特攻隊、貴重映像 へのコメント(No.129

  • No.128 つづき

    13/03/23 22:28:48

    >>127
    ■6.「又明日命があったらお目にかゝりませう」

     戦力増強のため、各学校は6ヶ月繰り上げ卒業となり、清水さんは昭和19年9月30日、東京女子医専を卒業した。
    __________

     一日の休みもなく10月1日から千葉医大(現、千葉大医学部)の医局員となり、まだ22歳と5日しかない娘医者ながら精一杯頑張りの生活に入りました。

    男性医師は次々と招集され、我々新米医は文字通り病院中を走り廻り、また寸暇をみては本を開きました。

     明日死ぬかもしれない。

    折角医者になったのだから今のうちに少しでも勉強しておこうと思ったからです。・・・

     一日の仕事を終えて家路に着くのは大抵8時頃になりました。

    真っ暗な夜道を友人達と腕を組み、女学校で習ったロマンチックな歌を口ずさみながら駅へと急ぎました。

    当時は燃料も乏しくなり、バスは運行停止、30分の道のりをすき腹を抱え、それでも元気一杯スタスタと歩きました。

     友と別れる時、「又明日命があったらお目にかゝりませう」がさよならの挨拶でした。

    今夜の空襲で死ぬかもしれないからです。

    既に死への覚悟は出来てゐました。

    国に殉ずるのに何のためらひもなかったのです。

     灯火管制下の真っ暗な人通りのない夜道を、若い娘が一人で歩いてゐても痴漢など全く出ませんでした。

    国家の為、真剣に生きる日本国民に一人として遊んで居る者や悪事を働く者は居りませんでした。

     互いに励まし合い扶け合い、誠に美しくよき時代でありました。

    豊かになり平和になった現代の方が、どれだけ人の心の荒んでゐることでせうか。

     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    つづく

  • No.129 つづき

    13/03/23 22:33:21

    >>128
    ■7.「日本中が声もなく、しーんと静まり返り」

     そして、運命の昭和20年8月15日が巡ってくる。
    __________

     必勝の信念を持ち、信州不滅を信じながらも一億玉砕を覚悟、眦(まなじり)を決していた私達でした。

    昭和20年8月15日正午に、天皇陛下の初めての玉音放送があるといふので、家中を清めてラヂオの前に端座しました。

    きっと全国民最後の一人となる迄戦ひ抜けとのお励ましのお言葉を頂戴するものと信じてゐましたのに、無条件降伏とは...。

     こみ上げる嗚咽を抑えることが出来ませんでした。

    日本中が声もなく、しーんと静まり返り、全ての努力が水泡に帰してしまった空しさに、虚脱状態に陥りました。

    ひとり忙しいのは蝉しぐればかり、あの時ばかりは蝉が羨ましうございました。

     駅のホームでも立っている人は一人もありませんでした。

    皆一様に黙りこくってしゃがみ込んで居ました。

    翌日は皇居前広場に馳せ参じ、土下座して大泣きしました。

    力の及ばなかった事を陛下にお詫びし、陛下の御前で共に泣きたかったのです。

     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    アメリカは懐柔政策に出るでせう。

    子供達はアメリカの都合のよい様に教育されるでせう。

    我々はよほどしっかりしなければなりません。

    これからが本当の日米の戦いですよ。

    と、心ある人々は異口同音に言っていたという。
    __________

     アメリカは占領政策に成功しました。

    日本は伝来の大和魂を引き抜かれた愚劣な人間の集団となり、自らの国を口汚く罵る非国民のうようよ居る国になり下がりました。

    それ故に国歌国旗も否定する愛国心喪失の国柄は、外国から侮辱されても反発さえ出来ない情けない国となりました。

     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    つづく

コメント

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返信コメント

  • No.130 つづき

    13/03/23 22:37:50

    >>129
    ■8.「日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いた」

     しかし清水さんは自らの青春時代を後悔したり、反省したりはしない。
    __________

     私の青春は確かに華やかではありませんでした。

    然し一生のうちで最も生命力の旺盛な時期に、全身全霊を国と学問にぶつけたという事、安穏の世には得難い魂の燃焼であったと思います。

     敗戦という千載一遇の体験は誠に貴重な試練であり、戦時中に培はれた不撓不屈の精神に依り、極度の貧困も、「国と運命を共にした光栄ある貧乏」と胸を張り、明るく清く乗り越える事が出来ました。

     日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いたといふ自負心、まさに「我が青春に悔なし」であります。

     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     齢70歳となった現在の清水さんのせめてもの願いは

    「昔の日本のように祝日には何処の家にも日の丸が翻り、君が代が津々浦々に谺(こだま)する美しく健全な姿に立ち還る」ことだという。

    (文責:伊勢雅臣)


    コピペ完


    これが正解ではありません。でも、こういう「気持ち」を持った人が私たちの先人にいた、ということです。今の私たちには全てを理解するのは難しい。でも、この気持ちを全否定することは間違いでもあります。

  • No.139 よく読んで

    13/03/24 09:57:32

    >>132
    国際派日本人教育講座より>>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130

    特に>>130

    戦争に反対することと、日本を卑下することは全く別の視点。混同してはいけない。日本人が日本という国を国旗や国歌を蔑ろにするのは、戦争に反対することとは別の話でしょう?きちんと理解しよう。

  • No.175 はい

    13/03/24 16:03:35

    国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130

    ★特に >>130

    戦争に反対することと、日本を卑下することは全く別の視点。混同してはいけない。日本人が日本という国を国旗や国歌を蔑ろにするのは、戦争に反対することとは別の話でしょう?きちんと理解しよう。


    http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=1728138
    http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2136831&sort=1

  • No.238

    13/03/24 22:04:02

    国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130

    ★特に >>130

    日教組トピ(教科書詳細有り)
    http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=1728138

    保守トピ(長文のみ。読解力と探求心、向上心のある方へ)
    http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2007485

  • No.304

    13/03/28 21:46:05

    国際派日本人教育講座より >>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
    ★特に >>130

    「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか >>274>>275>>276>>277>>278>>280>>281>>282

    国柄探訪:「公」と「私」と(日露戦争)>>298>>299>>300>>301>>302>>303

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