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- 紅城トワ
- 15/10/04 00:11:51
2015年10月からスタートしたNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」のネタバレトピよ
今作は原案(「土佐堀川」)があって、ヒロインあさのモデルとなったのは
女性実業家 広岡浅子
ペンネームは九転十起生(きゅうてんじっきせい)
1849年(嘉永2年)誕生
(山城国京都(現・京都府京都市)油小路通出水の小石川三井家六代当主・三井高益の四女として生まれる)
《9歳のときに父・三井高益死去》
1865年(慶応元年)17歳で広岡信五郎と結婚
1868年(明治元)20歳のときに明治維新
1876年(明治9年)娘・亀子誕生
1878年(明治11年)銀行設立準備の会をはじめる
1884年(明治17年)炭鉱事業に参画
1885年(明治18年)五代友厚死去
1888年(明治21年)加島銀行を設立
《加島屋は近代的な金融企業として大阪の有力な財閥となる》
1896年(明治29年)成瀬仁蔵が「女子教育』出版
成瀬仁蔵が浅子に「女子教育』を渡す
1901年(明治34年)日本女子大学校(日本女子大)設立
1902年(明治35年)大同生命創業
1904年(明治37年)夫・信五郎死去
1904年(明治37年)事業を娘婿に譲って引退
《以後は社会貢献事業に専念する~婦人運動や廃娼運動にも参加して市川房枝や村岡花子との親交もあった》
1919年(大正8年)腎臓炎のため東京・麻布材木町
(現・六本木6丁目)の別邸にて死去・享年69歳
《1937年 加島銀行は昭和恐慌により廃業》
姉・はつのモデルは浅子より2歳上の異母姉・春
高喜の養女として三井家に入家
浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぐ
25歳で死去。
夫・白岡新次郎のモデルは広岡信五郎
大坂の豪商であった加島屋第8代・広岡久右衛門正饒の次男
早くに分家の嫡男として養子に出る
尼崎紡績(後のユニチカ)の初代社長
観世流の謡曲が趣味。「妻によく従う夫」として知られていた
浅子との間に一女、女中ムメ(小藤とも)との間に三女一男が生まれた
>>1 ドラマの前半の大まかなあらすじ
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