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少女漫画で、三大漫画を選ぶとしたら?
13/03/26 22:54:42
>>275 とすれば、日本の開戦によってルーズベルトはすでに参戦の目的を果たしたわけで、日本がハワイやオーストラリアを脅かさない程度の「自給自足の態勢」に留まっていれば、米国がドイツとの戦争に集中している間は、太平洋では防御に徹することは、ごく合理的な戦略であった。 そして、このアメリカの「対ドイツ最優先」の戦略を、日本も見通していたので、「長期不敗の政戦態勢」を方針として掲げたのである。 ■4.国防圏から踏み出さなければ 緒戦の勝利から、敗戦への転換点は、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)とガダルカナル島の戦い(同8月)だった。 ミッドウェー海戦では、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた空母4隻を失った。 ガダルカナルの戦いでは、2万5千人もの戦病死者を出すと共に、多数の戦闘機と優秀なパイロットを失った。 両方とも、国防圏のサイパンから、3、4千キロも離れ、ハワイやオーストラリアから至近の距離にあった。 すなわち、日本軍は「長期不敗、自給自足の態勢」を大きく踏み出して、敵地の近くで戦闘を挑み、その結果、戦力のかなりの部分を失って、以後、坂道を転げ落ちるように敗北に向かっていった。 つづく
13/03/26 22:56:52
>>276 ミッドウェーでは、米軍は暗号解読と無線交信の分析により、日本軍を待ち構えて撃破したのだが、当初はミッドウェー攻撃はなんら軍事的妥当性を持たないと、予想もしていなかった。 またガダルカナル島には、連合軍は海兵隊1個師団を送るのが精一杯だった。 どちらも日本軍から仕掛けなければ、戦いは起こらなかっただろう。 形勢反転後、連合軍は太平洋の島伝いに侵攻していったが、日本軍が地下要塞を築いて迎え撃つゲリラ戦法には手を焼いた。 今村均将軍は、ラバウルで陸軍将兵7万人による巨大な地下要塞を作り、自給自足の体制を敷いた。 マッカーサーはこの地の攻略を諦め、迂回して侵攻を続けた。 ペリリュー島(現在のパラオ諸島)では、1万1千人の守備隊のほとんどが玉砕したが、地下要塞とゲリラ戦法で米軍の攻勢を2ヶ月半も押しとどめ、戦死傷1万人弱の損害を与えた。 硫黄島でも同様の戦法で、2万余の日本軍が36日間持ちこたえ、米軍に死傷者2万6千人近い大損害を与えた。 これは実質的には敗戦ではないか、という議論が米国内で巻き起こった。 戦争の第二段階で、日本軍がミッドウェーやガダルカナルに討って出るのではなく、太平洋の島々にラバウル並の堅固な防御態勢を築いていれば、連合軍の侵攻もはるかに多大な時間と犠牲を伴うものになったはずである。 そして日本としてはサイパン島を守っていれば、そこからB29が飛び立って、日本本土空襲と原爆投下を行う、という事態も防ぐ事ができた。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
13/03/26 22:59:09
>>277 ■5.1945年末まで日本が戦力を温存していたら 1943(昭和18)年8月における連合軍の戦争構想でさえ、ドイツの降伏を1944年10月と仮定しても(実際には、1945年4月)、それから1年以内に日本を降伏させる見込みは全くないとし、対日勝利の目標時期を1948(昭和23)年までとした。 仮に日本が国防圏を守って、1945年末まで戦力を温存していたら、その頃には、ソ連が東ヨーロッパの占領地に鉄をカーテンを降ろし、米ソ冷戦が始まっていた。 アメリカとしてはソ連が東ヨーロッパを囲い込むのを傍観しつつ、あえて何万という多大の犠牲を太平洋の各島で出しながら、日本を降伏に追い込もうとする余裕も必要性もなかったろう。 逆に、無傷の日本とは早々に講和を結び、ソ連と対峙してヨーロッパを守る方が、はるかに合理的な道だったはずである。 また、ソ連にしても、日本の敗戦直前に火事場泥棒のように満洲になだれ込んだが、日本軍が健在だったら、そんな真似はできなかった。 日本が国防圏を維持して、戦力を温存していたら、勝ちはしなくとも不敗のままアメリカとの講和を結ぶ可能性は十分にあった、というのが、ウッド教授の結論である。 続く
13/03/26 23:13:45
>>279 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130 ★特に >>130 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282 国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303
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No.276 つづき
13/03/26 22:54:42
>>275
とすれば、日本の開戦によってルーズベルトはすでに参戦の目的を果たしたわけで、日本がハワイやオーストラリアを脅かさない程度の「自給自足の態勢」に留まっていれば、米国がドイツとの戦争に集中している間は、太平洋では防御に徹することは、ごく合理的な戦略であった。
そして、このアメリカの「対ドイツ最優先」の戦略を、日本も見通していたので、「長期不敗の政戦態勢」を方針として掲げたのである。
■4.国防圏から踏み出さなければ
緒戦の勝利から、敗戦への転換点は、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)とガダルカナル島の戦い(同8月)だった。
ミッドウェー海戦では、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた空母4隻を失った。
ガダルカナルの戦いでは、2万5千人もの戦病死者を出すと共に、多数の戦闘機と優秀なパイロットを失った。
両方とも、国防圏のサイパンから、3、4千キロも離れ、ハワイやオーストラリアから至近の距離にあった。
すなわち、日本軍は「長期不敗、自給自足の態勢」を大きく踏み出して、敵地の近くで戦闘を挑み、その結果、戦力のかなりの部分を失って、以後、坂道を転げ落ちるように敗北に向かっていった。
つづく
No.277 つづき
13/03/26 22:56:52
>>276
ミッドウェーでは、米軍は暗号解読と無線交信の分析により、日本軍を待ち構えて撃破したのだが、当初はミッドウェー攻撃はなんら軍事的妥当性を持たないと、予想もしていなかった。
またガダルカナル島には、連合軍は海兵隊1個師団を送るのが精一杯だった。
どちらも日本軍から仕掛けなければ、戦いは起こらなかっただろう。
形勢反転後、連合軍は太平洋の島伝いに侵攻していったが、日本軍が地下要塞を築いて迎え撃つゲリラ戦法には手を焼いた。
今村均将軍は、ラバウルで陸軍将兵7万人による巨大な地下要塞を作り、自給自足の体制を敷いた。
マッカーサーはこの地の攻略を諦め、迂回して侵攻を続けた。
ペリリュー島(現在のパラオ諸島)では、1万1千人の守備隊のほとんどが玉砕したが、地下要塞とゲリラ戦法で米軍の攻勢を2ヶ月半も押しとどめ、戦死傷1万人弱の損害を与えた。
硫黄島でも同様の戦法で、2万余の日本軍が36日間持ちこたえ、米軍に死傷者2万6千人近い大損害を与えた。
これは実質的には敗戦ではないか、という議論が米国内で巻き起こった。
戦争の第二段階で、日本軍がミッドウェーやガダルカナルに討って出るのではなく、太平洋の島々にラバウル並の堅固な防御態勢を築いていれば、連合軍の侵攻もはるかに多大な時間と犠牲を伴うものになったはずである。
そして日本としてはサイパン島を守っていれば、そこからB29が飛び立って、日本本土空襲と原爆投下を行う、という事態も防ぐ事ができた。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.278 つづき
13/03/26 22:59:09
>>277
■5.1945年末まで日本が戦力を温存していたら
1943(昭和18)年8月における連合軍の戦争構想でさえ、ドイツの降伏を1944年10月と仮定しても(実際には、1945年4月)、それから1年以内に日本を降伏させる見込みは全くないとし、対日勝利の目標時期を1948(昭和23)年までとした。
仮に日本が国防圏を守って、1945年末まで戦力を温存していたら、その頃には、ソ連が東ヨーロッパの占領地に鉄をカーテンを降ろし、米ソ冷戦が始まっていた。
アメリカとしてはソ連が東ヨーロッパを囲い込むのを傍観しつつ、あえて何万という多大の犠牲を太平洋の各島で出しながら、日本を降伏に追い込もうとする余裕も必要性もなかったろう。
逆に、無傷の日本とは早々に講和を結び、ソ連と対峙してヨーロッパを守る方が、はるかに合理的な道だったはずである。
また、ソ連にしても、日本の敗戦直前に火事場泥棒のように満洲になだれ込んだが、日本軍が健在だったら、そんな真似はできなかった。
日本が国防圏を維持して、戦力を温存していたら、勝ちはしなくとも不敗のままアメリカとの講和を結ぶ可能性は十分にあった、というのが、ウッド教授の結論である。
続く
No.285 ではスルーで
13/03/26 23:13:45
>>279
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか>>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
No.304 ん
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
★特に >>130
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303