カテゴリ
急上昇
<義実家が請求>住まないのにリフォーム代を
13/03/26 22:46:28
>>238国際派~より。 JOG(634) 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか 2010/02/07 08:34 当初の戦略通り、持久戦に持ち込んでいれば、アメリカとの講和に持ち込めるチャンスはあった。 ■1.「正しい時期における正しい戦争であった」 アメリカの歴史学者ジェームズ・B・ウッド教授(ウィリアムズ大学)による 『「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか』 と題された刺激的な研究書が出版された。 ウッド教授は、この書の冒頭で次のように述べている。 __________ こうなった[JOG注: 日本が敗北した]ことを以って、日本が1941年末に西欧列強と戦争しようと決断したこと自体が間違いであったという証明にしばしば利用されている。 本書は逆に、連合国軍相手の戦争は、日本にとって正しい時期における正しい戦争であったと主張する。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ここでの「正しい」とは 「戦略的に合理性がある」 ととるべきだろう。 すなわち、勝利の可能性のあった戦いだった、ということになる。 ウッド教授はこうも言っている。 __________ また忘れてはならないのは、日本が欧米列強を相手に戦争をしようという決断は、長い時間をかけて熟慮した結果であるということだ。 それは決して思いつきの行動ではない。 その決断は恐れと日和見主義の両方に影響されてはいたが、それはまさしく計画された賭だった。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ■2.長期不敗、自給自足の態勢を目指す 「計画された賭」に勝つ方法はあった。 そして、日本は開戦当初、まさしくその戦略を考えていた、とウッド教授は指摘している。 昭和17(1942)年3月、東条首相は 「今後とるべき戦争指導の大綱」を天皇に上奏した。 開戦から4カ月、真珠湾攻撃に成功し、シンガポールを攻略して、国民が緒戦の勝利に酔いしれていた時期である。 そこには戦争の第二段階に向けて、極めて冷静な戦略が述べられていた。 __________ 1.英を屈服し、米の戦意を喪失せしむるために、引き続き既得の戦果を拡充して、長期不敗の政戦態勢を整えつつ機を見て積極的の方策を講ず。 2.占領地域および主要交通路を確保して、国防最重要資源の開発利用を促進し、自給自足の態勢の確立及び国家戦力の増強に努む。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 続く
13/03/26 22:50:40
>>274 日本が目指していたのは、ワシントンに日の丸を立てる、というような空想ではなく 「長期不敗」の態勢を作って アメリカの戦意を喪失させ、機を見て講和に持ち込むことであった。 そのためにはインドネシアの石油資源を確保し、フィリピンや台湾の西側を経由する安全な輸送ルートを確保して、「自給自足の態勢」を作る。 日本が戦争に追い込まれた直接の原因は アメリカなどの石油禁輸措置により国家の生存が脅かされたことであったから こうした「自給自足の態勢」を確立した上で 「長期不敗の政戦態勢」を実現することは 「自存自衛」という戦争目的そのものであった。 ■3.アメリカも太平洋は「防御」 そんな「長期不敗」の戦略など、アメリカの巨大な生産力に物を言わせた物量作戦の前には風前の灯火だ、というのが、戦後の「常識」であるが、ウッド教授は双方の目論みや生産能力を具体的、定量的に分析して、それが現実的な戦略であったことを実証していく。 まず、アメリカ側も、日本と同様、太平洋では防衛を主としていた。 ドイツを打ち破ることを優先するためである。 __________ 戦前のアメリカの構想では特に1940年のフランス陥落の後では、日独双方を相手の戦争では、太平洋においては防衛にとどまり、ヨーロッパの戦勝に総力を結集するつもりであり、このいわゆる「対ドイツ最優先」構想は、真珠湾直後にルーズベルトとチャーチルによって再確認された。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ そもそも、ルーズベルト大統領が石油禁輸や、ハル・ノートによる中国大陸からの撤退要求などによって日本を追い詰めたのは、ドイツとの戦いに参加するためであった。 大統領選では 「絶対に参戦しない」 と公約して当選したのだが その公約を破らずに参戦するために 日本を挑発し、日本から戦端を開かせる という手段をとった。 当時の共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員は 「ルーズベルトは、われわれをだまし、いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである」 と批判している。 つづく
通報
古トピの為、これ以上コメントできません
13/03/26 22:54:42
>>275 とすれば、日本の開戦によってルーズベルトはすでに参戦の目的を果たしたわけで、日本がハワイやオーストラリアを脅かさない程度の「自給自足の態勢」に留まっていれば、米国がドイツとの戦争に集中している間は、太平洋では防御に徹することは、ごく合理的な戦略であった。 そして、このアメリカの「対ドイツ最優先」の戦略を、日本も見通していたので、「長期不敗の政戦態勢」を方針として掲げたのである。 ■4.国防圏から踏み出さなければ 緒戦の勝利から、敗戦への転換点は、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)とガダルカナル島の戦い(同8月)だった。 ミッドウェー海戦では、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた空母4隻を失った。 ガダルカナルの戦いでは、2万5千人もの戦病死者を出すと共に、多数の戦闘機と優秀なパイロットを失った。 両方とも、国防圏のサイパンから、3、4千キロも離れ、ハワイやオーストラリアから至近の距離にあった。 すなわち、日本軍は「長期不敗、自給自足の態勢」を大きく踏み出して、敵地の近くで戦闘を挑み、その結果、戦力のかなりの部分を失って、以後、坂道を転げ落ちるように敗北に向かっていった。 つづく
13/03/26 23:13:45
>>279 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130 ★特に >>130 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282 国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303
1件~3件 ( 全3件)
子育てや家事、旦那に関する悩み相談、TV、芸能人に関する雑談など何でもOK!
1
25/12/18 18:10:41
692360
2
25/12/18 18:14:38
239587
3
25/12/18 18:13:34
43
4
25/12/18 18:14:45
76
5
25/12/18 18:14:26
19
25/12/18 18:17:18
25/12/18 18:20:24
25/12/18 18:02:01
0
25/12/18 18:02:24
25/12/18 17:57:06
ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.274 少し視点が変わるけど
13/03/26 22:46:28
>>238国際派~より。
JOG(634) 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか
2010/02/07 08:34
当初の戦略通り、持久戦に持ち込んでいれば、アメリカとの講和に持ち込めるチャンスはあった。
■1.「正しい時期における正しい戦争であった」
アメリカの歴史学者ジェームズ・B・ウッド教授(ウィリアムズ大学)による
『「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか』
と題された刺激的な研究書が出版された。
ウッド教授は、この書の冒頭で次のように述べている。
__________
こうなった[JOG注: 日本が敗北した]ことを以って、日本が1941年末に西欧列強と戦争しようと決断したこと自体が間違いであったという証明にしばしば利用されている。
本書は逆に、連合国軍相手の戦争は、日本にとって正しい時期における正しい戦争であったと主張する。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ここでの「正しい」とは
「戦略的に合理性がある」
ととるべきだろう。
すなわち、勝利の可能性のあった戦いだった、ということになる。
ウッド教授はこうも言っている。
__________
また忘れてはならないのは、日本が欧米列強を相手に戦争をしようという決断は、長い時間をかけて熟慮した結果であるということだ。
それは決して思いつきの行動ではない。
その決断は恐れと日和見主義の両方に影響されてはいたが、それはまさしく計画された賭だった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■2.長期不敗、自給自足の態勢を目指す
「計画された賭」に勝つ方法はあった。
そして、日本は開戦当初、まさしくその戦略を考えていた、とウッド教授は指摘している。
昭和17(1942)年3月、東条首相は
「今後とるべき戦争指導の大綱」を天皇に上奏した。
開戦から4カ月、真珠湾攻撃に成功し、シンガポールを攻略して、国民が緒戦の勝利に酔いしれていた時期である。
そこには戦争の第二段階に向けて、極めて冷静な戦略が述べられていた。
__________
1.英を屈服し、米の戦意を喪失せしむるために、引き続き既得の戦果を拡充して、長期不敗の政戦態勢を整えつつ機を見て積極的の方策を講ず。
2.占領地域および主要交通路を確保して、国防最重要資源の開発利用を促進し、自給自足の態勢の確立及び国家戦力の増強に努む。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
続く
No.275 続き
13/03/26 22:50:40
>>274
日本が目指していたのは、ワシントンに日の丸を立てる、というような空想ではなく
「長期不敗」の態勢を作って
アメリカの戦意を喪失させ、機を見て講和に持ち込むことであった。
そのためにはインドネシアの石油資源を確保し、フィリピンや台湾の西側を経由する安全な輸送ルートを確保して、「自給自足の態勢」を作る。
日本が戦争に追い込まれた直接の原因は
アメリカなどの石油禁輸措置により国家の生存が脅かされたことであったから
こうした「自給自足の態勢」を確立した上で
「長期不敗の政戦態勢」を実現することは
「自存自衛」という戦争目的そのものであった。
■3.アメリカも太平洋は「防御」
そんな「長期不敗」の戦略など、アメリカの巨大な生産力に物を言わせた物量作戦の前には風前の灯火だ、というのが、戦後の「常識」であるが、ウッド教授は双方の目論みや生産能力を具体的、定量的に分析して、それが現実的な戦略であったことを実証していく。
まず、アメリカ側も、日本と同様、太平洋では防衛を主としていた。
ドイツを打ち破ることを優先するためである。
__________
戦前のアメリカの構想では特に1940年のフランス陥落の後では、日独双方を相手の戦争では、太平洋においては防衛にとどまり、ヨーロッパの戦勝に総力を結集するつもりであり、このいわゆる「対ドイツ最優先」構想は、真珠湾直後にルーズベルトとチャーチルによって再確認された。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そもそも、ルーズベルト大統領が石油禁輸や、ハル・ノートによる中国大陸からの撤退要求などによって日本を追い詰めたのは、ドイツとの戦いに参加するためであった。
大統領選では
「絶対に参戦しない」
と公約して当選したのだが
その公約を破らずに参戦するために
日本を挑発し、日本から戦端を開かせる
という手段をとった。
当時の共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員は
「ルーズベルトは、われわれをだまし、いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである」
と批判している。
つづく
通報
コメント
古トピの為、これ以上コメントできません
返信コメント
No.276 つづき
13/03/26 22:54:42
>>275
とすれば、日本の開戦によってルーズベルトはすでに参戦の目的を果たしたわけで、日本がハワイやオーストラリアを脅かさない程度の「自給自足の態勢」に留まっていれば、米国がドイツとの戦争に集中している間は、太平洋では防御に徹することは、ごく合理的な戦略であった。
そして、このアメリカの「対ドイツ最優先」の戦略を、日本も見通していたので、「長期不敗の政戦態勢」を方針として掲げたのである。
■4.国防圏から踏み出さなければ
緒戦の勝利から、敗戦への転換点は、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)とガダルカナル島の戦い(同8月)だった。
ミッドウェー海戦では、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた空母4隻を失った。
ガダルカナルの戦いでは、2万5千人もの戦病死者を出すと共に、多数の戦闘機と優秀なパイロットを失った。
両方とも、国防圏のサイパンから、3、4千キロも離れ、ハワイやオーストラリアから至近の距離にあった。
すなわち、日本軍は「長期不敗、自給自足の態勢」を大きく踏み出して、敵地の近くで戦闘を挑み、その結果、戦力のかなりの部分を失って、以後、坂道を転げ落ちるように敗北に向かっていった。
つづく
No.285 ではスルーで
13/03/26 23:13:45
>>279
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
No.304 ん
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
★特に >>130
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303