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13/03/24 14:55:52
>>153 社会の教科書は教科出版でした。
返信
13/03/24 14:21:25
>>145南京大虐殺の件、貼りました。ネットですが根拠は文章等です。ネットの全てが間違いではないですよ?根拠がはっきりしているものは、ネットであれマスコミであれ信じるに足ると思いますが?情報の収拾をする際に、基礎知識を持たないといけないのは確かですけどね。
1件
13/03/24 14:17:13
>>151 >それは今でもそういう教科書なのかな? この疑問は、お子さんが小さい故に出る疑問だと思いました。
13/03/24 13:43:27
こちらもお時間ある方、よかったら観てください。 http://m.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4
13/03/24 13:36:14
>>144子供が小さいとか関係ある?きっかけの問題では?
13/03/24 13:35:48
良かったら聴いてください インドで歌われる日本兵の歌 http://m.youtube.com/watch?v=__7fG0aqJDk
13/03/24 13:18:12
>>145 間違った歴史だったのかな? 間違った歴史なら今日本が存在しているのはなぜだろう。 こんな小さな島国だけど良いところ沢山あります。 日本が自国を守る事がいきがっているの?
2件
13/03/24 13:14:48
>>146 自虐史観を信じてる人を責めたり滑稽だと見てはいけない。 自虐史観をそれだけ学ばされたことが敗戦国の教育だった。 これが(自虐史観を信じてる人が沢山いること)今日本の問題だよね。 日本人はきちんとした真実を皆で勉強し直さないとならない。 知っている人はきっかけがあっただけ。 それだけ敗戦国の真実は情報源が少ない。 知っている人は知らない人を見下さずに、日本人同士本当の歴史の情報を提供し合おうよ。
4件
13/03/24 13:07:55
>>145 本屋でそういう系の本が何冊かあったから読んだだけ。それが正しいとは思ってないよ。 だから何が真実か知りたいって書いたの。 戦争してはいけないって事は正しい。 でも自虐史観の植え付けは、日本が戦争した事がいけないと反省させられたんだよ。 あの戦争をしなかったら今の日本はどうなっていたのかな。 日本だって戦争をしたかったわけじゃなかった。 同じ「戦争反対」でも意味が違う。
13/03/24 13:06:04
>>145戦争反対は論点が違うって、理解できませんか?論点のすり替えをしてしまう意見は端から見ると滑稽です。正しい歴史認証をした上で、そこに至る(戦争反対)成熟した思考を持ちましょう。日本人であり大人ならね。
13/03/24 12:59:43
>>143 無かった説は誰から聞いた情報?まさか、ネットでなんて言わないよね。武器を持たない、戦争放棄、大いに結構じゃない。どんな大義名分があっても、戦争なんて二度とすべきじゃない。間違った歴史を繰り返さない為にも、自虐説大いに結構じゃない。こんな小さな島国がいくらいきがったって、どうにもならないんだから。アメリカや諸外国と仲良くしてかなきゃ。
13/03/24 12:49:44
>>143まだ小さいのかな?参考トピ http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=1728138 http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2136831&sort=1
13/03/24 12:43:20
アメリカを正当化する為の内容になってずっと自虐史観を子供たちは学んでいって… それは今でもそういう教科書なのかな? 敗戦した日本から武器を排除したアメリカは本当に日本を守ってくれるのか。 南京問題も学校の教科書には載っていたけど、無かった説を知った時はショックだった。 何が真実なのかきちんとした歴史を教育してもらいたい。 原爆投下は暴れる日本を沈めるためにやむを得なかったと学校で習った。原爆、東京大空襲なども、全くの民間人を大量虐殺した事には変わりないのに日本が悪だとされアメリカは正当化されている。 大人になってから、間違った歴史を習っていた事を知りショックでした。 日本は本当にアジア諸国を侵略していたのか、アジア諸国を独立し守る為に戦っていたのか。 真珠湾攻撃の真相は?? 何が真実なのかを知らないと特攻隊の人たちがどんな気持ちで亡くなったのか、なぜそうなったのかって感想や意見はだいぶ違うよね。 真実をちゃんと知りたいよね。 でもそれを教育の場であまりできないのは外交問題に発展するからなのかな。 日本人はおとなしすぎるのかな。
3件
13/03/24 12:36:24
祖父が特攻隊でした。 出撃する直前に、終戦になったので生きて帰ってこられたそうです。 17、8歳位の若者が、もっと勉強がしたかった…と、出撃する前日まで勉強をしていたそうです。 祖父から、よくこの話を聞いていて、今は好きなだけ勉強できるんだから、しっかり勉強しろと言われてたんだけど、あまり勉強しなかった自分に、大人になってから後悔してます。
13/03/24 11:34:26
>>82 うちの父方の祖父も飛ぶ前に終戦になったそうです。 父から聞いた話ですが、誰も悪くないのに、祖父は町の皆から酷い仕打ちを受けて家に引きこもって酒浸りだったそうです。なので祖母が朝から晩まで働いてたそうです。 祖母は祖父が帰ってきてくれたのが本当は嬉しいはずなのに、そんな態度を見せたら町にいられないって言ってたそうです。 私が物心ついてた時は、すでに祖父は脳梗塞を患い、ずっと座っていてあまり話さないイメージがありました。 父からその話を聞いた時にはすでに他界してたので、今になってもう少し話を聞いておけば良かった、もう少し感謝する気持ちを持っておけば良かったと思いました。
13/03/24 11:34:13
戦争するか植民地になるか。 インディアンの純血の方はもういないんですって。植民地になっていたら、日本もそうなっていたのかもね。
13/03/24 09:57:32
>>132 国際派日本人教育講座より>>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130 特に>>130 戦争に反対することと、日本を卑下することは全く別の視点。混同してはいけない。日本人が日本という国を国旗や国歌を蔑ろにするのは、戦争に反対することとは別の話でしょう?きちんと理解しよう。
13/03/24 09:39:44
>>137さんありがとうございます。 今みてきました。 言葉に出来ないですね、、 怖いです。
13/03/24 08:52:23
特攻にも色々種類がある。飛行機「桜花」、人間魚雷「回天」=魚雷を操縦して敵艦に体当たりする、「震洋」=ベニヤ板製のモーターボート、「海龍」「蚊龍」=小型潜水艇、いずれも爆雷を搭載して自爆する。これらに並び「伏龍」が「究極の特攻兵器」と言われるのは、生身の人間が爆雷を抱えて敵艦に自爆攻撃を加えるという、ひたすら玉砕を目的にした戦法…(コピペ) 伏龍は実際には行われなかったようだけど。 イラスト見たらホント生身で驚いた‥。
13/03/24 08:48:23
>>132 あんだって?主さんは色々学びたいんだよ。 最初からみた?何で右翼関係者になるの…。
13/03/24 08:01:01
>>130おはようございます。 ありがとうございました! すごく勉強になりました。 色々思ったことがあるんですが 上手く言葉でまとめる事が出来なくて、、 ただ、もっともっと知りたいと思いました。
13/03/24 07:55:16
>>132なぜ右翼?
13/03/24 07:44:21
>>132 おはよー、おばかちゃん。 右翼って言葉の意味を理解してますかー?
13/03/24 07:41:10
トピ主と「つづき」を書いてる人達は、右翼関係者ですか?
13/03/23 22:54:20
自虐史観を授業で習った世代だけど、日本だけでなくどの国も戦争はいけない、大事な人の命が失われるのが一番良くない事だって学校の先生は言ってた。 でも戦争に行った祖父から話は聞きましたし、大人になってから真珠湾攻撃の真実が新聞に載りそこから調べていき違う事実を知りましたよ。 私の祖父は戦争で人を殺したと言っていました。 でも自分も撃たないと撃たれるって。 日本が悪い、アメリカが悪いとかじゃなく戦争するのはどちらも悪いって言ってた。 自分も人を撃った、その人たちにも大切な守る物や大切な家族がいる、どっちも悪いんだ。って言ってたな。
13/03/23 22:37:50
>>129 ■8.「日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いた」 しかし清水さんは自らの青春時代を後悔したり、反省したりはしない。 __________ 私の青春は確かに華やかではありませんでした。 然し一生のうちで最も生命力の旺盛な時期に、全身全霊を国と学問にぶつけたという事、安穏の世には得難い魂の燃焼であったと思います。 敗戦という千載一遇の体験は誠に貴重な試練であり、戦時中に培はれた不撓不屈の精神に依り、極度の貧困も、「国と運命を共にした光栄ある貧乏」と胸を張り、明るく清く乗り越える事が出来ました。 日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いたといふ自負心、まさに「我が青春に悔なし」であります。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 齢70歳となった現在の清水さんのせめてもの願いは 「昔の日本のように祝日には何処の家にも日の丸が翻り、君が代が津々浦々に谺(こだま)する美しく健全な姿に立ち還る」ことだという。 (文責:伊勢雅臣) コピペ完 これが正解ではありません。でも、こういう「気持ち」を持った人が私たちの先人にいた、ということです。今の私たちには全てを理解するのは難しい。でも、この気持ちを全否定することは間違いでもあります。
5件
13/03/23 22:33:21
>>128 ■7.「日本中が声もなく、しーんと静まり返り」 そして、運命の昭和20年8月15日が巡ってくる。 __________ 必勝の信念を持ち、信州不滅を信じながらも一億玉砕を覚悟、眦(まなじり)を決していた私達でした。 昭和20年8月15日正午に、天皇陛下の初めての玉音放送があるといふので、家中を清めてラヂオの前に端座しました。 きっと全国民最後の一人となる迄戦ひ抜けとのお励ましのお言葉を頂戴するものと信じてゐましたのに、無条件降伏とは...。 こみ上げる嗚咽を抑えることが出来ませんでした。 日本中が声もなく、しーんと静まり返り、全ての努力が水泡に帰してしまった空しさに、虚脱状態に陥りました。 ひとり忙しいのは蝉しぐればかり、あの時ばかりは蝉が羨ましうございました。 駅のホームでも立っている人は一人もありませんでした。 皆一様に黙りこくってしゃがみ込んで居ました。 翌日は皇居前広場に馳せ参じ、土下座して大泣きしました。 力の及ばなかった事を陛下にお詫びし、陛下の御前で共に泣きたかったのです。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ アメリカは懐柔政策に出るでせう。 子供達はアメリカの都合のよい様に教育されるでせう。 我々はよほどしっかりしなければなりません。 これからが本当の日米の戦いですよ。 と、心ある人々は異口同音に言っていたという。 __________ アメリカは占領政策に成功しました。 日本は伝来の大和魂を引き抜かれた愚劣な人間の集団となり、自らの国を口汚く罵る非国民のうようよ居る国になり下がりました。 それ故に国歌国旗も否定する愛国心喪失の国柄は、外国から侮辱されても反発さえ出来ない情けない国となりました。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ つづく
13/03/23 22:28:48
>>127 ■6.「又明日命があったらお目にかゝりませう」 戦力増強のため、各学校は6ヶ月繰り上げ卒業となり、清水さんは昭和19年9月30日、東京女子医専を卒業した。 __________ 一日の休みもなく10月1日から千葉医大(現、千葉大医学部)の医局員となり、まだ22歳と5日しかない娘医者ながら精一杯頑張りの生活に入りました。 男性医師は次々と招集され、我々新米医は文字通り病院中を走り廻り、また寸暇をみては本を開きました。 明日死ぬかもしれない。 折角医者になったのだから今のうちに少しでも勉強しておこうと思ったからです。・・・ 一日の仕事を終えて家路に着くのは大抵8時頃になりました。 真っ暗な夜道を友人達と腕を組み、女学校で習ったロマンチックな歌を口ずさみながら駅へと急ぎました。 当時は燃料も乏しくなり、バスは運行停止、30分の道のりをすき腹を抱え、それでも元気一杯スタスタと歩きました。 友と別れる時、「又明日命があったらお目にかゝりませう」がさよならの挨拶でした。 今夜の空襲で死ぬかもしれないからです。 既に死への覚悟は出来てゐました。 国に殉ずるのに何のためらひもなかったのです。 灯火管制下の真っ暗な人通りのない夜道を、若い娘が一人で歩いてゐても痴漢など全く出ませんでした。 国家の為、真剣に生きる日本国民に一人として遊んで居る者や悪事を働く者は居りませんでした。 互いに励まし合い扶け合い、誠に美しくよき時代でありました。 豊かになり平和になった現代の方が、どれだけ人の心の荒んでゐることでせうか。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ つづく
13/03/23 22:26:03
>>125 ■5.一女子学生の戦い その涙から、国民一人一人が、祖国の生き残りのために自分の持ち場で国民としての義務を果たそうと立ち上がった。 女子学生であった清水公子さんもその一人だった。 __________ 私達は直接戦力とはなりませんが少しでも実力をつけ様と、学期間の休暇には各病院の各科に見学に行きました。 また当時、貧困家庭への医療救済公的制度がありませんでしたので、気の毒なこれ等の人々を救うべく、夏休みを利用して周辺小学校を借り受け「無料診療所」を開設致しました。 女子医専独特の年中行事でした。 学生達は二交替で休暇の半分を返上して医局員に協力、貧しさ故に医療を受けられない人々に愛の手を差し延べ、同時に自分達の勉強ともなりました。 日曜日には皇居前広場へ「もっこ担ぎ」に参りました。 学校の名誉にかけてもと重い土運びに掛け声を掛けながら頑張りました。 今の皇居前広場は当時の学生が汗を流して作ったのです。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ しかし、戦局は次第に劣勢となり、空襲が始まった。 家の前に防火用水槽を作り、町会でたびたびバケツリレーなどの消化練習を行うが、敵は無数の爆弾を雨霰(あられ)と落とすので、逃げるのに精一杯だった。 __________ 文字通り火の海の中を逃げ惑う民衆の上に、これでもかこれでもかと追い打ちをかけ、更に石油を撒くのです。 阿鼻叫喚、すさまじい地獄絵さながら、悲惨さこの上もありません。 石一つ投げられない無抵抗な女・子供・老人達に対し、敵は皆殺しを図ったのです。 連日のあくなき無差別爆撃(軍事施設と民家の別なく)に多くの国民が命を落とし、傷つき、家を失い、みるみる焼け野原と化していきました。 この様にされても国民は挫けませんでした。 何回も空襲に遭い無一物になりながら、「何もかも無くなり、さっぱりしたよ」と、誠に意気軒昂でありました。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ つづく
13/03/23 22:25:03
>>120 どういたしまして。 私はまだ読んでいませんが、神立尚紀さんの「特攻の真意」という本が出ています。わたしは神立さんのブログも見ています。 特攻の真意については角田一男さんの「修羅の翼」にも少し出てきたような… 特攻を拒否し続けた美濃部少佐率いる芙蓉部隊というのもありました。
13/03/23 22:21:07
>>123 「隠忍久しきに弥(わた)りたるも」、このままでは、日本の存立も危うくなるとして、ついに自存自衛のために立ち上がったことを述べている。 清水さんの言う「隠忍自重の末、戦争に踏み切らざるを得なかった日本、積年の憤懣の爆発」とは、まさにこの詔勅の思いそのままを述べている。 ■4.「宣戦の詔勅を拝して、泣かぬものがあったろうか」 昭和16年12月8日、多くの国民が、この開戦の詔勅をラジオで聞き、涙を流した。 何人もの作家、学者がその日の思いを記している。 __________ 火野葦平(作家) 私はラヂオの前で涙ぐんで、しばらく動くことができなかった。 この感動は私ひとりではあるまい。 全国民が一様に受けた感銘であろう。 宣戦の詔勅を拝して、泣かぬものがあったろうか。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ __________ 坂口安吾(作家) 僕はラヂオのある床屋を探した。 やがて、ニュースが有る筈である。 客は僕ひとり。 頬ひげをあたっていると、大詔の捧読、つづいて、東條首相の講話があった。 涙が流れた。 言葉のいらない時が来た。 必要ならば、僕の命も捧げねばならない、一兵たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ __________ 清水幾多郎(社会学者) 宣戦の大詔を拝して、私は凡(すべ)ての国民と同じように涙を禁ずることが出来なかった。 日本がアメリカに勝つためには、日本の思想がアメリカの思想に勝たねばならぬ。 ・・・私はこの仕事のために微力を儘(つく)すことを最高の義務と考えている。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 祖国が万邦共栄を求めながらも、ついに自存自衛をかけて、米英という世界最強国に戦いを挑まざるを得なくなった。「豈(あに)朕が志ならんや」との昭和天皇の悲痛なお言葉に、国民は涙したのである。 つづく
13/03/23 22:16:36
今井雅之さんの特攻隊の話の舞台、涙がとまらなくなりました。 凄いリアルで、その世界にいるような感じ
13/03/23 22:15:26
>>121 ■2.「豈(あに)朕が志(こころざし)ならんや」 「開戦の詔勅」は、こうした当時の日本国民の憤懣を表現したものだと言える。 詔勅では、まず世界各国との友好・共栄関係を築くことが我が国の基本方針であるのに、今や米英との戦争に入らざるを得なかった事を述べている。 __________ ・・・而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤くし、万邦共栄の楽 (たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)帝国が常に国交の要義と為す所なり。 今や不幸にして米英両国と釁端( きんたん)を開くに至る。 洵(まこと)に已(や)むを得ざるもの あり。 豈(あに)朕が志(こころざし)ならんや。 (現代語訳) ・・・そして各国との交流を盛んにし、万国と共栄の楽しみをともにすることは、日本の外交の基本方針とするところである。 今や不幸にして米英両国と戦端を開くことにいたった。 まことに、やむをえない事態である。どうして、これが私(昭和天皇)の志であろうか。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 「豈(あに)朕が志(こころざし)ならんや」という一節に、昭和天皇の「万邦共栄の志を遂げられなかった」という深い痛惜の念がが込められている。 これほど悲痛な開戦宣言が歴史上、あっただろうか。 ■3.「隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも」 続けて、詔勅は我が国がやむなく立ち上がった理由として、米英が経済封鎖により、日本を屈服させようと強硬な姿勢をとり続けたことを述べている。 __________ 朕は政府をして事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も 交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷 延(せんえん)せしめて、此(こ)の間、却(かえ)って益々経済上、軍事上の脅威を増大し、以って我を屈従せしめんとす。 現代語訳 私は政府をして、事態を平和裡に解決させようと、長い間、隠忍したのだが、米英は少しも譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を先延ばしにし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大させ、それによって我が国を屈服させようとしている。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ つづく
13/03/23 22:14:30
>>118 ごめんなさい。亡くなった方までを否定してるのかなと勝手に思って。 私が色々戦争を知って思ったのは、本当に貴重な日本人達を失ったなって。 戦争は失うものが多すぎる。人と人の殺し合いは悲しみや憎しみしか生まれない。どの国も戦争はするべきではないと思ってる。
13/03/23 22:11:42
No.677 若き日の大東亜戦争 2010/12/05 08:00 「日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いた」と女子医学生だった清水公子さんは語る。 ■1.「いよいよやったね。しっかり頑張ろうね」 大正11年生まれの女医・清水公子さんは、65年前の大東亜戦争開戦の日を次のように思い起こす。 __________ 昭和16年12月8日、開戦の詔勅と真珠湾攻撃の大戦果を知ったのは、私が東京女子医専(現女子医大)に入学して2年目のことでした。 喚声をあげながら朝食の為、寄宿舎の地下食堂へ急ぎました。 途中、顔を合わせた級友達と、「いよいよやったね。しっかり頑張ろうね」と固く手を握り合ひました。・・・ 張り切るとはかういう事を言ふのでせうか。 私達は前にも増して勉学に励みました。 男性達は続々と戦場に召されるであらう、銃後を護るのは我々女性である、一日も早く役に立つ医者にならなくては、との自覚がもりもりと湧き上がって来るのでした。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 「いよいよやったね」とは、アメリカが経済封鎖によって日本を追い詰めていったことに、国民全体が積年の憤懣(ふんまん)を抱いていたからである。 たとえば石油輸出禁止など、日本経済の息の根を止めるようなルーズベルト大統領の対日政策に対しては、共和党の下院リーダーであったハミルトン・フィッシュ議員も、「日本を開戦に追込んだ責任がルーズベルトにある」と述べている。 この点を清水さんは次のように記している。 __________ 開戦の詔勅に縷々(るる)述べられてある様に、長年の日米間のわだかまりは、度々の日本からの平和裡解決の為の特使派遣にも拘わらず、頑迷冷酷なアメリカの傲慢な態度に、遂に堪忍袋の緒を切らざるを得なかったのです。 隠忍自重の末、戦争に踏み切らざるを得なかった日本、積年の憤懣の爆発は日本民族を奮ひ立たせ、人々はワシントン迄攻め落とせといきり立ってゐました。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 今日でも尖閣諸島で衝突事件を引き起こした中国が、さらにレア・メタルの輸出制限までして日本に理不尽な圧力をかけた事で日本国民を憤激させたが、その何十倍もの圧力を何年にもわたって米国から受けていた事を想像すれば、当時の国民の「積年の憤懣」が多少なりとも想像できよう。 つづく
13/03/23 22:10:06
>>117 張ってくれてありがとう。衝撃。めちゃくちゃ自虐史をすりこまれ、反戦教育されてきたけど愛国心に目覚めて勉強中でしたので自分でも調べてみます。
13/03/23 22:06:22
>>114 似てる気持ちだよ。
13/03/23 22:05:06
>>116 戦死した人を否定してないよ。 私の祖父や祖母のきょうだいは皆戦死してるし。 アジアのために戦わなくてはならなかった日本の時代背景はあっただろうけれど、私はただ命をかけて戦争するのは本来なら人間として本当は間違いだと思ってるだけ。 そうせざるを得なかった時代なんだろうけど… 自虐史観のくだりは知ってる。 なのになぜそう自虐史観なのかと指摘うけるか聞いただけです。 したくなかった戦争なのはわかってました。 だから私が思ってたのは、欧米諸国もアジアも世界が命かけて戦争するは間違いだと言う考えね。理想になっちゃうけど。 でもそう考えることが戦争のない世界を作ることかなと思ってるだけ。
13/03/23 21:59:46
>>116 続き 大西瀧治郎氏の特攻の真意。ほんの一部 『一日も早く講和を結ばなければならぬ。マリアナを失った今日、敵はすでにサイパン、成都にいつでも内地を爆撃して帰れる大型爆撃機を配している。動ける今のうちに講和しなければ大変なことになる。しかし、ガダルカナル以来、押され通しで、まだ一度も敵の反抗を喰い止めたことがない。このまま講和したのでは、いかにも情けない。一度で良いから敵をこのレイテから追い落とし、それを機会に講和に入りたい。 敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができるだろう。七、三とは敵に七分味方に三分である。。 万一敵を本土に迎えるようなことになった場合、アメリカは敵に回して恐ろしい国である。歴史に見るインデアンやハワイ民族のように、指揮系統は寸断され、闘魂のある者は次々各個撃破され、残る者は女子供と、意気地の無い男だけとなり、日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう。このためにも特攻を行ってでもフィリッピンを最後の戦場にしなければならない。 では、果たしてこの特攻によって、レイテより敵を追い落とすことができるであろうか。 これは、九分九厘成功の見込みはない、これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが二つある。 一つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。 二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである。 陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられたならば、いかなる陸軍でも、青年将校でも、随わざるを得まい。日本民族を救う道がほかにあるであろうか。戦況は明日にでも講和をしたいところまで来ているのである。」
13/03/23 21:49:33
>>103 間違いとかは戦後なんとでも言えるよね。戦争がいけない事、特攻はしてはいけないと思うのは、確か。だけど、戦争をしなければいけない状況だった、特攻をしてまでも少しでも有利に講和をしたかった大西瀧治郎氏の真意をご存知? 特攻を否定するのは勝手だが、戦争で死んで行った方たちまでをも否定するのはやめてほしい。まずは知って。 最初に特攻をしたのは、昭和19年10月25日。フィリピンのレイテ湾に栗田艦隊を突入させる為に 一時的に敵の空母を使えなくする為に、敷島隊が突入した。あまりにも戦果がよかったので、そのまま特攻という手段がとられるようになった。
13/03/23 21:45:19
>>110私も勉強して、子供達に質問されたら曖昧な言葉じゃなく、ちゃんと教えたいし、日本がどれだけ素晴らしい国か教えたいです。
13/03/23 21:41:57
>>106さん庇うと思います。 でも咄嗟の判断と、決意?してとは違うと思います。 守りたい気持ちはありますが。
13/03/23 21:36:55
世界が語る神風特別攻撃隊 カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか って本買ったのにまだ読めてない。早く読みたくなった。
13/03/23 21:35:29
したくてした戦争じゃないしね。
13/03/23 21:35:15
与謝野晶子の弟の詩を思い出した。胸が苦しい。どんな気持ちで親は見送ったんだろう。彼らには感謝の念や日本人の凄さを感じる。でもそれ以上に悲しい。
13/03/23 21:23:36
泣いた。お母さんに宛てた手紙で、もう…。特攻隊が良い悪いとか関係なく彼らにはただただ感謝と尊敬の念を抱きます。私は愛国心強い方だし靖国も毎年参拝してるけど、二度と日本人が特攻隊のような戦い方をしないようにと願っています。彼らが命をかけて守ろうとした日本と日本人としての誇りを絶対に守らなくちゃいけない。親としてしっかりと、日本人に産まれて良かったということ、素晴らしい先人が命をかけて国を守ったこと、日本だけじゃなくアジアのために戦ったことを子どもに伝えていきたい。
13/03/23 21:20:42
>>102 今更な人もいれば、自虐史観が何かすら判らない人もいるでしょ
13/03/23 21:20:34
>>107 可哀想としか思えない。 凄いとか感謝するとか思えない。 ただ可哀想。
13/03/23 21:18:02
鹿児島の知覧特攻会館に特攻隊の人のパネルが壁一面に飾ってあって中には格好いい人もいた。 でも皆命懸けで特攻隊になって二十歳そこらで死んで行ったと思うと可哀相過ぎて涙出て来ます。
13/03/23 21:18:01
>>104 でもさ主さんも我が子が誰かに刺されそうになったらとっさにかばうでしょ? 自分だけ逃げる?
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上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.155 新四年生です
13/03/24 14:55:52
>>153
社会の教科書は教科出版でした。
返信
No.154 保守トピに
13/03/24 14:21:25
>>145南京大虐殺の件、貼りました。ネットですが根拠は文章等です。ネットの全てが間違いではないですよ?根拠がはっきりしているものは、ネットであれマスコミであれ信じるに足ると思いますが?情報の収拾をする際に、基礎知識を持たないといけないのは確かですけどね。
返信
1件
No.153 ありますよ
13/03/24 14:17:13
>>151
>それは今でもそういう教科書なのかな?
この疑問は、お子さんが小さい故に出る疑問だと思いました。
返信
1件
No.152 匿名
13/03/24 13:43:27
こちらもお時間ある方、よかったら観てください。
http://m.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4
返信
No.151 匿名
13/03/24 13:36:14
>>144子供が小さいとか関係ある?きっかけの問題では?
返信
1件
No.150 匿名
13/03/24 13:35:48
良かったら聴いてください
インドで歌われる日本兵の歌
http://m.youtube.com/watch?v=__7fG0aqJDk
返信
No.149 本当に
13/03/24 13:18:12
>>145
間違った歴史だったのかな?
間違った歴史なら今日本が存在しているのはなぜだろう。
こんな小さな島国だけど良いところ沢山あります。
日本が自国を守る事がいきがっているの?
返信
2件
No.148 でもさ
13/03/24 13:14:48
>>146
自虐史観を信じてる人を責めたり滑稽だと見てはいけない。
自虐史観をそれだけ学ばされたことが敗戦国の教育だった。
これが(自虐史観を信じてる人が沢山いること)今日本の問題だよね。
日本人はきちんとした真実を皆で勉強し直さないとならない。
知っている人はきっかけがあっただけ。
それだけ敗戦国の真実は情報源が少ない。
知っている人は知らない人を見下さずに、日本人同士本当の歴史の情報を提供し合おうよ。
返信
4件
No.147 説だよ説
13/03/24 13:07:55
>>145
本屋でそういう系の本が何冊かあったから読んだだけ。それが正しいとは思ってないよ。
だから何が真実か知りたいって書いたの。
戦争してはいけないって事は正しい。
でも自虐史観の植え付けは、日本が戦争した事がいけないと反省させられたんだよ。
あの戦争をしなかったら今の日本はどうなっていたのかな。
日本だって戦争をしたかったわけじゃなかった。
同じ「戦争反対」でも意味が違う。
返信
No.146 自虐史観と
13/03/24 13:06:04
>>145戦争反対は論点が違うって、理解できませんか?論点のすり替えをしてしまう意見は端から見ると滑稽です。正しい歴史認証をした上で、そこに至る(戦争反対)成熟した思考を持ちましょう。日本人であり大人ならね。
返信
1件
No.145 匿名
13/03/24 12:59:43
>>143
無かった説は誰から聞いた情報?まさか、ネットでなんて言わないよね。武器を持たない、戦争放棄、大いに結構じゃない。どんな大義名分があっても、戦争なんて二度とすべきじゃない。間違った歴史を繰り返さない為にも、自虐説大いに結構じゃない。こんな小さな島国がいくらいきがったって、どうにもならないんだから。アメリカや諸外国と仲良くしてかなきゃ。
返信
4件
No.144 お子さんが
13/03/24 12:49:44
>>143まだ小さいのかな?参考トピ
http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=1728138
http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2136831&sort=1
返信
1件
No.143 戦後の教育が
13/03/24 12:43:20
アメリカを正当化する為の内容になってずっと自虐史観を子供たちは学んでいって…
それは今でもそういう教科書なのかな?
敗戦した日本から武器を排除したアメリカは本当に日本を守ってくれるのか。
南京問題も学校の教科書には載っていたけど、無かった説を知った時はショックだった。
何が真実なのかきちんとした歴史を教育してもらいたい。
原爆投下は暴れる日本を沈めるためにやむを得なかったと学校で習った。原爆、東京大空襲なども、全くの民間人を大量虐殺した事には変わりないのに日本が悪だとされアメリカは正当化されている。
大人になってから、間違った歴史を習っていた事を知りショックでした。
日本は本当にアジア諸国を侵略していたのか、アジア諸国を独立し守る為に戦っていたのか。
真珠湾攻撃の真相は??
何が真実なのかを知らないと特攻隊の人たちがどんな気持ちで亡くなったのか、なぜそうなったのかって感想や意見はだいぶ違うよね。
真実をちゃんと知りたいよね。
でもそれを教育の場であまりできないのは外交問題に発展するからなのかな。
日本人はおとなしすぎるのかな。
返信
3件
No.142 匿名
13/03/24 12:36:24
祖父が特攻隊でした。
出撃する直前に、終戦になったので生きて帰ってこられたそうです。
17、8歳位の若者が、もっと勉強がしたかった…と、出撃する前日まで勉強をしていたそうです。
祖父から、よくこの話を聞いていて、今は好きなだけ勉強できるんだから、しっかり勉強しろと言われてたんだけど、あまり勉強しなかった自分に、大人になってから後悔してます。
返信
1件
No.141 あ
13/03/24 11:34:26
>>82
うちの父方の祖父も飛ぶ前に終戦になったそうです。
父から聞いた話ですが、誰も悪くないのに、祖父は町の皆から酷い仕打ちを受けて家に引きこもって酒浸りだったそうです。なので祖母が朝から晩まで働いてたそうです。
祖母は祖父が帰ってきてくれたのが本当は嬉しいはずなのに、そんな態度を見せたら町にいられないって言ってたそうです。
私が物心ついてた時は、すでに祖父は脳梗塞を患い、ずっと座っていてあまり話さないイメージがありました。
父からその話を聞いた時にはすでに他界してたので、今になってもう少し話を聞いておけば良かった、もう少し感謝する気持ちを持っておけば良かったと思いました。
返信
No.140 匿名
13/03/24 11:34:13
戦争するか植民地になるか。
インディアンの純血の方はもういないんですって。植民地になっていたら、日本もそうなっていたのかもね。
返信
No.139 よく読んで
13/03/24 09:57:32
>>132
国際派日本人教育講座より>>121>>123>>125>>127>>128>>129>>130
特に>>130
戦争に反対することと、日本を卑下することは全く別の視点。混同してはいけない。日本人が日本という国を国旗や国歌を蔑ろにするのは、戦争に反対することとは別の話でしょう?きちんと理解しよう。
返信
No.138 主 匿名
13/03/24 09:39:44
>>137さんありがとうございます。
今みてきました。
言葉に出来ないですね、、
怖いです。
返信
No.137 匿名
13/03/24 08:52:23
特攻にも色々種類がある。飛行機「桜花」、人間魚雷「回天」=魚雷を操縦して敵艦に体当たりする、「震洋」=ベニヤ板製のモーターボート、「海龍」「蚊龍」=小型潜水艇、いずれも爆雷を搭載して自爆する。これらに並び「伏龍」が「究極の特攻兵器」と言われるのは、生身の人間が爆雷を抱えて敵艦に自爆攻撃を加えるという、ひたすら玉砕を目的にした戦法…(コピペ)
伏龍は実際には行われなかったようだけど。
イラスト見たらホント生身で驚いた‥。
返信
1件
No.136 匿名
13/03/24 08:48:23
>>132
あんだって?主さんは色々学びたいんだよ。
最初からみた?何で右翼関係者になるの…。
返信
No.135 主 匿名
13/03/24 08:01:01
>>130おはようございます。
ありがとうございました!
すごく勉強になりました。
色々思ったことがあるんですが
上手く言葉でまとめる事が出来なくて、、
ただ、もっともっと知りたいと思いました。
返信
No.134 匿名
13/03/24 07:55:16
>>132なぜ右翼?
返信
No.133 匿名
13/03/24 07:44:21
>>132
おはよー、おばかちゃん。
右翼って言葉の意味を理解してますかー?
返信
No.132 匿名
13/03/24 07:41:10
トピ主と「つづき」を書いてる人達は、右翼関係者ですか?
返信
4件
No.131 んっと…
13/03/23 22:54:20
自虐史観を授業で習った世代だけど、日本だけでなくどの国も戦争はいけない、大事な人の命が失われるのが一番良くない事だって学校の先生は言ってた。
でも戦争に行った祖父から話は聞きましたし、大人になってから真珠湾攻撃の真実が新聞に載りそこから調べていき違う事実を知りましたよ。
私の祖父は戦争で人を殺したと言っていました。
でも自分も撃たないと撃たれるって。
日本が悪い、アメリカが悪いとかじゃなく戦争するのはどちらも悪いって言ってた。
自分も人を撃った、その人たちにも大切な守る物や大切な家族がいる、どっちも悪いんだ。って言ってたな。
返信
No.130 つづき
13/03/23 22:37:50
>>129
■8.「日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いた」
しかし清水さんは自らの青春時代を後悔したり、反省したりはしない。
__________
私の青春は確かに華やかではありませんでした。
然し一生のうちで最も生命力の旺盛な時期に、全身全霊を国と学問にぶつけたという事、安穏の世には得難い魂の燃焼であったと思います。
敗戦という千載一遇の体験は誠に貴重な試練であり、戦時中に培はれた不撓不屈の精神に依り、極度の貧困も、「国と運命を共にした光栄ある貧乏」と胸を張り、明るく清く乗り越える事が出来ました。
日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いたといふ自負心、まさに「我が青春に悔なし」であります。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
齢70歳となった現在の清水さんのせめてもの願いは
「昔の日本のように祝日には何処の家にも日の丸が翻り、君が代が津々浦々に谺(こだま)する美しく健全な姿に立ち還る」ことだという。
(文責:伊勢雅臣)
コピペ完
これが正解ではありません。でも、こういう「気持ち」を持った人が私たちの先人にいた、ということです。今の私たちには全てを理解するのは難しい。でも、この気持ちを全否定することは間違いでもあります。
返信
5件
No.129 つづき
13/03/23 22:33:21
>>128
■7.「日本中が声もなく、しーんと静まり返り」
そして、運命の昭和20年8月15日が巡ってくる。
__________
必勝の信念を持ち、信州不滅を信じながらも一億玉砕を覚悟、眦(まなじり)を決していた私達でした。
昭和20年8月15日正午に、天皇陛下の初めての玉音放送があるといふので、家中を清めてラヂオの前に端座しました。
きっと全国民最後の一人となる迄戦ひ抜けとのお励ましのお言葉を頂戴するものと信じてゐましたのに、無条件降伏とは...。
こみ上げる嗚咽を抑えることが出来ませんでした。
日本中が声もなく、しーんと静まり返り、全ての努力が水泡に帰してしまった空しさに、虚脱状態に陥りました。
ひとり忙しいのは蝉しぐればかり、あの時ばかりは蝉が羨ましうございました。
駅のホームでも立っている人は一人もありませんでした。
皆一様に黙りこくってしゃがみ込んで居ました。
翌日は皇居前広場に馳せ参じ、土下座して大泣きしました。
力の及ばなかった事を陛下にお詫びし、陛下の御前で共に泣きたかったのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
アメリカは懐柔政策に出るでせう。
子供達はアメリカの都合のよい様に教育されるでせう。
我々はよほどしっかりしなければなりません。
これからが本当の日米の戦いですよ。
と、心ある人々は異口同音に言っていたという。
__________
アメリカは占領政策に成功しました。
日本は伝来の大和魂を引き抜かれた愚劣な人間の集団となり、自らの国を口汚く罵る非国民のうようよ居る国になり下がりました。
それ故に国歌国旗も否定する愛国心喪失の国柄は、外国から侮辱されても反発さえ出来ない情けない国となりました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つづく
返信
5件
No.128 つづき
13/03/23 22:28:48
>>127
■6.「又明日命があったらお目にかゝりませう」
戦力増強のため、各学校は6ヶ月繰り上げ卒業となり、清水さんは昭和19年9月30日、東京女子医専を卒業した。
__________
一日の休みもなく10月1日から千葉医大(現、千葉大医学部)の医局員となり、まだ22歳と5日しかない娘医者ながら精一杯頑張りの生活に入りました。
男性医師は次々と招集され、我々新米医は文字通り病院中を走り廻り、また寸暇をみては本を開きました。
明日死ぬかもしれない。
折角医者になったのだから今のうちに少しでも勉強しておこうと思ったからです。・・・
一日の仕事を終えて家路に着くのは大抵8時頃になりました。
真っ暗な夜道を友人達と腕を組み、女学校で習ったロマンチックな歌を口ずさみながら駅へと急ぎました。
当時は燃料も乏しくなり、バスは運行停止、30分の道のりをすき腹を抱え、それでも元気一杯スタスタと歩きました。
友と別れる時、「又明日命があったらお目にかゝりませう」がさよならの挨拶でした。
今夜の空襲で死ぬかもしれないからです。
既に死への覚悟は出来てゐました。
国に殉ずるのに何のためらひもなかったのです。
灯火管制下の真っ暗な人通りのない夜道を、若い娘が一人で歩いてゐても痴漢など全く出ませんでした。
国家の為、真剣に生きる日本国民に一人として遊んで居る者や悪事を働く者は居りませんでした。
互いに励まし合い扶け合い、誠に美しくよき時代でありました。
豊かになり平和になった現代の方が、どれだけ人の心の荒んでゐることでせうか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つづく
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No.127 つづき
13/03/23 22:26:03
>>125
■5.一女子学生の戦い
その涙から、国民一人一人が、祖国の生き残りのために自分の持ち場で国民としての義務を果たそうと立ち上がった。
女子学生であった清水公子さんもその一人だった。
__________
私達は直接戦力とはなりませんが少しでも実力をつけ様と、学期間の休暇には各病院の各科に見学に行きました。
また当時、貧困家庭への医療救済公的制度がありませんでしたので、気の毒なこれ等の人々を救うべく、夏休みを利用して周辺小学校を借り受け「無料診療所」を開設致しました。
女子医専独特の年中行事でした。
学生達は二交替で休暇の半分を返上して医局員に協力、貧しさ故に医療を受けられない人々に愛の手を差し延べ、同時に自分達の勉強ともなりました。
日曜日には皇居前広場へ「もっこ担ぎ」に参りました。
学校の名誉にかけてもと重い土運びに掛け声を掛けながら頑張りました。
今の皇居前広場は当時の学生が汗を流して作ったのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
しかし、戦局は次第に劣勢となり、空襲が始まった。
家の前に防火用水槽を作り、町会でたびたびバケツリレーなどの消化練習を行うが、敵は無数の爆弾を雨霰(あられ)と落とすので、逃げるのに精一杯だった。
__________
文字通り火の海の中を逃げ惑う民衆の上に、これでもかこれでもかと追い打ちをかけ、更に石油を撒くのです。
阿鼻叫喚、すさまじい地獄絵さながら、悲惨さこの上もありません。
石一つ投げられない無抵抗な女・子供・老人達に対し、敵は皆殺しを図ったのです。
連日のあくなき無差別爆撃(軍事施設と民家の別なく)に多くの国民が命を落とし、傷つき、家を失い、みるみる焼け野原と化していきました。
この様にされても国民は挫けませんでした。
何回も空襲に遭い無一物になりながら、「何もかも無くなり、さっぱりしたよ」と、誠に意気軒昂でありました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つづく
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5件
No.126 匿名
13/03/23 22:25:03
>>120
どういたしまして。
私はまだ読んでいませんが、神立尚紀さんの「特攻の真意」という本が出ています。わたしは神立さんのブログも見ています。
特攻の真意については角田一男さんの「修羅の翼」にも少し出てきたような…
特攻を拒否し続けた美濃部少佐率いる芙蓉部隊というのもありました。
返信
No.125 つづき
13/03/23 22:21:07
>>123
「隠忍久しきに弥(わた)りたるも」、このままでは、日本の存立も危うくなるとして、ついに自存自衛のために立ち上がったことを述べている。
清水さんの言う「隠忍自重の末、戦争に踏み切らざるを得なかった日本、積年の憤懣の爆発」とは、まさにこの詔勅の思いそのままを述べている。
■4.「宣戦の詔勅を拝して、泣かぬものがあったろうか」
昭和16年12月8日、多くの国民が、この開戦の詔勅をラジオで聞き、涙を流した。
何人もの作家、学者がその日の思いを記している。
__________
火野葦平(作家)
私はラヂオの前で涙ぐんで、しばらく動くことができなかった。
この感動は私ひとりではあるまい。
全国民が一様に受けた感銘であろう。
宣戦の詔勅を拝して、泣かぬものがあったろうか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
坂口安吾(作家)
僕はラヂオのある床屋を探した。
やがて、ニュースが有る筈である。
客は僕ひとり。
頬ひげをあたっていると、大詔の捧読、つづいて、東條首相の講話があった。
涙が流れた。
言葉のいらない時が来た。
必要ならば、僕の命も捧げねばならない、一兵たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
清水幾多郎(社会学者)
宣戦の大詔を拝して、私は凡(すべ)ての国民と同じように涙を禁ずることが出来なかった。
日本がアメリカに勝つためには、日本の思想がアメリカの思想に勝たねばならぬ。
・・・私はこの仕事のために微力を儘(つく)すことを最高の義務と考えている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
祖国が万邦共栄を求めながらも、ついに自存自衛をかけて、米英という世界最強国に戦いを挑まざるを得なくなった。「豈(あに)朕が志ならんや」との昭和天皇の悲痛なお言葉に、国民は涙したのである。
つづく
返信
5件
No.124 匿名
13/03/23 22:16:36
今井雅之さんの特攻隊の話の舞台、涙がとまらなくなりました。
凄いリアルで、その世界にいるような感じ
返信
No.123 つづき
13/03/23 22:15:26
>>121
■2.「豈(あに)朕が志(こころざし)ならんや」
「開戦の詔勅」は、こうした当時の日本国民の憤懣を表現したものだと言える。
詔勅では、まず世界各国との友好・共栄関係を築くことが我が国の基本方針であるのに、今や米英との戦争に入らざるを得なかった事を述べている。
__________
・・・而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤くし、万邦共栄の楽 (たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)帝国が常に国交の要義と為す所なり。
今や不幸にして米英両国と釁端( きんたん)を開くに至る。
洵(まこと)に已(や)むを得ざるもの あり。
豈(あに)朕が志(こころざし)ならんや。
(現代語訳)
・・・そして各国との交流を盛んにし、万国と共栄の楽しみをともにすることは、日本の外交の基本方針とするところである。
今や不幸にして米英両国と戦端を開くことにいたった。
まことに、やむをえない事態である。どうして、これが私(昭和天皇)の志であろうか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「豈(あに)朕が志(こころざし)ならんや」という一節に、昭和天皇の「万邦共栄の志を遂げられなかった」という深い痛惜の念がが込められている。
これほど悲痛な開戦宣言が歴史上、あっただろうか。
■3.「隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも」
続けて、詔勅は我が国がやむなく立ち上がった理由として、米英が経済封鎖により、日本を屈服させようと強硬な姿勢をとり続けたことを述べている。
__________
朕は政府をして事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も 交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷 延(せんえん)せしめて、此(こ)の間、却(かえ)って益々経済上、軍事上の脅威を増大し、以って我を屈従せしめんとす。
現代語訳
私は政府をして、事態を平和裡に解決させようと、長い間、隠忍したのだが、米英は少しも譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を先延ばしにし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大させ、それによって我が国を屈服させようとしている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つづく
返信
5件
No.122 匿名
13/03/23 22:14:30
>>118
ごめんなさい。亡くなった方までを否定してるのかなと勝手に思って。
私が色々戦争を知って思ったのは、本当に貴重な日本人達を失ったなって。
戦争は失うものが多すぎる。人と人の殺し合いは悲しみや憎しみしか生まれない。どの国も戦争はするべきではないと思ってる。
返信
No.121 国際派日本人教育講座より
13/03/23 22:11:42
No.677 若き日の大東亜戦争
2010/12/05 08:00
「日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いた」と女子医学生だった清水公子さんは語る。
■1.「いよいよやったね。しっかり頑張ろうね」
大正11年生まれの女医・清水公子さんは、65年前の大東亜戦争開戦の日を次のように思い起こす。
__________
昭和16年12月8日、開戦の詔勅と真珠湾攻撃の大戦果を知ったのは、私が東京女子医専(現女子医大)に入学して2年目のことでした。
喚声をあげながら朝食の為、寄宿舎の地下食堂へ急ぎました。
途中、顔を合わせた級友達と、「いよいよやったね。しっかり頑張ろうね」と固く手を握り合ひました。・・・
張り切るとはかういう事を言ふのでせうか。
私達は前にも増して勉学に励みました。
男性達は続々と戦場に召されるであらう、銃後を護るのは我々女性である、一日も早く役に立つ医者にならなくては、との自覚がもりもりと湧き上がって来るのでした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「いよいよやったね」とは、アメリカが経済封鎖によって日本を追い詰めていったことに、国民全体が積年の憤懣(ふんまん)を抱いていたからである。
たとえば石油輸出禁止など、日本経済の息の根を止めるようなルーズベルト大統領の対日政策に対しては、共和党の下院リーダーであったハミルトン・フィッシュ議員も、「日本を開戦に追込んだ責任がルーズベルトにある」と述べている。
この点を清水さんは次のように記している。
__________
開戦の詔勅に縷々(るる)述べられてある様に、長年の日米間のわだかまりは、度々の日本からの平和裡解決の為の特使派遣にも拘わらず、頑迷冷酷なアメリカの傲慢な態度に、遂に堪忍袋の緒を切らざるを得なかったのです。
隠忍自重の末、戦争に踏み切らざるを得なかった日本、積年の憤懣の爆発は日本民族を奮ひ立たせ、人々はワシントン迄攻め落とせといきり立ってゐました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日でも尖閣諸島で衝突事件を引き起こした中国が、さらにレア・メタルの輸出制限までして日本に理不尽な圧力をかけた事で日本国民を憤激させたが、その何十倍もの圧力を何年にもわたって米国から受けていた事を想像すれば、当時の国民の「積年の憤懣」が多少なりとも想像できよう。
つづく
返信
5件
No.120 匿名
13/03/23 22:10:06
>>117
張ってくれてありがとう。衝撃。めちゃくちゃ自虐史をすりこまれ、反戦教育されてきたけど愛国心に目覚めて勉強中でしたので自分でも調べてみます。
返信
1件
No.119 でもさ
13/03/23 22:06:22
>>114
似てる気持ちだよ。
返信
No.118 え
13/03/23 22:05:06
>>116
戦死した人を否定してないよ。
私の祖父や祖母のきょうだいは皆戦死してるし。
アジアのために戦わなくてはならなかった日本の時代背景はあっただろうけれど、私はただ命をかけて戦争するのは本来なら人間として本当は間違いだと思ってるだけ。
そうせざるを得なかった時代なんだろうけど…
自虐史観のくだりは知ってる。
なのになぜそう自虐史観なのかと指摘うけるか聞いただけです。
したくなかった戦争なのはわかってました。
だから私が思ってたのは、欧米諸国もアジアも世界が命かけて戦争するは間違いだと言う考えね。理想になっちゃうけど。
でもそう考えることが戦争のない世界を作ることかなと思ってるだけ。
返信
1件
No.117 匿名
13/03/23 21:59:46
>>116
続き
大西瀧治郎氏の特攻の真意。ほんの一部
『一日も早く講和を結ばなければならぬ。マリアナを失った今日、敵はすでにサイパン、成都にいつでも内地を爆撃して帰れる大型爆撃機を配している。動ける今のうちに講和しなければ大変なことになる。しかし、ガダルカナル以来、押され通しで、まだ一度も敵の反抗を喰い止めたことがない。このまま講和したのでは、いかにも情けない。一度で良いから敵をこのレイテから追い落とし、それを機会に講和に入りたい。
敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができるだろう。七、三とは敵に七分味方に三分である。。
万一敵を本土に迎えるようなことになった場合、アメリカは敵に回して恐ろしい国である。歴史に見るインデアンやハワイ民族のように、指揮系統は寸断され、闘魂のある者は次々各個撃破され、残る者は女子供と、意気地の無い男だけとなり、日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう。このためにも特攻を行ってでもフィリッピンを最後の戦場にしなければならない。
では、果たしてこの特攻によって、レイテより敵を追い落とすことができるであろうか。
これは、九分九厘成功の見込みはない、これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが二つある。
一つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。
二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである。
陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられたならば、いかなる陸軍でも、青年将校でも、随わざるを得まい。日本民族を救う道がほかにあるであろうか。戦況は明日にでも講和をしたいところまで来ているのである。」
返信
2件
No.116 匿名
13/03/23 21:49:33
>>103
間違いとかは戦後なんとでも言えるよね。戦争がいけない事、特攻はしてはいけないと思うのは、確か。だけど、戦争をしなければいけない状況だった、特攻をしてまでも少しでも有利に講和をしたかった大西瀧治郎氏の真意をご存知?
特攻を否定するのは勝手だが、戦争で死んで行った方たちまでをも否定するのはやめてほしい。まずは知って。
最初に特攻をしたのは、昭和19年10月25日。フィリピンのレイテ湾に栗田艦隊を突入させる為に 一時的に敵の空母を使えなくする為に、敷島隊が突入した。あまりにも戦果がよかったので、そのまま特攻という手段がとられるようになった。
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No.115 主 匿名
13/03/23 21:45:19
>>110私も勉強して、子供達に質問されたら曖昧な言葉じゃなく、ちゃんと教えたいし、日本がどれだけ素晴らしい国か教えたいです。
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No.114 主 匿名
13/03/23 21:41:57
>>106さん庇うと思います。
でも咄嗟の判断と、決意?してとは違うと思います。
守りたい気持ちはありますが。
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No.113 匿名
13/03/23 21:36:55
世界が語る神風特別攻撃隊 カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか
って本買ったのにまだ読めてない。早く読みたくなった。
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No.112 か
13/03/23 21:35:29
したくてした戦争じゃないしね。
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No.111 匿名
13/03/23 21:35:15
与謝野晶子の弟の詩を思い出した。胸が苦しい。どんな気持ちで親は見送ったんだろう。彼らには感謝の念や日本人の凄さを感じる。でもそれ以上に悲しい。
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No.110 匿名
13/03/23 21:23:36
泣いた。お母さんに宛てた手紙で、もう…。特攻隊が良い悪いとか関係なく彼らにはただただ感謝と尊敬の念を抱きます。私は愛国心強い方だし靖国も毎年参拝してるけど、二度と日本人が特攻隊のような戦い方をしないようにと願っています。彼らが命をかけて守ろうとした日本と日本人としての誇りを絶対に守らなくちゃいけない。親としてしっかりと、日本人に産まれて良かったということ、素晴らしい先人が命をかけて国を守ったこと、日本だけじゃなくアジアのために戦ったことを子どもに伝えていきたい。
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No.109 あ
13/03/23 21:20:42
>>102
今更な人もいれば、自虐史観が何かすら判らない人もいるでしょ
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No.108 私も見たことあるよ
13/03/23 21:20:34
>>107
可哀想としか思えない。
凄いとか感謝するとか思えない。
ただ可哀想。
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No.107 匿名
13/03/23 21:18:02
鹿児島の知覧特攻会館に特攻隊の人のパネルが壁一面に飾ってあって中には格好いい人もいた。
でも皆命懸けで特攻隊になって二十歳そこらで死んで行ったと思うと可哀相過ぎて涙出て来ます。
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No.106 ん
13/03/23 21:18:01
>>104
でもさ主さんも我が子が誰かに刺されそうになったらとっさにかばうでしょ?
自分だけ逃げる?
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