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■5.聖旨伝達
竹田宮は8月17日朝、東京・立川から専用機で飛び立った。
到着した新京では、関東軍総司令官山田乙三大将以下の幕僚が、司令部2階の広い総司令官室を埋め尽くした。
竹田宮は、昭和天皇が仰せられたお言葉を詳しく語って、御決意を伝えた。
「どんな返答が戻ってくるか、この時ほど心配したことはなかった」と宮は後に書き記している。
厳粛な空気の中、山田大将は「謹んで聖旨に沿い奉ります」と奉答した。
誰もが目頭を熱くしていた。
翌18日朝、竹田宮を乗せた飛行機は奉天(瀋陽)に向かって飛び立ったが、間もなく故障を生じて、新京に引き返した。
幸い、故障は1時間ほどで修理できて、再び、奉天に向かった。
翌19日にはソ連軍が進駐したので、もし修理が長引いて、新京にもう一泊していたら、ソ連軍の捕虜としてシベリアに連行されていたろう。
奉天に着いた竹田宮は満洲南部で治安維持に当たっていた第3方面軍司令部で同様に大御心を説き、さらにその日のうちに京城(ソウル)に飛んで、朝鮮軍司令部にも同じく聖旨を伝達した。
竹田宮の搭乗した飛行機は、4機の戦闘機「隼(はやぶさ)」に護衛されていた。
いずれも若く優秀なパイロットで、竹田宮は京城に着いて、彼らと別れる際に、厚く礼を述べ、固い握手を交わして「今後、いろいろの情勢になろうが、くれぐれも自重して、日本の再興に尽くしてくれ」と言った。
しかし、4機が奉天に戻ると、飛行場にソ連機が並んでいる事を目撃し、既にソ連軍に占拠されていることを知った。
4機は垂直に急上昇してから、編隊を組んだまま、真っ逆さまに飛行場中央に突っ込んで、自爆した。
つづく- 0
15/08/15 20:39:03