【ネタバレ】朝ドラ「風、薫る」

匿名

明智あんな/小林みくる

26/03/29 16:25:25

2026年3月30日からスタートのNHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」のネタバレトピだよ
ヒロインが今回はダブルヒロインなのよ♪

「一ノ瀬りん」(見上愛)のモデルは大関 和(ちか)
「大家直美」(上坂樹里)のモデルは鈴木 雅(まさ) 旧姓・加藤

今作は明確なモデルと言うより「モチーフ」にしてるので史実と異なることも多いかも?
>>1 大関和の生涯(このトピの写真の人)
>>2 鈴木雅の生涯

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  • No.22 小林みくる

    26/04/04 14:19:25

    ☆第8週「」ネタバレ
    りんが千佳子の担当に。看護婦の意義を理解してない千佳子はりんを受け入れず。だが千佳子は手術をしたくないとりんに打ち明け。「武家の女として潔く死にたい」と言う千佳子を見てりんは「千佳子は美津に似ている」と思った
    直美が町で歩いていると初老の男から「夕凪か?」と声を掛けられた
    直美が夕凪という女郎に似ていたようだ
    直美が男の後をつけると寛太がいた。寛太は直美を騙した罪滅ぼしに夕凪の行方を捜すと約束した
    ある日、千佳子の見舞いに来た夫・元彦にりんが声を掛けて千佳子が元彦との思い出を大切にしているから手術を勧めてもらいたいと元彦にお願いした
    千佳子の気持ちを知った元彦は「自分のためにも手術を受けてほしい」とお願いして、それを受け入れた千佳子は手術を受ける決意をした

    ☆第9週「」ネタバレ
    千佳子の手術は成功
    手術に立ち会ったりんは手術介助した看護婦・永田フユ(猫背椿)の仕事ぶりに感銘した
    りんはフユに手術介助を教えてほしいと頼むがフユは見返りに月謝を要求し驚かせた
    りんが元家老の娘だと帝都医大病院の医師たちに知れ渡り、りんは上等病室の患者の担当に
    直美は寛太に直美を捨てた母親であると思われる夕凪の行方を調べてもらっていた
    院長・多田(筒井道隆)が看護婦らに見習生から看護を教わるように指示
    院長が見習生たちの仕事を高評価をしてくれたことで医師たちも見習生への態度を改めた
    りんと直美はフユと仲良くなり看護婦と見習生はお互いの知識を教えあるようになった

  • No.21 明智あんな

    26/04/04 14:04:31

    ☆第6週「」ネタバレ
    バーンズによる看護の授業が開始
    宿舎のシーツの交換と掃除を命じられて何度もやり直しをさせられた
    清潔のために日本髪をやめて洋髪にしろとバーンズが指示
    そんなバーンズのやりかたに生徒たちは看護とは何なのか理解できず
    休みの日、りんと直美が東京見物へ。「瑞穂屋」の前で美津と遭遇
    美津は直美を自宅に招いて「りんがコロリになった父を看取った話」をした
    数日後、コロリ患者の寝巻の着替えをさせる授業。バーンズは患者を救う看護婦の仕事の意義を語り、りんは看護の仕事のやりがいを見つけ始めた
    ある日、同級生の多江(生田絵梨花)が縁談で養成所を辞めると言い出してすぐに熱が出て倒れた。生徒たちが多江の看病をすることに
    多江の看病をすることで看護の基本を学び、多江もまた看護の使命を理解し多江の父・仙太郎に看護への情熱を訴えて仙太郎は多江の気持ちを受け入れた

    ☆第7週「」ネタバレ
    1888年(明治21年)養成所の生徒たちは実習を帝都医科大学附属病院で行われた
    大学附属病院の看護婦らは医療や衛生の知識が無いので養成所の生徒たちを歓迎せず、入院患者たちまで生徒らを見下していた
    患者と医師との疎通ができなかったことを気にしているりんにバーンズは「患者が治ればそれでいいのだ」とりんを諭した
    直美は患者のためなら何でもする覚悟で医師に巧みに取り入って患者の希望を通した
    生徒らが患者たちに受け入れ始めた頃、和泉侯爵夫人・千佳子(仲間由紀恵)が入院。千佳子は病院と看護婦に不満で退院すると言い出した
    医師たちが千佳子を必死で引き止める中、バーンズに呼び出されたりんと直美は院長室に出向いた

  • No.20 小林みくる

    26/04/04 13:57:12

    ☆第3週「春一番のきざし」ネタバレ
    瑞穂屋で働くことになったりん
    店には外国人が多いので英語の勉強を始めた
    「生きるために何でもする」と言うりんに直美はある行動に
    ある日、直美は一芝居をうって捨松に近づいて鹿鳴館のメイドの仕事をゲット
    捨松は「鹿鳴館を上手く使え」と直美に助言
    直美は鹿鳴館で海軍中尉・小日向栄介(藤原季節)と出会い、「士族の娘」だと嘘をついた直美に小日向が交際を申し込み偽ったまま直美は交際スタート。捨松にも偽ったままだった
    美津と安が上京。奥田家からの仕送りが打ち切られたとのこと
    美津は卯三郎と意気投合し、箏を教える仕事を始めた

    ☆第4週「私たちのソサエティ」ネタバレ
    捨松が貧乏街での炊き出しにりんと直美も参加
    食べすぎで嘔吐した子供の介抱をした二人に感心した捨松はナースにならないか?と誘いナースの養成所の入学を提案
    直美は断り、りんは保留にして迷っていた
    ある日、直美が小日向が女性と腕を組んで歩いているのを目撃。小日向もまた海軍中尉と偽り華族の娘に近づくため鹿鳴館に入り込んでいたのだ
    小日向栄介の本名は「小日向寛太」という。寛太は直美が偽っていたのを見抜いていたので失望した直美は捨松に本当のことを打ち明けてメイドを辞めた
    環が奥田家の者に見つかり連れ去られた
    りんは奥田家の乗り込むとナースで「環を自力で育てる」と宣言して環を取り戻した
    4か月後、瑞穂屋を辞めたりんは看護婦養成所に入学。入学式会場には髪を切った直美もいた

    ☆第5週「集いし者たち」ネタバレ
    梅岡女学校附属看護婦養成所にりんと直美は入学した
    2人は一期生として全7名が入学
    校長・梶原敏子(伊勢志摩)と教師・松井エイ(玄理)が挨拶。看護の担当教師・スコットランド人のバーンズはまだ来日していない
    ナイチンゲールの著書の翻訳をめぐってりんと直美が対立。「直美が英語が得意だからみんなに教えてあげて」と、りんの提案に直美が反発
    「直美は優しさが足りない」と言った発言にりんは後悔し、直美は優しさが無い自分は看護婦に向いてないと悩む
    りんと直美は自分が看護婦に向いているのか捨松に相談。捨松のアドバイスで2人は仲直りができた
    直美は同期生たちに英語を教え、ナイチンゲールの本の翻訳が完成
    バーンズが来日した

  • No.19 明智あんな

    26/04/04 12:44:21

    ☆第2週「灯の道」ネタバレ(後半)
    亀吉が酔っぱらって帰って来て、りんに愚痴を言って寝ていた環を無理やり起こそうとしたときに止めようとしたりんに亀吉が激怒して湯呑を投げつけた際に行燈に当たり火事になった。亀吉はりんと環を無視して姑の貞を連れて逃げた
    そんな亀吉にあっけにとられて我に返ったりんは環を連れて奥田家から裸足のまま逃げた

    一ノ瀬家に戻ったりんと環は美津からお金をもらい、東京の叔父の信勝に家に行くことに。
    虎太郎に手伝ってもらい2人は荷車に隠れて船着き場に到着
    虎太郎はりんに何か言いけかけたまま…りんと環は東京に出発
    2人は東京に着いたものの信勝は店を潰していたので2人をみてくれそうもない

    その頃、メアリーがインドに行くことになり、直美はメアリーに一緒にインド行を望んだがメアリーから「インドで何をしますか?」と言われて直美は答えられず…

    住み込みの仕事を探すりんだが子連れを雇うところは見つからず
    そんな時に環の風車が飛んで行ってそれを拾った直美と出会う
    直美の持っているパンを欲しそうにしている空腹の環を気の毒に思った直美はりんと環に教会の炊き出しに誘った
    炊き出しには士族のプライドが邪魔して母に申し訳ないと思いながらも、りんは直美と共に環と炊き出しに向かい、環を教会に残し仕事探しに出た

    夜になっても仕事が見つからないりんに清水卯三郎(坂東彌十郎)という老紳士が手品のようにチョコレートを出して「助けが必要なら力になる」と声を掛けてきた。「魔法で外国へ連れて行って差し上げましょうか?」と聞いた卯三郎がりんから「この国で双六の目がはずれても生きていけるようにしてください」と言われ、自分の名刺を出して明日来るように告げた

    りんが夜遅くになって教会に戻ると激怒した直美に頬を叩かれた。環がりんを探して泣いていたからだ。「結婚相手を紹介してもらうことになった」と告げたりんに直美は呆れながらも、二人を教会に寝泊まりさせた
    翌朝、りんが環を連れてが卯三郎が経営する「瑞穂屋」にやって来た

  • No.18 明智あんな

    26/04/04 12:38:35

    ★ネタバレサイト(「朝ドラPLUS」など)のネタバレ記事とテレビの番組表(サイト)にあるあらすじから要約してお知らせしている。

    ☆第2週「灯の道」ネタバレ(前半)
    大家直美が住んでいる長屋は「大家」という苗字を持つ人ばかり
    長屋の大家は大家嘉平(春海四方)。店子にはトヨ(松金よね子)とキク(広岡由利子)がいて明治になって全員に苗字をつける際に「大家」と長屋のみんなが付けたからだ
    直美もまた「大家」と決め…長屋の全員血縁関係がない他人同士の「大家ファミリー」

    本を盗んだ子持ちの同僚の罪を直美が被りマッチ工場を解雇され、新しい仕事を探してもみな門前払いで仕事が見つからないので直美は日本では仕事も結婚できないと思い、メアリー(アニャ・フロリス)にアメリカに連れて行ってほしいと相談していた

    りんは奥田亀吉(三浦貴大)と結婚。奥田家は元飛脚で運送業で成功している
    亀吉の母・貞(根岸季衣)は元飛脚の家柄の奥田家を恥じていたので良い家柄を手に入れるための元家老の一ノ瀬家との縁談をこぎつけたのだ
    亀吉は大酒飲みで、学があるりんに嫉妬して夫婦関係がうまくいってない

    1886年(明治19年)りんの長女・環が3歳。だが男子を望んでいた亀吉と貞は環に興味をまったく示さず愛情も無かった
    りんは「新双六淑女鑑」の職業婦人のマスを見ながら環には女学校で学んで教員、医者、新聞記者にさせたいと願っていた

    直美はアメリカ行きの夢を持ちながらマッチ工場で働きながら英語の勉強をしていた。
    ある日、直美が炊き出しに駆り出されて大荷物を抱えて人力車を押していたところに馬車に乗った捨松が降りてきて、英語で「私のしていることが本当にこの国のためになっているのか?何のために結婚したのか?」と嘆き、拾った芋を直美に渡して「さぁこれが私の人生よ。戦いましょう」と告げて馬車に乗って行った

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  • No.17 小林みくる

    26/04/03 20:19:57

    >>8
    3歳の環ちゃん かわいい😃

  • No.16 富士山

    26/04/03 10:51:33

    これはちょっと辛いドラマかも

  • No.15 また今度ね

    26/04/03 08:21:29

    多部ちゃんとミセスじゃCM思い出す。

  • No.14 また今度ね

    26/04/03 08:18:53

    来週は百恵ちゃんの次男が出るやん。

  • No.13 明智あんな

    26/03/31 22:56:41

    >>5
    りんは納屋で探し物をしていたら信右衛門の秘密のものを見つけた

    見つけたのは信右衛門の刀だったのね!

  • No.12 小林みくる

    26/03/30 20:57:15

    そういえば、原田泰造さん演じる牧師さん⛪️

    ここでは直美と関わりあるのに史実は、りんのモデルの大関和と関わってたから逆の設定にしたのもこの先の展開は予測が難しいですね🤔

  • No.11 小林みくる

    26/03/30 20:49:04

    >>10
    あっ!見つけましたね!😼
    今回もよろしくお願いいたします!

  • No.10 ママママママママ言わないで

    26/03/30 10:42:21

    みっけ!
    まさかまだ出来てないよね~とダメもとで検索したら、もう書いていてくださってました。
    ありがとうございます。
    今回もよろしくお願いします。m(_ _)m

  • No.9 明智あんな

    26/03/29 21:24:03

    第1週からモデルの2人とは食い違いしてるね😗やはりモデルというかモチーフなのね

    和はお父さんが武士を辞めてから東京に来てるけど、りん達は栃木のまま
    第2週で和の子供は1男1女だけど、りんは女の子1人なのか!

    雅は静岡の士族の娘だけど直美は孤児で東京に暮らしてる。
    第2週で雅はもう軍人さんと結婚してさらに死別して2人の子供のシングルマザーだけど直美はまだ独身なのも大きな違いね!

  • No.8 小林みくる

    26/03/29 21:00:30

    ☆第2週「灯の道」ネタバレ
    直美がマッチ工場を解雇で新しい仕事が見つからないもののアメリカ行くことが心の支えになっていた
    りんは奥田亀吉(三浦貴大)と結婚。亀吉の母・貞(根岸季衣)は元飛脚の家柄の奥田家を恥じていたので良い家柄を手に入れるための一ノ瀬家との縁談をこぎつけたのだ
    1886年(明治19年)りんの長女・環が3歳。だが男子を望んでいた亀吉と貞は環に興味を示さず愛情も無かった
    そんな亀田家に嫌になったりんは環と共に家を出た
    一ノ瀬家に戻ったりんと環は美津の助けを借りて亀吉から逃れるために東京へ
    りんは仕事を探し回るうちに直美と出会う
    空腹の環を気の毒に思った直美はりんと環に教会の炊き出しに誘った
    仕事が見つからないりんに清水卯三郎(坂東彌十郎)という老紳士が声を掛けて自分が経営する瑞穂屋で働くことに

  • No.7 明智あんな

    26/03/29 20:30:31

    ☆第1週「翼と刀」ネタバレ(後半)
    1883年(明治16年)コロリは落ち着いたがこれがきっかけで日本は不景気になってしまった
    直美は善作とアメリカ人宣教師・メアリー(アニャ・フロリス)と英字新聞を読んでいた
    その記事にはアメリカ帰りの旧幕府の会津出身の捨松が新政府側の薩摩・大山巌と結婚すると報じていた。この結婚は和平のシンボルとなった
    これを読んだ直美は「日本で女性が成り上がるには玉の輿しかない」と感じ、「自分は生きていくにはアメリカしかない」と思っていた

    冬になり、縁談先の相手が破産したことで安の縁談は破談
    一ノ瀬家は信右衛門がいなくなり女三人で農業をしていた
    竹内家は栄がコロリから回復していたのもあり一ノ瀬家を助けていた

    りんに縁談が来た。相手は運送業を営む人の後妻で年は18歳上で息子はりんと同じ年…「年齢や家格不釣り合いだ」と美津は怒る

    ある日りんは馬車とぶつかり転んで手を擦りむいた
    りんを心配して馬車から降りてきた捨松(多部未華子)は大山巌(高嶋政宏)にフランス語で水を用意させた
    捨松は手際よく破傷風にならないようにりんの手を洗ってからレースのハンカチを包帯替わりに巻いて、笑顔で馬車に乗って大山と共に去って行った

    その頃直美は占い師・真風(研ナオコ)に呼び止められて「もう少しの辛抱、お嬢さんの願いはもうすぐ叶う」と告げる
    アメリカに行けるのかと期待する直美だが、真風は「心から笑い合える相手に出会う」と告げられガッカリする直美

    ある日、りんは虎太郎と釣りをしていた。りんが縁談の話をしようとしたときに魚が釣れたはずみでよろけて虎太郎が助けてくれたが虎太郎が石で手を切ってしまった。りんは捨松がくれたハンカチで虎太郎の手を止血した
    虎太郎がりんに「俺のお姫様だ」と言われて手を握られてそのまま二人は川を眺めていたがりんは手を解いて虎太郎に見送られて寂し気に一人家に帰ったりんはその様子を見ていた美津に「私、結婚する。奥様になる」と告げた

  • No.6 小林みくる

    26/03/29 20:23:33

    ☆第1週「翼と刀」ネタバレ(中盤)
    虎太郎の母・栄がコロリで伝染病の「避病院」に運ばれた。避病院に入院すれば二度と帰ってこないという話をりんは聞いて不安になる
    ※避病院はコレラや赤痢など伝染病患者を隔離して収容する医療施設

    りんは疎外されている虎太郎を慰めようとして手を握ろうとしたが感染を恐れて寸前で止めた。「移るといけないから」と虎太郎は走り去った
    帰宅し、論語を信右衛門から学んでいたりんは「間違いに気づいて改めないこそが過ち」だと習い、あの時虎太郎の手を握らなかったことを「間違えた」と悔やむ

    信右衛門はりんに武士を捨て農家になった理由を語り「正しいとは難しい」聞いた
    美津と安が上京して信勝からの縁談の話を進めて信勝は美津に豪かな着物を帯と10円を渡した(東京で美津と安は直美と出会う)

    ある日、直美は下谷松町教会の牧師・吉江善作(原田泰造)から伝道師にならないかと誘われた
    直美は生後すぐに親に捨てられて教会を転々としていて今は善作のお世話になっていた。「家柄の良い人や「いい人」が嫌いでそんな自分が誰より嫌いだ」と嘆く直美に善作は泣いてしまう

    信右衛門がコロリに感染
    信右衛門が自分で納屋に籠って「入れば斬る」と言って近づくことを禁じ、りんは納屋の前に水や着替えを置いていくしかなかった
    東京から戻った美津と安は村境で足止めされて義正から信右衛門のことを聞かされた
    納屋の前でりんは折り鶴を折って格子戸から投げ入れたり歌を歌って信右衛門を勇気づけていた。
    だが物音がしなくなったことでりんは薙刀を持って納屋に入ったが、信右衛門はりんに「生きろりん。お前は きっと優しい風を起こさせる」と言って、りんが戸をこじ開けて入ったときには既に死んでいた
    「また間違えた」と嘆くりん。

  • No.5 明智あんな

    26/03/29 20:13:07

    ★ネタバレサイト(「朝ドラPLUS」など)のネタバレ記事とテレビの番組表(サイト)にあるあらすじから要約してお知らせしている。

    ☆第1週「翼と刀」ネタバレ(前半)
    1882年(明治15年)東京に17歳の少女(上坂樹里)がいた
    和服に洋服に生地をつぎはぎした十字架のエンブレムをつけている
    それを見てヒソヒソ話す女学生たちに反応して「いかにも私がみなしごで貧乏人の大家直美ですがなにか??」

    一方、栃木の那須の農村で一ノ瀬りん(見上愛)が妹・安(早坂美海)とすごろくをしていた。上がりは「奥様になる」ものだ「女性のゴール=結婚」
    そこに母・美津(水野美紀)がやってきて2人に薙刀の稽古をさせようとする
    2人は農家なのに武家としてのプライドで娘たちの結婚にこだわる美津に笑ってしまう
    一ノ瀬家は代々筆頭の家老の家だが今は農業をしている
    父・信右衛門(北村一輝)は明治維新前に農家になってたので美津には農業をさせていなかった
    信右衛門とりん、安が農作業をしていると竹内虎太郎(小林虎之介)らがやって来た。竹内家は元足軽なので一ノ瀬家と親しくしている
    畑から帰ると役所勤めの元家臣・中村義正(小林隆)がやって来て信右衛門に役所勤めの仕事の話を持ってきたが信右衛門は断った

    信右衛門が叔父・信勝からの東京の商家の人との縁談をりんにもってきたが、安が「りんと虎太郎の仲」を知ってたので安が自ら縁談を受けた

    その頃、直美はマッチ工場でマッチ箱を作っていたが不器用なので失敗ばかりしていたので日当3銭の安月給

    那須の隣村でコロリ(コレラ)が流行していたが危機感が無い村の人たちは祭が実行された
    当日、信右衛門はりんと安に「女学校に行かせられなかったが、これからは学問を怠ってはいけない。学ぶことはトキに世を渡る翼となり時に身を守る刀になる。己を助けるのは己の頭と心、体だけだ」と告げた
    りんは納屋で探し物をしていたらら信右衛門の秘密を見つけた
    祭の神社で、りんは家族と虎太郎たちと楽しい時間を過ごした

    ついに那須の村でもコロリ発生
    コロリ患者を看護する男に対して「お金目的でよくまぁコロリの世話やるものだ」と揶揄する村人の言葉にりんは心を痛める

  • No.4 ママとパパはいいの!(大人の特権発動)

    26/03/29 17:34:29

    面白そう

  • No.3 明智あんな

    26/03/29 16:33:58

    >>1
    ☆大関和の生涯(後半)
    和はハードスケジュールで学ぶ時間が取れない看護婦の待遇改善を求め建議書を提出したが医師達から反発を招き病院から追い出された
    1890年(明治23年)新潟の高田女学校(現上越高校)の舎監になりその後、大学病院時代の医師・瀬尾原始と再会。招かれた知命堂病院で看護婦長になり看護婦らと赤痢の防疫にも活躍
    1896年(明治29年)上京して鈴木雅が設立した神田の東京看護婦会の講師となる
    1899年「派出看護婦心得」出版。大日本婦人矯風会創設
    1900年心が結核で20歳で死去
    1901年雅の後任の東京看護婦会の会頭となり日本キリスト教婦人矯風会の理事も務める
    1904年日露戦争に出兵した兵士に送る慰問袋制作に尽力
    1908年実地看護法出版
    1909年(明治42年)神田猿楽町に大関看護婦会を開設。優良な看護婦の養成と派出看護業務を開始した。
    1910年六郎がジャワ島でマラリアになり33歳で死去
    その後の関東大震災で大関看護婦会が全焼するも看護活動に奔走し、
    のちに女性地位向上のため娼婦廃止や婦人参政権の運動などもして活躍した
    脳溢血で半身不随となり1932年(昭和7年)大関看護婦会で死去。享年73歳
    ※派出看護業務は看護婦が患者の家に出向く看護

  • No.2 小林みくる

    26/03/29 16:32:08

    ★鈴木雅の生涯
    1857年(安政4年)
    静岡の士族の加藤信盛の長女としてで生まれた
    1876年(明治9年)フェリスセミナリー(現フェリス女学院)入学
    1878年に軍人の陸軍少佐である鈴木良光と結婚し京都に移住
    1880年良光が戸山学校の教官となり東京に転居
    翌年仙台に転居し長男・良一、長女・みつを生む
    1883年(明治16年)良光が病死(西南戦争での銃創の説もあり)
    二人の子供と共に東京に転居
    良光を充分に看護できなかったことを悔やみ看護に道へ(?)
    女性の髪形として当時としては珍しいショートカットであった
    共立女学校(現横浜共立学園)を修了
    1886年(明治19年)桜井女学校(現女子学院)の付属看護婦養成所の1期生で入学。大関和と出会う
    養成所には実習施設が無いので帝国大学医科大学付属第一病院(現東京大学医学部附属病院)の実習生として派遣され、講師のアグネス・ヴェッチから看護学の指導を受けた
    卒業後、1888年(明治21年)日本初の看護婦の資格を取得
    帝国大学医科大学付属第一病院の【内科】の看護婦長となる
    大関の退職後の3ヶ月後に退職しアメリカで看護の留学を予定していたが中止となった(原因は人力車との事故?病気?)
    1891年(明治24年)本郷に慈善看護婦会(後の東京看護婦会)を創設
    1896年(明治29年)東京看護婦会の付属の東京看護婦講習所を開いて派出看護婦を養成。大関和を講師に招いた
    日本最初の女医・荻野吟子らと大日本婦人衛生会を組織して婦人衛生雑誌を刊行
    1901年東京看護婦会の経営を大関和に譲り、病弱の良一の看護のため一線を退く(東京⇒京都⇒沼津に転居)
    その間も雅は和に助言を送り続けた
    1938年良一が死去
    1940年(昭和15年)沼津で死去。享年82歳
    ※派出看護業務は看護婦が患者の家に出向く看護

  • No.1 明智あんな

    26/03/29 16:31:18

    ☆大関和の生涯
    1858年(安政5年)
    下野の黒羽藩(栃木県大田原市)の国家老の大関増虎の次女として生まれ、明治維新後増虎が家老を辞職後に東京に移住
    1876年(明治9年)19歳のときに黒羽藩の次席家老の渡辺家の次男・福之進(豊綱)と結婚して長男・六郎、長女・心を生む
    夫と妾の関係が清算されずに離婚となり1881年に東京に戻った
    鹿鳴館に出入りして上流家庭や外国人の交流を機に英語取得のため正美英学塾に通う
    塾の経営者の兄・植村正久(下谷一致教会の牧師)に師事
    和の優れた才能を見出した植村から専門的に学んだ看護婦(トレインドナース)を勧められた和は看護婦に志願をする
    1886年(明治19年)桜井女学校(現女子学院)の付属看護婦養成所の1期生で入学。鈴木雅と出会う
    養成所には実習施設が無いので帝国大学医科大学付属第一病院(現東京大学医学部附属病院)の実習生として派遣され、講師のアグネス・ヴェッチから看護学の指導を受けた
    1887年植村によりキリスト教の洗礼を受けた
    卒業後、1888年(明治21年)日本初の看護婦の資格を取得
    帝国大学医科大学付属第一病院の【外科】の看護婦長となる
    >>3 へ続く

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