• No.2 小林みくる

    26/03/29 16:32:08

    ★鈴木雅の生涯
    1857年(安政4年)
    静岡の士族の加藤信盛の長女としてで生まれた
    1876年(明治9年)フェリスセミナリー(現フェリス女学院)入学
    1878年に軍人の陸軍少佐である鈴木良光と結婚し京都に移住
    1880年良光が戸山学校の教官となり東京に転居
    翌年仙台に転居し長男・良一、長女・みつを生む
    1883年(明治16年)良光が病死(西南戦争での銃創の説もあり)
    二人の子供と共に東京に転居
    良光を充分に看護できなかったことを悔やみ看護に道へ(?)
    女性の髪形として当時としては珍しいショートカットであった
    共立女学校(現横浜共立学園)を修了
    1886年(明治19年)桜井女学校(現女子学院)の付属看護婦養成所の1期生で入学。大関和と出会う
    養成所には実習施設が無いので帝国大学医科大学付属第一病院(現東京大学医学部附属病院)の実習生として派遣され、講師のアグネス・ヴェッチから看護学の指導を受けた
    卒業後、1888年(明治21年)日本初の看護婦の資格を取得
    帝国大学医科大学付属第一病院の【内科】の看護婦長となる
    大関の退職後の3ヶ月後に退職しアメリカで看護の留学を予定していたが中止となった(原因は人力車との事故?病気?)
    1891年(明治24年)本郷に慈善看護婦会(後の東京看護婦会)を創設
    1896年(明治29年)東京看護婦会の付属の東京看護婦講習所を開いて派出看護婦を養成。大関和を講師に招いた
    日本最初の女医・荻野吟子らと大日本婦人衛生会を組織して婦人衛生雑誌を刊行
    1901年東京看護婦会の経営を大関和に譲り、病弱の良一の看護のため一線を退く(東京⇒京都⇒沼津に転居)
    その間も雅は和に助言を送り続けた
    1938年良一が死去
    1940年(昭和15年)沼津で死去。享年82歳
    ※派出看護業務は看護婦が患者の家に出向く看護

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