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<どっちが実力でる?>定期テストor模試
13/03/26 22:59:09
>>277 ■5.1945年末まで日本が戦力を温存していたら 1943(昭和18)年8月における連合軍の戦争構想でさえ、ドイツの降伏を1944年10月と仮定しても(実際には、1945年4月)、それから1年以内に日本を降伏させる見込みは全くないとし、対日勝利の目標時期を1948(昭和23)年までとした。 仮に日本が国防圏を守って、1945年末まで戦力を温存していたら、その頃には、ソ連が東ヨーロッパの占領地に鉄をカーテンを降ろし、米ソ冷戦が始まっていた。 アメリカとしてはソ連が東ヨーロッパを囲い込むのを傍観しつつ、あえて何万という多大の犠牲を太平洋の各島で出しながら、日本を降伏に追い込もうとする余裕も必要性もなかったろう。 逆に、無傷の日本とは早々に講和を結び、ソ連と対峙してヨーロッパを守る方が、はるかに合理的な道だったはずである。 また、ソ連にしても、日本の敗戦直前に火事場泥棒のように満洲になだれ込んだが、日本軍が健在だったら、そんな真似はできなかった。 日本が国防圏を維持して、戦力を温存していたら、勝ちはしなくとも不敗のままアメリカとの講和を結ぶ可能性は十分にあった、というのが、ウッド教授の結論である。 続く
13/03/26 23:03:48
>>278 ■6.「侵略軍」の「業績」 趙氏は、「侵略者」が占領後に民衆にとってどのような統治をしたか、をも評価しなければならないとする。 たとえば、清朝の発祥地で、未開の原野だった満洲は、日本の統治でどう変わったか。 __________ しかし、日本が降伏したときには東北部(JOG注:漢民族が満洲を自国の領土の一部であるかのように見なして、こう呼ぶ)はすでに重工業の集積地とさえ言われるほどであった。 そのことは数字の上から見ても明らかで、単に全中国の重工業の80%を占めるだけでなく、質的にも最高レベルの産業基地へと変貌を遂げていたのである。 ソ連の紅軍が東北を「解放」したとき、彼らは無数の工業設備を解体し、持ち去ってしまったのだが、それでも東北全域に張りめぐらされた鉄道路線はどうすることもできなかった。 この鉄道網の密度は、いまもなお中国で最も充実しているほどである。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 日本は満洲に膨大な産業投資、開発投資を行った。 そのために満洲は、たとえば超特急「あじあ号」が時速150キロ、日本国内の2倍以上のスピードで走る先進工業国家となった。 満洲での豊かで安定した生活を求めて、毎年100万人以上の中国人がなだれ込んでいった。 中国民衆の「秤」は、あきらかに日本統治を良しとしていたのである。 続く
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13/03/26 23:06:52
>>280 ■7.日本の占領区では学生倍増 中国本土の占領期間はさらに短かったが、それでも顕著な進歩があった、と趙氏は指摘する。 __________ 8年にわたる抗日戦争中に、最も早く日本の手に落ちた北平(北京)を例に取れば、日本の敗戦が決まったとき、多くの著名な大学の設備も図書の数も非常に充実していた。 抗日戦争前の1936年、中国の高等学校の数は108校しかなかったが、1945年の終戦時には、高等学校は141校になっていた。 高等学校の教師も7560人から1万1183人、学生は4万1922人から8万3984人へと倍増していたのである。 たくさんの新しい大学-上海交通大学や上海医学院、ドイツ医学院、雷士徳工学院、上海商学院、上海音楽院など抗日戦争勝利後に政府によって取り潰された6つの偽学校-も被占領区で設立された。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 趙氏は、こうした日本人の「業績」は日本軍の「侵略」による破壊を相殺するものではない、としているが、「外国からの侵略軍はすべて悪である」という固定観念から離れて、その「業績」を見れば、日本の「侵略軍」は中国の「自国軍」よりもましな面があったと指摘しているのである。 ■8.日本が中国を支配していたら ここまでは日本人にとっも、聞きやすい内容だが、趙氏の冷徹な思考はさらにその先を行く。 良き「侵略軍」である日本が中国に勝って、全土を長期間、占領していたら、どうなったのか。 __________ 歴代の侵略者たちは常に武力により中国を征服してきたが、一方では中国の文化によって逆に征服されてしまうのだ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ チンギス・ハーンは中国を含め、アジア・ヨーロッパ大陸を征服したが、その後、モンゴル族は「中国のモンゴル族」となった。 同様に、中国を征服して清朝を打ち立てた満洲族も、いまや中国に吸収されて、民族としては消えようとしている。 狩猟民族で独自の文字を使うモンゴル族や満洲族に比べれば、農耕民族で漢字も使う日本人ははるかに中国人に近い。 趙氏は、主要な侵略者の中で、日本人は最も中国文化に近い民族だった、と断言する。 それだけ、中国文化に吸収されてしまう可能性が高かった。 つづく
13/03/26 23:13:45
>>279 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130 ★特に >>130 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282 国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303
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No.278 つづき
13/03/26 22:59:09
>>277
■5.1945年末まで日本が戦力を温存していたら
1943(昭和18)年8月における連合軍の戦争構想でさえ、ドイツの降伏を1944年10月と仮定しても(実際には、1945年4月)、それから1年以内に日本を降伏させる見込みは全くないとし、対日勝利の目標時期を1948(昭和23)年までとした。
仮に日本が国防圏を守って、1945年末まで戦力を温存していたら、その頃には、ソ連が東ヨーロッパの占領地に鉄をカーテンを降ろし、米ソ冷戦が始まっていた。
アメリカとしてはソ連が東ヨーロッパを囲い込むのを傍観しつつ、あえて何万という多大の犠牲を太平洋の各島で出しながら、日本を降伏に追い込もうとする余裕も必要性もなかったろう。
逆に、無傷の日本とは早々に講和を結び、ソ連と対峙してヨーロッパを守る方が、はるかに合理的な道だったはずである。
また、ソ連にしても、日本の敗戦直前に火事場泥棒のように満洲になだれ込んだが、日本軍が健在だったら、そんな真似はできなかった。
日本が国防圏を維持して、戦力を温存していたら、勝ちはしなくとも不敗のままアメリカとの講和を結ぶ可能性は十分にあった、というのが、ウッド教授の結論である。
続く
No.280 つづき
13/03/26 23:03:48
>>278
■6.「侵略軍」の「業績」
趙氏は、「侵略者」が占領後に民衆にとってどのような統治をしたか、をも評価しなければならないとする。
たとえば、清朝の発祥地で、未開の原野だった満洲は、日本の統治でどう変わったか。
__________
しかし、日本が降伏したときには東北部(JOG注:漢民族が満洲を自国の領土の一部であるかのように見なして、こう呼ぶ)はすでに重工業の集積地とさえ言われるほどであった。
そのことは数字の上から見ても明らかで、単に全中国の重工業の80%を占めるだけでなく、質的にも最高レベルの産業基地へと変貌を遂げていたのである。
ソ連の紅軍が東北を「解放」したとき、彼らは無数の工業設備を解体し、持ち去ってしまったのだが、それでも東北全域に張りめぐらされた鉄道路線はどうすることもできなかった。
この鉄道網の密度は、いまもなお中国で最も充実しているほどである。
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日本は満洲に膨大な産業投資、開発投資を行った。
そのために満洲は、たとえば超特急「あじあ号」が時速150キロ、日本国内の2倍以上のスピードで走る先進工業国家となった。
満洲での豊かで安定した生活を求めて、毎年100万人以上の中国人がなだれ込んでいった。
中国民衆の「秤」は、あきらかに日本統治を良しとしていたのである。
続く
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No.281 つづき
13/03/26 23:06:52
>>280
■7.日本の占領区では学生倍増
中国本土の占領期間はさらに短かったが、それでも顕著な進歩があった、と趙氏は指摘する。
__________
8年にわたる抗日戦争中に、最も早く日本の手に落ちた北平(北京)を例に取れば、日本の敗戦が決まったとき、多くの著名な大学の設備も図書の数も非常に充実していた。
抗日戦争前の1936年、中国の高等学校の数は108校しかなかったが、1945年の終戦時には、高等学校は141校になっていた。
高等学校の教師も7560人から1万1183人、学生は4万1922人から8万3984人へと倍増していたのである。
たくさんの新しい大学-上海交通大学や上海医学院、ドイツ医学院、雷士徳工学院、上海商学院、上海音楽院など抗日戦争勝利後に政府によって取り潰された6つの偽学校-も被占領区で設立された。
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趙氏は、こうした日本人の「業績」は日本軍の「侵略」による破壊を相殺するものではない、としているが、「外国からの侵略軍はすべて悪である」という固定観念から離れて、その「業績」を見れば、日本の「侵略軍」は中国の「自国軍」よりもましな面があったと指摘しているのである。
■8.日本が中国を支配していたら
ここまでは日本人にとっも、聞きやすい内容だが、趙氏の冷徹な思考はさらにその先を行く。
良き「侵略軍」である日本が中国に勝って、全土を長期間、占領していたら、どうなったのか。
__________
歴代の侵略者たちは常に武力により中国を征服してきたが、一方では中国の文化によって逆に征服されてしまうのだ。
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チンギス・ハーンは中国を含め、アジア・ヨーロッパ大陸を征服したが、その後、モンゴル族は「中国のモンゴル族」となった。
同様に、中国を征服して清朝を打ち立てた満洲族も、いまや中国に吸収されて、民族としては消えようとしている。
狩猟民族で独自の文字を使うモンゴル族や満洲族に比べれば、農耕民族で漢字も使う日本人ははるかに中国人に近い。
趙氏は、主要な侵略者の中で、日本人は最も中国文化に近い民族だった、と断言する。
それだけ、中国文化に吸収されてしまう可能性が高かった。
つづく
No.285 ではスルーで
13/03/26 23:13:45
>>279
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
No.304 ん
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
★特に >>130
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303