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息子がIQ高いことを自慢している
15/08/15 20:43:15
>>735 ■6.皇帝溥儀の運命 もう一つの任務である満州国皇帝溥儀の救出に関しては、溥儀は満洲と北朝鮮の国境にある通化(つうか)の山中にいることが判り、17日に幸いにも電話がつながって、翌18日午後に京城で落ち合う約束をした。 しかし、その18日には、溥儀から「小さな飛行機しかないので長白山脈が越えられないから、明日(19日)午後奉天に出る」との電報が来た。 竹田宮は新京に赴任中、皇帝溥儀とは特に親しくしていた。 宮が転任で新京を去る時には、溥儀はお忍びで宮の官舎に見送りにきた程だった。 竹田宮は翌日再び、奉天に戻って、溥儀との再会を果たそうとした。 しかし、阿部・朝鮮総督と上月・朝鮮軍司令官が口を揃えて、「あなたの主任務・聖旨伝達の結果を一刻も早く帰って陛下に復命し、御安心を頂かれるべきではありませんか」と反対した。 この言葉に竹田宮はハッと目を覚まし、直ちに東京に帰ることとした。 竹田宮は再び、命拾いをした。 溥儀にとっては、京城に直接飛べなかった事が運命の分かれ道となった。 奉天飛行場に出ると、ソ連軍に身柄を拘束され、そのままシベリア送りとなった。 つづく
15/08/15 20:45:05
>>736 ■7.「国内での不穏な動きを抑えよ」 竹田宮は8月20日、無事に帰国し、復命することができた。同様に、サイゴン、シンガポールで南方軍に聖旨伝達した閑院宮、支那派遣軍に伝えた朝香宮も、それぞれ任務を終えて、帰国した。 帰国して2日後の8月22日、昭和天皇から竹田宮に3度目のお召しがあった。 昭和天皇は、占領軍の本土進駐に際して、反乱などがあってはならないと心配され、不穏な動きが報告されていた福岡の陸軍航空部隊と、広島県宇品(うじな)の陸軍船舶司令部に行って、自重するよう聖旨の伝達を竹田宮に命ぜられた。 竹田宮はすぐに福岡と宇品に行き、それぞれ戈を収めさせた。 8月26日には、連合軍の先遣隊が神奈川の厚木飛行場に降り立つ日だったが、そこを本拠とする相模原航空隊は進駐軍を撃退すべく演習を続けていた。 海軍上層部はこれを抑えようとしたが、言うことを聞かない。 昭和天皇に差し遣わされた弟宮の高松宮が直接説得することで、ようやく24日の夕方、強行派は厚木飛行場を明け渡した。 翌25日には米軍機が東京上空を盛んに飛んだので、厚木飛行場の武装解除が半日遅れたら、戦闘状態になった可能性もあった。 こうして789万人もの将兵が、君主の号令一下、整然と戈を収めたのは史上でも例のない見事な降伏ぶりであったが、その背景には、各皇族が昭和天皇の分身として、自分の身はどうなっても良いから民を助けたい、という大御心を内外の将兵に伝えたからであろう。 つづく
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15/08/15 20:46:47
>>737 ■8.歴代天皇陵への代拝 終戦の混乱も落ち着きかけた11月29日、7名の皇族をお召しになって、123代に及ぶ歴代天皇の御陵に代拝を依頼された。 このような終戦は自分の不徳の致すところで、それを歴代天皇に謝り、日本の今後の復興への御加護をお願いしたい。 神武天皇の畝傍陵、明治天皇の桃山陵、大正天皇の多摩陵は御自身で参拝するが、残りは皇族で手分けして代参してくれ、との御聖旨だった。 竹田宮は四国と淡路島を担当した。 各皇族は全国に散って、代参をするかたわら、病院や行政機関などを訪問され、多くの要人や民衆と交流した。 後に昭和天皇は8年半をかけて、沖縄を除く全都道府県を行幸され、数千万の国民と交流されたが、この皇族方の代参はその原型とも言えるものであった。 昭和22年10月、直宮(昭和天皇の弟宮である秩父宮、高松宮、三笠宮)を除くすべての皇族、11宮家51人が臣籍降下した。 皇室の力を弱めようという占領軍司令部の意向であった。 竹田宮恒徳王も竹田恒徳となったが、その後、スポーツを通じて青年のために奉仕できればと、スケート、馬術などのスポーツ連盟の会長となり、東京オリンピックや札幌冬季オリンピックの招致に貢献し、「スポーツの宮様」と呼ばれた。 (文責:伊勢雅臣)
15/08/15 20:54:06
<終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式>>730 [終戦の詔書] 詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)>>731 国史百景>>732>>733>>734>>735>>736>>737>>738
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No.736 つづき
15/08/15 20:43:15
>>735
■6.皇帝溥儀の運命
もう一つの任務である満州国皇帝溥儀の救出に関しては、溥儀は満洲と北朝鮮の国境にある通化(つうか)の山中にいることが判り、17日に幸いにも電話がつながって、翌18日午後に京城で落ち合う約束をした。
しかし、その18日には、溥儀から「小さな飛行機しかないので長白山脈が越えられないから、明日(19日)午後奉天に出る」との電報が来た。
竹田宮は新京に赴任中、皇帝溥儀とは特に親しくしていた。
宮が転任で新京を去る時には、溥儀はお忍びで宮の官舎に見送りにきた程だった。
竹田宮は翌日再び、奉天に戻って、溥儀との再会を果たそうとした。
しかし、阿部・朝鮮総督と上月・朝鮮軍司令官が口を揃えて、「あなたの主任務・聖旨伝達の結果を一刻も早く帰って陛下に復命し、御安心を頂かれるべきではありませんか」と反対した。
この言葉に竹田宮はハッと目を覚まし、直ちに東京に帰ることとした。
竹田宮は再び、命拾いをした。
溥儀にとっては、京城に直接飛べなかった事が運命の分かれ道となった。
奉天飛行場に出ると、ソ連軍に身柄を拘束され、そのままシベリア送りとなった。
つづく
No.737 つづき
15/08/15 20:45:05
>>736
■7.「国内での不穏な動きを抑えよ」
竹田宮は8月20日、無事に帰国し、復命することができた。同様に、サイゴン、シンガポールで南方軍に聖旨伝達した閑院宮、支那派遣軍に伝えた朝香宮も、それぞれ任務を終えて、帰国した。
帰国して2日後の8月22日、昭和天皇から竹田宮に3度目のお召しがあった。
昭和天皇は、占領軍の本土進駐に際して、反乱などがあってはならないと心配され、不穏な動きが報告されていた福岡の陸軍航空部隊と、広島県宇品(うじな)の陸軍船舶司令部に行って、自重するよう聖旨の伝達を竹田宮に命ぜられた。
竹田宮はすぐに福岡と宇品に行き、それぞれ戈を収めさせた。
8月26日には、連合軍の先遣隊が神奈川の厚木飛行場に降り立つ日だったが、そこを本拠とする相模原航空隊は進駐軍を撃退すべく演習を続けていた。
海軍上層部はこれを抑えようとしたが、言うことを聞かない。
昭和天皇に差し遣わされた弟宮の高松宮が直接説得することで、ようやく24日の夕方、強行派は厚木飛行場を明け渡した。
翌25日には米軍機が東京上空を盛んに飛んだので、厚木飛行場の武装解除が半日遅れたら、戦闘状態になった可能性もあった。
こうして789万人もの将兵が、君主の号令一下、整然と戈を収めたのは史上でも例のない見事な降伏ぶりであったが、その背景には、各皇族が昭和天皇の分身として、自分の身はどうなっても良いから民を助けたい、という大御心を内外の将兵に伝えたからであろう。
つづく
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No.738 つづき
15/08/15 20:46:47
>>737
■8.歴代天皇陵への代拝
終戦の混乱も落ち着きかけた11月29日、7名の皇族をお召しになって、123代に及ぶ歴代天皇の御陵に代拝を依頼された。
このような終戦は自分の不徳の致すところで、それを歴代天皇に謝り、日本の今後の復興への御加護をお願いしたい。
神武天皇の畝傍陵、明治天皇の桃山陵、大正天皇の多摩陵は御自身で参拝するが、残りは皇族で手分けして代参してくれ、との御聖旨だった。
竹田宮は四国と淡路島を担当した。
各皇族は全国に散って、代参をするかたわら、病院や行政機関などを訪問され、多くの要人や民衆と交流した。
後に昭和天皇は8年半をかけて、沖縄を除く全都道府県を行幸され、数千万の国民と交流されたが、この皇族方の代参はその原型とも言えるものであった。
昭和22年10月、直宮(昭和天皇の弟宮である秩父宮、高松宮、三笠宮)を除くすべての皇族、11宮家51人が臣籍降下した。
皇室の力を弱めようという占領軍司令部の意向であった。
竹田宮恒徳王も竹田恒徳となったが、その後、スポーツを通じて青年のために奉仕できればと、スケート、馬術などのスポーツ連盟の会長となり、東京オリンピックや札幌冬季オリンピックの招致に貢献し、「スポーツの宮様」と呼ばれた。
(文責:伊勢雅臣)
No.739 あ
15/08/15 20:54:06
<終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式>>730
[終戦の詔書]
詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)>>731
国史百景>>732>>733>>734>>735>>736>>737>>738