• No.4896 結納

    23/07/31 12:53:40

    新手の嫌がらせなの?
    久しぶりに見たら見にくいのなんのって。

  • No.4914 牧師

    23/07/31 17:40:28

    >>4896
    ちら裏もだけどママスタってこういう荒らし野放しだよね
    どんどん狂ったやつらの無法地帯になっていく

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  • No.4915 三三九度

    23/07/31 18:08:34

    >>4914

    らんまん94話19週ネタバレ【田邊がセクハラ疑惑で新聞掲載】

    前話では.

    万太郎(神木隆之介)、寿恵子(浜辺美波)、竹雄(志尊淳)、綾(佐久間由衣)は久しぶりに再会。

    ある日、寿恵子は中尾(小倉久寛)の質屋で見かけた新聞小説の内容に衝撃を受け…。



    らんまん94話19週ネタバレ【田邊がセクハラ疑惑で新聞掲載】
    卑劣な内容の新聞小説に胸騒ぎがした寿恵子(浜辺美波)は、田邊(要潤)の妻・聡子(中田青渚)の元へ向かう。田邊家の周りはやじ馬だらけで、警察が来るほどの騒ぎとなっていた。

    そんななか、駆けつけてくれた寿恵子に、聡子は心から感謝するのだった。そこへ、田邊が帰ってきて…。

    一方の万太郎(神木隆之介)は、高知の山で植物採集の真っ最中。ある日、山奥で虎鉄(寺田心)という少年と出会い、彼の案内で珍しい植物を発見する。

    出典:朝ドラ考察


  • No.4916 結納

    23/07/31 19:34:30

    >>4914
    朝ドラ『らんまん』のモデル・牧野富太郎が語る、妻との結婚生活とは?

    借金地獄を乗り越え、研究を支えた妻
    学術文庫&選書メチエ編集部
    プロフィール
    大量の新種の植物を命名し、「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎は、破天荒な人生を送ったことでも有名だ。朝ドラ『らんまん』では、神木隆之介さんが富太郎を、その妻・寿恵子を浜辺美波さんが演じている。二人はどんな結婚生活を送ったのか、実際に富太郎が語った文章から引用しよう(講談社学術文庫『牧野富太郎自叙伝』に一部改行を加えた)。


    富太郎と寿衛子が結ばれるまで
    私が今は亡き妻の寿衛子と結婚したのは、明治二十三年頃――私がまだ二十七、八歳の青年の頃でした。寿衛子の父は彦根藩主井伊家の臣で小沢一政といい、陸軍の営繕部に勤務していた。東京飯田町の皇典講究所にのちになったところがその邸宅で、表は飯田町通り、裏はお壕の土堤でその広い間をブッ通して占めていた。


    母は京都出身の者で寿衛子はその末の娘であった。寿衛子の娘の頃は裕福であったため踊りを習ったり、唄のお稽古をしたり、非常に派手な生活をしていたが、父が亡くなった後、その邸宅も売りその財産も失くしたので、その未亡人は数人の子供を引き連れて活計のため飯田町で小さな菓子屋を営んでいたのです。

    青年のころ私は本郷の大学へ行く時その店の前を始終通りながらその娘を見染め、そこで人を介して遂に嫁に貰ったわけです。仲人は石版印刷屋の親爺――というと可笑しく聞えるけれど、私は当時大学で研究してはいたが何も大学へ就職しようとは思っていず、一年か二年この東京の大学で勉強したらすぐまた土佐へ帰って独力で植物の研究に従事しようと思っており、自分で植物図譜を作る必要上この印刷屋で石版刷の稽古をしていた時だったので、これを幸いと早速そこの主人に仲人をたのんだのです。まあ恋女房という格ですネ。

    出典:現代メディア

  • No.4922 ケーキ入刀

    23/08/01 07:10:25

    >>4914

    朝ドラ『らんまん』のモデル・牧野富太郎が語る、妻との結婚生活とは?
    借金地獄を乗り越え、研究を支えた妻 (2)

    結婚早々に持ち上がる就職と家計の問題
    当時私は麹町三番町にあった同郷出身の若藤宗則という人の家の二階を間借していたのだが、こうして恋女房を得たのだから早速そこを引き揚げて根岸の御院殿跡にあった村岡という人の離れ屋を借り、ここで夫婦差し向いの愛の巣を営んだ。そうして私にはまだ多少の財産が残っていたので始終大学へ行って植物の研究をしていたが、翌二十四年ごろからはその若干の私の財産も残り少なになってしまったのです。

    そこで二十四年から二十五年にかけて家政整理のために一たん帰郷したが、私が土佐へ帰っている間に、当時の東大植物学教授の矢田部良吉博士が突然罷職になり、間もなく大学から私のもとへ手紙が来て君を大学へ入れるから来いといって来たのです。しかし私は只今家政整理中ゆえ、それが終り次第上京するからと返事しておいたが、翌二十六年一月に長女の園子が東京で病死したので急遽上京し、そのついでに大学に聴き合せたところ君の位置はそのままあけてあるから何時でも入れというので、私ははじめて大学の助手を拝命、月給十五円の俸給生活者になった訳です。

    生活破綻者・富太郎の借金地獄
    ところで私の宅ではそれから殆ど毎年のように次ぎ次ぎと子どもが生れる。月給は十五円でとてもやりきれぬし、そうむやみに他人が金を貸してくれる訳もなく、ついやむなく高利貸から借金をしたが、これが僅か二、三年の間に忽ち二千円を突破してしまったのです。

    そこで同郷の土方寧博士や田中光顕伯が大変心配して下さって借金整理に当たることになり、田中伯の斡旋で三菱の岩崎が乗り出してくれてともかく二千円の借金を綺麗に払って下さったのです。それから土方博士が当時の浜尾東大総長に私を紹介してくれ、そこで浜尾総長が非常に心配して下され、総長の好意で私が『大日本植物志』の編纂に従事することになった。

    つまりただの助手では俸給が決まっていてなかなか上るものではないが、こういう特別の仕事をすれば私の収入もふやすことが出来よう、という浜尾総長の御厚意からであったが、この私の大事業に対して当時の植物学の主任教授松村博士がどういう訳かいろいろな妨害をされた。のち故あってせっかくの『大日本植物志』も第四集のまま中止することとなったのです。

    従ってまた私の収入はビタ一文もふえなくなってしまったので、そこで私は生活上止むを得ず、私の苦心して採集した標本の一部を学校へ売ってみたり、書物を書いたりして生活上の赤字はどうしても私の腕で補ってゆかねばならなかったのです。

    出典:現代メディア

  • No.5015 三三九度

    23/08/02 09:21:11

    >>4914
    そーらがーはれーたらー♪
    愛を愛をー伝えて~♪

  • No.5456 ハネムーン

    23/08/19 14:40:40

    >>4914

    『らんまん』モデル牧野富太郎博士と妻・壽衛 結婚生活とは?
    借金取りの対応まで・・・博士の生活を支えた壽衛さん (1)

    朝ドラ『らんまん』の第83回。寿恵子(浜辺美波)が家計の心配をする場面がありました。

    主人公のモデルとなった牧野富太郎博士は植物の研究に多くのお金をつぎ込みました。
    その生活を支えていたのは妻・壽衛さんでした。
    牧野夫妻の結婚生活に迫ります。
    (高知放送局 ディレクター 篠塚茉莉花)

    心もとない「生活のお金」
    ドラマでは私生活も研究も一見、順風満帆な万太郎。寿恵子と結婚し、初めての子どもを授かる一方、石版印刷機を購入して念願の「日本植物志図譜」を出版しました。

    その裏で深刻になっていたのは、お金の問題です。
    結婚の際に生家に渡された「千円」という大金を使い果たし、それでも足りない分を、寿恵子がドレスをこっそり質に入れたり内職をしたりして、工面していたのです。

    植物の研究にかかる費用も含めた家計を懸命に支える寿恵子。第83回でついに・・・

    「生活のお金、内職じゃ心もとなくて」
    「万ちゃんが何か植物学のお仕事につけたらいいのにね」

    不安をこぼしました。

    壽衛さんはどんな人?
    主人公のモデルとなった牧野博士も植物の研究に莫大な費用をつぎ込んでいました。
    その生活を支えたのが、妻の壽衛さんです。


    壽衛さんは、1873年(明治6年)、元彦根藩士の小澤一政の次女として東京飯田町に生まれました。
    子どもの頃は家が裕福で、踊りや唄を習うなど豊かな暮らしをしていたといいます。
    しかし、陸軍に勤めていた父が亡くなった後は財産を失い、東京で母とともに小さな菓子屋を営んで生計を立てていました。

    牧野博士が壽衛さんと出会ったのはその菓子屋でした。大学に通うときに店の前を通っていて、壽衛さんを見初めたのです。
    博士は石版印刷の修行中だったため、印刷屋の主人に仲人を頼み、1888年(明治21年)、ふたりは所帯をもちました。
    牧野博士は26歳、壽衛さんは15歳でした。


    研究まみれで子だくさん
    生活苦の日々
    ふたりでの生活を始めた牧野博士と壽衛さん。その生活は楽なものではありませんでした。
    博士の使う研究費は膨大で、援助してくれていた佐川の生家はやがて破綻。
    それにもかかわらず、大量の標本や本を保管するため、家賃が給料より高い家を借りていたといいます。

    さらに・・・。

    「私の宅ではそれから殆ど毎年のように次ぎ次ぎと子どもが生れる」
    牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)

    牧野夫妻の間には子どもが13人生まれました。

    牧野家の家族写真
    画像提供 高知県立牧野植物園
    博士は友人から「百円の金を十円に使った」と言われるほど金銭に無頓着だったようです。
    苦しい生活の中で家計のやりくりなどの一切を担ったのが壽衛さんでした。

    「この苦境にあって、十三人もの子供にひもじい思いをさせないで、とにかく学者の子として育て上げることは全く並大抵の苦労ではなかったろうと、今でも思い出す度に可哀そうな気がする」
    牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)


    出典:NHK高知放送局

  • No.7109 ハネムーン

    23/09/29 15:55:04

    >>4892 >>4896 >>4890 >>4886 >>4914 >>4917
    >>4920 >>4924 >>4946 >>4944 >>5010 >>5024
    >>5022 >>5082 >>5077 >>5131 >>5114 >>5111
    >>5161 >>5183 >>5185 >>5263

    <らんまん>「万ちゃん。“らんまん”ですね」 夫婦でタイトル回収 「史上最高に泣ける」「ずっと涙の15分」

    神木隆之介さんが主演するNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」(総合、月~土曜午前8時ほか)の最終回が9月29日に放送され、万太郎(神木さん)と寿恵子(浜辺美波さん)の長年の夢だった「植物図鑑」がついに完成し、“万寿恵”夫婦のやりとりが視聴者の感動を呼んだ。


     最終回では、春、竹雄(志尊淳さん)と綾(佐久間由衣さん)が、新酒を持って槙野家にやってくる。綾と竹雄の酒を味わいながら、家族で楽しい時間を過ごした。そして、植物図鑑の最後のページに「スエコザサ」を加え、3206種を載せた図鑑が完成した。

     完成した図鑑を見た寿恵子は「万ちゃん。こんなにたくさんの草花……。3206種……。万ちゃん。“らんまん”ですね」と言い、万太郎も「らんまんじゃ」と笑顔で返す。

     最後のページに掲載された“スエコザサ”を見た寿恵子は「万ちゃんと永久に一緒にいられるんですね」と涙を流しながら喜ぶ。万太郎は「わしを信じてくれて、ありがとう。寿恵ちゃんはいつじゃち、わしを照らしてくれた。寿恵ちゃんが、わしの命そのものじゃ」と感謝の思いを伝える。

     寿恵子は「万ちゃんこそ、私の、お日様でした」と言うと、「でも約束ね。私がいなくなったら、いつまでも泣いてちゃダメですからね。草花に、また会いに行ってね。そしたら、私もそこにいますから。草花と一緒に。私もそこで待ってますから」と自分の気持ちを振り絞った。

     万太郎は寿恵子を抱きしめ「愛しちゅう、愛しちゅう……。寿恵ちゃん、わしら、ずっと一緒じゃ」と涙し、寿恵子はうなずき、万太郎の思いを受け止めた。

     その後、植物採集へと出かけた万太郎は、森の中で、「オオキツネノカミソリ」を見つける。すると、「万太郎さん。この子はだーれ? ねえ、日本中の植物。本当にこれで全部かしら?」と寿恵子の声が聞こえてくる。万太郎は「確かめに行かんと。寿恵ちゃん、草花が待ちゆうき」と返す。

     そして「博士、これは何ですか?」という子供の声に反応した万太郎。「おまん、誰じゃ!?」と笑顔を見せるシーンで、半年間の物語を締めくくった。

     SNSでは「史上最高に泣けるタイトル回収」「最初から最後まで素晴らしかった!」「感無量、ずっと涙の15分」「愛情と希望に満ちたドラマでした」「胸がいっぱいでうまい言葉がみつからん」と感極まるコメントであふれかえっていた。

    出典:MANTANWEB

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