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【実況】ぐるぐるナインティナイン
13/03/26 17:53:24
すごく初歩的な質問ですみませんが教えてください。 日露戦争も満州事変も東亜大戦も、なぜ日本の味方はあまりいなかったのですか? アメリカは中国に武器を流していたのに日本には経済的制裁、どの戦もアメリカやイギリス、ロシアなど白人は日本以外を支援します。それはどうしてですか? 日本には大して良いところはないのになぜ日本が目の敵にされていたのですか? 日本が侵略をしてないとして、なぜ日本に色々と仕掛けてくるのですか? なんだか今の北朝鮮のような扱いを受けてきた印象をもちました。北朝鮮は北朝鮮事態が悪いからと分かっていますが。 教えてください。
13/03/28 18:18:43
>>264 注:現代に当てはめては考えないように。あくまで、その当時のこととして捉えて下さい。 国際派日本人養成講座 平成10年8月8日 ◆国柄探訪:「公」と「私」と ■1.「公」と「私」■ 小林よしのりの「戦争論」(幻冬社)が発売早々、20万部と売 れている。 読みやすい漫画ながら、大東亜戦争における「公」と「私」という大変重いテーマを取り上げた大作で、読者にも一読をお勧めする。 「私」とは自分や家族のため、「公」とは国家公共のため。 一度戦争になれば、国民は「私」の部分を犠牲にして「公」につくさねばならない。 さもないと、国民すべての「私」もなくなってしまう。 明治日本が南下するロシアに対峙した時がまさしく、そういう状況であった。 当時の日本人が、この問題にどう対処したのか、その赤裸々な声が「山桜集」という歌集となって残っている。 今回は、これらの声を通じて「公」と「私」の問題について、考えてみよう。 ■2.近づく怪雲■ ロシアが全満洲を占領したのは、1900年10月。 その過程で、7月には黒竜江東岸ブラゴウェシチェンスクにおいて、シナ人3千人を駆り立て、黒竜江に突き落として虐殺するという「黒竜江上の悲劇」を引き起こした。 ロシアが満洲、朝鮮と南下すれば、虐殺されたシナ人の運命は、明日の我が身かも知れない。 当時、第一高等学校の記念寮祭歌として作られた「アムール川(黒竜江)の流血や」はその予感を伝える。 アムール川の流血や 氷りて恨み結びけん 二十世紀の東洋は 怪雲空にはこびつつ ロシアは1903年、韓国領の竜岩浦(鴨緑江河口)を軍事占領し、要塞化を進めた。 こうして「怪雲」の予感は、着々と現実のものとなっていった。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
13/03/28 18:22:21
>>298 ■3.決死の宣戦布告■ 明治37年(1905年)、5ヶ月の対ロ交渉で、ロシアの侵略 意図をとどめる事ができず、我が国はついに宣戦布告を行った。 もとよりロシアは世界の大国、勝てるという見込みの立たないままの 決断であった。 時の総理、伊藤博文は次のように語っている。 若(も)し不幸にして戦(たたかい)利あらず、韓半島露軍(ロシア軍)の奄有(えんゆう、占領)するところとなり、旅順及び浦塩斯徳(ウラジオストック)の艦隊、我が海軍を撃破し、我が海洋を制圧するに至らば、余は自ら銃剣を挈(ひっさ)げて卒伍 (一兵卒)に投じ、敵兵をして一歩だに我が領土を踏まざらしむべし いざとなれば、自ら一兵卒になって祖国防衛の第一線に立つ、というのである。 負ければ、他のすべてのアジア、アフリカ諸国と同様、植民地として隷従しなければならない。 この危機感は明治天皇から国民までが共有したものであった。 事乃一蹉跌を生ぜば(失敗するような事があれば)、朕何をもってか祖宗(御祖先の歴代天皇方)に謝し(お詫び申し上げ)、臣民に対するを得んと、忽(たちま)ち涙潸潸(さんさん)として下る。 明治天皇は、もしそのような事があれば、皇室の祖先と国民に対してお詫びのしようもない、と涙を流された。 天皇は日露戦争中の御心労で食事も極端に進まず、それが原因となって8年後に肝臓の病で崩御されるのである。 続く
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130 ★特に >>130 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282 国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303
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No.264 匿名
13/03/26 17:53:24
すごく初歩的な質問ですみませんが教えてください。
日露戦争も満州事変も東亜大戦も、なぜ日本の味方はあまりいなかったのですか?
アメリカは中国に武器を流していたのに日本には経済的制裁、どの戦もアメリカやイギリス、ロシアなど白人は日本以外を支援します。それはどうしてですか?
日本には大して良いところはないのになぜ日本が目の敵にされていたのですか?
日本が侵略をしてないとして、なぜ日本に色々と仕掛けてくるのですか?
なんだか今の北朝鮮のような扱いを受けてきた印象をもちました。北朝鮮は北朝鮮事態が悪いからと分かっていますが。
教えてください。
No.298 答えにはならないかもけど
13/03/28 18:18:43
>>264
注:現代に当てはめては考えないように。あくまで、その当時のこととして捉えて下さい。
国際派日本人養成講座
平成10年8月8日
◆国柄探訪:「公」と「私」と
■1.「公」と「私」■
小林よしのりの「戦争論」(幻冬社)が発売早々、20万部と売 れている。
読みやすい漫画ながら、大東亜戦争における「公」と「私」という大変重いテーマを取り上げた大作で、読者にも一読をお勧めする。
「私」とは自分や家族のため、「公」とは国家公共のため。
一度戦争になれば、国民は「私」の部分を犠牲にして「公」につくさねばならない。
さもないと、国民すべての「私」もなくなってしまう。
明治日本が南下するロシアに対峙した時がまさしく、そういう状況であった。
当時の日本人が、この問題にどう対処したのか、その赤裸々な声が「山桜集」という歌集となって残っている。
今回は、これらの声を通じて「公」と「私」の問題について、考えてみよう。
■2.近づく怪雲■
ロシアが全満洲を占領したのは、1900年10月。
その過程で、7月には黒竜江東岸ブラゴウェシチェンスクにおいて、シナ人3千人を駆り立て、黒竜江に突き落として虐殺するという「黒竜江上の悲劇」を引き起こした。
ロシアが満洲、朝鮮と南下すれば、虐殺されたシナ人の運命は、明日の我が身かも知れない。
当時、第一高等学校の記念寮祭歌として作られた「アムール川(黒竜江)の流血や」はその予感を伝える。
アムール川の流血や
氷りて恨み結びけん
二十世紀の東洋は
怪雲空にはこびつつ
ロシアは1903年、韓国領の竜岩浦(鴨緑江河口)を軍事占領し、要塞化を進めた。
こうして「怪雲」の予感は、着々と現実のものとなっていった。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.299 続き
13/03/28 18:22:21
>>298
■3.決死の宣戦布告■
明治37年(1905年)、5ヶ月の対ロ交渉で、ロシアの侵略 意図をとどめる事ができず、我が国はついに宣戦布告を行った。
もとよりロシアは世界の大国、勝てるという見込みの立たないままの 決断であった。
時の総理、伊藤博文は次のように語っている。
若(も)し不幸にして戦(たたかい)利あらず、韓半島露軍(ロシア軍)の奄有(えんゆう、占領)するところとなり、旅順及び浦塩斯徳(ウラジオストック)の艦隊、我が海軍を撃破し、我が海洋を制圧するに至らば、余は自ら銃剣を挈(ひっさ)げて卒伍 (一兵卒)に投じ、敵兵をして一歩だに我が領土を踏まざらしむべし
いざとなれば、自ら一兵卒になって祖国防衛の第一線に立つ、というのである。
負ければ、他のすべてのアジア、アフリカ諸国と同様、植民地として隷従しなければならない。
この危機感は明治天皇から国民までが共有したものであった。
事乃一蹉跌を生ぜば(失敗するような事があれば)、朕何をもってか祖宗(御祖先の歴代天皇方)に謝し(お詫び申し上げ)、臣民に対するを得んと、忽(たちま)ち涙潸潸(さんさん)として下る。
明治天皇は、もしそのような事があれば、皇室の祖先と国民に対してお詫びのしようもない、と涙を流された。
天皇は日露戦争中の御心労で食事も極端に進まず、それが原因となって8年後に肝臓の病で崩御されるのである。
続く
No.304 ん
13/03/28 21:46:05
国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
★特に >>130
「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282
国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303