• No.6576 続き

    12/02/21 08:24:32

    >>6566
     ◆死を無駄にしない

     あの日はいつもと変わらない夜のはずだった。
    平成11年4月14日。仕事を終えて自宅に帰ると、玄関の鍵が開いていた。

    「弥生、弥生!」

    名前を叫んでも返事がなかった。

     押し入れの座布団の中に、冷たくなった妻がいた。

    夕夏は見つからず、後に警察から遺体が天袋の中で見つかったと聞いた。

    4日後、逮捕されたのは18歳の近くに住む少年だった。

     10代から難病で入退院を繰り返した本村にとって命は、はかなく尊いものだった。

    娘が生まれた日のことは忘れられない。

    「パパと私の子供だよ」。

    弥生から手渡されたわが子には、日本海に沈む夕日のように人を温かく包む女性になってほしい。
    夕夏と名付けた。

     わずか1年7カ月の結婚生活は唐突に終わった。

    変わり果てた妻を抱きしめることさえできなかった自分を責め続けた。

    「2人の死を無駄にしたくない」

    長くつらい闘いの始まりだった。
                       ◇

     ■何が正しいのか悩んだ 

    最高裁での差し戻しを経て、5回の判決という異例の経過をたどった公判。

    妻子を奪われた本村洋は一貫して極刑を訴え続けたが、この間、ひたすらに走り続けてきたわけではない。

    被告を死刑とした20日の上告審判決後、本村は会見で率直な胸のうちを吐露した。

     「社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいのか、とても悩んだ」

     無期懲役とした平成12年の1審判決後、本村は涙で言葉を詰まらせながら「司法への絶望」とともに苛烈な怒りを吐き出した。

    「被告を早く社会に出してほしい。私がこの手で殺、す」

    続く

  • No.6605 続き

    12/02/21 08:36:42

    >>6576
     しかし、一つの出会いが本村を変える。

     本村は1審後、米テキサス州で死刑囚の男と面会した。

    「私も家族を奪われた者です」

    本村の言葉に死刑囚は涙を流し、

    「死刑判決を受けて初めて、自分がやったことの重大さを思い知った」と話した。

    4カ月後、死刑が執行された。

     「人の命を奪った者は、命をもって償うしかない」

    怒りにまかせた処罰感情ではなく、社会正義としての極刑の必要性を感じた本村は、差し戻し控訴審で被告に語りかけた。

    「君の犯した罪は万死に値する」

     被告の心中を察するすべはない。

    「絶対的な正義など誰にも定義できない」とも思うという。

    だが、本村はこう断言した。

    「人の命について重く考えているということを示すことが死刑だと思う」(敬称略)


     元少年に「死」という償いを求め、光市母子殺害事件の裁判は事実上終結した。

    事件は社会に何を問うたのか、振り返る。

    完。

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