- TV・エンタメ
- 琴爪ゆかり
- 17/10/01 21:30:02
2017年10月からスタートのNHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」のネタバレトピです
今回のヒロイン「藤岡てん」にはモデルがいるわよ
吉本興業の創設者の吉本せい
明治後期から第2次世界大戦終了直後の大阪を舞台に寄席の経営に挑むお話よ
山崎豊子の小説「花のれん」のモデルにもなってるのよ
吉本せい
1889(明治22)年12月5日
兵庫県明石市で米穀商・金融商の林家の三女(12人兄弟)として生まれる
成績優秀だった尋常小学校卒業後進学を望んだが、父の反対で断念
母の命令で奉公に出されたあと林家に戻り商才を発揮して家業の売上を伸ばした
1910(明治43)年4月
母による縁談で大阪上町本町橋の荒物問屋「箸吉」の息子の吉本吉兵衛(通称:吉本泰三)と結婚
(実際には1907年12月の18歳のころから結婚生活であった)
吉兵衛は家業を放り出し長年芸人道楽に走った
姑(後妻)・出口ユキに嫁イビリをされる
その後、「箸吉」が日露戦争後の不況で廃業
1912(明治45)年4月
夫婦で天満八軒の一つ「第二文芸館」を買収し、寄席経営をはじめる
1913(大正2)年1月
大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に「吉本興行部」を設立
1915(大正4)年
南法善寺「蓬莱館」を買収して「南地花月」にする
「第二文芸館」は「天満花月」に改称
1924(大正13)年
夫・吉兵衛が37歳で死去
1928(昭和3)年
勅定紺綬褒章を受賞
1932(昭和7)年3月
吉本興行部を改組する形で「吉本興業合名会社」を発足
初代社長に就任
1935(昭和10)年
吉兵衛と親しかった吉本の顧問・辻阪信次郎が贈収賄汚職事件で逮捕(獄中で自殺)
せいは社長のため逮捕されるが辻阪の自殺で真相が分からなくなったので、せいは釈放
(その後、辻阪の息子・昌一はせいの六女・邦子と結婚して吉本の重役になった)
1938(昭和13)年
通天閣を31万円で買収
1939(昭和14)年
養成所「漫才道場」開校
「大阪花月劇団」(のちの「なんば花月」)開場
1940(昭和15)年
せいが広沢虎造を吉本専属させるもくろみで山口組・山口登との癒着により浅草田島町殺傷事件など「抗争」が起こる
1948(昭和23)年1月7日
吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組
会長に就任
1950(昭和25)年3月14日
せいが(結核からの衰弱で)60歳で死去
☆弟の2人はせいに続いて社長に就任している
林正之助 1948年~1963年
1970年~1973年 1986年~1991年
林弘高 1963年~1970年
☆吉兵衛との間に子供は8人生まれるけど4人早世してしまい、
次男・穎右は笠置シズ子と交際して娘もできたけど、
昭和22年に結核で穎右が25歳で死去して、せいと笠置とは確執があり笠置は吉本家とは断絶した
残ったのが三女と五女と六女だけになるわね
現在、三女・峰子が吉本家として吉本興業を相続している
せいの直系の孫は笠置の娘・エイ子だけらしい
☆吉本興業は正之助の死後は社長の座をめぐり創業一族・林家と生抜き社員たちとの争いや
せいの時代からの暴力団との関わりなど問題があったけど、
現在は東京進出の功労者の生抜き社員の大崎洋氏が社長になってるわね。
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