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少女漫画で、三大漫画を選ぶとしたら?
古トピの為、これ以上コメントできません
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11/08/15 19:38:24
>>78 歴史は全て必然って言葉もあるよ。 その時それがあったから、こうなってるって。 残酷な必然なんだけど。
返信
11/08/15 19:23:33
>>63 東條は天皇を守りました。
11/08/15 15:05:06
>>89 お互い自国の正義を信じて戦ってたんだから、簡単に駆逐出来たら、その正義が正しかったと思ったままなんじゃないかなぁ。欲望は果てしないからね。 ベトナム戦争もそうだし、イラクやアフガニスタンを見てもそうだよね。 抵抗が激しく、多くの一般人を巻き込み、互いに辟易するまで続けてた。 どちらも多大な犠牲を払わないと気づかないし終わらない。 でも、気づいてもまた同じことを繰り返してる。愚かなことだよね。
11/08/15 15:03:22
命はあっても自由がない 植民地ってそれこそ毎日命懸けな生活で、自由がないどころの話じゃないと思うんだけど。
11/08/15 15:02:14
>>88 でもそんなこといったらキリがないでしょ。 事実は変えられないんだから、言えばキリがないよ。 結局はアメリカもソ連も有色人種のことなんて猿としか見てない。元々邪魔だったんだから。
11/08/15 14:58:52
>>85 命はあっても自由はない。 たくさんの命と引き換えに自由を手に…入れてないよね? 戦後はがっつり支配されてたよね? 早く負けを認めようが、原爆投下後だろうが一緒。 一緒なら早く認めた方が良かった? でも原爆の悲惨さを世界に見せしめ、核廃絶運動が高まったしね…
2件
11/08/15 14:54:34
>>86 原爆落とすまで世界は戦争の虚しさに気付いてなかったの?
1件
11/08/15 14:53:19
>>86 でも、それもあくまで推測だよね 早く降伏してれば、助かった命があったかもね
11/08/15 14:51:40
>>60 職業軍人が死ぬのはこれぞ武士道だと思うけど、結局多くの民間人も亡くしたわけだからね。 なにが起きてるのか理解できない子供や赤ちゃんも。 職業軍人は戦って死ぬのが仕事だからいいけどさ。
11/08/15 14:47:18
>>81 歴史にタラレバはないんだけど… 早々降伏したら、元の欧米の植民地支配に戻るだけで、日本はおろかアジア各国も独立は果たせなかっただろうと思う。 原爆投下したことで、アメリカは責められ、勝ち負けではなく、戦争の悲惨さ、愚かさや虚しさを世界中が感じたわけだからさ。
11/08/15 14:43:54
>>79 多くの人命と、自由と、どちらが大事か… うーん、難しいね
11/08/15 14:42:04
>>79 採取。笑 搾取かな?
11/08/15 14:41:00
>>82 それは知ってるけどさ、日本の功績?が無ければ現代に至ってもまだ尚アジアは植民地だったのかな?
11/08/15 14:38:29
>>81 アジア諸国がどうして独立出来たのかを知った方がいいわよ。
11/08/15 14:33:47
>>79 その後どのみち独立できたのでは?アジア諸国みたいに。 先進国にはなれてないだろうけど。
11/08/15 14:08:28
>>79 実際、ロシアと日本列島山分け案もあったしね。
11/08/15 13:57:58
>>78 そうね、早くに敗けを認めてアメリカの殖民地となり骨の髄まで採取されるのもまた一つの選択だったわね。
4件
11/08/15 13:36:33
>>68 早く負けを認めてれば落とされないで済んだんじゃ? アメリカの思惑はなんにしろハメられたのは日本。
11/08/15 12:39:48
>>76 しましたよ。正座して。 総理の言葉に腹立て、天皇陛下の御言葉に感動し、その後のニュースで韓国大統領の話にキレてしまいました…
11/08/15 12:06:56
しましたか? 家は子供と一緒にしました。
11/08/15 09:16:42
昔はもっとテレビで終戦記念日や戦争の事やってくれてたのにニュースも全然やらないね…。
11/08/15 08:55:19
>>73 うちは昔から12時にテレビの前で正座して黙祷する習慣があったな。子供の頃は意味わからなかったけど。 今日は子供達と一緒に黙祷することにしようと思う。
11/08/15 08:43:40
終戦記念日。
11/08/14 19:41:14
>>71 ≪瀕、死の負傷のなかで≫ 門田 着艦すべき空母が次々やられ、原田さんは海に不時着水したのですか。 原田 空母がやられても、まだ巡洋艦や駆逐艦が残っているので、私も上空哨戒を続行し、必死で戦いました。 こっちで飛んでいるのは私だけで、燃料が切れるまで飛び、駆逐艦脇の海面に着水したのですが、そこを敵機に攻撃され、救助の駆逐艦が逃げてしまった。 門田 救助されたのはいつだったのですか。 原田 なかなか来てくれなかった。 フカは自分より大きなものはかじらないというから、首のマフラーを足に縛り付けてみた。 もうダメと思って家内や子供のことが思い浮かびました。 でも、それを過ぎて、もう死、ぬしかない、と思いました。 マフラーも外したが、今度はフカがなかなか来ない。 そのうち静かで穏やかな気持ちになっていくのです。 やるだけやった。 もういい、という諦めですね。 門田 諦めですか。 原田 実は私は飛行機に乗るまでとても臆病で死が怖かった。 死に直面した時の苦しみを何とか取り除けないかと高僧に意見を求めたこともあった。 そのとき「あれこれ悩んでもつまらない。死、ぬとき誰でも多少の苦しみはある。でも、いよいよその時には案外穏やかになれる。諦めがあれば、人間は静かに穏やかに死、ねる。だから兵隊さん、心配はいらない」と言われたのです。 その言葉の意味がその時、わかったような気がしたのです。 前田 加賀の艦上にいた私もドーントレスの爆撃で左の膝の上をえぐられる負傷を負いました。 足が吹っ飛んだ感じでした。 救助を受けるためにいったん海に落とされ、海から駆逐艦に移ろうとした。 でも敵の攻撃でできない。 私もただ海を漂うだけでした。 手ぬぐいで傷をしっかり縛って止血したのが幸いして3時間後に引き上げられ、命は取り留めました。
11/08/14 18:57:01
>>70 門田 どういう思いだったのですか。 前田 標的と言われたウェストバージニアは太平洋艦隊の旗艦です。 生きて帰れるとは思っていませんでしたから私には名誉でした。 門田 実際の攻撃はどうでしたか。 前田 そりゃ人間ですから、自分たちの魚雷が命中した瞬間、思わず声が出た。 空母・加賀に帰還した時、無事任務が終わった安堵と生きて帰れた、何ともいえない感慨がこみ上げましたよ。 ところで私達は午前8時前の攻撃を禁じられていました。 外務省が宣戦布告する時間まで待って攻撃したのです。 が、肝心の外務省がそれをしていなかった。 戦後、真珠湾はだまし討ちだと耳にするたびに悔しい思いを味わいましたねえ。 それは今でも変わらないです。 ≪痛恨のミッドウェー≫ 門田 お二人はミッドウェーの戦いにも臨んでますね。 原田 昭和17年6月5日朝、上空哨戒(しょうかい)から着艦した時、敵の雷撃機が来襲してきた。 すぐに迎撃し、次々撃ち落としました。 激しい戦いでしたが、雷撃機をほぼ全滅させたのです。 ところが、急降下爆撃機のドーントレスが背後に迫っていることに気づかなかった。 それで甚大な被害を受けてしまった。 こっちは目前の敵に必死でしょう。 全体を見て艦から統率して指示を出すシステムがなかった。 全ての狂いはここから始まっている。 前田 索敵(さくてき)の怠慢以外の何物でもない。 巡洋艦から出た海軍兵学校出の大尉の一号偵察機が発艦から1時間後、ドーントレスに遭遇して撃ち合いをしていたのです。 当然、先には敵空母がいる。 なのに、大尉はこれを報告せず、雲の上を飛んで、空母も発見しなかった。 致命的なミスでした。 ところが、責任は利根から発艦した索敵機のせいにされた。 発艦が遅れた索敵機は敵空母を発見してそれを報告したが、これが「発見が遅れた」と敗北の責任を背負わされてしまったのです。 こちらは、海兵出ではなく、予科練の甲飛二期の機長だったからでしょう。 終戦後、この機長の墓参りに行った時、彼の墓石に刻まれた名前が削り取られていました。 何とも哀れで、一方、本当のミスをした大尉は不問に付され、戦後も自衛隊で出世を遂げたのです。 つづく
11/08/14 18:52:26
長文(インタビュー記事)ですので分割します。 日米開戦70年目 散った青年たちの潔さ、教訓に 産経新聞 8月14日(日)7時56分配信 「終戦企画座談会」 【日米開戦 70年目の検証】兵士の証言 ◆横山岳夫氏 原田要氏 前田武氏 司会・門田隆将氏 今年は日米開戦70周年で大正100年でもある。 先の大戦に臨んだ兵士の多くは大正生まれで、戦場を生き抜き、戦後は焼け跡から日本を立て直した「復興」の立役者でもある。 私たちの前に再び「復興」という重い課題がのしかかっている今、大正世代の証言や生きざまに目を向けるべきではないだろうか。 あすは終戦の日。 「太平洋戦争 最後の証言」の著者、門田隆将氏の司会で最前線の戦場に臨んだ元兵士が戦争と後世への思いを語った。 ■宣戦布告待った「真珠湾」 門田 今年は日米開戦70周年です。 今日は、先の大戦の当事者にお集まりいただきましたが、まず真珠湾攻撃に臨んだ前田さんにうかがいます。 真珠湾の攻撃を初めて告げられたのはいつだったのでしょうか。 前田 舞鶴航空隊から転勤で鹿児島に配属されたのは真珠湾攻撃の3カ月前。 ここで私は鹿児島湾で超低空から雷撃する訓練を連日続けました。 海面わずか10メートルから魚雷を落とす。 高度はそれ以上でも以下でもダメという難しい訓練でした。 門田 真珠湾攻撃と知っての訓練だったのですか。 前田 まだ誰も真珠湾とは聞かされていません。 門田 原田さんはいつ告げられたのですか。 原田 昭和16年11月の終わりです。 択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に連合艦隊が集結、そこで初めて各艦長らに明かされました。 「米国と外交交渉をしておるが、うまくまとまらない場合、攻撃する」と米国との開戦を知らされ、驚きました。 門田 真珠湾攻撃の時、横山さんはどこにおられましたか。 横山 戦艦「日向」に乗船して小笠原付近にいました。 真珠湾攻撃は事前に全く知らず、ラジオで知りました。 先の見通しなど全然考えてなかったから特に感慨などなかったですよ。 前田 どこで、何をするとも告げられぬまま出航し、豊後水道を航行していた時です。 加賀艦長の岡田次作大佐が全員に「ただ今より、本土に別れを告げる」と言われました。 その後、単冠湾到着翌日の11月24日、空母「赤城」の作戦室で、真珠湾と初めて知らされました。 つづく
11/08/14 18:27:24
日本ってなんでこんなに素晴らしいんだろうね。
11/08/14 18:25:49
>>63 原爆を落としたのは、人体実験とアメリカが強いと言う事を世界中に知らしめたかっただけだよ…
11/08/14 17:32:23
>>63 確かにそういう見方も出来ると思うよ。 やめ時を見誤って、沢山の犠牲を払ったことは事実だからね。 でも、ドイツやイギリスが降伏しても尚粘ったことで、結果的に両国とは違う道が開けた気がするんだよね。 天皇を処刑しなかったのも、日本国民の拠り所である天皇を罰したら暴走しかねないと恐れて思い止まったって説もあるくらい。 白人至上主義の世の中で、東洋の小国である日本の底力を見せつけ、その存在を認めさせた功績は大きいと思う。
11/08/14 17:30:39
>>63 もっと知った方が良いと思う。 東條を非難する思想は、日教組教育の洗脳のせいもあるんだよ。
11/08/14 17:27:07
>>64 それもだけど、あの時に天皇陛下が亡くなってたら今の日本も無いよね。日本が、こんな風に世界的に認められるのは、陛下の力に依る所が大きい。
11/08/14 17:14:49
>>63天皇陛下が降伏してと言っても降伏したら真っ先に処罰されたのは天皇陛下。 あれだけ粘ったからむしろ天皇陛下は処罰から外れたのだと思っています。 もし天皇陛下が処罰されたら日本は永遠に連合軍を恨んだでしょう。
11/08/14 17:00:21
どういう経緯で戦争が始まったにしろ、やめどきを逃したんだよ。原爆2つも投下されて。 本土決戦になるまえに負けを認めればあんな被害にならなかったはずだよ。 天皇は早くやめてって言ってたにもかかわらず東條が辞めなかった。 英雄なんてありえないと思うわ。
5件
11/08/14 14:35:37
>>61 アジアの小さな島国をパカにしてたマッカーサーは、武士道の潔さ、奥深さ、その精神の強さを感じて面食らったらしいね。 他の敗戦国の人達が、少しでも罪を軽くしようと責任逃れやなすり合う中、天皇陛下を始め日本の偉い人達は余計なことは言わず「責任は全て自分にある」ってお互いを庇いあったからね。 まさしく武士道。 同じ軍人として、何か感じるものがあったんだと思うなぁ。
11/08/14 14:20:15
>>57 まあ確かに中には死にたくないって人もいたよね。若い特攻隊員が母親に残した手紙とか見ると本当に切ないもん。 でも、単に軍国主義でお国のためにってことじゃなく、愛する人を守るために戦地に赴いた人が大半なんだろうと思うんだよね。 当時は弱肉強食の世界だから、簡単に白旗あげたら日本は解体されてたわけで、残された家族や愛する人がどうなるかわからなかった。でも、最後まで戦い抜いたことで、戦勝国側も日本って国を認めざるを得なかったってあると思う。 敵ながらアッパレってね。 現にマッカーサーでさえ直接天皇陛下にお会いしたら、日本人の精神の源を感じ、高く評価し、天皇陛下を処刑することを止めた。本来なら最高責任者である天皇陛下を処刑し、天皇制を解体するだったんだけどね。 戦争美化とかじゃなく、そういう日本の精神や亡くなった方々の思いを今を生きる日本人は正しく理解してあげなきゃいけないんじゃないかな?
11/08/14 13:23:28
>>57 ググるなり図書館で調べるなりして下さい。日本は有色人種を奴隷扱いする白人達に抵抗する為に立ち上がったのは紛れもない事実です。 植民地とされている国は同盟国として大切に扱っていたんです。 このまま死を待つか、支配国として屈するかを選ばされた時、戦う道を選んだのは正に武士道だと思いませんか? 東条もA級戦犯扱いですが、最後まで天皇を守り庇い続けた英雄ですよ。
11/08/14 13:13:26
綺麗事?賛美? これはただの事実。
11/08/14 13:09:27
>>57 どうかは、あなた次第。私は賛美とは思わないよ。だって事実なんだから。 どうして戦争になったのか? そこを、ねじ曲げて更に侵略国と日本を定義して、未だにネチネチ金をせびる某国の言いなりになるなんて有り得ないから。
11/08/14 13:02:17
>>51 日本を賛美してるんだろうけど、所詮綺麗事にしかきこえないわ。 戦没者達だって英霊だの祀られるよりは生きたかっただろうよ。
3件
11/08/14 12:35:02
どれだけ改ざん捏造されていたか分かる。まるで侵略戦争の様に書かれ、中韓には酷い事しました!という感じだったもの。
11/08/14 12:15:55
>>52 大正11年 韓国 釜山生まれ 平成二年一月逝去・六十八歳 韓日文化研究所 昭和四十二年十月 大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。 終戦後、韓国に帰国。李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられる。 ※「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放 朝鮮動乱をへて、昭和29年5月に「日本文科研究所」を設立。 研究主題は 1、日本上代文化の研究 2、帰化文化の研究 3、日本の信仰、道徳等精神文化の研究 その後、「日本と韓国」という著書を南朝鮮で出版しましたが、「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。 著書もすべて没収、焼却されてしまいました。 この著書は三分の二が日本への言及であり、日韓の恒久的安定が説かれていました。 出獄後もKCIAからの査察を受け、投獄の憂き目をみましたが、「日本文化研究所」を「韓日文化研究協会」と変えて続けました。
11/08/14 12:12:37
>>52 訂正! 西暦と間違えた! でも、まだ軍事独裁政権の時代の発言。よく抹殺されなかったと思う。 民主化された今のほうが弾圧激しいからね。
11/08/14 12:11:58
>>49 商才があるから権力者が多いんだよ。 ユダヤ人は流浪の民、世界各地に散らばりいろんな国で成功を収めている。
11/08/14 12:09:56
>>51 これはまだ韓国独立前のアメリカ統治時代の発言だね。韓国でも併合前後を知る世代は冷静に自国を見て、日本のこともちゃんと理解してる人も多かったんだろうね。 この方の子孫は親日派として弾圧されてるのかな…心配だわ。
11/08/14 11:54:01
レスコピーしてきました。 朴 鉄柱 (韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月) ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。 北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。 日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。 それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。 現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。 平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。 それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。 最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。 ”事態ここに至る。 座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。 それは日本の武士道の発露であった。 日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。 それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。 日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。 この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。 大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。 彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。 戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。 日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。 日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。 ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。 二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
11/08/14 09:10:34
>>47 勝った側も失うものが多すぎて辟易したのもあるし、世界の力関係が変わって、覇者となった米国がその力を維持するために再び戦争を起こされないように「平和を目指す」って名目で主導権を握って抑えつけてるのもあるんじゃないかな? 何しろ米国は世界の警察を自負してるからさ。 でも核保有国が増え、米国も力を失いつつある今、世界情勢は不安定になってるよね。
11/08/14 01:07:00
ユダヤって色々な場面に必ずと言っていい程出るよね。ユダヤ人が絡む話。ユダヤ人って何なの?
11/08/14 01:03:16
「凛として愛」と検索するとYouTubeに動画があります。これを見るとよくわかると思います。日本は自国含めアジアの為に戦った。色々と意見があるとは思いますが、日本人として「日本、近隣諸国の為に先人達は戦ってくれた」と信じていいのではないでしょうか。
11/08/14 00:50:09
>>45 勝戦国が日本のせいにして、日本が喧嘩ふっかけてくるから悪いんだよ、やっぱり平和がいいよねって流れでしょう。
11/08/13 13:55:07
>>45気が変わったんだよ。
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25/12/19 00:17:39
ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.95 どうだろう?
11/08/15 19:38:24
>>78
歴史は全て必然って言葉もあるよ。
その時それがあったから、こうなってるって。
残酷な必然なんだけど。
返信
No.94 あ
11/08/15 19:23:33
>>63
東條は天皇を守りました。
返信
No.93 あ
11/08/15 15:05:06
>>89
お互い自国の正義を信じて戦ってたんだから、簡単に駆逐出来たら、その正義が正しかったと思ったままなんじゃないかなぁ。欲望は果てしないからね。
ベトナム戦争もそうだし、イラクやアフガニスタンを見てもそうだよね。
抵抗が激しく、多くの一般人を巻き込み、互いに辟易するまで続けてた。
どちらも多大な犠牲を払わないと気づかないし終わらない。
でも、気づいてもまた同じことを繰り返してる。愚かなことだよね。
返信
No.92 匿名
11/08/15 15:03:22
命はあっても自由がない
植民地ってそれこそ毎日命懸けな生活で、自由がないどころの話じゃないと思うんだけど。
返信
No.91 匿名
11/08/15 15:02:14
>>88
でもそんなこといったらキリがないでしょ。
事実は変えられないんだから、言えばキリがないよ。
結局はアメリカもソ連も有色人種のことなんて猿としか見てない。元々邪魔だったんだから。
返信
No.90 匿名
11/08/15 14:58:52
>>85
命はあっても自由はない。
たくさんの命と引き換えに自由を手に…入れてないよね?
戦後はがっつり支配されてたよね?
早く負けを認めようが、原爆投下後だろうが一緒。
一緒なら早く認めた方が良かった?
でも原爆の悲惨さを世界に見せしめ、核廃絶運動が高まったしね…
返信
2件
No.89 匿名
11/08/15 14:54:34
>>86
原爆落とすまで世界は戦争の虚しさに気付いてなかったの?
返信
1件
No.88 匿名
11/08/15 14:53:19
>>86
でも、それもあくまで推測だよね
早く降伏してれば、助かった命があったかもね
返信
1件
No.87 匿名
11/08/15 14:51:40
>>60
職業軍人が死ぬのはこれぞ武士道だと思うけど、結局多くの民間人も亡くしたわけだからね。
なにが起きてるのか理解できない子供や赤ちゃんも。
職業軍人は戦って死ぬのが仕事だからいいけどさ。
返信
No.86 匿名
11/08/15 14:47:18
>>81
歴史にタラレバはないんだけど…
早々降伏したら、元の欧米の植民地支配に戻るだけで、日本はおろかアジア各国も独立は果たせなかっただろうと思う。
原爆投下したことで、アメリカは責められ、勝ち負けではなく、戦争の悲惨さ、愚かさや虚しさを世界中が感じたわけだからさ。
返信
2件
No.85 匿名
11/08/15 14:43:54
>>79
多くの人命と、自由と、どちらが大事か…
うーん、難しいね
返信
1件
No.84 匿名
11/08/15 14:42:04
>>79
採取。笑
搾取かな?
返信
No.83 匿名
11/08/15 14:41:00
>>82
それは知ってるけどさ、日本の功績?が無ければ現代に至ってもまだ尚アジアは植民地だったのかな?
返信
No.82 匿名
11/08/15 14:38:29
>>81
アジア諸国がどうして独立出来たのかを知った方がいいわよ。
返信
1件
No.81 匿名
11/08/15 14:33:47
>>79
その後どのみち独立できたのでは?アジア諸国みたいに。
先進国にはなれてないだろうけど。
返信
2件
No.80 あ
11/08/15 14:08:28
>>79
実際、ロシアと日本列島山分け案もあったしね。
返信
No.79 匿名
11/08/15 13:57:58
>>78
そうね、早くに敗けを認めてアメリカの殖民地となり骨の髄まで採取されるのもまた一つの選択だったわね。
返信
4件
No.78 でも
11/08/15 13:36:33
>>68
早く負けを認めてれば落とされないで済んだんじゃ?
アメリカの思惑はなんにしろハメられたのは日本。
返信
2件
No.77 あ
11/08/15 12:39:48
>>76
しましたよ。正座して。
総理の言葉に腹立て、天皇陛下の御言葉に感動し、その後のニュースで韓国大統領の話にキレてしまいました…
返信
No.76 黙祷
11/08/15 12:06:56
しましたか?
家は子供と一緒にしました。
返信
1件
No.75 匿名
11/08/15 09:16:42
昔はもっとテレビで終戦記念日や戦争の事やってくれてたのにニュースも全然やらないね…。
返信
No.74 匿名
11/08/15 08:55:19
>>73
うちは昔から12時にテレビの前で正座して黙祷する習慣があったな。子供の頃は意味わからなかったけど。
今日は子供達と一緒に黙祷することにしようと思う。
返信
No.73 今日は
11/08/15 08:43:40
終戦記念日。
返信
1件
No.72 つづき
11/08/14 19:41:14
>>71
≪瀕、死の負傷のなかで≫
門田 着艦すべき空母が次々やられ、原田さんは海に不時着水したのですか。
原田 空母がやられても、まだ巡洋艦や駆逐艦が残っているので、私も上空哨戒を続行し、必死で戦いました。
こっちで飛んでいるのは私だけで、燃料が切れるまで飛び、駆逐艦脇の海面に着水したのですが、そこを敵機に攻撃され、救助の駆逐艦が逃げてしまった。
門田 救助されたのはいつだったのですか。
原田 なかなか来てくれなかった。
フカは自分より大きなものはかじらないというから、首のマフラーを足に縛り付けてみた。
もうダメと思って家内や子供のことが思い浮かびました。
でも、それを過ぎて、もう死、ぬしかない、と思いました。
マフラーも外したが、今度はフカがなかなか来ない。
そのうち静かで穏やかな気持ちになっていくのです。
やるだけやった。
もういい、という諦めですね。
門田 諦めですか。
原田 実は私は飛行機に乗るまでとても臆病で死が怖かった。
死に直面した時の苦しみを何とか取り除けないかと高僧に意見を求めたこともあった。
そのとき「あれこれ悩んでもつまらない。死、ぬとき誰でも多少の苦しみはある。でも、いよいよその時には案外穏やかになれる。諦めがあれば、人間は静かに穏やかに死、ねる。だから兵隊さん、心配はいらない」と言われたのです。
その言葉の意味がその時、わかったような気がしたのです。
前田 加賀の艦上にいた私もドーントレスの爆撃で左の膝の上をえぐられる負傷を負いました。
足が吹っ飛んだ感じでした。
救助を受けるためにいったん海に落とされ、海から駆逐艦に移ろうとした。
でも敵の攻撃でできない。
私もただ海を漂うだけでした。
手ぬぐいで傷をしっかり縛って止血したのが幸いして3時間後に引き上げられ、命は取り留めました。
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No.71 つづき
11/08/14 18:57:01
>>70
門田 どういう思いだったのですか。
前田 標的と言われたウェストバージニアは太平洋艦隊の旗艦です。
生きて帰れるとは思っていませんでしたから私には名誉でした。
門田 実際の攻撃はどうでしたか。
前田 そりゃ人間ですから、自分たちの魚雷が命中した瞬間、思わず声が出た。
空母・加賀に帰還した時、無事任務が終わった安堵と生きて帰れた、何ともいえない感慨がこみ上げましたよ。
ところで私達は午前8時前の攻撃を禁じられていました。
外務省が宣戦布告する時間まで待って攻撃したのです。
が、肝心の外務省がそれをしていなかった。
戦後、真珠湾はだまし討ちだと耳にするたびに悔しい思いを味わいましたねえ。
それは今でも変わらないです。
≪痛恨のミッドウェー≫
門田 お二人はミッドウェーの戦いにも臨んでますね。
原田 昭和17年6月5日朝、上空哨戒(しょうかい)から着艦した時、敵の雷撃機が来襲してきた。
すぐに迎撃し、次々撃ち落としました。
激しい戦いでしたが、雷撃機をほぼ全滅させたのです。
ところが、急降下爆撃機のドーントレスが背後に迫っていることに気づかなかった。
それで甚大な被害を受けてしまった。
こっちは目前の敵に必死でしょう。
全体を見て艦から統率して指示を出すシステムがなかった。
全ての狂いはここから始まっている。
前田 索敵(さくてき)の怠慢以外の何物でもない。
巡洋艦から出た海軍兵学校出の大尉の一号偵察機が発艦から1時間後、ドーントレスに遭遇して撃ち合いをしていたのです。
当然、先には敵空母がいる。
なのに、大尉はこれを報告せず、雲の上を飛んで、空母も発見しなかった。
致命的なミスでした。
ところが、責任は利根から発艦した索敵機のせいにされた。
発艦が遅れた索敵機は敵空母を発見してそれを報告したが、これが「発見が遅れた」と敗北の責任を背負わされてしまったのです。
こちらは、海兵出ではなく、予科練の甲飛二期の機長だったからでしょう。
終戦後、この機長の墓参りに行った時、彼の墓石に刻まれた名前が削り取られていました。
何とも哀れで、一方、本当のミスをした大尉は不問に付され、戦後も自衛隊で出世を遂げたのです。
つづく
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No.70 明日は終戦記念日
11/08/14 18:52:26
長文(インタビュー記事)ですので分割します。
日米開戦70年目 散った青年たちの潔さ、教訓に
産経新聞 8月14日(日)7時56分配信
「終戦企画座談会」
【日米開戦 70年目の検証】兵士の証言
◆横山岳夫氏 原田要氏 前田武氏
司会・門田隆将氏
今年は日米開戦70周年で大正100年でもある。
先の大戦に臨んだ兵士の多くは大正生まれで、戦場を生き抜き、戦後は焼け跡から日本を立て直した「復興」の立役者でもある。
私たちの前に再び「復興」という重い課題がのしかかっている今、大正世代の証言や生きざまに目を向けるべきではないだろうか。
あすは終戦の日。
「太平洋戦争 最後の証言」の著者、門田隆将氏の司会で最前線の戦場に臨んだ元兵士が戦争と後世への思いを語った。
■宣戦布告待った「真珠湾」
門田 今年は日米開戦70周年です。
今日は、先の大戦の当事者にお集まりいただきましたが、まず真珠湾攻撃に臨んだ前田さんにうかがいます。
真珠湾の攻撃を初めて告げられたのはいつだったのでしょうか。
前田 舞鶴航空隊から転勤で鹿児島に配属されたのは真珠湾攻撃の3カ月前。
ここで私は鹿児島湾で超低空から雷撃する訓練を連日続けました。
海面わずか10メートルから魚雷を落とす。
高度はそれ以上でも以下でもダメという難しい訓練でした。
門田 真珠湾攻撃と知っての訓練だったのですか。
前田 まだ誰も真珠湾とは聞かされていません。
門田 原田さんはいつ告げられたのですか。
原田 昭和16年11月の終わりです。
択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に連合艦隊が集結、そこで初めて各艦長らに明かされました。
「米国と外交交渉をしておるが、うまくまとまらない場合、攻撃する」と米国との開戦を知らされ、驚きました。
門田 真珠湾攻撃の時、横山さんはどこにおられましたか。
横山 戦艦「日向」に乗船して小笠原付近にいました。
真珠湾攻撃は事前に全く知らず、ラジオで知りました。
先の見通しなど全然考えてなかったから特に感慨などなかったですよ。
前田 どこで、何をするとも告げられぬまま出航し、豊後水道を航行していた時です。
加賀艦長の岡田次作大佐が全員に「ただ今より、本土に別れを告げる」と言われました。
その後、単冠湾到着翌日の11月24日、空母「赤城」の作戦室で、真珠湾と初めて知らされました。
つづく
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No.69 ねー
11/08/14 18:27:24
日本ってなんでこんなに素晴らしいんだろうね。
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No.68 あ
11/08/14 18:25:49
>>63
原爆を落としたのは、人体実験とアメリカが強いと言う事を世界中に知らしめたかっただけだよ…
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No.67 匿名
11/08/14 17:32:23
>>63
確かにそういう見方も出来ると思うよ。
やめ時を見誤って、沢山の犠牲を払ったことは事実だからね。
でも、ドイツやイギリスが降伏しても尚粘ったことで、結果的に両国とは違う道が開けた気がするんだよね。
天皇を処刑しなかったのも、日本国民の拠り所である天皇を罰したら暴走しかねないと恐れて思い止まったって説もあるくらい。
白人至上主義の世の中で、東洋の小国である日本の底力を見せつけ、その存在を認めさせた功績は大きいと思う。
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No.66 天皇について
11/08/14 17:30:39
>>63
もっと知った方が良いと思う。
東條を非難する思想は、日教組教育の洗脳のせいもあるんだよ。
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No.65 うん
11/08/14 17:27:07
>>64
それもだけど、あの時に天皇陛下が亡くなってたら今の日本も無いよね。日本が、こんな風に世界的に認められるのは、陛下の力に依る所が大きい。
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No.64 匿名
11/08/14 17:14:49
>>63天皇陛下が降伏してと言っても降伏したら真っ先に処罰されたのは天皇陛下。
あれだけ粘ったからむしろ天皇陛下は処罰から外れたのだと思っています。
もし天皇陛下が処罰されたら日本は永遠に連合軍を恨んだでしょう。
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No.63 でも
11/08/14 17:00:21
どういう経緯で戦争が始まったにしろ、やめどきを逃したんだよ。原爆2つも投下されて。
本土決戦になるまえに負けを認めればあんな被害にならなかったはずだよ。
天皇は早くやめてって言ってたにもかかわらず東條が辞めなかった。
英雄なんてありえないと思うわ。
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5件
No.62 あ
11/08/14 14:35:37
>>61
アジアの小さな島国をパカにしてたマッカーサーは、武士道の潔さ、奥深さ、その精神の強さを感じて面食らったらしいね。
他の敗戦国の人達が、少しでも罪を軽くしようと責任逃れやなすり合う中、天皇陛下を始め日本の偉い人達は余計なことは言わず「責任は全て自分にある」ってお互いを庇いあったからね。
まさしく武士道。
同じ軍人として、何か感じるものがあったんだと思うなぁ。
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No.61 匿名
11/08/14 14:20:15
>>57
まあ確かに中には死にたくないって人もいたよね。若い特攻隊員が母親に残した手紙とか見ると本当に切ないもん。
でも、単に軍国主義でお国のためにってことじゃなく、愛する人を守るために戦地に赴いた人が大半なんだろうと思うんだよね。
当時は弱肉強食の世界だから、簡単に白旗あげたら日本は解体されてたわけで、残された家族や愛する人がどうなるかわからなかった。でも、最後まで戦い抜いたことで、戦勝国側も日本って国を認めざるを得なかったってあると思う。
敵ながらアッパレってね。
現にマッカーサーでさえ直接天皇陛下にお会いしたら、日本人の精神の源を感じ、高く評価し、天皇陛下を処刑することを止めた。本来なら最高責任者である天皇陛下を処刑し、天皇制を解体するだったんだけどね。
戦争美化とかじゃなく、そういう日本の精神や亡くなった方々の思いを今を生きる日本人は正しく理解してあげなきゃいけないんじゃないかな?
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1件
No.60 自虐教育から脱却するために
11/08/14 13:23:28
>>57
ググるなり図書館で調べるなりして下さい。日本は有色人種を奴隷扱いする白人達に抵抗する為に立ち上がったのは紛れもない事実です。
植民地とされている国は同盟国として大切に扱っていたんです。
このまま死を待つか、支配国として屈するかを選ばされた時、戦う道を選んだのは正に武士道だと思いませんか?
東条もA級戦犯扱いですが、最後まで天皇を守り庇い続けた英雄ですよ。
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No.59 匿名
11/08/14 13:13:26
綺麗事?賛美?
これはただの事実。
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No.58 賛美と取るか
11/08/14 13:09:27
>>57
どうかは、あなた次第。私は賛美とは思わないよ。だって事実なんだから。
どうして戦争になったのか?
そこを、ねじ曲げて更に侵略国と日本を定義して、未だにネチネチ金をせびる某国の言いなりになるなんて有り得ないから。
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No.57 匿名
11/08/14 13:02:17
>>51
日本を賛美してるんだろうけど、所詮綺麗事にしかきこえないわ。
戦没者達だって英霊だの祀られるよりは生きたかっただろうよ。
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3件
No.56 教科書や歴史が
11/08/14 12:35:02
どれだけ改ざん捏造されていたか分かる。まるで侵略戦争の様に書かれ、中韓には酷い事しました!という感じだったもの。
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No.55 朴 鉄柱
11/08/14 12:15:55
>>52
大正11年 韓国 釜山生まれ
平成二年一月逝去・六十八歳
韓日文化研究所 昭和四十二年十月
大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。
終戦後、韓国に帰国。李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられる。
※「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放
朝鮮動乱をへて、昭和29年5月に「日本文科研究所」を設立。
研究主題は
1、日本上代文化の研究
2、帰化文化の研究
3、日本の信仰、道徳等精神文化の研究
その後、「日本と韓国」という著書を南朝鮮で出版しましたが、「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。
著書もすべて没収、焼却されてしまいました。
この著書は三分の二が日本への言及であり、日韓の恒久的安定が説かれていました。
出獄後もKCIAからの査察を受け、投獄の憂き目をみましたが、「日本文化研究所」を「韓日文化研究協会」と変えて続けました。
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No.54 匿名
11/08/14 12:12:37
>>52 訂正!
西暦と間違えた!
でも、まだ軍事独裁政権の時代の発言。よく抹殺されなかったと思う。
民主化された今のほうが弾圧激しいからね。
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No.53 匿名
11/08/14 12:11:58
>>49
商才があるから権力者が多いんだよ。
ユダヤ人は流浪の民、世界各地に散らばりいろんな国で成功を収めている。
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No.52 匿名
11/08/14 12:09:56
>>51
これはまだ韓国独立前のアメリカ統治時代の発言だね。韓国でも併合前後を知る世代は冷静に自国を見て、日本のこともちゃんと理解してる人も多かったんだろうね。
この方の子孫は親日派として弾圧されてるのかな…心配だわ。
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2件
No.51 広島、長崎原爆トピから
11/08/14 11:54:01
レスコピーしてきました。
朴 鉄柱
(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。
北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。
日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。
それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
”事態ここに至る。
座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。
それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
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No.50 まあ
11/08/14 09:10:34
>>47
勝った側も失うものが多すぎて辟易したのもあるし、世界の力関係が変わって、覇者となった米国がその力を維持するために再び戦争を起こされないように「平和を目指す」って名目で主導権を握って抑えつけてるのもあるんじゃないかな?
何しろ米国は世界の警察を自負してるからさ。
でも核保有国が増え、米国も力を失いつつある今、世界情勢は不安定になってるよね。
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No.49 無知
11/08/14 01:07:00
ユダヤって色々な場面に必ずと言っていい程出るよね。ユダヤ人が絡む話。ユダヤ人って何なの?
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No.48 主さん
11/08/14 01:03:16
「凛として愛」と検索するとYouTubeに動画があります。これを見るとよくわかると思います。日本は自国含めアジアの為に戦った。色々と意見があるとは思いますが、日本人として「日本、近隣諸国の為に先人達は戦ってくれた」と信じていいのではないでしょうか。
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No.47 匿名
11/08/14 00:50:09
>>45
勝戦国が日本のせいにして、日本が喧嘩ふっかけてくるから悪いんだよ、やっぱり平和がいいよねって流れでしょう。
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No.46 匿名
11/08/13 13:55:07
>>45気が変わったんだよ。
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