特攻隊、貴重映像 へのコメント(No.276

  • No.275 続き

    13/03/26 22:50:40

    >>274
     日本が目指していたのは、ワシントンに日の丸を立てる、というような空想ではなく

    「長期不敗」の態勢を作って

    アメリカの戦意を喪失させ、機を見て講和に持ち込むことであった。

     そのためにはインドネシアの石油資源を確保し、フィリピンや台湾の西側を経由する安全な輸送ルートを確保して、「自給自足の態勢」を作る。

     日本が戦争に追い込まれた直接の原因は

    アメリカなどの石油禁輸措置により国家の生存が脅かされたことであったから

    こうした「自給自足の態勢」を確立した上で

    「長期不敗の政戦態勢」を実現することは

    「自存自衛」という戦争目的そのものであった。

    ■3.アメリカも太平洋は「防御」

     そんな「長期不敗」の戦略など、アメリカの巨大な生産力に物を言わせた物量作戦の前には風前の灯火だ、というのが、戦後の「常識」であるが、ウッド教授は双方の目論みや生産能力を具体的、定量的に分析して、それが現実的な戦略であったことを実証していく。

     まず、アメリカ側も、日本と同様、太平洋では防衛を主としていた。

    ドイツを打ち破ることを優先するためである。
    __________

    戦前のアメリカの構想では特に1940年のフランス陥落の後では、日独双方を相手の戦争では、太平洋においては防衛にとどまり、ヨーロッパの戦勝に総力を結集するつもりであり、このいわゆる「対ドイツ最優先」構想は、真珠湾直後にルーズベルトとチャーチルによって再確認された。

     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     そもそも、ルーズベルト大統領が石油禁輸や、ハル・ノートによる中国大陸からの撤退要求などによって日本を追い詰めたのは、ドイツとの戦いに参加するためであった。

    大統領選では

    「絶対に参戦しない」

    と公約して当選したのだが

    その公約を破らずに参戦するために

    日本を挑発し、日本から戦端を開かせる

    という手段をとった。

     当時の共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員は

    「ルーズベルトは、われわれをだまし、いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである」

    と批判している。

    つづく

  • No.276 つづき

    13/03/26 22:54:42

    >>275
     とすれば、日本の開戦によってルーズベルトはすでに参戦の目的を果たしたわけで、日本がハワイやオーストラリアを脅かさない程度の「自給自足の態勢」に留まっていれば、米国がドイツとの戦争に集中している間は、太平洋では防御に徹することは、ごく合理的な戦略であった。

     そして、このアメリカの「対ドイツ最優先」の戦略を、日本も見通していたので、「長期不敗の政戦態勢」を方針として掲げたのである。

    ■4.国防圏から踏み出さなければ

     緒戦の勝利から、敗戦への転換点は、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)とガダルカナル島の戦い(同8月)だった。

    ミッドウェー海戦では、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた空母4隻を失った。

    ガダルカナルの戦いでは、2万5千人もの戦病死者を出すと共に、多数の戦闘機と優秀なパイロットを失った。

     両方とも、国防圏のサイパンから、3、4千キロも離れ、ハワイやオーストラリアから至近の距離にあった。

    すなわち、日本軍は「長期不敗、自給自足の態勢」を大きく踏み出して、敵地の近くで戦闘を挑み、その結果、戦力のかなりの部分を失って、以後、坂道を転げ落ちるように敗北に向かっていった。

    つづく

コメント

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返信コメント

  • No.277 つづき

    13/03/26 22:56:52

    >>276
     ミッドウェーでは、米軍は暗号解読と無線交信の分析により、日本軍を待ち構えて撃破したのだが、当初はミッドウェー攻撃はなんら軍事的妥当性を持たないと、予想もしていなかった。

    またガダルカナル島には、連合軍は海兵隊1個師団を送るのが精一杯だった。

    どちらも日本軍から仕掛けなければ、戦いは起こらなかっただろう。

     形勢反転後、連合軍は太平洋の島伝いに侵攻していったが、日本軍が地下要塞を築いて迎え撃つゲリラ戦法には手を焼いた。

    今村均将軍は、ラバウルで陸軍将兵7万人による巨大な地下要塞を作り、自給自足の体制を敷いた。

    マッカーサーはこの地の攻略を諦め、迂回して侵攻を続けた。

     ペリリュー島(現在のパラオ諸島)では、1万1千人の守備隊のほとんどが玉砕したが、地下要塞とゲリラ戦法で米軍の攻勢を2ヶ月半も押しとどめ、戦死傷1万人弱の損害を与えた。

    硫黄島でも同様の戦法で、2万余の日本軍が36日間持ちこたえ、米軍に死傷者2万6千人近い大損害を与えた。

    これは実質的には敗戦ではないか、という議論が米国内で巻き起こった。

     戦争の第二段階で、日本軍がミッドウェーやガダルカナルに討って出るのではなく、太平洋の島々にラバウル並の堅固な防御態勢を築いていれば、連合軍の侵攻もはるかに多大な時間と犠牲を伴うものになったはずである。

     そして日本としてはサイパン島を守っていれば、そこからB29が飛び立って、日本本土空襲と原爆投下を行う、という事態も防ぐ事ができた。
    続く

  • No.285 ではスルーで

    13/03/26 23:13:45

    >>279

    「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282

  • No.304

    13/03/28 21:46:05

    国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
    ★特に >>130

    「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282

    国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303

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