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- 13/03/23 16:51:14
日本の英霊達に感謝します。
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>>264日露戦争に対する海外評価の一部を貼りました。ご参考まで。
>>302
■7.「私」に根ざした「公」■
山桜集の圧巻は、猿田只介という教師出身の一兵卒が残した次の 連作である。
出征の折よめる
待ちわびし
召集令をうけしより
心おどりぬ
なにとはなしに
君のため
国の為なりとはいへど
老いしちち母
思はぬにはあらず
勇ましき
働きせよといひさして
涙に曇る
母のみことば
ふた親に
妾(わらわ)つかへむ国のため
いざとはげます
けなげなる妻
門の辺(べ)に送る
み親ををろがめば
泣かじとすれど涙こぼるる
手をつかへ
なみだぐみたる教子(おしえご)の
姿を見れば胸さけむとす
いざやいざ
朝日のみ旗おしたてて
ふみにじらなむ
露の醜草(しこぐさ、ロシアにかける)
召集令を待ちわびるという「公」の気持ちも、いざ出征となると、「老いしちち母思はずにはあらず」と「私」の気持ちが頭をもたげる。
母親も「勇ましき働きせよ」と言いさしては「涙に曇る」
このような「公」と「私」の葛藤の果てに、ふたたび「いざやいざ」 と戦場に向かう。
一首目の「待ちわびし召集令」という気持ちは、「公」に向かったものだが、それはまだ残される家族への「私」の情は十分入っていない。
しかし老いし父母や妻、教え子らの姿を通じて、自分にとって大切な人々を守ろうという「私」の情の後に生まれ出た最後の 「いざやいざ」の歌こそ、「私」に根ざしたより深い「公」への気持ちである。
自分の家庭、家族を守っていたい、という「私」は、人間だれでもが持つ自然の人情である。
しかし皆が小さな「私」だけを考えていれば、アムール川で虐殺されたシナ人のように「私」すら守れないことになってしまう。
「私」を守るためにこそ、「公」に向かわねばならない時もある。
「公」を無視した「私」だけでは利己主義の社会である。
「私」を無視した「公」だけでは、全体主義である。
山桜集や歌会始の入選歌にも見られるように、日露戦争は一人一人の将兵が家族への「私情」を吐露しつつ、それを守ろうと「公」のために立ち上がった戦いであった。
極東の黄色人種の小国が
世界最大の陸軍を持つ白人国家に
勝った最大の原因は
国民一人一人が「私」に根ざした
「公」に立ち上がった強さであろう。
>>300
■6.肉親を思う歌■
戦場の夫が妻子を思い、また妻が夫を思う歌はとりわけ心を打つ。
家を出づる時
よめる父の顔
見覚え居よと乳児(ちご)にいへど
ちご心なく打ち笑みてのみ
出征の時に、これが最後かとも思い、父の顔を覚えていてくれよと、我が子を抱いて見つめるのだが、幼児はあやされているのかと思い、無心に笑うばかりである。
片言に
君が代歌ういとし子の
すがた写して
夫(つま)におくらむ
夫の出征の間に成長して、片言で君が代を歌う子供の写真を、夫に送ろうというのである。
旅順攻囲雑詠
たまたまに
稚児とあそべる故郷の
ゆめおどろかす
大砲(おおづつ)の音
故郷で我が子と遊んでいる楽しい夢を、突然破るのは野戦の大砲の音であった。
新年山
つはものに
召し出されし
我(わが)せこ(夫)は
いづくの山に
年迎ふらむ
この歌は、陸軍二等兵卒大須賀昌二の妻まつ枝のものである。
明治38年の春の歌会始の入選歌で、両陛下の前で披露された。
出征した夫を思う妻のまごころは、多くの国民の共感を得たであろう。
歌会始めという「公」的な場で、このような「私」の情が歌い上げられた所に、「私」を大切にする「公」というわが国の伝統が窺われる。
続く
怖いね((((;゜Д゜)))
>>299
■4.進軍の道すがら■
軍人(いくさびと)
すすむ山路をまのあたり
見しは仮寝の
ゆめにぞありける
明治天皇は夢の中で、我が兵士らの行く山路の様子を見られる事もあった。
その進軍の道すがら、敵兵の死体にそっと花を手向ける者もいた。
進軍の道すがら
(陸軍少将 中村寛)
道すがら
あた(敵)の屍(かばね)に
野の花を一もと折りて手向けるかな
敵として戦っても、戦い終われば、人として「いつくしむ」事を忘れてはならぬ、という天皇の次の御歌を体現した武人の情けであった。
国のため
あだ(仇)なす仇はくだくとも
いつくしむべき事な忘れそ
■5.満洲の寒さ■
戦場となった満洲の寒さは厳しい。
しかし、その寒さにも兵士らがまず思うのは、故郷に残した家族の事であった。
このごろ
寒さ一入(ひとしお)に
厳しければ故郷に病める
母の御身の上を思はれて
病なき
我だに寒しこの頃は
いためる母のいかがあるらむ
その寒さについて明治天皇は次のような御歌を詠まれている。
いたで(戦傷)おふ
人のみとりに心せよ
にはかに風のさむくなりぬる
急に寒さが増して、即座に思われるのは、戦傷をおった兵士らの看取りであった。
寝覚めして
まづこそ思へつは
もの(兵士)のたむろ(集まっている所)の
寒さいかがあらむと
目が覚めて、朝の寒さにまず気づかわれるのは、兵士らの事であったのである。
続く
>>298
■3.決死の宣戦布告■
明治37年(1905年)、5ヶ月の対ロ交渉で、ロシアの侵略 意図をとどめる事ができず、我が国はついに宣戦布告を行った。
もとよりロシアは世界の大国、勝てるという見込みの立たないままの 決断であった。
時の総理、伊藤博文は次のように語っている。
若(も)し不幸にして戦(たたかい)利あらず、韓半島露軍(ロシア軍)の奄有(えんゆう、占領)するところとなり、旅順及び浦塩斯徳(ウラジオストック)の艦隊、我が海軍を撃破し、我が海洋を制圧するに至らば、余は自ら銃剣を挈(ひっさ)げて卒伍 (一兵卒)に投じ、敵兵をして一歩だに我が領土を踏まざらしむべし
いざとなれば、自ら一兵卒になって祖国防衛の第一線に立つ、というのである。
負ければ、他のすべてのアジア、アフリカ諸国と同様、植民地として隷従しなければならない。
この危機感は明治天皇から国民までが共有したものであった。
事乃一蹉跌を生ぜば(失敗するような事があれば)、朕何をもってか祖宗(御祖先の歴代天皇方)に謝し(お詫び申し上げ)、臣民に対するを得んと、忽(たちま)ち涙潸潸(さんさん)として下る。
明治天皇は、もしそのような事があれば、皇室の祖先と国民に対してお詫びのしようもない、と涙を流された。
天皇は日露戦争中の御心労で食事も極端に進まず、それが原因となって8年後に肝臓の病で崩御されるのである。
続く
>>264
注:現代に当てはめては考えないように。あくまで、その当時のこととして捉えて下さい。
国際派日本人養成講座
平成10年8月8日
◆国柄探訪:「公」と「私」と
■1.「公」と「私」■
小林よしのりの「戦争論」(幻冬社)が発売早々、20万部と売 れている。
読みやすい漫画ながら、大東亜戦争における「公」と「私」という大変重いテーマを取り上げた大作で、読者にも一読をお勧めする。
「私」とは自分や家族のため、「公」とは国家公共のため。
一度戦争になれば、国民は「私」の部分を犠牲にして「公」につくさねばならない。
さもないと、国民すべての「私」もなくなってしまう。
明治日本が南下するロシアに対峙した時がまさしく、そういう状況であった。
当時の日本人が、この問題にどう対処したのか、その赤裸々な声が「山桜集」という歌集となって残っている。
今回は、これらの声を通じて「公」と「私」の問題について、考えてみよう。
■2.近づく怪雲■
ロシアが全満洲を占領したのは、1900年10月。
その過程で、7月には黒竜江東岸ブラゴウェシチェンスクにおいて、シナ人3千人を駆り立て、黒竜江に突き落として虐殺するという「黒竜江上の悲劇」を引き起こした。
ロシアが満洲、朝鮮と南下すれば、虐殺されたシナ人の運命は、明日の我が身かも知れない。
当時、第一高等学校の記念寮祭歌として作られた「アムール川(黒竜江)の流血や」はその予感を伝える。
アムール川の流血や
氷りて恨み結びけん
二十世紀の東洋は
怪雲空にはこびつつ
ロシアは1903年、韓国領の竜岩浦(鴨緑江河口)を軍事占領し、要塞化を進めた。
こうして「怪雲」の予感は、着々と現実のものとなっていった。
続く
>>296見てる人はNHKのことを知らない人が多い。だからだめってレスしたんだよ。池上とかもだけど、今まで興味の無かった人を騙す手法を使ってるからね。
>>295
知ってるよ。ただテレビでやってたから報告しただけ。
戦時中本当にそうだったんだけど【負けてるにもかかわらず「メディアが真実を伝えなかった」】って事を言ってたけど、それはNHKは言ってオッケーなんだね。
今のテレビやメディアも変わってないと思うんだがね
>>293NHKは、だめ。特に歴史認証が出来てない人、文章の読解力のない人はコラ含みの映像に騙される。戦後の自虐史観浸透はNHKと日教組が担ってきたんだよ。
>>292
文では誤解もあるからこういう映像は貴重
今教育テレビで第二次世界大戦についてやってる
>>290
私もそう思う。
>>288文を読めないと歴史は学べないよ。頑張れ。
>>285
簡潔でわかりやすく興味深い内容だ。ありがとう
>>287
そういう問題じゃない
下げてはダメなら一切、レスしないことになるよ?自分が興味のあるレスは、まとめてアンカー付けたら?
>>285
ありがとう!長いけど、すごくわかりやすくいよ!
読んでる人いるのかな?
長い
他のレスがどんどん下がっていく
>>279
余計なこと書かないで。わたしは凄く興味深い。
>>281
日本が最初に占領した満洲国の状況を見れば、日本から移住した人々が非常にすばやく中国化したことがよく分かるはずだ。・・・
日本が東北部をコントロールしたのはほんの十数年に過ぎないが、日本が敗戦したときには、ほとんどの日本からの満洲移民は中国語を話すことができ、大陸生活にも馴染み、一部の服装や食習慣を除けば、ほとんど中国人と変わらない生活をしていたのだった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
日本が勝っていれば、中国に日本人が数百万人単位で移住し、その働きによって、中国全土が満洲のように速やかに近代化されていったであろう。
同時に移住した日本人は急速に中国人と化していく。
となれば、中国は今よりもはるかに高度な技術と経済を持っていたはずで、その宗主国たる日本は、逆に中国の一部、あるいは属国となり、「中国の日本族」になっていたであろう。
それはかつてのモンゴル族や満洲族が辿った悲劇である。
そういう意味では、我が国が中国大陸から早めに引き揚げられた事は不幸中の幸いであった。
あくまで中国は海を隔て、適当な距離を置いて付き合うべき隣国である。
趙氏の冷徹な思考を、日本の視点から辿ってみれば、これが論理的な帰結となる。
(文責:伊勢雅臣)
>>280
■7.日本の占領区では学生倍増
中国本土の占領期間はさらに短かったが、それでも顕著な進歩があった、と趙氏は指摘する。
__________
8年にわたる抗日戦争中に、最も早く日本の手に落ちた北平(北京)を例に取れば、日本の敗戦が決まったとき、多くの著名な大学の設備も図書の数も非常に充実していた。
抗日戦争前の1936年、中国の高等学校の数は108校しかなかったが、1945年の終戦時には、高等学校は141校になっていた。
高等学校の教師も7560人から1万1183人、学生は4万1922人から8万3984人へと倍増していたのである。
たくさんの新しい大学-上海交通大学や上海医学院、ドイツ医学院、雷士徳工学院、上海商学院、上海音楽院など抗日戦争勝利後に政府によって取り潰された6つの偽学校-も被占領区で設立された。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
趙氏は、こうした日本人の「業績」は日本軍の「侵略」による破壊を相殺するものではない、としているが、「外国からの侵略軍はすべて悪である」という固定観念から離れて、その「業績」を見れば、日本の「侵略軍」は中国の「自国軍」よりもましな面があったと指摘しているのである。
■8.日本が中国を支配していたら
ここまでは日本人にとっも、聞きやすい内容だが、趙氏の冷徹な思考はさらにその先を行く。
良き「侵略軍」である日本が中国に勝って、全土を長期間、占領していたら、どうなったのか。
__________
歴代の侵略者たちは常に武力により中国を征服してきたが、一方では中国の文化によって逆に征服されてしまうのだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
チンギス・ハーンは中国を含め、アジア・ヨーロッパ大陸を征服したが、その後、モンゴル族は「中国のモンゴル族」となった。
同様に、中国を征服して清朝を打ち立てた満洲族も、いまや中国に吸収されて、民族としては消えようとしている。
狩猟民族で独自の文字を使うモンゴル族や満洲族に比べれば、農耕民族で漢字も使う日本人ははるかに中国人に近い。
趙氏は、主要な侵略者の中で、日本人は最も中国文化に近い民族だった、と断言する。
それだけ、中国文化に吸収されてしまう可能性が高かった。
つづく
>>278
■6.「侵略軍」の「業績」
趙氏は、「侵略者」が占領後に民衆にとってどのような統治をしたか、をも評価しなければならないとする。
たとえば、清朝の発祥地で、未開の原野だった満洲は、日本の統治でどう変わったか。
__________
しかし、日本が降伏したときには東北部(JOG注:漢民族が満洲を自国の領土の一部であるかのように見なして、こう呼ぶ)はすでに重工業の集積地とさえ言われるほどであった。
そのことは数字の上から見ても明らかで、単に全中国の重工業の80%を占めるだけでなく、質的にも最高レベルの産業基地へと変貌を遂げていたのである。
ソ連の紅軍が東北を「解放」したとき、彼らは無数の工業設備を解体し、持ち去ってしまったのだが、それでも東北全域に張りめぐらされた鉄道路線はどうすることもできなかった。
この鉄道網の密度は、いまもなお中国で最も充実しているほどである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
日本は満洲に膨大な産業投資、開発投資を行った。
そのために満洲は、たとえば超特急「あじあ号」が時速150キロ、日本国内の2倍以上のスピードで走る先進工業国家となった。
満洲での豊かで安定した生活を求めて、毎年100万人以上の中国人がなだれ込んでいった。
中国民衆の「秤」は、あきらかに日本統治を良しとしていたのである。
続く
まだ続きます?長くて読む気にならん
>>277
■5.1945年末まで日本が戦力を温存していたら
1943(昭和18)年8月における連合軍の戦争構想でさえ、ドイツの降伏を1944年10月と仮定しても(実際には、1945年4月)、それから1年以内に日本を降伏させる見込みは全くないとし、対日勝利の目標時期を1948(昭和23)年までとした。
仮に日本が国防圏を守って、1945年末まで戦力を温存していたら、その頃には、ソ連が東ヨーロッパの占領地に鉄をカーテンを降ろし、米ソ冷戦が始まっていた。
アメリカとしてはソ連が東ヨーロッパを囲い込むのを傍観しつつ、あえて何万という多大の犠牲を太平洋の各島で出しながら、日本を降伏に追い込もうとする余裕も必要性もなかったろう。
逆に、無傷の日本とは早々に講和を結び、ソ連と対峙してヨーロッパを守る方が、はるかに合理的な道だったはずである。
また、ソ連にしても、日本の敗戦直前に火事場泥棒のように満洲になだれ込んだが、日本軍が健在だったら、そんな真似はできなかった。
日本が国防圏を維持して、戦力を温存していたら、勝ちはしなくとも不敗のままアメリカとの講和を結ぶ可能性は十分にあった、というのが、ウッド教授の結論である。
続く
>>276
ミッドウェーでは、米軍は暗号解読と無線交信の分析により、日本軍を待ち構えて撃破したのだが、当初はミッドウェー攻撃はなんら軍事的妥当性を持たないと、予想もしていなかった。
またガダルカナル島には、連合軍は海兵隊1個師団を送るのが精一杯だった。
どちらも日本軍から仕掛けなければ、戦いは起こらなかっただろう。
形勢反転後、連合軍は太平洋の島伝いに侵攻していったが、日本軍が地下要塞を築いて迎え撃つゲリラ戦法には手を焼いた。
今村均将軍は、ラバウルで陸軍将兵7万人による巨大な地下要塞を作り、自給自足の体制を敷いた。
マッカーサーはこの地の攻略を諦め、迂回して侵攻を続けた。
ペリリュー島(現在のパラオ諸島)では、1万1千人の守備隊のほとんどが玉砕したが、地下要塞とゲリラ戦法で米軍の攻勢を2ヶ月半も押しとどめ、戦死傷1万人弱の損害を与えた。
硫黄島でも同様の戦法で、2万余の日本軍が36日間持ちこたえ、米軍に死傷者2万6千人近い大損害を与えた。
これは実質的には敗戦ではないか、という議論が米国内で巻き起こった。
戦争の第二段階で、日本軍がミッドウェーやガダルカナルに討って出るのではなく、太平洋の島々にラバウル並の堅固な防御態勢を築いていれば、連合軍の侵攻もはるかに多大な時間と犠牲を伴うものになったはずである。
そして日本としてはサイパン島を守っていれば、そこからB29が飛び立って、日本本土空襲と原爆投下を行う、という事態も防ぐ事ができた。
続く
>>275
とすれば、日本の開戦によってルーズベルトはすでに参戦の目的を果たしたわけで、日本がハワイやオーストラリアを脅かさない程度の「自給自足の態勢」に留まっていれば、米国がドイツとの戦争に集中している間は、太平洋では防御に徹することは、ごく合理的な戦略であった。
そして、このアメリカの「対ドイツ最優先」の戦略を、日本も見通していたので、「長期不敗の政戦態勢」を方針として掲げたのである。
■4.国防圏から踏み出さなければ
緒戦の勝利から、敗戦への転換点は、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)とガダルカナル島の戦い(同8月)だった。
ミッドウェー海戦では、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた空母4隻を失った。
ガダルカナルの戦いでは、2万5千人もの戦病死者を出すと共に、多数の戦闘機と優秀なパイロットを失った。
両方とも、国防圏のサイパンから、3、4千キロも離れ、ハワイやオーストラリアから至近の距離にあった。
すなわち、日本軍は「長期不敗、自給自足の態勢」を大きく踏み出して、敵地の近くで戦闘を挑み、その結果、戦力のかなりの部分を失って、以後、坂道を転げ落ちるように敗北に向かっていった。
つづく
>>274
日本が目指していたのは、ワシントンに日の丸を立てる、というような空想ではなく
「長期不敗」の態勢を作って
アメリカの戦意を喪失させ、機を見て講和に持ち込むことであった。
そのためにはインドネシアの石油資源を確保し、フィリピンや台湾の西側を経由する安全な輸送ルートを確保して、「自給自足の態勢」を作る。
日本が戦争に追い込まれた直接の原因は
アメリカなどの石油禁輸措置により国家の生存が脅かされたことであったから
こうした「自給自足の態勢」を確立した上で
「長期不敗の政戦態勢」を実現することは
「自存自衛」という戦争目的そのものであった。
■3.アメリカも太平洋は「防御」
そんな「長期不敗」の戦略など、アメリカの巨大な生産力に物を言わせた物量作戦の前には風前の灯火だ、というのが、戦後の「常識」であるが、ウッド教授は双方の目論みや生産能力を具体的、定量的に分析して、それが現実的な戦略であったことを実証していく。
まず、アメリカ側も、日本と同様、太平洋では防衛を主としていた。
ドイツを打ち破ることを優先するためである。
__________
戦前のアメリカの構想では特に1940年のフランス陥落の後では、日独双方を相手の戦争では、太平洋においては防衛にとどまり、ヨーロッパの戦勝に総力を結集するつもりであり、このいわゆる「対ドイツ最優先」構想は、真珠湾直後にルーズベルトとチャーチルによって再確認された。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そもそも、ルーズベルト大統領が石油禁輸や、ハル・ノートによる中国大陸からの撤退要求などによって日本を追い詰めたのは、ドイツとの戦いに参加するためであった。
大統領選では
「絶対に参戦しない」
と公約して当選したのだが
その公約を破らずに参戦するために
日本を挑発し、日本から戦端を開かせる
という手段をとった。
当時の共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員は
「ルーズベルトは、われわれをだまし、いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである」
と批判している。
つづく
>>238国際派~より。
JOG(634) 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか
2010/02/07 08:34
当初の戦略通り、持久戦に持ち込んでいれば、アメリカとの講和に持ち込めるチャンスはあった。
■1.「正しい時期における正しい戦争であった」
アメリカの歴史学者ジェームズ・B・ウッド教授(ウィリアムズ大学)による
『「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか』
と題された刺激的な研究書が出版された。
ウッド教授は、この書の冒頭で次のように述べている。
__________
こうなった[JOG注: 日本が敗北した]ことを以って、日本が1941年末に西欧列強と戦争しようと決断したこと自体が間違いであったという証明にしばしば利用されている。
本書は逆に、連合国軍相手の戦争は、日本にとって正しい時期における正しい戦争であったと主張する。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ここでの「正しい」とは
「戦略的に合理性がある」
ととるべきだろう。
すなわち、勝利の可能性のあった戦いだった、ということになる。
ウッド教授はこうも言っている。
__________
また忘れてはならないのは、日本が欧米列強を相手に戦争をしようという決断は、長い時間をかけて熟慮した結果であるということだ。
それは決して思いつきの行動ではない。
その決断は恐れと日和見主義の両方に影響されてはいたが、それはまさしく計画された賭だった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■2.長期不敗、自給自足の態勢を目指す
「計画された賭」に勝つ方法はあった。
そして、日本は開戦当初、まさしくその戦略を考えていた、とウッド教授は指摘している。
昭和17(1942)年3月、東条首相は
「今後とるべき戦争指導の大綱」を天皇に上奏した。
開戦から4カ月、真珠湾攻撃に成功し、シンガポールを攻略して、国民が緒戦の勝利に酔いしれていた時期である。
そこには戦争の第二段階に向けて、極めて冷静な戦略が述べられていた。
__________
1.英を屈服し、米の戦意を喪失せしむるために、引き続き既得の戦果を拡充して、長期不敗の政戦態勢を整えつつ機を見て積極的の方策を講ず。
2.占領地域および主要交通路を確保して、国防最重要資源の開発利用を促進し、自給自足の態勢の確立及び国家戦力の増強に努む。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
続く
>>271
発言した。ヒューズの態度はイギリス帝国の首脳からも「狂人と評するほかない」と評されるほどであった。
イギリス、カナダ、ニュージーランドは牧野の接触で日本支持に傾きつつあったが、ヒューズの強硬姿勢をみて反対の立場に戻っていった。
イギリスは英帝国内の団結を維持する必要があり、総選挙を控えて譲歩ができないヒューズの強硬姿勢に従わざるを得なかった。
日本政府も提案成立は困難であると見るようになり、犬養毅や伊東巳代治のように連盟脱退を唱える者も現れた。
4月11日、日本は再度提案を行い、連盟規約前文に「各国民の平等及びその国民に対する公正待遇の主義を是認する」という一文を挿入するように求めた。
イギリス、オーストラリアが反対する中、議長ウィルソンは「本件は平静に取り扱うべき問題」であるとして、提案自体の撤回を求めた。
牧野は採決を求め、イギリス、アメリカ、ポーランド、ブラジル、ルーマニアが反対したものの、
フランス、イタリア、ギリシャ、中華民国、ポルトガル、チェコスロバキアが賛成に回り
出席者16名中11名の賛成多数を得た。
しかしウィルソンは「全会一致でない」としてこの採決を不採択とした。
牧野は「会議の問題につきては多数決に依りて決定したことあり」として、多数決による採択を求めたが、ウィルソンは「本件の如き重大なる事件の決定については、従来とも全会一致、少なくとも反対者なきことを要するの趣旨によりて議事を取り扱い来たれる」と重大案件は全会一致で行ってきたと反論し、牧野もこれを受け入れた。
以下略
パリ会議の内容抜粋。
日本政府が人種差別撤廃提案を取り入れることになった経緯はいまだに明確になっていない。
当時の外務省には石井菊次郎駐米大使のように国際正義が主張される講和会議で
移民排斥不当を「表明」すること自体に意味があるという考えと
小村欣一アジア課長のように人種平等の提案を成すことで、国際組織で平等の立場を勝ち取り、日本の印象を平和的なものとし、対中融和をスムーズに行うという考えもあった。
最終的に外務省がまとめた案では、人種平等の要求明確化よりも、国際的時流に乗ることを重要とする物となっていた。
日本代表団はまずアメリカに働きかけることとし、ランシング国務長官とウィルソン側近のハウス大佐に、連盟規約に挿入する人種差別撤廃条項として甲案と乙案の二案を提示した。
ランシングは乙案に賛意を示し、ハウス大佐の感触も上々であった。
次に接触したイギリスでは、オーストラリア、ニュージーランドの自治領、特に白豪主義を国是とし、労働問題を抱えるオーストラリアが強硬に反発したため、合意は得られなかった。
その後イギリスのセシル元封鎖相やバルフォア外相とも協議を行ったが、本国の諒解が得られないとして消極的であった。
会議の状況を聞いた原首相も「この事元来成功するや否や覚束なき事柄」と、提案の成功には悲観的であった。
日本は2月13日に国際連盟委員会で
「各国均等の主義は国際連盟の基本的綱領なるに依り(中略)、連盟員たる一切の外国人に対し均等公正の待遇を与え人種或は国籍如何に依り法律上或いは事実上何等差別を設けざることを約す」
という条文を、宗教の平等を唱えた連盟規約21条に付け加えるよう提案した。
この日の提案ではチェコスロバキア、ルーマニア、ブラジルのみが賛成であり、さらに宗教規定自体が取り除かれることが多数決で決まり、人種差別撤廃提案は別の形で提出することとなった。
この提案が報道されると、日本では提案に対する期待が高まり、アメリカでは内政干渉であるとして反発が高まった。
アメリカ上院は人種差別撤廃提案が採用されれば条約を批准しないという決議を行い、ウィルソンもこれに従わざるを得なくなった。
オーストラリアのヒューズ首相も会議中に退席するほど強硬であり、日本の主張が入れられれば署名を拒否して帰国すると発言した。
続くよ
>>268
撤廃が足りないね
>>266
人種差別を提案、の意味がわかりません
>>266
WWⅠ後のパリ講話会議だーね
>>265なんの国際会議か忘れたけど、人種差別を提案した日本。それに同意してくれた国も多数。多数決で決まる会議にも関わらず、その場で、議長の判断で決まることに変更され、日本の提案は却下された。というのがあるよね。
>>264根底には白人至上主義があること。これが大切。味方云々に関しては時流というのがあります。ここで全てを説明するのか難しいかも。
途中にも出てくるけど、新しい歴史の教科書とかを購入して読んでみては?
すごく初歩的な質問ですみませんが教えてください。
日露戦争も満州事変も東亜大戦も、なぜ日本の味方はあまりいなかったのですか?
アメリカは中国に武器を流していたのに日本には経済的制裁、どの戦もアメリカやイギリス、ロシアなど白人は日本以外を支援します。それはどうしてですか?
日本には大して良いところはないのになぜ日本が目の敵にされていたのですか?
日本が侵略をしてないとして、なぜ日本に色々と仕掛けてくるのですか?
なんだか今の北朝鮮のような扱いを受けてきた印象をもちました。北朝鮮は北朝鮮事態が悪いからと分かっていますが。
教えてください。
私の祖父は身体的理由(生まれつき持病あり)から、戦地へ行けなかったと言ってた。武器を製造する工場?みたいなところでしか奉仕出来なかったことを悔いていたよ。「日本国男子として情けなかった」って。
同居してたから、毎年8月になると戦争の話ばかりされて当時は正直うんざりだったけど、もっときちんと聞いておけば良かったよ。
やっぱりNHKはダメなんですね汗
NHKはやめときなよ
>>255
NHKドキュメンタリー系などは全部、台本あるって聞いたことあるなぁ。
>>258記事トピ見つけてきた。
http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2125216&sort=1
この他にも第二次大戦については自虐ばかりで、かなり問題視されてる。
>>255
NHKは内容編集しているって、インタビューを受けてくれた台湾の人に訴えてられてなかった?
>>255NHKだよ。偏向、自虐、虚偽で問題になってるの。体験者の話も中途半端だったり故意に選ばれたものだったり…NHKと池上彰は信用しちゃだめよ。
>>255さんいつ放送してるんですか?