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- 16/04/03 15:53:13
2016年4月からスタートしたNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のネタバレトピです
主人公・小橋常子のモデルは生活総合雑誌『暮しの手帖』
および出版元の暮しの手帖社の創業者・大橋鎭子(写真左)
そして編集者・花森安治(写真右・ドラマでは花山伊佐次)との雑誌出版の軌跡をモチーフに「当たり前の暮らしを大切にすること」をモットーに「戦後の女性の暮らしの復興」に明かりをともす希望の物語を描くフィクションのドラマオリジナル作品
物語は「戦前編」と「戦後編」に分かれた構成
☆大橋鎭子
1920年(大正9年)東京・麹町に生まれる
父・武雄は日本製麻の社員,母・久子は女子美術学校の出身
1歳で父の転勤で北海道に移住
父の肺結核で東京に戻り療養所を求めて伊東,鎌倉,大森など転々とし大井町で落ち着く
武雄は大正15年に日本製麻を退職して静養しているのでドラマと相違してる
1930年(昭和5年)小学5年の時に父が死去 11歳で喪主を務める
1937年(昭和12年)東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業
日本興業銀行に入行 調査課に勤務するが3年後に退行
1940年(昭和15年)20歳で日本女子大学に入学 入学後半年で肺結核になり学業断念
1941年(昭和16年)大学中退 静養後、日本読書新聞に入社
戦時中に日本出版文化協会秘書室に出向もしていた
編集長や編集部員の召集で日本読書新聞が休刊し大橋一家は東京で空襲を受け自宅も取り壊され強制疎開の中で鎭子は「戦後は雑誌を売ってお金もちになり家族を幸せにしよう」と考えていた
戦後、編集部員が揃い日本読書新聞が復刊して復帰した鎭子は編集長・田所太郎から新聞のイラスト挿絵担当で雇われた花森安治を紹介される
昭和20年11月 新聞社を退社
1946年(昭和21年)三姉妹(鎭子,晴子,芳子)と花森と横山啓一(経理担当)で
衣装研究所を銀座で設立し鎭子は社長になる
雑誌「スタイルブック」創刊
1948年(昭和23年)花森を編集長として「美しい暮らしの手帖」創刊
1951年(昭和26年)社名を「暮らしの手帖社」に変更
1953年(昭和28年)第22号から雑誌名を「暮らしの手帖」に変更
1968年(昭和43年)隔月刊に変更
1969年(昭和44年)エッセイ「すてきなあなた」を連載
1978年(昭和53年)花森が死去 編集長になる
2004年(平成16年)横山泰子(妹の息子の妻)に社長を譲る
2013年(平成25年)3月 品川の自宅で肺炎のため死去 享年93歳
☆大橋3姉妹で結婚したのは次女の晴子だけ
晴子は会社設立のとき経理担当した横山啓一と結婚した
晴子と啓一の息子の妻が横山泰子(2代目社長)
☆鎭子が結婚しなかったのは花森から結婚のことを聞かれて「今は仕事で精一杯でこれからも仕事を続けたいから」と言い花森に「生涯結婚しない」と誓ってしまったかららしい
☆三女・芳子も生涯独身で晩年も暮らしの手帖社の取締役を務め2014年89歳で死去
☆叔父・小橋鉄郎のモデルは宮原満吉
ドラマでは父・竹蔵の弟だが、満吉は母・久子の父~娘と孫の三姉妹を支援して鎭子の学費も支援した
満吉は北海道に住んでいた。昭和13年 鎭子の卒業式を見届けたあとに脳溢血で死去
☆祖母・青柳滝子のモデルは大橋きん
ドラマでは母・君子の母だが、きんは父・武雄の養子先の養母(深川の材木商なのは同じ)
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