- TV・エンタメ
- 愛崎えみる
- 18/09/30 22:06:12
2018年10月からスタートのNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」のネタバレトピなのです
今回のヒロイン・今井(立花)福子は「安藤仁子(まさこ)」がモデルなのです。
安藤仁子はチキンラーメンを発明した日清食品の創業者・安藤百福(ももふく)の奥さん。
仁子についての文献がほとんど無いので福子は「フィクション」の人物とするみたいなのです
●安藤百福の経歴
1910年(明治43年)3月台湾で生まれる
(旧名・呉百福~台湾人)
幼少期に両親が他界、祖父母に育てられる
20歳で図書館の司書になる
1932年 台湾の永楽市場で繊維会社「東洋莫大小(とうようメリヤス)」を設立して日本内地から製品を仕入れて台湾で販売
1933年 大阪市にメリヤス問屋「日東商会」を設立
太平洋戦争開戦後、軍需工場の経営に携わったが、そのために憲兵の拷問を受けることになった
留置生活の影響から深刻な内臓疾患を抱えることになり、後に2度の開腹手術を受けて、空襲がひどくなり終戦まで兵庫に疎開する
1945年 仁子と3度目の結婚。
1946年冬、疎開先から大阪へ戻り、泉北郡大津町(現在の泉大津市)に住んだ
自宅近くにあった軍需工場跡地の払い下げを受け、跡地に置かれていた鉄板を用いた製塩業や漁業を営む
1948年、「中交総社」(後の日清食品)を設立
1948年12月、安藤はGHQに脱税の嫌疑をかけられ巣鴨拘置所に収監 不動産も没収された
釈放後、大阪府池田市の自宅敷地内に小屋を作りインスタントラーメン作りに取り組んだ
仁子が天ぷらを揚げているのを見て「湯熱乾燥法」を発見
1958年 インスタントラーメンは春にはほぼ完了し、貿易会社を通じて試作品をアメリカ合衆国に送ったところ注文が入り、日本で発売する前に日本国外への輸出が行われた。同年夏には「チキンラーメン」という商品名で日本での発売を開始。
社名を「サンシー殖産」から「日清食品」に変更
1966年 視察のために訪れたアメリカで新商品開発のヒントを掴んで「カップヌードル」を開発
日本国籍を取得(帰化…安藤は仁子の姓)
1981年 社長の座を長男の安藤宏寿に譲り、自らは会長に退くが、その2年後の1983年、宏寿が経営方針の相違から社長を退任したため、百福が会長兼任で再び社長に復帰
1985年 次男の宏基が社長に就任し(宏基は現在日清食品ホールディングスCEO)、再び会長専任となった
1987年 食文化の探究のために「麺ロード調査団」を結成して料理研究家の奥村彪生ととも中国全土を巡って300種類を超える麺を食べた
1999年 安藤がチキンラーメンを開発した大阪府池田市にインスタントラーメン発明記念館が建設
2002年頃から宇宙食ラーメン「スペース・ラム」の開発に取り組む
2002年6月 代表取締役会長を退任
2007年1月 急性心筋梗塞のため大阪府池田市で死去。享年96歳
●安藤仁子の経歴
1917年(大正6年)福島県二本松市に生まれる
姉二人(晃江、澪子)がいる
女学校卒業後、大阪に移住して財政界が集まる大阪クラブで受付となる…そこで百福と知り合う
1945年 百福と結婚。(その時2人の台湾人と結婚している…一夫多妻制)第1夫人を妾、仁子を正妻とした(第2は台湾に帰った)
2010年 他界。享年92歳
第1夫人との息子を引き取ったので長男、仁子との子供を次男、長女となる(第2との子供(2男1女)はカウントしない)
現社長(6代目)は次男の宏基の息子・徳隆
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