保守ですが何か? へのコメント(No.736

  • No.735 つづき

    15/08/15 20:39:03

    >>734
    ■5.聖旨伝達

     竹田宮は8月17日朝、東京・立川から専用機で飛び立った。

    到着した新京では、関東軍総司令官山田乙三大将以下の幕僚が、司令部2階の広い総司令官室を埋め尽くした。

     竹田宮は、昭和天皇が仰せられたお言葉を詳しく語って、御決意を伝えた。

    「どんな返答が戻ってくるか、この時ほど心配したことはなかった」と宮は後に書き記している。

    厳粛な空気の中、山田大将は「謹んで聖旨に沿い奉ります」と奉答した。

    誰もが目頭を熱くしていた。

     翌18日朝、竹田宮を乗せた飛行機は奉天(瀋陽)に向かって飛び立ったが、間もなく故障を生じて、新京に引き返した。

    幸い、故障は1時間ほどで修理できて、再び、奉天に向かった。

    翌19日にはソ連軍が進駐したので、もし修理が長引いて、新京にもう一泊していたら、ソ連軍の捕虜としてシベリアに連行されていたろう。

     奉天に着いた竹田宮は満洲南部で治安維持に当たっていた第3方面軍司令部で同様に大御心を説き、さらにその日のうちに京城(ソウル)に飛んで、朝鮮軍司令部にも同じく聖旨を伝達した。

     竹田宮の搭乗した飛行機は、4機の戦闘機「隼(はやぶさ)」に護衛されていた。

    いずれも若く優秀なパイロットで、竹田宮は京城に着いて、彼らと別れる際に、厚く礼を述べ、固い握手を交わして「今後、いろいろの情勢になろうが、くれぐれも自重して、日本の再興に尽くしてくれ」と言った。

     しかし、4機が奉天に戻ると、飛行場にソ連機が並んでいる事を目撃し、既にソ連軍に占拠されていることを知った。

    4機は垂直に急上昇してから、編隊を組んだまま、真っ逆さまに飛行場中央に突っ込んで、自爆した。

    つづく

  • No.736 つづき

    15/08/15 20:43:15

    >>735
    ■6.皇帝溥儀の運命

     もう一つの任務である満州国皇帝溥儀の救出に関しては、溥儀は満洲と北朝鮮の国境にある通化(つうか)の山中にいることが判り、17日に幸いにも電話がつながって、翌18日午後に京城で落ち合う約束をした。

     しかし、その18日には、溥儀から「小さな飛行機しかないので長白山脈が越えられないから、明日(19日)午後奉天に出る」との電報が来た。

     竹田宮は新京に赴任中、皇帝溥儀とは特に親しくしていた。

    宮が転任で新京を去る時には、溥儀はお忍びで宮の官舎に見送りにきた程だった。

     竹田宮は翌日再び、奉天に戻って、溥儀との再会を果たそうとした。

    しかし、阿部・朝鮮総督と上月・朝鮮軍司令官が口を揃えて、「あなたの主任務・聖旨伝達の結果を一刻も早く帰って陛下に復命し、御安心を頂かれるべきではありませんか」と反対した。

    この言葉に竹田宮はハッと目を覚まし、直ちに東京に帰ることとした。

    竹田宮は再び、命拾いをした。

     溥儀にとっては、京城に直接飛べなかった事が運命の分かれ道となった。

    奉天飛行場に出ると、ソ連軍に身柄を拘束され、そのままシベリア送りとなった。

    つづく

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  • No.737 つづき

    15/08/15 20:45:05

    >>736
    ■7.「国内での不穏な動きを抑えよ」

     竹田宮は8月20日、無事に帰国し、復命することができた。同様に、サイゴン、シンガポールで南方軍に聖旨伝達した閑院宮、支那派遣軍に伝えた朝香宮も、それぞれ任務を終えて、帰国した。

     帰国して2日後の8月22日、昭和天皇から竹田宮に3度目のお召しがあった。

    昭和天皇は、占領軍の本土進駐に際して、反乱などがあってはならないと心配され、不穏な動きが報告されていた福岡の陸軍航空部隊と、広島県宇品(うじな)の陸軍船舶司令部に行って、自重するよう聖旨の伝達を竹田宮に命ぜられた。

    竹田宮はすぐに福岡と宇品に行き、それぞれ戈を収めさせた。

     8月26日には、連合軍の先遣隊が神奈川の厚木飛行場に降り立つ日だったが、そこを本拠とする相模原航空隊は進駐軍を撃退すべく演習を続けていた。

    海軍上層部はこれを抑えようとしたが、言うことを聞かない。

    昭和天皇に差し遣わされた弟宮の高松宮が直接説得することで、ようやく24日の夕方、強行派は厚木飛行場を明け渡した。

     翌25日には米軍機が東京上空を盛んに飛んだので、厚木飛行場の武装解除が半日遅れたら、戦闘状態になった可能性もあった。

    こうして789万人もの将兵が、君主の号令一下、整然と戈を収めたのは史上でも例のない見事な降伏ぶりであったが、その背景には、各皇族が昭和天皇の分身として、自分の身はどうなっても良いから民を助けたい、という大御心を内外の将兵に伝えたからであろう。

    つづく

  • No.739

    15/08/15 20:54:06

    <終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式>>730

    [終戦の詔書]
    詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)>>731

    国史百景>>732>>733>>734>>735>>736>>737>>738

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