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強がりな人と信頼関係は築ける?
12/07/14 20:07:31
>>450続き 何という短絡さなのか。 三歳児神話の是非を問うには、膨大なデータと学問的な検証が必要であろう。 それを子供の一言だけで都合よく解釈してしまうのだから呆れるばかりである。 この女教師の文章には 「社会的には女性の個人としての労働権が認められていない」 「親が子どもを預けて自分のことをする権利がある」等、゛権利゛という言葉が頻出する。 その反面、育児や家事は 「女が経済的生活力を捨て、犠牲を払う」 ことであるとして、母性による行為を否定する。 女性として生まれ、子宝に恵まれながらも、働くことのみを優先する一面性には薄ら寒いものを感じてしまう。 たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。 産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。 しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう 続く
12/07/14 20:10:54
>>451続く ◇なんでもかんでも女性差別 高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。 次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。 書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。 高校生にとってモテるというのは重要なことである。 モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。 この文脈上に女子マネージャーがいる。 彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。 家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。 つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。 いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。 本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。 自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。 こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである。 いやはや何とも凄まじい。 この女教師は女子マネージャーに「貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう」と非難しているのだ。 しかも、「自らすすんで自分を周辺部に置く」という゛献身゛の概念をまったく理解せず、専業主婦は「自分自身を生きることを辞めている」と一方的に断罪するのである。 しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。 「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。 この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
12/07/14 20:18:54
途中だけど 教科書の他にジェンダーフリーについても、まとめておきます。 ●教科書まとめ >>334 >>346 ←地域別の検索方法は、このレスを参考に御願いします。 >>347>>354>>357 ●ジェンダーフリー教育について >>266>>267>>273>>274>>275>>276 超長文 >>439>>440>>441>>442>>443>>445>>446>>447>>448>>449>>450>>451>>452
12/07/14 20:28:22
>>452続き 国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。 ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で「このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る」という。 この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。 私の手元には日本推理作家協会の住所録があるが、女性作家が少ないのは女性差別の結果だというのか。 授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。 この本は「男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる」という。 この教師は授業を通して 「愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で」 「女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない」 というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが、生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」という感想があったことで「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。 しかし、公教育の場で 「恋愛は支配・被支配の関係だ」「 主婦は奴隷だ」 などと教えられる生徒こそ哀れである。 このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。 続く
12/07/14 20:43:46
教科書の他にジェンダーフリーについても、まとめておきます。 ●教科書まとめ >>334 >>346 ←地域別の検索方法は、このレスを参考に御願いします。 >>347>>354>>357 ●ジェンダーフリー教育について >>266>>267>>273>>274>>275>>276 超長文 >>439>>440>>441>>442>>443>>445>>446>>447>>448>>449>>450>>451>>452>>453>>454>>455>>456 ※この超長文には今の社会が、そのまま現れています。長いし面倒だとは思いますが、お時間のある方は御一読ください。
12/07/15 13:05:29
1件~4件 ( 全4件)
子育てや家事、旦那に関する悩み相談、TV、芸能人に関する雑談など何でもOK!
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26/01/11 08:56:51
8
ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.451 匿名
12/07/14 20:07:31
>>450続き
何という短絡さなのか。
三歳児神話の是非を問うには、膨大なデータと学問的な検証が必要であろう。
それを子供の一言だけで都合よく解釈してしまうのだから呆れるばかりである。
この女教師の文章には
「社会的には女性の個人としての労働権が認められていない」
「親が子どもを預けて自分のことをする権利がある」等、゛権利゛という言葉が頻出する。
その反面、育児や家事は
「女が経済的生活力を捨て、犠牲を払う」
ことであるとして、母性による行為を否定する。
女性として生まれ、子宝に恵まれながらも、働くことのみを優先する一面性には薄ら寒いものを感じてしまう。
たしかに今は「男は仕事、女は家事」と固定化すべき時代ではない。
産業構造が変り、労働の質が変化したことで、多くの女性が適正を生かして働くようになったのは当然のことである。
しかし、だからといって、家事や育児、主婦という存在を蔑視するのは「偏狭」の謗りを免れないだろう
続く
No.452 匿名
12/07/14 20:10:54
>>451続く
◇なんでもかんでも女性差別
高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。
次に紹介する「女子マネージャー撤廃論」はそのトンデモぶりにおいて突出している。
書いたのは神奈川県の高校教師である。長いので要約する。
高校生にとってモテるというのは重要なことである。
モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。
この文脈上に女子マネージャーがいる。
彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。
家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。
つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。
いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。
本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。
自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。
こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである。
いやはや何とも凄まじい。
この女教師は女子マネージャーに「貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう」と非難しているのだ。
しかも、「自らすすんで自分を周辺部に置く」という゛献身゛の概念をまったく理解せず、専業主婦は「自分自身を生きることを辞めている」と一方的に断罪するのである。
しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。
「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。
この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.453 匿名
12/07/14 20:18:54
途中だけど
教科書の他にジェンダーフリーについても、まとめておきます。
●教科書まとめ
>>334
>>346 ←地域別の検索方法は、このレスを参考に御願いします。
>>347>>354>>357
●ジェンダーフリー教育について
>>266>>267>>273>>274>>275>>276
超長文
>>439>>440>>441>>442>>443>>445>>446>>447>>448>>449>>450>>451>>452
No.454 匿名
12/07/14 20:28:22
>>452続き
国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。
ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で「このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る」という。
この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。
私の手元には日本推理作家協会の住所録があるが、女性作家が少ないのは女性差別の結果だというのか。
授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。
この本は「男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる」という。
この教師は授業を通して
「愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で」
「女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない」
というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが、生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」という感想があったことで「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。
しかし、公教育の場で
「恋愛は支配・被支配の関係だ」「
主婦は奴隷だ」
などと教えられる生徒こそ哀れである。
このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。
続く
No.457 匿名
12/07/14 20:43:46
教科書の他にジェンダーフリーについても、まとめておきます。
●教科書まとめ
>>334
>>346 ←地域別の検索方法は、このレスを参考に御願いします。
>>347>>354>>357
●ジェンダーフリー教育について
>>266>>267>>273>>274>>275>>276
超長文
>>439>>440>>441>>442>>443>>445>>446>>447>>448>>449>>450>>451>>452>>453>>454>>455>>456
※この超長文には今の社会が、そのまま現れています。長いし面倒だとは思いますが、お時間のある方は御一読ください。
No.476 匿名
12/07/15 13:05:29
教科書の他にジェンダーフリーについても、まとめておきます。
●教科書まとめ
>>334
>>346 ←地域別の検索方法は、このレスを参考に御願いします。
>>347>>354>>357
●ジェンダーフリー教育について
>>266>>267>>273>>274>>275>>276
超長文
>>439>>440>>441>>442>>443>>445>>446>>447>>448>>449>>450>>451>>452>>453>>454>>455>>456
※この超長文には今の社会が、そのまま現れています。長いし面倒だとは思いますが、お時間のある方は御一読ください。