保守ですが何か? へのコメント(No.735

  • No.734 つづき

    15/08/15 20:33:52

    >>733
    ■3.「満洲帝国皇帝の亡命を助けよ」

     東久邇宮には、終戦決定の後に総辞職した鈴木貫太郎内閣の後を継いで、組閣の大命効果があった。

    誰も経験したことのない降伏後の混乱は、これまた昭和天皇の分身としての皇族内閣により乗り切るしかない、という判断だった。

     皇族が政府の長となるのは、明治政府が樹立された時に、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王が「総裁」の地位に就いて以来のことであった。

     その日の午後、東久邇宮は組閣で忙しい中、竹田宮を呼び出して、東郷外相とともにこう依頼した。

    __________
     竹田さんは満州に行くそうだが、もしできたら薄儀(ふぎ)満州国皇帝に会って、皇帝が希望されたならば、一緒に日本へ連れてきてもらいたい。

    もちろん、あなたの本来の任務は聖旨の伝達にあるのだから、無理をしてまでとの依頼ではないのだが。
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     竹田宮は、つい7月まで関東軍参謀として満洲帝国の首都・新京(長春)に赴任していたから、ソ連軍と中国軍の進駐を目前に控えた現地の混乱ぶりは容易に想像できた。果たして無事に帰れるかも分からないと思って、身辺の整理を始めた所に、さらにこの依頼である。

    ■4.「皇族の三人や五人は死、ね」
     明治天皇は「男子皇族は軍人となって政治に関与すべきではない」との思召(おぼしめ)しを示され、竹田宮も軍人として生きてきた。

    (略)

     竹田宮恒徳王の母親は、明治天皇の皇女・昌子内親王だけに気骨ある母親で、「皇族の三人や五人は死、ね」とはその母からの手紙の中の一節であった。


    つづく

  • No.735 つづき

    15/08/15 20:39:03

    >>734
    ■5.聖旨伝達

     竹田宮は8月17日朝、東京・立川から専用機で飛び立った。

    到着した新京では、関東軍総司令官山田乙三大将以下の幕僚が、司令部2階の広い総司令官室を埋め尽くした。

     竹田宮は、昭和天皇が仰せられたお言葉を詳しく語って、御決意を伝えた。

    「どんな返答が戻ってくるか、この時ほど心配したことはなかった」と宮は後に書き記している。

    厳粛な空気の中、山田大将は「謹んで聖旨に沿い奉ります」と奉答した。

    誰もが目頭を熱くしていた。

     翌18日朝、竹田宮を乗せた飛行機は奉天(瀋陽)に向かって飛び立ったが、間もなく故障を生じて、新京に引き返した。

    幸い、故障は1時間ほどで修理できて、再び、奉天に向かった。

    翌19日にはソ連軍が進駐したので、もし修理が長引いて、新京にもう一泊していたら、ソ連軍の捕虜としてシベリアに連行されていたろう。

     奉天に着いた竹田宮は満洲南部で治安維持に当たっていた第3方面軍司令部で同様に大御心を説き、さらにその日のうちに京城(ソウル)に飛んで、朝鮮軍司令部にも同じく聖旨を伝達した。

     竹田宮の搭乗した飛行機は、4機の戦闘機「隼(はやぶさ)」に護衛されていた。

    いずれも若く優秀なパイロットで、竹田宮は京城に着いて、彼らと別れる際に、厚く礼を述べ、固い握手を交わして「今後、いろいろの情勢になろうが、くれぐれも自重して、日本の再興に尽くしてくれ」と言った。

     しかし、4機が奉天に戻ると、飛行場にソ連機が並んでいる事を目撃し、既にソ連軍に占拠されていることを知った。

    4機は垂直に急上昇してから、編隊を組んだまま、真っ逆さまに飛行場中央に突っ込んで、自爆した。

    つづく

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返信コメント

  • No.736 つづき

    15/08/15 20:43:15

    >>735
    ■6.皇帝溥儀の運命

     もう一つの任務である満州国皇帝溥儀の救出に関しては、溥儀は満洲と北朝鮮の国境にある通化(つうか)の山中にいることが判り、17日に幸いにも電話がつながって、翌18日午後に京城で落ち合う約束をした。

     しかし、その18日には、溥儀から「小さな飛行機しかないので長白山脈が越えられないから、明日(19日)午後奉天に出る」との電報が来た。

     竹田宮は新京に赴任中、皇帝溥儀とは特に親しくしていた。

    宮が転任で新京を去る時には、溥儀はお忍びで宮の官舎に見送りにきた程だった。

     竹田宮は翌日再び、奉天に戻って、溥儀との再会を果たそうとした。

    しかし、阿部・朝鮮総督と上月・朝鮮軍司令官が口を揃えて、「あなたの主任務・聖旨伝達の結果を一刻も早く帰って陛下に復命し、御安心を頂かれるべきではありませんか」と反対した。

    この言葉に竹田宮はハッと目を覚まし、直ちに東京に帰ることとした。

    竹田宮は再び、命拾いをした。

     溥儀にとっては、京城に直接飛べなかった事が運命の分かれ道となった。

    奉天飛行場に出ると、ソ連軍に身柄を拘束され、そのままシベリア送りとなった。

    つづく

  • No.739

    15/08/15 20:54:06

    <終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式>>730

    [終戦の詔書]
    詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)>>731

    国史百景>>732>>733>>734>>735>>736>>737>>738

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