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子供の新品自転車、チェーンつけず盗まれた
16/01/07 20:36:15
>>756続き 【誰も支持しないジェンダーフリー】 ジェンダーが生得的な男女差から派生したものであり、「らしさ」が全否定されるべきものではないとすれば、論拠として残されたのは「男女間の支配構造」のみとなる。 「男が仕事、女は家事」といった役割分担は性差別であるというのがその典型だが、これは単なる主観にすぎない。 専業主婦を「働けない」「育児を押し付けられている」と考えれば差別となるが、「働かなくてもいい」「育児という大切な役割を担っている」と考えれば優遇されていることになる。 「差別」とは不利益を伴う概念であり、客観的な論拠がなく本人が不利益を認識していなければ、「差別」とはならないのだ。 現在、多くの者はジェンダー論者のいうように、旧来の役割分担を「差別」だと思っているのか。 これに関する興味深いデータがあるので紹介しよう。 以下は、アメリカのチルトン研究サービスという組織がまとめた「フェミニズムによる男女の役割変化をどう思うか」という調査である。 (対象は1997年における無作為に選ばれた成人804人。 http://www.gendercenter.org/survey.htmより) ・8割の男女がこの役割変化のせいで育児がより困難なものになっている ・7割の男女がこの役割変化のせいで結婚を成功させることがより困難なものになっている ・5割近くの男女がこの役割変化のせいで女性が満足のいくライフスタイルを持つことがより困難になっている。 ・男女とも5割近くが小学生の場合、働く母親よりも専業主婦の母親に敬意を感じている。 ・6歳以下の子どもを持つ専業主婦の5割強が世間から働く母親と同じ敬意を受けている、また3割近くが働く母親よりも敬意を受けていると感じている。 ・男女とも7割近くが「母親は家庭にいて家事と育児に従事するほうがよい」という意見に強く、もしくは幾分同意している。 いかがであろうか。 驚くべきことに、フェミニズム先進国であるはずのアメリカで、旧来の役割分担を支持する割合が過半数を超しているのだ。 女性も家事と育児をすることに対して不利益とは認めておらず、圧倒的に多くの者が「差別」ではないと考えているのがわかる。 つまり、「男女の支配構造」というのは一部の見方にしかすぎないのである。 続く
16/01/07 20:40:11
>>757続き アメリカ社会がこうした思想から急速に脱却しつつあるのは、その「毒」を現実のものとして認識したからであろう。 ところが、日本においては男女参画社会という美名のもとにこうした危険性が巧みに隠蔽され、しかも行政主導によってジェンダーフリーが実践されているのであるから、その病理は深いといわねばならない。 では、そのような思想は具体的にどのように実践されているのか。 ここではその象徴的な例を紹介してみよう。 妄想を積み重ねたような思想であるだけに、その実践例は頭を抱えてしまうような戯画性に満ちている。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
16/01/07 20:45:41
>>758続き 【ジェンダーフリーのトンデモ実践例】 男女共同参画法が施行されてより、ジェンダーフリーの洗礼は生まれたばかりの子供にまで及ぶようになった。 すでに新聞報道されたので承知している向きも多いと思うが、文科省の出した子育て支援パンフレットには、「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼり」を否定するような内容となっていた。 作成した日本女性学習財団は「子供の性格などを考えずに安易に男女『らしさ』を押しつけてはいけないという趣旨だった」というが、弁明にはなっていない。 要は、自分たちの思想の前には、親の願いや日本の伝統文化など無視してもかまわないというのである。 ジェンダー論者による文化破壊は、雛祭りや鯉のぼりにとどまらず、昔話や童話にまで及ぶ。 例えば、桃太郎のように、おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯(家事)といった昔話は「おかしなかたより」があるとされ、性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。 自分たちの価値観に合わないものは否定してもよいという発想は、思想統制につながる全体主義そのものである。 小学校に入れば、その刷りこみは組織的かつ巧妙になる。 その象徴的な例が男女混合名簿である。 「男子が先」は女子差別につながるというのだが、これほどナンセンスな話はない。 「名簿の後半に位置づけるのは差別である」という前提に立つのなら、五十音順にしたところで五十音順で生徒を差別することになってしまう。 男女というカテゴリーの序列に問題があるというのなら、年ごとに男女の順を入れかえればいいのだが、ジェンダー論者はあくまで混合名簿に固執する。 それは「区別=差別」だという妄想を抱き、「区別=違いによってわけること」と「差別=扱いに差をつけること」の相違をまったく理解しようとしないからである。 続く
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769 何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.757 反日教組
16/01/07 20:36:15
>>756続き
【誰も支持しないジェンダーフリー】
ジェンダーが生得的な男女差から派生したものであり、「らしさ」が全否定されるべきものではないとすれば、論拠として残されたのは「男女間の支配構造」のみとなる。
「男が仕事、女は家事」といった役割分担は性差別であるというのがその典型だが、これは単なる主観にすぎない。
専業主婦を「働けない」「育児を押し付けられている」と考えれば差別となるが、「働かなくてもいい」「育児という大切な役割を担っている」と考えれば優遇されていることになる。
「差別」とは不利益を伴う概念であり、客観的な論拠がなく本人が不利益を認識していなければ、「差別」とはならないのだ。
現在、多くの者はジェンダー論者のいうように、旧来の役割分担を「差別」だと思っているのか。
これに関する興味深いデータがあるので紹介しよう。
以下は、アメリカのチルトン研究サービスという組織がまとめた「フェミニズムによる男女の役割変化をどう思うか」という調査である。
(対象は1997年における無作為に選ばれた成人804人。
http://www.gendercenter.org/survey.htmより)
・8割の男女がこの役割変化のせいで育児がより困難なものになっている
・7割の男女がこの役割変化のせいで結婚を成功させることがより困難なものになっている
・5割近くの男女がこの役割変化のせいで女性が満足のいくライフスタイルを持つことがより困難になっている。
・男女とも5割近くが小学生の場合、働く母親よりも専業主婦の母親に敬意を感じている。
・6歳以下の子どもを持つ専業主婦の5割強が世間から働く母親と同じ敬意を受けている、また3割近くが働く母親よりも敬意を受けていると感じている。
・男女とも7割近くが「母親は家庭にいて家事と育児に従事するほうがよい」という意見に強く、もしくは幾分同意している。
いかがであろうか。
驚くべきことに、フェミニズム先進国であるはずのアメリカで、旧来の役割分担を支持する割合が過半数を超しているのだ。
女性も家事と育児をすることに対して不利益とは認めておらず、圧倒的に多くの者が「差別」ではないと考えているのがわかる。
つまり、「男女の支配構造」というのは一部の見方にしかすぎないのである。
続く
No.758 反日教組
16/01/07 20:40:11
>>757続き
アメリカ社会がこうした思想から急速に脱却しつつあるのは、その「毒」を現実のものとして認識したからであろう。
ところが、日本においては男女参画社会という美名のもとにこうした危険性が巧みに隠蔽され、しかも行政主導によってジェンダーフリーが実践されているのであるから、その病理は深いといわねばならない。
では、そのような思想は具体的にどのように実践されているのか。
ここではその象徴的な例を紹介してみよう。
妄想を積み重ねたような思想であるだけに、その実践例は頭を抱えてしまうような戯画性に満ちている。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.759 反日教組
16/01/07 20:45:41
>>758続き
【ジェンダーフリーのトンデモ実践例】
男女共同参画法が施行されてより、ジェンダーフリーの洗礼は生まれたばかりの子供にまで及ぶようになった。
すでに新聞報道されたので承知している向きも多いと思うが、文科省の出した子育て支援パンフレットには、「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼり」を否定するような内容となっていた。
作成した日本女性学習財団は「子供の性格などを考えずに安易に男女『らしさ』を押しつけてはいけないという趣旨だった」というが、弁明にはなっていない。
要は、自分たちの思想の前には、親の願いや日本の伝統文化など無視してもかまわないというのである。
ジェンダー論者による文化破壊は、雛祭りや鯉のぼりにとどまらず、昔話や童話にまで及ぶ。
例えば、桃太郎のように、おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯(家事)といった昔話は「おかしなかたより」があるとされ、性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。
自分たちの価値観に合わないものは否定してもよいという発想は、思想統制につながる全体主義そのものである。
小学校に入れば、その刷りこみは組織的かつ巧妙になる。
その象徴的な例が男女混合名簿である。
「男子が先」は女子差別につながるというのだが、これほどナンセンスな話はない。
「名簿の後半に位置づけるのは差別である」という前提に立つのなら、五十音順にしたところで五十音順で生徒を差別することになってしまう。
男女というカテゴリーの序列に問題があるというのなら、年ごとに男女の順を入れかえればいいのだが、ジェンダー論者はあくまで混合名簿に固執する。
それは「区別=差別」だという妄想を抱き、「区別=違いによってわけること」と「差別=扱いに差をつけること」の相違をまったく理解しようとしないからである。
続く
No.770 反日教組
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769
何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。