小学生に蹴られた教員が反射的に蹴り返したら減給…子どもは何でも許され「教員は我慢しろ」でいいのか

匿名

飛石

25/10/05 04:37:01

小学生に蹴られた男性教員が反射的に蹴り返したら減給…子どもは何でも許され「教員は我慢しろ」でいいのか

「児童の親に謝罪させ、教員は慰謝料を請求するべき」との声も

2025/10/03 10:00
PRESIDENT Online

◆教員が児童の左すねを蹴って、謝罪&減給のウラ

今年5月、北海道北広島市の小学校で68歳の男性教員が児童にいたずらで教室の扉を閉められ、注意したところ蹴られ、とっさにつま先で児童の左すねを蹴り返してしまった(児童にケガはなし)。このことで北海道教育委員会は教員を減給処分(減給1カ月、給料の10分の1の懲戒処分)にした、と報じられました。

児童は悪ふざけのつもりだったのかもしれません。かつて「先生」という呼称には尊敬心や、畏怖の念が込められることもありましたが、今はそれも形骸化しつつあり、教員の存在はカジュアル化しています。この児童は、友達と休み時間にじゃれあう感覚で、教員に応対したのでしょう。

この教員が、「暴力」を「暴力」で返してしまったことは明らかに失点であり、弁解の余地はありません。ただ、教員生活20数年の筆者として、この件で気になるのは教育委員会の対応です。「処分」で安易に幕を引こうとしているように見えるのです。

今回のニュースを巡って、ネットではさまざまな意見があがり、多くの人々が「処分」に違和感を抱いているようでした。

「むしろ(児童の)親に謝罪させ、教員は慰謝料を請求するべき」
「最初に暴力をふるった子が何の責任も取らないのはおかしい」

特に支持を集めたコメントは、「(当該児童の)保護者が教員に謝罪する姿を見せることが子どもの成長につながる」という趣旨の意見でした。子どもは「やってはいけないことをすれば、親に迷惑をかける」ことを学ぶはずだ、と。

しかし実際は、処分は教員にだけ下され、子どもは結果的に「挑発しても、自分は守られる」という誤った学習をしてしまった可能性が高い。

続く

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.1 飛石

    25/10/05 04:37:38

    ◆不均衡が生む泣き寝入り

    こうした「教員のみ処分、児童・生徒はお咎めなし」という事例は学校では無数に発生しており、明るみに出た今回は氷山の一角だと思われます。

    筆者自身も目撃したことがあります。ある児童が怒りに任せて暴言を吐き、定年間近の女性教師の顔を思い切り叩いたのです。顔には傷が残り、眼鏡も壊れました。それにもかかわらず、大ごとになるのを避けた学校は児童を不問として、被害を受けた教師は泣き寝入りするしかなかった。

    「子どもの権利を守る」ことは教育の現場では絶対ルールです。しかし、教員だけが一方的に耐えるよう強いられる不均衡はいかがなものか。どんな家庭の事情や背景がある子でも、相手(人)に暴力をふるえば「自らに責任が発生する」ということを学ばせるという観点が必要です。

    続く

  • No.2 飛石

    25/10/05 04:39:25

    ◆「死/ね」と言うのは許されるのに、教師は一発退場

    言葉の暴力も今の学校では、ふつうです。

    私の知人の教員は、ある朝、児童に「おはよう」と声をかけたところ、返ってきたのは「死/ね」だったそうです。児童の体調が悪い。家庭が荒れている。友人関係がうまくいっていない。そんなクサクサする出来事があったのかもしれません。けれども、教員が同じ言葉を発したらどうなるか。一発で処分です。

    学校という場は、残念ながら「子どもは何を言っても許される」「教員は一言で処分される」という不均衡のうえに成り立っていると言わざるを得ません。この構造を放置すれば、子どもに責任を学ばせる機会を奪い、教員に萎縮と不信感だけを残すことになります。

    ◆「我慢しろ」というメッセージが教師を病ませる

    そうでなくても、多くの教員は疲弊しています。ある若手女性講師は、児童に腹を殴られ、校長にそれを報告しました。すると、校長は言ったそうです。「子どもを許してください」。その女性講師は心が折れて教職の道を断念しました。

    文部科学省の調査(2023年度)では、公立学校教職員の精神疾患による病気休職者数が7119人となり、3年連続で過去最多を更新しました。最大の理由(26.5%)は「児童・生徒対応」で、「職場の対人関係」や「事務的な業務」を上回っています。暴言や暴力を受けても「我慢しろ」というメッセージは、教員を病ませ、現場から人を失わせます。「教員は聖職者」という考え方がある一方で、「教員は労働者」であることも事実です。相手が未熟な子どもだから、と何をしてもいいことにはならないのは言うまでもありません。

    北海道の件ではこのような声もありました。

    「蹴られて蹴り返さず冷静に対応できる余裕を、教育委員会は現場に提供しているのか?」

    教育委員会は児童や保護者対応をすべて教員に押し付け、我慢と冷静さを求める。であれば、教員に対しても一定のケアがなされてもいいのではないでしょうか。

    続く

  • No.3 飛石

    25/10/05 04:40:13

    ◆処分文化が「クレーマー社会」を生む

    筆者は、教育委員会的な「処分文化」は社会全体に悪影響を及ぼしうると考えます。

    ネットのコメントにはこうした趣旨のものもありました。

    「社会というのは、やったらやり返される因果応報の世界。やり返されないのは過剰に守られているから。この構図を理解しないまま大人になってもろくなものにならない」

    子ども時代に「自分は守られ、大人が謝るだけ」と学んだ人間は、大人になっても同じ構図を持ち込むようになるおそれがあります。職場や地域で不満があれば、自分のことはさておき、ひらすら相手を責め、謝罪や補償を求める。いわゆる「モンスターペアレント」や「クレーマー」の温床は、この処分文化にあるのではないでしょうか。

    ◆「処分」ではなく「信頼」こそ教育の根本

    私のFacebookに、全国で活躍する信頼する教育者から、今回の件を受け、次のようなコメントが寄せられました。

    「処分とはその人を信頼していない証。信頼ベースの応援の循環こそが教育の方向性」

    処分は恐怖によるマネジメントにすぎず、現場を萎縮させ、挑戦心やモチベーションを奪います。私も返信でこう述べました。

    「本来教育委員会がすべきは、直轄にいる教員への処分ではなく、頭を下げて勇気づけや現場サポートに回ることです」

    処分文化ではなく、信頼と応援の文化へ。これは教師と子どもの関係に限らず、社会全体に求められる方向性です。

    続く

  • No.4 飛石

    25/10/05 04:41:31

    ◆教師を守らない社会に未来はない

    今回処分を受けたのは、再任用された68歳のベテランです。「退職後も学校を支えたい」という志を持った人材をも、処分文化は追い出してしまいます。

    若手も同じです。「守られない職業」であると知れば、教職を目指す人は減り、残った教師も指導の熱意は下がるばかり。結果として教育の質が低下し、子どもたち自身が損をするのです。

    松尾英明『不親切教師はかく語りき』(さくら社)松尾英明『不親切教師はかく語りき』(さくら社)
    弊著『不親切教師はかく語りき』(さくら社)の「不親切教師」とは、勉強や生活指導に関して手取り足取り懇切丁寧に寄り添うスタイルではなく、あえて児童に余計な手を貸さず・出さず、一定の距離間を保って最終的な責任は自分自身で引き受けるんだよ、という意識を持たせる、筆者が命名した指導法です。それにより、子どもは成長すると信じています。

    処分文化を今後も続けるのか、きっぱりやめるのか。今、日本の教育現場はターニングポイントに立っています。教育委員会は、末端処分で「やったふり」をするのではなく、保護者や児童にも自覚を促し、自らも責任を負う覚悟を示す。それこそが、日本の教育現場の質を担保・向上することにつながるのです。

    https://president.jp/articles/-/103152

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