- なんでも
- 真愛
- KDDI-SA31
- 05/08/01 13:54:19
自分の話、友人の話、ネットで見掛けた話…なんでもいいので、泣ける話や感動する話を書いて行って下さい★
- 2 いいね
Pickup
自分の話、友人の話、ネットで見掛けた話…なんでもいいので、泣ける話や感動する話を書いて行って下さい★
利用ルール・禁止事項をご確認ください
誹謗中傷、個人情報、プライバシーを侵害する投稿は禁止しています。
また誹謗中傷においては、法改正により投稿者の情報開示について簡易な裁判手続きが導入されております。
画像表示ON・OFF
300
りぃさんのお話のタコが笑いのツボにはいってしまいました。不謹慎でごめんなさい
お母さんごめんね。
いつも迷惑ばかりかけていました。
母が病院で必死に病気と戦っていたのに、私は、毎日の病院通いに疲れそんな母をうとましく思ってしまった。後悔ばかりが残っています。
息を引き取る3日前、病室で、私を涙を流しながら無言で抱き締めてくれました。私は何も言えなかったよ。
母がこの世を去ってから、数日後、母の遺品に、1冊のメモ帳がありました。『抗癌剤苦しい』『家に帰りたい』などが書かれていました。そしてメモ帳は、ちょうど真ん中あたりで終わっていて、そのページに『○○チャン←(私の名前)ありがとう』と走り書きで書かれていました。なんだか張り詰めていたものが爆発したかのように涙がとまりませんでした。
四年たった現在、私も母になりました。今も何か辛いことがあったり、悩んでいる時、そのメモ帳をみて母に勇気をもらっています。お母さん、私をみていてくださいね。貴女のような強い母になってみせます。
私事で長々失礼しました。読んでくれてありがとう。
あげます
みんなも読んで
本当に感動しました今年、大切ないとこを亡くしました。とても悲しくてしかたないです命の大切さが分かりました
ボロ泣き(T_T)
鼻赤くなってしまった…
あげます
私が中1の時に飼った白くて黒ぶちの猫。最初はすっごく威嚇されたけど抱っこしたくて何回も引っ掻かれた。
ゲンって名付けて5日目位でやっと懐いてきた。学校の帰り道に毎日ゲンは迎えに来てくれた。チャリが恐かったみたいですっ飛んで逃げてたね。夜遅く帰ると玄関で待っててくれて足に噛み付いてきたね。超痛かったなぁ。カニカマボコ持ってたら2階にいても外にいてもすっ飛んで奪いに来た。母ちゃんが子猫貰ってきてその子猫がピンチの時は守ってあげてたし私を呼びに来てたね。
寝る時は誰かの布団に器用にお尻だけ入ってた。魚嫌いで父ちゃんのつまみのタコ食べた日から父ちゃんがご飯食べてる時は離れなかった。
高校卒業して私が引っ越して4ヵ月後位に帰ったらゲンが行方不明になってるって聞かされた。どこかで迷子になったとばっかり思ってた。心配だったけど、悲しくはなかったよ。
半年位たってゲンの存在を知らない知り合いが『白くて黒ぶちの猫飼ってましたか?お父さんの後ろについてますよ。車にひかれたみたいですね』って言われて泣けた。今は見た目はゲンにそっくりだけど超おパカな猫飼ってます(*^_^*)
げ
げ
泣けたよ(T_T)
げます
ごめん。タコにうけてしまった…ロムっていくと話の終わりからよむからタコが一体なんなのか分からなくて海のタコなのかと…
りんサンの話、ウルった(>_<)
父の癌が再発し、二度目の入院をすることになった時、もう医師から余命は半年ということ、癌は末期なので治療はしないということが宣告されていた。祖母は息子の病気と現実を受け入れられず、一度しか病室を訪れる事は無かった。ただ一度、病室に入った時は父の危篤の知らせを受けた時だけ。意識を無くし、苦しむ父に、祖母は子守歌を歌い続けました。小さな頃に大好きだった歌を。そのまま父は天国へいきました。お母さんの歌を聞きながら。 13年前の話です。
今、親になり、その時の祖母の気持ちを考えると涙が止まりません。
げ
あげ
感動m(__)m明日からもっとまわりの人を大事にします。気付かせてくれてありがとう・・
去年のだけど、最初から読んだら主さんの話に泣けました…
不謹慎だけど、りぃさんの話に吹き出してしまい、旦那がビックリして起きてしまった…
いいお話なんだけど、タコがあのタコだと思って読んでたらツボにはまってしまいました(>_<)
父親から家族会議と言われ県外から帰省した時、そこで自ら癌が見つかり入院すると言った。私はその時、県外の短大の2年。傍に居ない分手術をすれば治るって簡単に思ってた…大手術のあと仕事復帰した事で安心しきってた…時々検査入院って言っては入院してたけど、学校出てすぐそのまま県外で就職してしまい忙しくて様子を見に帰ることも余りなかった。そんなある日、母から週末必ず帰るよう言われ実家に帰って検査入院していた父のもとに行ったら、体格のよかった父が急激にガリガリになり殆ど口もきけなくなっていた。ただただ私の名前を呼んでは笑ってた…その時初めて母親から初めの手術の時点で手の付けようがなかった事、あと少ししか時間がないことを聞かされた。私がパパッ子だから心配かけたくないし学校や仕事辞めるって言いだすからって黙ってた、頑張ってる姿がうれしいと言ってたと…それから数ヵ月後、危篤と連絡があり帰省。すぐに意識は取り戻したけど急変する可能性が高いと医師から言われ、仕事に戻る勇気がなく無理矢理休みを貰ってずっと病院に泊まった。それから数日父は静かに亡くなった。父の病気を受け入れることが出来ず仕事を理由にお見舞いにも余り行ってなかった、父の夢も叶えてあげることが出来なかった。後悔でいっぱい…未だお仏壇の前に座れません…
お父さんごめんね…お父さんが亡くなって六年。毎日孫を見て喜んでくれてるのかなぁ?ジージって写真見て言ってるの聞こえてる?せめて孫抱いてから旅立ってほしかった…あと一年長生き出来たらよかったのに…
タコライスうまぁ
まで読んだ。
海のタコみたいで感情移入できない…
あげ
まとめて欲しいな。これじゃ作文?事後報告みたい。
次の日…彼氏とタケシと友達で昨日の病院に行った。
アタシは仕事でどうしても行けなかった。
でも…タコの最期は見たかった。
最期のお別れの時にタケシ笑ってた。
『さっきタコが動いたんだよ?生きてるんだよ。こいつ寝てるだけだから…。』
その笑顔が痛くて涙が出てきた。
『コイツ前から抱っこしても力入れないから前と変わらないんだよ…。ふざけてるんだよ。なぁ?タコ?』
みんな泣いていた…。
寮が大好きだったタコの為に寮全部が見える高台の木の下に埋めた。
みんな線香なんか持ってなくてタケシの部屋でよく使っていたお香に火をつけた。
タコが1番安心するように…。
その2日後…モゥも車の下で痙攣をおこして嘔吐してそのまま目を覚まさなかった。
タコと同じ症状。
モゥは寂しがり屋で人見知りだから…寂しくないようにタコの隣りに埋めた。
守れる小さな命をもうこれ以上…見たくなかった。
タケシの希望で犯人捜しはしなかった。
犯人が見つかっても憎くて感情を抑えられず恨むからって。
寮って事もあって飼ってるのがバレたらマズイからオオゴトにもできなかった。
タコあなたが教えてくれた…。
小さな命で生きたいって気持ち。
だから…これからこんな事がないように…ってあれからみんなの気持ちが変わったんだ。
ごめんね…。
タコ…モゥ…。
大好きだったよ。
お酒を飲んで泥酔しているタケシを起こし…事情を説明した。
1番近い病院で2時間かかる事。
タコの体力がもつかわからない事。
『…わかった…。行く!!タコぉ…タコぉ。』
そう言ってタケシはタコを探した。
足をふらつかせながら準備をして…高速で2時間かけて病院へ行った。
タコの入院の手続きをして…彼氏がした。タケシはお酒のせいで眠っていた。
いつもは温厚な彼氏がタケシを殴った。
やり場のない怒りで
『誰だよ!?タコにあんな事した奴!!』
ブチギレて起きた。
タケシの精神状態は誰が見てもおかしかった。
とりあえずタコはすぐ処置してもらってウチらは帰った。
家に着くと5時を回っていた。
『明日タコのお見舞い行きたい。』
『そうだね…。行こう?』
頭をナデてくれた時彼氏の携帯が鳴った。
嫌な予感はしたケド…彼氏は顔色一つ変えないで電話を切った。
やっぱり病院からだった。
『急変してタコちゃんは今亡くなりました。明日来て頂けませんか?』
ってものだった。
突然の別れ。
悲しすぎるよ…。
タコ…?
ウソだよね…?
いつも遊びに来てたじゃん…!!
昨日もウチに来てたのに…。
声を出して泣いた。
誰も答えなかった…。
泣くのを必死で我慢していたアタシを彼氏はそっと頭をナデてくれた。
タコは普段から普通の猫と違うしいつも走り回る猫じゃないからいつものマイペースだと思ってたんだって後になって聞かされた。
タケシが気付いた時には…小さい体をもっと小さくうずくまって嘔吐と震えを繰り返していた…タケシは必死で病院を探したケド見つからず…どうしていいかわからず自分が壊れてしまいそうで大量のお酒を飲んだらしい。
小さい体で苦しむタコは本当に可哀想だった。
時々ビクビクって痙攣を起こし引きつった顔をする…。
『原因は何…?』
『…きっと、症状からすると何かの毒だよ。車に使う液体で甘い匂いがするから動物が間違えて飲んでしまうんだ…。』
『あっ!!前に…エサ箱にソレ入ってました。エサに混ぜてヒタヒタに入ってたから、俺洗ってまた新しいエサ入れたケド…。』
彼氏の後輩が思い出したように言った。
ここは…車の専門学校。
車の知識やソレに使う液体の毒素が体内に入るとどうなるかなどは初期に誰もが勉強していた。
なのに…ナゼこんな事に…。
みんな泣くのを堪えて自分自身を責めていた。
『まだ大丈夫。間に合うかもしれないから諦めない!!』
彼氏が言った言葉で涙を堪えた。
いっぱいできた。
タコは…相変わらず可愛い☆
当時は彼氏だった時に風邪を引いてダウンしていると毎日のように大丈夫?って顔出しに来ていた。
1件1件巡回をしていたらしい。
やんちゃで食いしん坊で…とにかく可愛いがってた。
タコと出会って2ヵ月。
外はスッカリ冷たい風が吹く季節だった。
少しずつ街もイルミネーションに彩られる季節。
バイト終わったアタシと彼氏はご飯を食べてると先輩が部屋に来た。
『タコの様子がオカシイんだよ…。ソレでタケシも狂ってて。』
『どういう事!?』
『詳しくはわからないから今から行く。』
『じゃあウチらも行く!!』
タケシの部屋に行くと…お酒を飲んで暴れた後だった。
タケシの腕にはタオルにくるまれてガタガタ震える見た事もないようなタコの姿があった。
先輩がタケシからタコを取り上げ必死で看病した。
アタシと彼氏は…車に行ってカーナビで動物病院を探していろんな病院に電話をした。
12時をまわろうとしていた。
電話なんかとってもらえるトコはなかった…。
でも諦めなかった。
タコが好きだから…。
パソコンを持ってる後輩の家に行くと5人くらい集まっていた。
みんなで手分けして…やっと1件見てくれる病院を見つけた。
でもソコは…高速をつかっても2時間はかかる場所。
タコの体力がもつかが心配だった。
『みんなどうして…こんなにタコを好きって言ってるのに…タコをほっといたの!?どうしてもっと早く病院連れてってあげなかったの?』
『…。』
初めて会ったのは…今の旦那と出会って間もなくの時。
冬の気配を感じる季節。
当時まだ彼氏でもなかった旦那の部屋でみんなで飲み会をしていた。
その中の一人の男の人が3匹の猫を連れてきた☆
『まだ生れたばっかりなんだぁ♪この2匹に名前がないからつけてやって?』
白黒の牛のような柄の猫とミルクティーのようなキレイな茶色の猫。
『じゃあ…こっちは牛みたいだからモゥね☆んでこっちはミルクティーみたいだからティだぁ(^∪^*)』
『いいじゃぁぁん☆』
そんな感じで決めた名前だった。
『あれ?この猫は?可愛い~!!この子ちょうだい?☆』
さっきの2匹より少し大きい白と灰色が混ざった不思議な色のお姉サン猫。まだまだ小さい子猫だけど。
『コイツはダメなんだぁ…あげられないよ…。オレの猫じゃないし(^_^)タケシって先輩の猫だから名前はタコって言うんだよ♪』
『タコ?猫なのに!?笑。オモシロイ名前!本当可愛い☆』
タコは不思議な猫だった。
猫っぽくない猫。
猫のクセに運動音痴で高いトコから降りられなくて、マイペースで愛想よくて…常にポッーとしてる子…。
他の猫とは違って人懐っこい性格のタコは学校の寮のアパートでみんなに可愛いがられてた☆
今の旦那と付き合い出してアタシも寮で同棲するようになって…寮の友達もい
げ↑↑↑
うわぁ!!昔に私が立てたトピだぁ!!!懐かしい…(*´∇`) 皆さんたくさんのレスありがとう♪ 過去レス見てこよ~★
泣きあげっ!!
全部読んで、涙涙です。目が痛いυ
これやばいね。読んでたら半年前に亡くなった母のこと思い出し涙止まらなくなったよ。人の死はネットの中でも辛く悲しいね。
あげー
家の母が中学時代に買っていた黒ラブなんですが、元々のら犬でして母の父の現場に良く現れていて、現場が最後の日『今日で最後なんだ。明日からはもう来ないから誰か違う人にえさもらえよ』と言い、車に乗ったらその黒ラブも乗り込んで来てそのまま連れて帰って飼っていたそうなんです。しかし母の父が亡くなり、母の母は蒸発…母の姉が母親代わりの為、東京へ働きに出るのを機に母も家を出なくてはならず、犬は連れて行けない状況に…。母にとっては姉妹みたいなもんだったらしくどうしても連れて行きたいという願いも虚しく犬は近所の叔母さんが連れてきた保健所の人に殺されました。毒の入ったえさを目の前に、母は絶対食べちゃダメと言い続けたそうです。犬は最後、母の事を見つめ『ワォ~ン』と一泣きしてから食べ亡くなりました。そんな事があり母はいつか黒ラブを飼い、その犬ではない事は百も承知でしたが、母は償いたいという気持ちから今は黒ラブを大切に飼っています。可愛がりすぎて体重37㎏あります(笑)何かまとまりない文章ですみませんm(_ _)m
あげ
&#x{11:F99A};
私の母は6年前に亡くなりました。私が14才、母が33才の1月。皮膚癌でした。最初に病院に行った時には、もう手遅れだったそうです。もっと早くに行ってれば助かってたかもしれないけど、うちは貧乏でお金がありませんでした。最初のうちは入院はせず家に居ました。ある日、私は母と買い物に行きました。その帰り薄暗い道を歩きながら母が「本当に死ぬのかな…」と少し笑いながら言いました。私は、何も言えませんでした。それから何ヵ月か後に母は入院しました。母が入院すると家の事が大変だからと父の実家に引っ越す事になりました。そこは離島でした。引っ越す前日に皆でお見舞いに行きました。全然病気って感じがしなくて元気な母でした。私が「寂しくない?」と聞くと寂しそうな笑顔で「うん」と一言。そして引っ越して4日後。病院から電話がきました。もう危ないと。次の日、皆で船に乗り病院に行きました。病室の扉を開けた瞬間、私は涙が出そうになりトイレに逃げました。あんなに元気だった母。ぽっちゃり体型だったのに痩せて骨と皮みたい。自分で咳も出来ないぐらい弱ってました。癌は脳までいってて私達の事も分からないぐらい。一番下の妹は当時3才。母の為にビーズで作った腕輪を母の細くなった腕に付けてあげてました。その直後、母は息を引き取りました。妹は何が起こってるのか理解できず皆が泣いているのを見て泣き真似してました。今でも忘れません。私も今は1児の母。母の有り難みがよく分かりました。何度も母が居てくれたら…って思いました。母の分も長く生きたい。かなりの長文ごめんなさい。
号泣し過ぎて鼻水が止まりません‥
家族や旦那これから産まれてくる赤チャンを今よりも、もっと大切にしようと思いました(;_;)
小5の時に亡くなったおばあちゃん、もうスグ曾孫が産まれるよ。天国で見守っていて下さい。
あと少しで赤ちゃん産まれてくるの分かってて旦那さん何故ジサツなんてしたんだろう。私がさちさんの立場だったら、旦那に対して怒りしか出ないと思う。これから大変なの分かっててジサツするなんて酷すぎる。
私は親が面倒な事全部残して(私に押し付けて)ジサツしてるから、ジサツする人は自分勝手で無責任なイメージしかない。さちさんはジサツした旦那さんに怒りはなかった?
生まれも育ちも貧しくて、不運が続いて自殺しようかと思った矢先、金持ちだったじいちゃんと知り合ったんだって。
ばあちゃんはそれまでの生活が一変、優雅な生活。
でも戦争が激しくなって東京大空襲でじいちゃんが亡くなると、じいちゃんの先妻さんの子どもたち(七人、全員成人)と自分の子どもを抱えて凄い苦労したらしい。
贅沢に慣れた成人した子どもたちはじいちゃんの遺産を食いつぶし、ばあちゃんを余所者扱い。お金がなくなるとばあちゃんにたかり、つい最近までばあちゃんは年金から彼らに仕送りしてた。
父から聞いたら、ばあちゃんは凄い美人で働き者だったらしく再婚の話しもいくつもあったんだって。
私が「なんで再婚しなかったの」、て聞いたら「一瞬でもじいちゃんにいい生活させてもらったから。あんなに人に大切に扱われた事なかった。幸せの意味を今も教えてくれるような人を裏切れないから」と笑顔で話してくれた。
そんな夫婦になりたいと思った。
感動②しまくって涙止まりません(>_<)明日は目が腫れる事間違いなしです。
・゚・(ノД`)・゚・。あげ
私が小学生の時に飼い始めたヨークシャーのしず。私が大学生になった日も、就職した日も、そして結婚式の日もしっぽを振って見送ってくれました。
でもその時しずは15歳…人間でいえば100歳近くのおばあちゃんになっていて、足はヨタヨタ・目もほとんど見えてませんでした。しっぽの振りも若かった頃の振りではなく弱々しかったけど、私には「頑張れよ!」のエールに見えました。
その結婚式の日からちょうど1ヶ月後の夜中、しずは天国に旅立ちました。実母は泣きながら「あんたが無事嫁に行くのを確認したんやわ」と電話をくれました。
しずちゃん、私は頑張ってるよ。娘は私以上に犬好きだから、私と娘を見守ってね。
私達夫婦はあと1ヵ月後に生まれてくる娘がカワイクて仕方ありませんでした!主人なんていつもお腹を見てはニヤケて…でもとある日の夜ヤケに私にひっついては「よく顔を見せて」とか「お腹なでていい?」とか甘えてきて、私は珍しいなぁとしか思いませんでした。寝る前に「●●チャン(私の名前)頑張ってね」と一言。私はこれから育児などで大変だろうから言ってくれたんだなと思った。朝普通に仕事に送りだした。昼間、主人実家から主人が自ら命をたったと聞かれた。私は何が起こったのかわからない。でも1番近くにいた私が主人の異変に気付くべきだった。ごめんね……
今でもまだばあちゃんが隣にいてくれてるって信じてるよ…最後にばあちゃんの焼かれた骨を見て泣いちゃったよ。また来世でもばあちゃんの孫でいさせてほしいな。それと私の赤ちゃん産まれていたら抱かせてあげたかった…それをずっと悔やんでる。ばあちゃん天国で見守っていてね
去年の九月に肝臓癌でこの世を去ってからもう半年が経ちますね…C型肝炎をずっと患っていて肝硬変になりやがて肝臓癌になってしまい食べるものも制限され会う度に頬がこけていましたね…自分の病気が私たちにうつらないようにしている姿を見ると切なくなった…家も近くて親と喧嘩した時私のことをかばってくれた優しいばあちゃん。余命半年と聞いた時はもうどうしていいか分からなくなった。もうばあちゃんと話すことが出来ないと思うと切なかった。脳死と断定されていても一生懸命自力で呼吸をしていたばあちゃんを見て涙が止まらなかった…私には手や足をさすることしか出来ずごめんね。そして私たちが一時帰宅をし寝ていたら午前二時過ぎばあちゃんが息を引き取ったと連絡があり急いで駆け付けたらまだほのかに温かいばあちゃんがいました。ばあちゃんの亡骸を車に乗せ病院から家に戻り皆でばあちゃんの思い出話してたっけ…
げる