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【実況】千鳥の鬼レンチャン
16/01/07 20:40:11
>>757続き アメリカ社会がこうした思想から急速に脱却しつつあるのは、その「毒」を現実のものとして認識したからであろう。 ところが、日本においては男女参画社会という美名のもとにこうした危険性が巧みに隠蔽され、しかも行政主導によってジェンダーフリーが実践されているのであるから、その病理は深いといわねばならない。 では、そのような思想は具体的にどのように実践されているのか。 ここではその象徴的な例を紹介してみよう。 妄想を積み重ねたような思想であるだけに、その実践例は頭を抱えてしまうような戯画性に満ちている。 続く
16/01/07 20:45:41
>>758続き 【ジェンダーフリーのトンデモ実践例】 男女共同参画法が施行されてより、ジェンダーフリーの洗礼は生まれたばかりの子供にまで及ぶようになった。 すでに新聞報道されたので承知している向きも多いと思うが、文科省の出した子育て支援パンフレットには、「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼり」を否定するような内容となっていた。 作成した日本女性学習財団は「子供の性格などを考えずに安易に男女『らしさ』を押しつけてはいけないという趣旨だった」というが、弁明にはなっていない。 要は、自分たちの思想の前には、親の願いや日本の伝統文化など無視してもかまわないというのである。 ジェンダー論者による文化破壊は、雛祭りや鯉のぼりにとどまらず、昔話や童話にまで及ぶ。 例えば、桃太郎のように、おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯(家事)といった昔話は「おかしなかたより」があるとされ、性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。 自分たちの価値観に合わないものは否定してもよいという発想は、思想統制につながる全体主義そのものである。 小学校に入れば、その刷りこみは組織的かつ巧妙になる。 その象徴的な例が男女混合名簿である。 「男子が先」は女子差別につながるというのだが、これほどナンセンスな話はない。 「名簿の後半に位置づけるのは差別である」という前提に立つのなら、五十音順にしたところで五十音順で生徒を差別することになってしまう。 男女というカテゴリーの序列に問題があるというのなら、年ごとに男女の順を入れかえればいいのだが、ジェンダー論者はあくまで混合名簿に固執する。 それは「区別=差別」だという妄想を抱き、「区別=違いによってわけること」と「差別=扱いに差をつけること」の相違をまったく理解しようとしないからである。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
16/01/07 20:50:08
>>759続き 以下、学校における実践例について『ジェンダーフリー教育』『学校をジェンダーフリーに』(ともに明石書店)という本から引用する。 (前者をA書、後者をB書と記す) B書によれば、ジェンダーフリー教育を行う理由として、現在の学校システムが「性差別を再生産する装置」であるからだとする。 だが、その論拠としてアメリカの調査報告を挙げるだけで、日本の現状を分析したデータは記されていない。 そのためか、根本的な教育制度や学習形態には言及せず、「隠れたカリキュラム」という言葉を使って、名簿、制服、呼称など瑣末なことを取り上げて「男性中心に作られた枠組み」を変革していこうとする。 その一環として、男女の呼び方を統一しようという動きがある。 男子を「くん」女子を「さん」と呼ぶのは「区別=差別」であるから、男女ともに「さん」づけで呼ぼうというのである。 男女別の呼び方に差別性など全くないにもかかわらず、このような動きが急速に広がっているのは、ジェンダーフリーの内包する全体主義的な恐ろしさを示唆している。 授業での実践も首をかしげるようなものが多い。 ある小学校では一年生を対象として「家族について考えさせ」、「標準モデル以外の家族の子供たちに対して差別意識を生じさせない」ために、次のような授業が行われた。 (A書より) まず、家族の絵を書かせて自分の家族を全員に紹介する。 片親の子供にも、他の生徒から質問があれば、親が離婚した等の理由を説明させる。 小学一年生には残酷なことだと思うが、この教師は「離婚は悪いことではない。結婚という形態が当たり前ではないことを伝える」意義があるのだという。 そうして「大人になったら、おかあさんやおとうさんにならないで一人で暮らしたり、友達同士で暮らしたりしてもいいんだよ」と語りかけるのである。 たしかに個々の生き方は自由だが、学校という場で、しかも小学一年生に伝えるべき内容であるとは思えない。 これでは結婚制度の否定を刷りこんでいるようなものである。 女子からは「おかあさんになって子供を産むのは痛いし、しんどいからいやや」という声が出たそうだが、この教師が子育ての大切さや喜びを伝えた様子はない。 もちろん、小子化によって国の根底が崩れるであろうことは眼中にもないようだ。 続く
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769 何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.758 反日教組
16/01/07 20:40:11
>>757続き
アメリカ社会がこうした思想から急速に脱却しつつあるのは、その「毒」を現実のものとして認識したからであろう。
ところが、日本においては男女参画社会という美名のもとにこうした危険性が巧みに隠蔽され、しかも行政主導によってジェンダーフリーが実践されているのであるから、その病理は深いといわねばならない。
では、そのような思想は具体的にどのように実践されているのか。
ここではその象徴的な例を紹介してみよう。
妄想を積み重ねたような思想であるだけに、その実践例は頭を抱えてしまうような戯画性に満ちている。
続く
No.759 反日教組
16/01/07 20:45:41
>>758続き
【ジェンダーフリーのトンデモ実践例】
男女共同参画法が施行されてより、ジェンダーフリーの洗礼は生まれたばかりの子供にまで及ぶようになった。
すでに新聞報道されたので承知している向きも多いと思うが、文科省の出した子育て支援パンフレットには、「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼり」を否定するような内容となっていた。
作成した日本女性学習財団は「子供の性格などを考えずに安易に男女『らしさ』を押しつけてはいけないという趣旨だった」というが、弁明にはなっていない。
要は、自分たちの思想の前には、親の願いや日本の伝統文化など無視してもかまわないというのである。
ジェンダー論者による文化破壊は、雛祭りや鯉のぼりにとどまらず、昔話や童話にまで及ぶ。
例えば、桃太郎のように、おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯(家事)といった昔話は「おかしなかたより」があるとされ、性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。
自分たちの価値観に合わないものは否定してもよいという発想は、思想統制につながる全体主義そのものである。
小学校に入れば、その刷りこみは組織的かつ巧妙になる。
その象徴的な例が男女混合名簿である。
「男子が先」は女子差別につながるというのだが、これほどナンセンスな話はない。
「名簿の後半に位置づけるのは差別である」という前提に立つのなら、五十音順にしたところで五十音順で生徒を差別することになってしまう。
男女というカテゴリーの序列に問題があるというのなら、年ごとに男女の順を入れかえればいいのだが、ジェンダー論者はあくまで混合名簿に固執する。
それは「区別=差別」だという妄想を抱き、「区別=違いによってわけること」と「差別=扱いに差をつけること」の相違をまったく理解しようとしないからである。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.760 反日教組
16/01/07 20:50:08
>>759続き
以下、学校における実践例について『ジェンダーフリー教育』『学校をジェンダーフリーに』(ともに明石書店)という本から引用する。
(前者をA書、後者をB書と記す)
B書によれば、ジェンダーフリー教育を行う理由として、現在の学校システムが「性差別を再生産する装置」であるからだとする。
だが、その論拠としてアメリカの調査報告を挙げるだけで、日本の現状を分析したデータは記されていない。
そのためか、根本的な教育制度や学習形態には言及せず、「隠れたカリキュラム」という言葉を使って、名簿、制服、呼称など瑣末なことを取り上げて「男性中心に作られた枠組み」を変革していこうとする。
その一環として、男女の呼び方を統一しようという動きがある。
男子を「くん」女子を「さん」と呼ぶのは「区別=差別」であるから、男女ともに「さん」づけで呼ぼうというのである。
男女別の呼び方に差別性など全くないにもかかわらず、このような動きが急速に広がっているのは、ジェンダーフリーの内包する全体主義的な恐ろしさを示唆している。
授業での実践も首をかしげるようなものが多い。
ある小学校では一年生を対象として「家族について考えさせ」、「標準モデル以外の家族の子供たちに対して差別意識を生じさせない」ために、次のような授業が行われた。
(A書より)
まず、家族の絵を書かせて自分の家族を全員に紹介する。
片親の子供にも、他の生徒から質問があれば、親が離婚した等の理由を説明させる。
小学一年生には残酷なことだと思うが、この教師は「離婚は悪いことではない。結婚という形態が当たり前ではないことを伝える」意義があるのだという。
そうして「大人になったら、おかあさんやおとうさんにならないで一人で暮らしたり、友達同士で暮らしたりしてもいいんだよ」と語りかけるのである。
たしかに個々の生き方は自由だが、学校という場で、しかも小学一年生に伝えるべき内容であるとは思えない。
これでは結婚制度の否定を刷りこんでいるようなものである。
女子からは「おかあさんになって子供を産むのは痛いし、しんどいからいやや」という声が出たそうだが、この教師が子育ての大切さや喜びを伝えた様子はない。
もちろん、小子化によって国の根底が崩れるであろうことは眼中にもないようだ。
続く
No.770 反日教組
16/01/07 22:00:06
>>753>>754>>756>>757>>758>>759>>760>>761>>762>>763>>764>>765>>766>>767>>768>>769
何故ここまで長いのを載せたか、と言うと最近この中に出てくる言葉を、かなりの頻度で見かけるからです。田島脳が増えてる気がしてならない。だから批判覚悟で超長文貼りました。