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担任の先生がハズレだった時の対処法
13/03/28 18:31:26
>>299 ■4.進軍の道すがら■ 軍人(いくさびと) すすむ山路をまのあたり 見しは仮寝の ゆめにぞありける 明治天皇は夢の中で、我が兵士らの行く山路の様子を見られる事もあった。 その進軍の道すがら、敵兵の死体にそっと花を手向ける者もいた。 進軍の道すがら (陸軍少将 中村寛) 道すがら あた(敵)の屍(かばね)に 野の花を一もと折りて手向けるかな 敵として戦っても、戦い終われば、人として「いつくしむ」事を忘れてはならぬ、という天皇の次の御歌を体現した武人の情けであった。 国のため あだ(仇)なす仇はくだくとも いつくしむべき事な忘れそ ■5.満洲の寒さ■ 戦場となった満洲の寒さは厳しい。 しかし、その寒さにも兵士らがまず思うのは、故郷に残した家族の事であった。 このごろ 寒さ一入(ひとしお)に 厳しければ故郷に病める 母の御身の上を思はれて 病なき 我だに寒しこの頃は いためる母のいかがあるらむ その寒さについて明治天皇は次のような御歌を詠まれている。 いたで(戦傷)おふ 人のみとりに心せよ にはかに風のさむくなりぬる 急に寒さが増して、即座に思われるのは、戦傷をおった兵士らの看取りであった。 寝覚めして まづこそ思へつは もの(兵士)のたむろ(集まっている所)の 寒さいかがあらむと 目が覚めて、朝の寒さにまず気づかわれるのは、兵士らの事であったのである。 続く
13/03/28 18:36:10
>>300 ■6.肉親を思う歌■ 戦場の夫が妻子を思い、また妻が夫を思う歌はとりわけ心を打つ。 家を出づる時 よめる父の顔 見覚え居よと乳児(ちご)にいへど ちご心なく打ち笑みてのみ 出征の時に、これが最後かとも思い、父の顔を覚えていてくれよと、我が子を抱いて見つめるのだが、幼児はあやされているのかと思い、無心に笑うばかりである。 片言に 君が代歌ういとし子の すがた写して 夫(つま)におくらむ 夫の出征の間に成長して、片言で君が代を歌う子供の写真を、夫に送ろうというのである。 旅順攻囲雑詠 たまたまに 稚児とあそべる故郷の ゆめおどろかす 大砲(おおづつ)の音 故郷で我が子と遊んでいる楽しい夢を、突然破るのは野戦の大砲の音であった。 新年山 つはものに 召し出されし 我(わが)せこ(夫)は いづくの山に 年迎ふらむ この歌は、陸軍二等兵卒大須賀昌二の妻まつ枝のものである。 明治38年の春の歌会始の入選歌で、両陛下の前で披露された。 出征した夫を思う妻のまごころは、多くの国民の共感を得たであろう。 歌会始めという「公」的な場で、このような「私」の情が歌い上げられた所に、「私」を大切にする「公」というわが国の伝統が窺われる。 続く
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13/03/28 21:38:31
>>302 ■7.「私」に根ざした「公」■ 山桜集の圧巻は、猿田只介という教師出身の一兵卒が残した次の 連作である。 出征の折よめる 待ちわびし 召集令をうけしより 心おどりぬ なにとはなしに 君のため 国の為なりとはいへど 老いしちち母 思はぬにはあらず 勇ましき 働きせよといひさして 涙に曇る 母のみことば ふた親に 妾(わらわ)つかへむ国のため いざとはげます けなげなる妻 門の辺(べ)に送る み親ををろがめば 泣かじとすれど涙こぼるる 手をつかへ なみだぐみたる教子(おしえご)の 姿を見れば胸さけむとす いざやいざ 朝日のみ旗おしたてて ふみにじらなむ 露の醜草(しこぐさ、ロシアにかける) 召集令を待ちわびるという「公」の気持ちも、いざ出征となると、「老いしちち母思はずにはあらず」と「私」の気持ちが頭をもたげる。 母親も「勇ましき働きせよ」と言いさしては「涙に曇る」 このような「公」と「私」の葛藤の果てに、ふたたび「いざやいざ」 と戦場に向かう。 一首目の「待ちわびし召集令」という気持ちは、「公」に向かったものだが、それはまだ残される家族への「私」の情は十分入っていない。 しかし老いし父母や妻、教え子らの姿を通じて、自分にとって大切な人々を守ろうという「私」の情の後に生まれ出た最後の 「いざやいざ」の歌こそ、「私」に根ざしたより深い「公」への気持ちである。 自分の家庭、家族を守っていたい、という「私」は、人間だれでもが持つ自然の人情である。 しかし皆が小さな「私」だけを考えていれば、アムール川で虐殺されたシナ人のように「私」すら守れないことになってしまう。 「私」を守るためにこそ、「公」に向かわねばならない時もある。 「公」を無視した「私」だけでは利己主義の社会である。 「私」を無視した「公」だけでは、全体主義である。 山桜集や歌会始の入選歌にも見られるように、日露戦争は一人一人の将兵が家族への「私情」を吐露しつつ、それを守ろうと「公」のために立ち上がった戦いであった。 極東の黄色人種の小国が 世界最大の陸軍を持つ白人国家に 勝った最大の原因は 国民一人一人が「私」に根ざした 「公」に立ち上がった強さであろう。
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130 ★特に >>130 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282 国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303
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13/03/28 18:31:26
>>299
■4.進軍の道すがら■
軍人(いくさびと)
すすむ山路をまのあたり
見しは仮寝の
ゆめにぞありける
明治天皇は夢の中で、我が兵士らの行く山路の様子を見られる事もあった。
その進軍の道すがら、敵兵の死体にそっと花を手向ける者もいた。
進軍の道すがら
(陸軍少将 中村寛)
道すがら
あた(敵)の屍(かばね)に
野の花を一もと折りて手向けるかな
敵として戦っても、戦い終われば、人として「いつくしむ」事を忘れてはならぬ、という天皇の次の御歌を体現した武人の情けであった。
国のため
あだ(仇)なす仇はくだくとも
いつくしむべき事な忘れそ
■5.満洲の寒さ■
戦場となった満洲の寒さは厳しい。
しかし、その寒さにも兵士らがまず思うのは、故郷に残した家族の事であった。
このごろ
寒さ一入(ひとしお)に
厳しければ故郷に病める
母の御身の上を思はれて
病なき
我だに寒しこの頃は
いためる母のいかがあるらむ
その寒さについて明治天皇は次のような御歌を詠まれている。
いたで(戦傷)おふ
人のみとりに心せよ
にはかに風のさむくなりぬる
急に寒さが増して、即座に思われるのは、戦傷をおった兵士らの看取りであった。
寝覚めして
まづこそ思へつは
もの(兵士)のたむろ(集まっている所)の
寒さいかがあらむと
目が覚めて、朝の寒さにまず気づかわれるのは、兵士らの事であったのである。
続く
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13/03/28 18:36:10
>>300
■6.肉親を思う歌■
戦場の夫が妻子を思い、また妻が夫を思う歌はとりわけ心を打つ。
家を出づる時
よめる父の顔
見覚え居よと乳児(ちご)にいへど
ちご心なく打ち笑みてのみ
出征の時に、これが最後かとも思い、父の顔を覚えていてくれよと、我が子を抱いて見つめるのだが、幼児はあやされているのかと思い、無心に笑うばかりである。
片言に
君が代歌ういとし子の
すがた写して
夫(つま)におくらむ
夫の出征の間に成長して、片言で君が代を歌う子供の写真を、夫に送ろうというのである。
旅順攻囲雑詠
たまたまに
稚児とあそべる故郷の
ゆめおどろかす
大砲(おおづつ)の音
故郷で我が子と遊んでいる楽しい夢を、突然破るのは野戦の大砲の音であった。
新年山
つはものに
召し出されし
我(わが)せこ(夫)は
いづくの山に
年迎ふらむ
この歌は、陸軍二等兵卒大須賀昌二の妻まつ枝のものである。
明治38年の春の歌会始の入選歌で、両陛下の前で披露された。
出征した夫を思う妻のまごころは、多くの国民の共感を得たであろう。
歌会始めという「公」的な場で、このような「私」の情が歌い上げられた所に、「私」を大切にする「公」というわが国の伝統が窺われる。
続く
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13/03/28 21:38:31
>>302
■7.「私」に根ざした「公」■
山桜集の圧巻は、猿田只介という教師出身の一兵卒が残した次の 連作である。
出征の折よめる
待ちわびし
召集令をうけしより
心おどりぬ
なにとはなしに
君のため
国の為なりとはいへど
老いしちち母
思はぬにはあらず
勇ましき
働きせよといひさして
涙に曇る
母のみことば
ふた親に
妾(わらわ)つかへむ国のため
いざとはげます
けなげなる妻
門の辺(べ)に送る
み親ををろがめば
泣かじとすれど涙こぼるる
手をつかへ
なみだぐみたる教子(おしえご)の
姿を見れば胸さけむとす
いざやいざ
朝日のみ旗おしたてて
ふみにじらなむ
露の醜草(しこぐさ、ロシアにかける)
召集令を待ちわびるという「公」の気持ちも、いざ出征となると、「老いしちち母思はずにはあらず」と「私」の気持ちが頭をもたげる。
母親も「勇ましき働きせよ」と言いさしては「涙に曇る」
このような「公」と「私」の葛藤の果てに、ふたたび「いざやいざ」 と戦場に向かう。
一首目の「待ちわびし召集令」という気持ちは、「公」に向かったものだが、それはまだ残される家族への「私」の情は十分入っていない。
しかし老いし父母や妻、教え子らの姿を通じて、自分にとって大切な人々を守ろうという「私」の情の後に生まれ出た最後の 「いざやいざ」の歌こそ、「私」に根ざしたより深い「公」への気持ちである。
自分の家庭、家族を守っていたい、という「私」は、人間だれでもが持つ自然の人情である。
しかし皆が小さな「私」だけを考えていれば、アムール川で虐殺されたシナ人のように「私」すら守れないことになってしまう。
「私」を守るためにこそ、「公」に向かわねばならない時もある。
「公」を無視した「私」だけでは利己主義の社会である。
「私」を無視した「公」だけでは、全体主義である。
山桜集や歌会始の入選歌にも見られるように、日露戦争は一人一人の将兵が家族への「私情」を吐露しつつ、それを守ろうと「公」のために立ち上がった戦いであった。
極東の黄色人種の小国が
世界最大の陸軍を持つ白人国家に
勝った最大の原因は
国民一人一人が「私」に根ざした
「公」に立ち上がった強さであろう。
No.304 ん
13/03/28 21:46:05
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★特に >>130
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