カテゴリ
急上昇
<登校班>高学年で付き添うご家庭が
13/03/26 22:56:52
>>276 ミッドウェーでは、米軍は暗号解読と無線交信の分析により、日本軍を待ち構えて撃破したのだが、当初はミッドウェー攻撃はなんら軍事的妥当性を持たないと、予想もしていなかった。 またガダルカナル島には、連合軍は海兵隊1個師団を送るのが精一杯だった。 どちらも日本軍から仕掛けなければ、戦いは起こらなかっただろう。 形勢反転後、連合軍は太平洋の島伝いに侵攻していったが、日本軍が地下要塞を築いて迎え撃つゲリラ戦法には手を焼いた。 今村均将軍は、ラバウルで陸軍将兵7万人による巨大な地下要塞を作り、自給自足の体制を敷いた。 マッカーサーはこの地の攻略を諦め、迂回して侵攻を続けた。 ペリリュー島(現在のパラオ諸島)では、1万1千人の守備隊のほとんどが玉砕したが、地下要塞とゲリラ戦法で米軍の攻勢を2ヶ月半も押しとどめ、戦死傷1万人弱の損害を与えた。 硫黄島でも同様の戦法で、2万余の日本軍が36日間持ちこたえ、米軍に死傷者2万6千人近い大損害を与えた。 これは実質的には敗戦ではないか、という議論が米国内で巻き起こった。 戦争の第二段階で、日本軍がミッドウェーやガダルカナルに討って出るのではなく、太平洋の島々にラバウル並の堅固な防御態勢を築いていれば、連合軍の侵攻もはるかに多大な時間と犠牲を伴うものになったはずである。 そして日本としてはサイパン島を守っていれば、そこからB29が飛び立って、日本本土空襲と原爆投下を行う、という事態も防ぐ事ができた。 続く
13/03/26 22:59:09
>>277 ■5.1945年末まで日本が戦力を温存していたら 1943(昭和18)年8月における連合軍の戦争構想でさえ、ドイツの降伏を1944年10月と仮定しても(実際には、1945年4月)、それから1年以内に日本を降伏させる見込みは全くないとし、対日勝利の目標時期を1948(昭和23)年までとした。 仮に日本が国防圏を守って、1945年末まで戦力を温存していたら、その頃には、ソ連が東ヨーロッパの占領地に鉄をカーテンを降ろし、米ソ冷戦が始まっていた。 アメリカとしてはソ連が東ヨーロッパを囲い込むのを傍観しつつ、あえて何万という多大の犠牲を太平洋の各島で出しながら、日本を降伏に追い込もうとする余裕も必要性もなかったろう。 逆に、無傷の日本とは早々に講和を結び、ソ連と対峙してヨーロッパを守る方が、はるかに合理的な道だったはずである。 また、ソ連にしても、日本の敗戦直前に火事場泥棒のように満洲になだれ込んだが、日本軍が健在だったら、そんな真似はできなかった。 日本が国防圏を維持して、戦力を温存していたら、勝ちはしなくとも不敗のままアメリカとの講和を結ぶ可能性は十分にあった、というのが、ウッド教授の結論である。 続く
通報
古トピの為、これ以上コメントできません
13/03/26 23:03:48
>>278 ■6.「侵略軍」の「業績」 趙氏は、「侵略者」が占領後に民衆にとってどのような統治をしたか、をも評価しなければならないとする。 たとえば、清朝の発祥地で、未開の原野だった満洲は、日本の統治でどう変わったか。 __________ しかし、日本が降伏したときには東北部(JOG注:漢民族が満洲を自国の領土の一部であるかのように見なして、こう呼ぶ)はすでに重工業の集積地とさえ言われるほどであった。 そのことは数字の上から見ても明らかで、単に全中国の重工業の80%を占めるだけでなく、質的にも最高レベルの産業基地へと変貌を遂げていたのである。 ソ連の紅軍が東北を「解放」したとき、彼らは無数の工業設備を解体し、持ち去ってしまったのだが、それでも東北全域に張りめぐらされた鉄道路線はどうすることもできなかった。 この鉄道網の密度は、いまもなお中国で最も充実しているほどである。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 日本は満洲に膨大な産業投資、開発投資を行った。 そのために満洲は、たとえば超特急「あじあ号」が時速150キロ、日本国内の2倍以上のスピードで走る先進工業国家となった。 満洲での豊かで安定した生活を求めて、毎年100万人以上の中国人がなだれ込んでいった。 中国民衆の「秤」は、あきらかに日本統治を良しとしていたのである。 続く
13/03/26 23:13:45
>>279 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130 ★特に >>130 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282 国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303
1件~3件 ( 全3件)
子育てや家事、旦那に関する悩み相談、TV、芸能人に関する雑談など何でもOK!
1
25/12/18 21:44:02
553797
2
25/12/18 21:41:09
67
3
25/12/18 21:39:25
239642
4
25/12/18 21:29:10
27
5
25/12/18 21:30:42
49590
25/12/18 21:39:52
0
25/12/18 21:38:36
25/12/18 21:34:45
25/12/18 21:34:14
25/12/18 21:40:34
ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.277 つづき
13/03/26 22:56:52
>>276
ミッドウェーでは、米軍は暗号解読と無線交信の分析により、日本軍を待ち構えて撃破したのだが、当初はミッドウェー攻撃はなんら軍事的妥当性を持たないと、予想もしていなかった。
またガダルカナル島には、連合軍は海兵隊1個師団を送るのが精一杯だった。
どちらも日本軍から仕掛けなければ、戦いは起こらなかっただろう。
形勢反転後、連合軍は太平洋の島伝いに侵攻していったが、日本軍が地下要塞を築いて迎え撃つゲリラ戦法には手を焼いた。
今村均将軍は、ラバウルで陸軍将兵7万人による巨大な地下要塞を作り、自給自足の体制を敷いた。
マッカーサーはこの地の攻略を諦め、迂回して侵攻を続けた。
ペリリュー島(現在のパラオ諸島)では、1万1千人の守備隊のほとんどが玉砕したが、地下要塞とゲリラ戦法で米軍の攻勢を2ヶ月半も押しとどめ、戦死傷1万人弱の損害を与えた。
硫黄島でも同様の戦法で、2万余の日本軍が36日間持ちこたえ、米軍に死傷者2万6千人近い大損害を与えた。
これは実質的には敗戦ではないか、という議論が米国内で巻き起こった。
戦争の第二段階で、日本軍がミッドウェーやガダルカナルに討って出るのではなく、太平洋の島々にラバウル並の堅固な防御態勢を築いていれば、連合軍の侵攻もはるかに多大な時間と犠牲を伴うものになったはずである。
そして日本としてはサイパン島を守っていれば、そこからB29が飛び立って、日本本土空襲と原爆投下を行う、という事態も防ぐ事ができた。
続く
No.278 つづき
13/03/26 22:59:09
>>277
■5.1945年末まで日本が戦力を温存していたら
1943(昭和18)年8月における連合軍の戦争構想でさえ、ドイツの降伏を1944年10月と仮定しても(実際には、1945年4月)、それから1年以内に日本を降伏させる見込みは全くないとし、対日勝利の目標時期を1948(昭和23)年までとした。
仮に日本が国防圏を守って、1945年末まで戦力を温存していたら、その頃には、ソ連が東ヨーロッパの占領地に鉄をカーテンを降ろし、米ソ冷戦が始まっていた。
アメリカとしてはソ連が東ヨーロッパを囲い込むのを傍観しつつ、あえて何万という多大の犠牲を太平洋の各島で出しながら、日本を降伏に追い込もうとする余裕も必要性もなかったろう。
逆に、無傷の日本とは早々に講和を結び、ソ連と対峙してヨーロッパを守る方が、はるかに合理的な道だったはずである。
また、ソ連にしても、日本の敗戦直前に火事場泥棒のように満洲になだれ込んだが、日本軍が健在だったら、そんな真似はできなかった。
日本が国防圏を維持して、戦力を温存していたら、勝ちはしなくとも不敗のままアメリカとの講和を結ぶ可能性は十分にあった、というのが、ウッド教授の結論である。
続く
通報
コメント
古トピの為、これ以上コメントできません
返信コメント
No.280 つづき
13/03/26 23:03:48
>>278
■6.「侵略軍」の「業績」
趙氏は、「侵略者」が占領後に民衆にとってどのような統治をしたか、をも評価しなければならないとする。
たとえば、清朝の発祥地で、未開の原野だった満洲は、日本の統治でどう変わったか。
__________
しかし、日本が降伏したときには東北部(JOG注:漢民族が満洲を自国の領土の一部であるかのように見なして、こう呼ぶ)はすでに重工業の集積地とさえ言われるほどであった。
そのことは数字の上から見ても明らかで、単に全中国の重工業の80%を占めるだけでなく、質的にも最高レベルの産業基地へと変貌を遂げていたのである。
ソ連の紅軍が東北を「解放」したとき、彼らは無数の工業設備を解体し、持ち去ってしまったのだが、それでも東北全域に張りめぐらされた鉄道路線はどうすることもできなかった。
この鉄道網の密度は、いまもなお中国で最も充実しているほどである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
日本は満洲に膨大な産業投資、開発投資を行った。
そのために満洲は、たとえば超特急「あじあ号」が時速150キロ、日本国内の2倍以上のスピードで走る先進工業国家となった。
満洲での豊かで安定した生活を求めて、毎年100万人以上の中国人がなだれ込んでいった。
中国民衆の「秤」は、あきらかに日本統治を良しとしていたのである。
続く
No.285 ではスルーで
13/03/26 23:13:45
>>279
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
No.304 ん
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
★特に >>130
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303