東久邇宮は組閣で忙しい中、竹田宮を呼び出して、東郷外相とともにこう依頼した。
__________
竹田さんは満州に行くそうだが、もしできたら薄儀(ふぎ)満州国皇帝に会って、皇帝が希望されたならば、一緒に日本へ連れてきてもらいたい。
もちろん、あなたの本来の任務は聖旨の伝達にあるのだから、無理をしてまでとの依頼ではないのだが。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
竹田宮は、つい7月まで関東軍参謀として満洲帝国の首都・新京(長春)に赴任していたから、ソ連軍と中国軍の進駐を目前に控えた現地の混乱ぶりは容易に想像できた。果たして無事に帰れるかも分からないと思って、身辺の整理を始めた所に、さらにこの依頼である。
■4.「皇族の三人や五人は死、ね」
明治天皇は「男子皇族は軍人となって政治に関与すべきではない」との思召(おぼしめ)しを示され、竹田宮も軍人として生きてきた。
(略)
竹田宮恒徳王の母親は、明治天皇の皇女・昌子内親王だけに気骨ある母親で、「皇族の三人や五人は死、ね」とはその母からの手紙の中の一節であった。
つづく
No.739 あ
15/08/15 20:54:06
<終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式>>730
[終戦の詔書]
詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)>>731
国史百景>>732>>733>>734>>735>>736>>737>>738