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不仲じゃないのに歓迎されない実家
12/02/21 12:24:02
被告の精神鑑定を行った野田正彰氏の話 Aの口調はボソボソと頼りなく、内向的な印象。感情も表にほとんど現わさない。拘置中に『広辞苑』をすべて読んだというだけあって、難解な言葉も使うが、概念をよく理解していない。およそ26歳とはほど遠く、中学生の様な印象を抱いた。 しかし、淡々と話していても、ひとたび父親のことが話題にのぼると、Aは心底怯えた表情を見せる。Aは「捕まったとき、これで父親に殺、されなくてすむと思った」とすら語った。それは、父親の暴力がどれほどAの心を傷つけていたのかを物語っていた。 Aは1981年、山口光市で、地元の新日鉄に勤務する父と、母の間に長男として生まれた。2歳年下の弟とともに育てられたが、家庭は常に「暴力」と「緊張」そして「恐れ」に支配されていた。 父親は、結婚直後から、母親に恒常的に暴力を振るっていた。これは実家の母や妹が外傷を見ている。 父親から暴力を受け続ける母親の姿は、Aにはどう映っていたのか。 Aはやがて、母をかばおうとするようになった。 これを契機に、父親の暴力の矛先は押さないAにも向うようになった。「愛する母を助けてあげられない」という無力感にも苛まれる。幼児期、父親に足蹴にされ、冷蔵庫の角で頭を打ち、2日間もの間朦朧としていたこともあった。 小学校1~2年生頃に海水浴に行った際、父親は、泳げないAが乗ったゴムボートを海の上で転覆させ、故意に溺れさせた。また、小学3~4年生ごろには、父親に浴槽の上から頭を押さえつけられ、風呂の水に顔を浸けられる。この時、彼は「殺、されると思った」と感じている。 父親の暴力は、些細なことから突然始まる為、Aは、どう対応すればいいのか分からなかった。 Aが母親を守ろうとすると、父から容赦ない暴行を受け、逆に母親がAを守ろうとすると、父は母に対して暴力を加えた。 「どうしようもなかった、何もできなかった、亀になるしかなかった。僕は守れなかった」 面接中あまり感情を表現しないAだが、母の事になると無力感に顔を歪めていた。 このようにAは、常に父親の雰囲気を伺ってびくびくするような環境で育つ。本来、愛を与えてくれるはずの親から虐待され続け、彼の人間関係の取り方、他人との距離の置き方は混乱していった。 父親の暴力に怯える母とAは、共に被害者同士として、共生関係を持つようになる。 母親は親族からも遠く離れ、近くに相談相手もおらず孤立した生活を送っていた。その中で、長男のAとの結びつきを深めていった。母親はAに期待し、付っきりで勉強を見た。Aも、母親が自分の面倒を見てくれることが本当に嬉しかったと語っている。 そしてAが小学校の高学年になると、2人の繋がりは親子の境界を曖昧にする。母子相姦的な会話も交わされるようになる。 母親から「将来は(母とAとで)結婚して一緒に暮らそう。お前に似た子供ができるといいね」と、言葉をかけられた事があったと話す。 「母の期待に応えられるかどうか、本当に似た子が生まれるのか不安だった」と、Aは当時の心境を振り返っている。 Aは私との面談で、母親の事をしばしば妻や恋人であるかのように、下の名前で呼んでいた。それほど母親への愛着は深く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、「狂いそうになるほど辛かった」とも話している。 母親は虐待により不安定になり、精神安定剤や睡眠薬にも頼るようになり、自殺未遂を繰り返す。そして、Aが中学生(12歳)の時に38歳で自殺してしまう。その際、自宅ガレージで首を吊った母親の遺体を、Aは目撃している。 Aにその時の状況を聞くと、求めてもいないのに詳しい図面を描き始める。それほどその時のショック、精神的な外傷体験は鮮明に記憶されている。Aは「(母親の)腰のあたりがべったり濡れていた。その臭い(自殺時の失禁)も覚えている」と語る。 彼はまず、「父親が愛する母を殺、したのだ」という念を強くする。これには二重の意味がある。 「父親の虐待で母が死を選んだ」という思い。さらに、父親が第一発見者を祖母から自分へ変えたことから、「父親が直接殺、したのではないか」という疑い。 母を殺、した父を殺、そうと包丁を持って、眠っている父のもとに行ったこともあったが、かわいそうで実行できなかったとも話す。弟と2人で殺、す事を考えたが、まだ負けると断念した。 同時に、Aは「母親を守れなかった」との罪悪感も募らせていく。後追いして自殺しない自分を責めた。 理不尽な暴力を振るう父親を恐怖し避ける。一方、母親とは性愛的色彩を帯びた相互依存に至った。父親の暴力がいつ始まるか、怯えながらの生活は他人との適切な距離感を育むことを阻害した。Aは、他人との交流を避け、ゲームの世界に内閉した。
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古トピの為、これ以上コメントできません
12/02/21 12:47:16
>>6885 かなり問題になったのよね?これは精神鑑定とは言わない、って野田氏自身の精神鑑定論から逸脱し過ぎてて、野田氏の人間性まで問われることになってしまった。 これを、ここに貼るのは弁護士団がコピーをバラマいた行為に匹敵するんだけど、その辺りの件の認識があって貼ったのかな? 反論詳細あるけど…消すなら止めるよ。
12/02/21 12:52:28
>>6885 「精神鑑定医への疑問」宮崎哲弥 司法精神鑑定について、こんな正論がある。 「精神鑑定とは、厳密に言えば、犯行時に精神病であったか否かを診断し、裁判官や検察官に心神喪失者か心神耗弱者か否かの判断の資料を提供するものである。 決して「『動機や動機形成の過程』を解明したり、『心理状態などを調べる』ものではない」 「『なぜこんな凶悪な事件が起こったのか』、低俗な物語作りに加わってはならない。精神鑑定はあくまでも、専門の精神科医によって、被告が犯行時に精神病であったか否かを判断するものでなければならない。それ以上でも、それ以下でもあってもならない」 まったく筋目の通った議論だ。 書き手は精神科医の野田正彰(『世界』二〇〇〇年七月号)。 ところが、この文で精神鑑定の濫用、鑑定医の越権を厳しく戒めた野田が、光市母子殺害事件の弁護側精神鑑定では、自らその規戒を平然と破っているようにみえる。 以下略。 ※続きもあるし野田氏の反論文もある。でも、それは惨憺たるもの。それを貼るのは本意では無いから止めるね。
12/02/21 13:07:56
>>6885 これが犯罪に走って良い理由とは思えないが、ますますもって福田父が普通に暮らせなくなってしまえばいいのにって気持ちが高まってきた。居場所がわかったら、石でも釘でも投げつけてやりたいよ。
12/02/21 13:15:34
>>6885 結果的には在日団体に利用されて持論を翻し、その後の自身の弁明で恥の上塗りをしてしまった。 本来ならコピー等する類のものでは無いのに、こうやって拡散してしまったのは弁護団の策略。 父親に責任を転嫁すれば助かる、加害者本人も、それを認識してる発言がある。 これを、ここに引っ張り出したって事は在日団体の思想と同じ人が、ここにも存在するって事になってしまうね。
12/02/21 14:08:49
>>6885 で?っていう
12/02/21 15:56:35
>>6885 読んでるだけで気が狂いそうになる… 父親に何も罪が課せられないのが不思議でならないよ。一番憎いとさえ思う。
12/02/21 16:25:43
>>6916 >>6885を読んで>>6888を読み、そして>>6605を読んでみたら少し違うとおもうけど、どうだろうね。
12/02/21 19:11:48
>>6885 父親が死 んでたらよかったのにね 彼は何のために生まれてきたんだろう 父親が憎い
12/02/22 00:52:41
[判決後記事] >>6566 >>6576 >>6605 [判決後インタビュー] >>6938 >>6939 >>6940 福田知人宛手紙箇条書き >>6240 >>6975 福田精神鑑定書と、その背景。 >>6885 >>6887 >>6888 >>6891
12/02/22 01:13:46
追記するよ。全部、読んだら色々なことが繋がる。 [まとめ追加] [判決後記事] >>6566 >>6576 >>6605 [判決後インタビュー] >>6938 >>6939 >>6940 福田知人宛手紙箇条書き >>6240 >>6975 福田精神鑑定書と、その背景。 >>6885 >>6887 >>6888 >>6891 背景追記 >>6301 >>6836
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No.6885 匿名
12/02/21 12:24:02
被告の精神鑑定を行った野田正彰氏の話
Aの口調はボソボソと頼りなく、内向的な印象。感情も表にほとんど現わさない。拘置中に『広辞苑』をすべて読んだというだけあって、難解な言葉も使うが、概念をよく理解していない。およそ26歳とはほど遠く、中学生の様な印象を抱いた。
しかし、淡々と話していても、ひとたび父親のことが話題にのぼると、Aは心底怯えた表情を見せる。Aは「捕まったとき、これで父親に殺、されなくてすむと思った」とすら語った。それは、父親の暴力がどれほどAの心を傷つけていたのかを物語っていた。
Aは1981年、山口光市で、地元の新日鉄に勤務する父と、母の間に長男として生まれた。2歳年下の弟とともに育てられたが、家庭は常に「暴力」と「緊張」そして「恐れ」に支配されていた。
父親は、結婚直後から、母親に恒常的に暴力を振るっていた。これは実家の母や妹が外傷を見ている。
父親から暴力を受け続ける母親の姿は、Aにはどう映っていたのか。
Aはやがて、母をかばおうとするようになった。
これを契機に、父親の暴力の矛先は押さないAにも向うようになった。「愛する母を助けてあげられない」という無力感にも苛まれる。幼児期、父親に足蹴にされ、冷蔵庫の角で頭を打ち、2日間もの間朦朧としていたこともあった。
小学校1~2年生頃に海水浴に行った際、父親は、泳げないAが乗ったゴムボートを海の上で転覆させ、故意に溺れさせた。また、小学3~4年生ごろには、父親に浴槽の上から頭を押さえつけられ、風呂の水に顔を浸けられる。この時、彼は「殺、されると思った」と感じている。
父親の暴力は、些細なことから突然始まる為、Aは、どう対応すればいいのか分からなかった。
Aが母親を守ろうとすると、父から容赦ない暴行を受け、逆に母親がAを守ろうとすると、父は母に対して暴力を加えた。
「どうしようもなかった、何もできなかった、亀になるしかなかった。僕は守れなかった」
面接中あまり感情を表現しないAだが、母の事になると無力感に顔を歪めていた。
このようにAは、常に父親の雰囲気を伺ってびくびくするような環境で育つ。本来、愛を与えてくれるはずの親から虐待され続け、彼の人間関係の取り方、他人との距離の置き方は混乱していった。
父親の暴力に怯える母とAは、共に被害者同士として、共生関係を持つようになる。
母親は親族からも遠く離れ、近くに相談相手もおらず孤立した生活を送っていた。その中で、長男のAとの結びつきを深めていった。母親はAに期待し、付っきりで勉強を見た。Aも、母親が自分の面倒を見てくれることが本当に嬉しかったと語っている。
そしてAが小学校の高学年になると、2人の繋がりは親子の境界を曖昧にする。母子相姦的な会話も交わされるようになる。
母親から「将来は(母とAとで)結婚して一緒に暮らそう。お前に似た子供ができるといいね」と、言葉をかけられた事があったと話す。
「母の期待に応えられるかどうか、本当に似た子が生まれるのか不安だった」と、Aは当時の心境を振り返っている。
Aは私との面談で、母親の事をしばしば妻や恋人であるかのように、下の名前で呼んでいた。それほど母親への愛着は深く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、「狂いそうになるほど辛かった」とも話している。
母親は虐待により不安定になり、精神安定剤や睡眠薬にも頼るようになり、自殺未遂を繰り返す。そして、Aが中学生(12歳)の時に38歳で自殺してしまう。その際、自宅ガレージで首を吊った母親の遺体を、Aは目撃している。
Aにその時の状況を聞くと、求めてもいないのに詳しい図面を描き始める。それほどその時のショック、精神的な外傷体験は鮮明に記憶されている。Aは「(母親の)腰のあたりがべったり濡れていた。その臭い(自殺時の失禁)も覚えている」と語る。
彼はまず、「父親が愛する母を殺、したのだ」という念を強くする。これには二重の意味がある。
「父親の虐待で母が死を選んだ」という思い。さらに、父親が第一発見者を祖母から自分へ変えたことから、「父親が直接殺、したのではないか」という疑い。
母を殺、した父を殺、そうと包丁を持って、眠っている父のもとに行ったこともあったが、かわいそうで実行できなかったとも話す。弟と2人で殺、す事を考えたが、まだ負けると断念した。
同時に、Aは「母親を守れなかった」との罪悪感も募らせていく。後追いして自殺しない自分を責めた。
理不尽な暴力を振るう父親を恐怖し避ける。一方、母親とは性愛的色彩を帯びた相互依存に至った。父親の暴力がいつ始まるか、怯えながらの生活は他人との適切な距離感を育むことを阻害した。Aは、他人との交流を避け、ゲームの世界に内閉した。
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コメント
古トピの為、これ以上コメントできません
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No.6887 この鑑定書
12/02/21 12:47:16
>>6885
かなり問題になったのよね?これは精神鑑定とは言わない、って野田氏自身の精神鑑定論から逸脱し過ぎてて、野田氏の人間性まで問われることになってしまった。
これを、ここに貼るのは弁護士団がコピーをバラマいた行為に匹敵するんだけど、その辺りの件の認識があって貼ったのかな?
反論詳細あるけど…消すなら止めるよ。
No.6888 はい
12/02/21 12:52:28
>>6885
「精神鑑定医への疑問」宮崎哲弥
司法精神鑑定について、こんな正論がある。
「精神鑑定とは、厳密に言えば、犯行時に精神病であったか否かを診断し、裁判官や検察官に心神喪失者か心神耗弱者か否かの判断の資料を提供するものである。
決して「『動機や動機形成の過程』を解明したり、『心理状態などを調べる』ものではない」
「『なぜこんな凶悪な事件が起こったのか』、低俗な物語作りに加わってはならない。精神鑑定はあくまでも、専門の精神科医によって、被告が犯行時に精神病であったか否かを判断するものでなければならない。それ以上でも、それ以下でもあってもならない」
まったく筋目の通った議論だ。
書き手は精神科医の野田正彰(『世界』二〇〇〇年七月号)。
ところが、この文で精神鑑定の濫用、鑑定医の越権を厳しく戒めた野田が、光市母子殺害事件の弁護側精神鑑定では、自らその規戒を平然と破っているようにみえる。
以下略。
※続きもあるし野田氏の反論文もある。でも、それは惨憺たるもの。それを貼るのは本意では無いから止めるね。
No.6890 匿名
12/02/21 13:07:56
>>6885 これが犯罪に走って良い理由とは思えないが、ますますもって福田父が普通に暮らせなくなってしまえばいいのにって気持ちが高まってきた。居場所がわかったら、石でも釘でも投げつけてやりたいよ。
No.6891 この人も
12/02/21 13:15:34
>>6885
結果的には在日団体に利用されて持論を翻し、その後の自身の弁明で恥の上塗りをしてしまった。
本来ならコピー等する類のものでは無いのに、こうやって拡散してしまったのは弁護団の策略。
父親に責任を転嫁すれば助かる、加害者本人も、それを認識してる発言がある。
これを、ここに引っ張り出したって事は在日団体の思想と同じ人が、ここにも存在するって事になってしまうね。
No.6897 匿名
12/02/21 14:08:49
>>6885
で?っていう
No.6913 匿名
12/02/21 15:56:35
>>6885
読んでるだけで気が狂いそうになる…
父親に何も罪が課せられないのが不思議でならないよ。一番憎いとさえ思う。
No.6917 うん
12/02/21 16:25:43
>>6916
>>6885を読んで>>6888を読み、そして>>6605を読んでみたら少し違うとおもうけど、どうだろうね。
No.6936 匿名
12/02/21 19:11:48
>>6885
父親が死 んでたらよかったのにね
彼は何のために生まれてきたんだろう
父親が憎い
No.6989 まとめ追加
12/02/22 00:52:41
[判決後記事]
>>6566
>>6576
>>6605
[判決後インタビュー]
>>6938
>>6939
>>6940
福田知人宛手紙箇条書き
>>6240
>>6975
福田精神鑑定書と、その背景。
>>6885
>>6887
>>6888
>>6891
No.6999 やっと見つけた
12/02/22 01:13:46
追記するよ。全部、読んだら色々なことが繋がる。
[まとめ追加]
[判決後記事]
>>6566
>>6576
>>6605
[判決後インタビュー]
>>6938
>>6939
>>6940
福田知人宛手紙箇条書き
>>6240
>>6975
福田精神鑑定書と、その背景。
>>6885
>>6887
>>6888
>>6891
背景追記
>>6301
>>6836