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16/03/16 09:16:18
>>777つづき ■6.「自ら首相の座を去るべきだ」 菅内閣は震災対応のための会議を作り続けた。 震災1ヶ月後には、閣僚級だけで5つもの対策本部ができ、官僚からも「責任の所在があいまいで、かえって非効率だ」と批判された。 「いくつ会議を作れば気が済むのか。責任逃れとしか思えない」との声まであがった。 5月6日には菅は突然、「地震の危険性」を理由に、中部電力の浜岡原子力発電所の停止を要請した。 反原発派からは喝采を受けたが、国民の「なぜ浜岡だけなのか、他の原発は大丈夫なのか」という当然の疑問には、国民の納得のいく説明はなかった。 こうしたスタンドプレーも虚しく、5月中旬の世論調査では、原発事故の政府対応について「評価しない」と答えた人が73%にも達していた。 5月19日、西岡武夫参院議長は読売新聞に、次のような一文を寄稿した。 __________ ・・・首相としての責務を放棄し続けてきた。・・・必死さも、決意も、術(すべ)もなく、今、お辞めにならなければ、原発事故がもたらす重大な課題も解決できない。政権担当能力を超えた難題なら、自ら首相の座を去るべきだ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 立法府の長である参院議長が、同じ民主党出身の行政府の長である首相の退陣を公然と求めるのは極めて異例だったが、この一文には、もう座視していられない、という切迫感が溢れていた。 つづく
16/03/16 09:23:18
>>778つづき ■7.「裏切られた。人間として最低、クズだ」 「菅では震災対応を乗り切れない、早く替えるべきだ」という声は与党・民主党の中にも広がっていった。 6月2日に野党から内閣不信任案が出され、民主党内の小沢一郎や鳩山由紀夫らの一派も賛成しかねない状況だった。 切羽詰まった菅は、鳩山ら民主党幹部との会談で「大震災への取り組みに一定の目処がついた段階で、・・・若い世代に色々な責任を引き継いでいただきたい」と発言し、これを鳩山らは早期退陣を約束したものと受け止めた。 そして民主党の分裂を避けるために、不信任案反対に回った。 鳩山と菅は覚書きまで交わしていたが、「一定の目処」に関して、鳩山は「復興基本法が成立し、第2次補正予算の目処がつく」時期として6月末での退陣を考えていた。 しかし、不信任案否決の直後、菅が晴れやかな顔で10月中旬から翌年1月中旬とされている原子炉の冷温停止までは「私の責任」だと言ったことで、鳩山は「裏切られた。人間として最低、クズだ」と激怒した。 ここから民主党内の菅降ろしのための抗争がさらに3ヶ月近く続く。 震災対応そっちのけで党内抗争を繰り返す民主党の惨状に、党幹部も「もうだめだ 党内みんなメルトダウン」と自嘲するばかりだった。 しかし、その間も、菅のスタンドプレーは続いた。 電力制限を続ける中で、定期点検の終わった九州電力玄海原発2、3号機の再稼働を地元も海江田経産相も了解していたのに、菅は7月6日に新たなストレステストの導入を発表して再開を先送りさせた。 前年秋以降、菅自身が主導して決めたベトナムへの原発輸出も、7月13日に菅が突然「脱原発」方針を表明したため宙に浮いてしまった。 菅が正式に退陣表明をしたのは8月26日だった。 内閣支持率は18%に下落し、これでは破れかぶれの解散・総選挙も打てない。 同時に、自民党は菅の資金管理団体が北朝鮮の日本人拉致事件の容疑者親族が関係する政治団体に不透明な政治献金を行っていた問題を追及する姿勢を強めていて、進退窮まったからだ。 つづく
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16/03/16 09:25:34
>>779つづき ■8.「あの人はずっと楽でしたね」 国民からも見離され、野党のみならず民主党内でも辞任を突きつけられる中で、菅は7月29日には記者会見でこう胸を張った。 __________ この間、大震災そして原発事故への対応について、もちろん100点とは言いませんが、内閣としてやるべきことはしっかり取り組んでいる。早い遅いの見方はありますけれども、着実に復旧から復興へ物事が進んでおります。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ この時期の菅の様子を、伸子夫人もこう評している。 __________ あの人はずっと楽でしたね。きついことは1回もなかった気がします、私から見ると。3月11日以降、ずっと大変でしたが、何も変わらなかった。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ これが「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸」の実態であった。「かかる首相」がいなければ、多くの犠牲者も死なずに済み、被災者ももっと早期に助けられたはずである。 しかし、この「かかる首相」を選んだのは我々国民である。 菅内閣の発足時の内閣支持率は66%にも達していた。 この事実は、我々の政治家を選ぶ目がいかに節穴だったか、を示している。 どうして「かかる首相」を選んでしまったのか、「日本の不幸」の再来を防ぐためには、我々一人一人が反省しなければならない。 (文責:伊勢雅臣)
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上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.778 みかん
16/03/16 09:16:18
>>777つづき
■6.「自ら首相の座を去るべきだ」
菅内閣は震災対応のための会議を作り続けた。
震災1ヶ月後には、閣僚級だけで5つもの対策本部ができ、官僚からも「責任の所在があいまいで、かえって非効率だ」と批判された。
「いくつ会議を作れば気が済むのか。責任逃れとしか思えない」との声まであがった。
5月6日には菅は突然、「地震の危険性」を理由に、中部電力の浜岡原子力発電所の停止を要請した。
反原発派からは喝采を受けたが、国民の「なぜ浜岡だけなのか、他の原発は大丈夫なのか」という当然の疑問には、国民の納得のいく説明はなかった。
こうしたスタンドプレーも虚しく、5月中旬の世論調査では、原発事故の政府対応について「評価しない」と答えた人が73%にも達していた。
5月19日、西岡武夫参院議長は読売新聞に、次のような一文を寄稿した。
__________
・・・首相としての責務を放棄し続けてきた。・・・必死さも、決意も、術(すべ)もなく、今、お辞めにならなければ、原発事故がもたらす重大な課題も解決できない。政権担当能力を超えた難題なら、自ら首相の座を去るべきだ。
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立法府の長である参院議長が、同じ民主党出身の行政府の長である首相の退陣を公然と求めるのは極めて異例だったが、この一文には、もう座視していられない、という切迫感が溢れていた。
つづく
No.779 みかん
16/03/16 09:23:18
>>778つづき
■7.「裏切られた。人間として最低、クズだ」
「菅では震災対応を乗り切れない、早く替えるべきだ」という声は与党・民主党の中にも広がっていった。
6月2日に野党から内閣不信任案が出され、民主党内の小沢一郎や鳩山由紀夫らの一派も賛成しかねない状況だった。
切羽詰まった菅は、鳩山ら民主党幹部との会談で「大震災への取り組みに一定の目処がついた段階で、・・・若い世代に色々な責任を引き継いでいただきたい」と発言し、これを鳩山らは早期退陣を約束したものと受け止めた。
そして民主党の分裂を避けるために、不信任案反対に回った。
鳩山と菅は覚書きまで交わしていたが、「一定の目処」に関して、鳩山は「復興基本法が成立し、第2次補正予算の目処がつく」時期として6月末での退陣を考えていた。
しかし、不信任案否決の直後、菅が晴れやかな顔で10月中旬から翌年1月中旬とされている原子炉の冷温停止までは「私の責任」だと言ったことで、鳩山は「裏切られた。人間として最低、クズだ」と激怒した。
ここから民主党内の菅降ろしのための抗争がさらに3ヶ月近く続く。
震災対応そっちのけで党内抗争を繰り返す民主党の惨状に、党幹部も「もうだめだ 党内みんなメルトダウン」と自嘲するばかりだった。
しかし、その間も、菅のスタンドプレーは続いた。
電力制限を続ける中で、定期点検の終わった九州電力玄海原発2、3号機の再稼働を地元も海江田経産相も了解していたのに、菅は7月6日に新たなストレステストの導入を発表して再開を先送りさせた。
前年秋以降、菅自身が主導して決めたベトナムへの原発輸出も、7月13日に菅が突然「脱原発」方針を表明したため宙に浮いてしまった。
菅が正式に退陣表明をしたのは8月26日だった。
内閣支持率は18%に下落し、これでは破れかぶれの解散・総選挙も打てない。
同時に、自民党は菅の資金管理団体が北朝鮮の日本人拉致事件の容疑者親族が関係する政治団体に不透明な政治献金を行っていた問題を追及する姿勢を強めていて、進退窮まったからだ。
つづく
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.780 みかん
16/03/16 09:25:34
>>779つづき
■8.「あの人はずっと楽でしたね」
国民からも見離され、野党のみならず民主党内でも辞任を突きつけられる中で、菅は7月29日には記者会見でこう胸を張った。
__________
この間、大震災そして原発事故への対応について、もちろん100点とは言いませんが、内閣としてやるべきことはしっかり取り組んでいる。早い遅いの見方はありますけれども、着実に復旧から復興へ物事が進んでおります。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
この時期の菅の様子を、伸子夫人もこう評している。
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あの人はずっと楽でしたね。きついことは1回もなかった気がします、私から見ると。3月11日以降、ずっと大変でしたが、何も変わらなかった。
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これが「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸」の実態であった。「かかる首相」がいなければ、多くの犠牲者も死なずに済み、被災者ももっと早期に助けられたはずである。
しかし、この「かかる首相」を選んだのは我々国民である。
菅内閣の発足時の内閣支持率は66%にも達していた。
この事実は、我々の政治家を選ぶ目がいかに節穴だったか、を示している。
どうして「かかる首相」を選んでしまったのか、「日本の不幸」の再来を防ぐためには、我々一人一人が反省しなければならない。
(文責:伊勢雅臣)