コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.124 咲良うた

    25/06/29 14:50:27

    ★ネタバレサイト(「朝ドラPLUS」など)のネタバレ記事とテレビの番組表(サイト)にあるあらすじから要約してお知らせしている。

    ☆第14週「幸福よ、どこにいる」ネタバレ
    高知新報に入社したのぶ。早速現場に出かけて闇市で速記でメモをとる
    のぶが取材した戦災孤児の記事を東海林はつき返した
    それでものぶは何度も書き直して初めてのぶの記事が朝刊に載った

    高知新報が夕刊の発行の申請が通り、のぶが編集長・東海林と岩清水と共に夕刊担当を任された
    だが夕刊の話が中止になるが、のぶはそれでも闇市に取材に出かけて記事を書き続けた

    嵩と健太郎と康太たちは進駐軍から廃品回収したものを売っていた
    ある日嵩はアメリカの雑誌「HOPE」を見つけて心が躍る
    その「HOPE」を東海林が買っていった
    健太郎は嵩の誕生日に廃品の万年筆をあげて絵を描くように勧めた

    夕刊発行について中止になったが月刊誌「くじら」を出せることになり、喜ぶのぶと岩清水だが、そこにメイコが家出したとのぶに知らせが入る
    気が気でないのぶを見た東海林はのぶに家出人の取材をさせることに

    (その間の話の経過不明)
    メイコがのぶと暮らすことになった
    メイコは夢に向かって一歩を踏み出す
    のぶも月刊誌発行に向けて本格的に始動した
    ある日、難航していた広告の営業に出かけるのぶをのぶと同期・小田琴子(鳴海唯)が追いかけてきて…。
    数日後、入社試験の手伝いに駆り出されたのぶは、思いがけない人物を目にする。 (その人物は嵩だろうね)

  • No.123 言葉は力である(でも沈黙も強い)

    25/06/28 05:47:56

    >>122戦争前に亡くなっしまったんですね。ありがとうございます!

  • No.122 正直者が馬鹿を見る(でも夜寝るのは賢者)

    25/06/27 21:03:29

    >>121
    太平洋戦争始まる前にもう戦死してましたよ

  • No.121 時間が解決する

    25/06/27 18:37:54

    すみません、豪君はどうなったのでしょうか?
    何話か見逃してしまった‥

  • No.120 咲良うた

    25/06/26 07:42:10

    >>117
    入社試験会場にいた人物は やはり嵩 高知新報に採用なりそう
    この先は やなせさん夫婦の史実に近い話になるのかな?

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  • No.119 咲良うた

    25/06/26 07:38:12

    高知新報の のぶ
    やはり スーツになってもイメージカラーのジャケットにしてるね

  • No.118 咲良うた

    25/06/22 16:49:41

    ☆第15週以降のネタバレは今のところ無いみたい…

    ☆のぶのモデル・小松暢の結婚歴と職歴
    やなせたかしと出会う前に
    昭和14年。東京で日本郵船勤務の6歳年上の小松総一郎と結婚してました
    「小松」はこの時の姓ですよ
    総一郎との間に子供はいなかったようだね
    総一郎が復員してから病死しました。これは次郎と似せた経緯にしてますね
    暢は総一郎の死後、父の故郷だった縁で高知新聞社に入社。
    高知新聞社初の女性記者(もう一人同期で女性記者がいた…この話では小田琴子になる)
    在籍期間は1年も満たなかったそうです。
    暢さんは速記が得意だったそうです。のぶはその点も取り入れたのね。
    当時暢さんはドイツ製ライカの一眼レフカメラを使用していたそうです。
    おそらく のぶは次郎の遺品のカメラを新聞社で使うかも?
    (ちなみに暢さんが使っていたライカの一眼レフカメラが総一郎からのプレゼントらしいよ)
    高知新聞社を退社して東京に来た暢さんは社会党の代議士の秘書になったそうだよ

  • No.117 咲良うた

    25/06/22 16:48:56

    ☆第14週「幸福よ、どこにいる」ネタバレ
    高知新報に入社したのぶ。早速現場に出かけて闇市で速記でメモをとる
    のぶが取材した戦災孤児の記事を東海林はつき返した
    それでものぶは何度も書き直して初めてのぶの記事が朝刊に載った
    高知新報が夕刊の発行の申請が通り、のぶが編集長・東海林と岩清水と共に夕刊担当を任された
    だが夕刊が中止になるが、のぶはそれでも取材に出かけて記事を書き続けた

    嵩と健太郎は進駐軍から廃品回収したものを売っていた
    ある日嵩はアメリカの雑誌「HOPE」を見つけて心が躍る
    その「HOPE」を東海林が買っていった
    健太郎は嵩の誕生日に廃品の万年筆をあげて絵を描くように勧めた

    夕刊が中止になったが月刊誌を出せることになり、喜ぶのぶと岩清水だが、そこにメイコが家出したとのぶに知らせが入る
    気が気でないのぶを見た東海林はのぶに家出人の取材をさせることに
    (経過不明)
    メイコがのぶと暮らすことになった
    メイコは夢に向かって一歩を踏み出す
    のぶも月刊誌発行に向けて本格的に始動した
    ある日、難航していた広告の営業に出かけるのぶをのぶと同期・小田琴子(鳴海唯)が追いかけてきて…。
    数日後、入社試験の手伝いに駆り出されたのぶは、思いがけない人物を目にする。

  • No.116 咲良うた

    25/06/22 16:48:11

    ☆第13週「サラバ 涙」ネタバレ(後半)
    ある日、のぶが闇市で客と行商のやり取りを速記していたときにそばで酒を飲んでいた男たち2人・東海林(津田健次郎)と岩清水(倉悠貴)がいた
    のぶは東海林に声を掛けられた。速記をしているのぶを関心した東海林は「わが社に採用!」と言って「明日編集部に来なさい」と名刺を渡した

    のぶは闇市で渡された東海林の名刺をたよりに高知新報にやって来た
    闇市でのことは覚えていなかった東海林。かなり酔っていたのもあり、しかも東海林がのぶを採用するほどの決定権があるわけでもない
    東海林はのぶは入社試験を受けるように誘われた

    新聞社の入社試験は3段階。筆記試験と実際に取材して記事の作成と面接だ
    面接ではGHQからの目をつけられていることを心配する霧島から、のぶが先生の頃に「愛国の鑑」と新聞記事に載っていたことを指摘して、のぶの先生を辞めての今の気持ちも綺麗ごとだと不採用にするが、
    東海林は、のぶが今の女性たちの代表と言ってもいい。東海林が責任を持つ形で東海林はのぶを採用した

    高知新報に採用されたことをのぶから報告を受けた朝田家。釜次や羽多子らは喜ぶが、のぶが記者になることで余計な事をしそうで不安になる蘭子とメイコをよそに、のぶは「大丈夫、大丈夫」と言った

  • No.115 咲良うた

    25/06/22 16:43:50

    ☆第13週「サラバ 涙」ネタバレ(中盤)
    翌日、嵩は商店街で出会った釜次郎から「のぶが次郎さんを亡くして先生を辞めてしまっても気丈にふるまっているが不憫でんならんわ」と聞かされ、嵩はのぶが夫失い、先生を辞めたことを初めて知った

    その頃、のぶは撮影したカメラの現像をしてみたが、のぶが撮った次郎の写真はピンボケしてしまった

    嵩が高知に向かい空襲後の焼け野原でのぶと4年ぶりに再会
    「進みたくても前に進めない。子供らに取り返しのつかないことをしてしまった」と打ちひしがれているのぶに、嵩は「千尋が最後に言った言葉で『こんな戦争も無ければ愛する人のために生きたい。』…だから正義なんて信じちゃダメなんだ。そんなものすぐにひっくり返るから。僕は逆転しない正義を見つけたい。千尋のために僕ができることはそれしかないから、何年かかってもたくさんの人を喜ばせたいんだ。そう思ったら絶望なんてでいきない、生きる希望が湧いた。のぶちゃんも次郎さんや子供たちのためにのぶちゃんも生きるんだ!」と、のぶは嵩に励まされた

    のぶが若松家に戻ると大きな小包が届いていた。それは次郎がやっていた速記の本だった
    のぶは次郎の残した日記の最後の部分の速記をのぶは読み解いていった「自分の目で見極め、自分の足で立って全力で走れ!絶望に追いつかれない前に全力で走れ。」そして「のぶの未来を信じる」という次郎の新たな夢を知る
    それを機にのぶは速記の学習を始める
    のぶを心配して若松家にやって来た羽多子は、のぶが一生懸命に勉強している姿を見て一安心して笑った

    柳井家に健太郎がやって来た
    福岡に戻ったものの辛島家の家が跡形もなくなってしまい、家族は皆無事だったものの自分が稼がなきゃならないと感じた健太郎は嵩と一緒に仕事を探そうとしていたのだ。嵩にはしゃぐ健太郎を見て千代子としんは微笑んだ

  • No.114 咲良うた

    25/06/22 16:41:25

    ★ネタバレサイト(「朝ドラPLUS」など)のネタバレ記事とテレビの番組表(サイト)にあるあらすじから要約してお知らせしている。

    ☆第13週「サラバ 涙」ネタバレ(前半)
    昭和21年(1946年)1月
    GHQの指導の下に学校は軍事教育から新たな教育に変化していた
    のぶは次郎の看病で海軍病院に言っているので学校は休んでいたが、その間進駐軍の介入で大きく教える内容も変わることで辞めていく先生も多かった

    戦後の日本は過酷な食糧難となり朝田家も夕食は質素なものだった
    戦争孤児も増えてしまい、のぶは次郎のために芋の煮っころがしを作るために闇市に行ったが、空腹の孤児たちに盗まれないように必死だ

    「子供たちに間違った教育をしてしまった」とのぶは教員を辞めたことを次郎に報告した
    その次郎は肺結核となっていた
    次郎は「新たな夢ができた」と記号だらけの日記をのぶに見せた

    これが何か教えてもらおうとしたが、検査の時間になってしまい今度教えてもらうことに…
    だが、その数日後急変して次郎は亡くなった
    次郎の初七日を終えて朝田家に挨拶にきたのぶ。のぶは義母と暮らしながら新たな仕事を探すことに。挨拶の後にやって来た蘭子に慰められたのぶは次郎が亡くなってから初めて涙を流した

    嵩が復員、御免与駅でヒゲで軍服の嵩とのぶは出会うがお互い気づかすにすれ違う
    柳井家に戻ると千代子から「千尋さんが戦死した」と知らされる
    千尋から父・清の手帳をもらって父が自分を守ってくれたと嵩は千代子とお手伝い・しんに告げる。
    「父さんが守ってくれるのが千尋だったらよかったのに…」と弱気な嵩に千代子は「そんなことは言ってはいけません。お父様や寛伯父さまに叱られますよ」と叱った

  • No.113 幸せは自分の手のひらにある

    25/06/19 18:08:03

    >>110
    貴女ブロガーアンチトピにいる人だね笑

  • No.112 百聞は一見に如かず

    25/06/19 17:28:31

    >>110それぞれの実家や地元にまずは戻るだろうからその後じゃない?

  • No.111 咲良うた

    25/06/19 14:03:07

    明日の話
    高知の大空襲での のぶと少年・なおき

  • No.110 習うより慣れろ

    25/06/19 11:09:24

    >>109
    今朝の、倒れて目覚めた時には傍にいてるのに、この後どこかで離れてしまうんだね

  • No.109 咲良うた

    25/06/19 06:54:30

    来週13週
    戦後 健ちゃんが嵩と再会

  • No.108 咲良うた

    25/06/19 06:53:43

    来週13週
    復員した時の髭面の嵩

  • No.107 咲良うた

    25/06/18 07:21:31

    >>100
    リン・シュエリャン
    ネタバレ情報出回ってたでは役者さんの名前は分からなかったけど、演じてるのは渋谷そらじくん

    7才とは…てっきり幼くても小学校高学年くらいの少年かと思ってたから😰
    銃撃シーンをやるかは分からないけど 親の仇討ちとはいえ衝撃だなぁ

  • No.106 咲良うた

    25/06/15 18:45:25

    妻夫木さん演じる八木上等兵
    おそらくモデルは2人いるようでそれの合体キャラかもしれないです

    ★新屋敷上等兵
    やなせさんが配属された小倉部隊はドラマにあったように鉄拳制裁やリンチは日常茶飯。一番怖いのは上官よりも「古兵(ドラマでは馬場たち)」で特に進級できない古兵が初年兵を眼の敵にしていじめることが横行していたこと、「戦友」と称して隣のベッドの初年兵が上等兵の整理整頓、靴磨き、銃剣の手入まで全部やらされていたことなどがやなせさんから語られている
    やなせさんは新屋敷の戦友にされていたが、新屋敷は暴力は振るわず古兵たちからのリンチの嵐の風よけになってくれたようです。新屋敷は上官からやなせさんを試験を受けさせるように勧めたのも彼だったかもしれないらしい

    ★辻信太郎
    八木が嵩だけでなくのぶにも大きな影響を与える人物らしいので
    戦後も登場するらしいよ!!
    サンリオの創業者。
    やなせさんの処女詩集「愛する歌」の出版と雑誌「詩とメルヘン」刊行しています。
    当時子供だったので兵役経験が無いのですが戦争反対主義者です

  • No.105 咲良うた

    25/06/15 18:39:02

    やなせさんのいた小倉連隊が中国派遣された際に福州(福建省)に上陸
    やなせさんは何かの見えない力(父の霊?)で守られアメリカ軍の上陸が無かったこともあり戦闘することなく、銃で敵を撃つことは無かったそうです

    部隊では主に暗号の作成・解読を担当するとともに、宣撫工作にも携わり紙芝居「双子ものがたり」を作って中国の村をまわっていたようです

    1945年5月に日本軍が部隊のすべて上海に召集された際にやなせさんたちが移動中に中国軍の襲撃を受けたようです。

    その間に上海に向けて移動した道が父・清さんが上海で留学していたときの卒業の際の調査旅行のルートと似ていたのもあり上海近くで終戦を迎えた時は上海支局で勤めてアモイで亡くなった父に呼ばれたのだと感じていたそうだよ

    最終段階でやなせさんは軍曹までになったそうだよ

  • No.104 咲良うた

    25/06/15 17:15:51

    >>100
    岩男とリン
    拳銃をリンが取り出したのが岩尾のポケットからとは書いたけど、リンがあらかじめどっかから盗んで拳銃を自分で持っていたかも?

  • No.103

    ぴよぴよ

  • No.102 咲良うた

    25/06/15 16:52:43

    ☆第13週「サラバ 涙」ネタバレ
    昭和21年(1946年)1月
    「子供たちに間違った教育をしてしまった」とのぶは教員を辞める
    次郎が肺結核となっていた
    次郎は「新たな夢ができた」とのぶに告げていたがその数日後急変して亡くなった
    嵩が復員、御免与駅でヒゲで軍服の嵩とのぶは出会うがお互い気づかすにすれ違う
    柳井家に戻ると「千尋が戦死した」と知らされる
    ある日「夫を亡くした」と聞いた嵩が空襲後の焼け野原でのぶと4年ぶりに再会し、のぶは嵩に励まされた
    次郎の残した日記の速記をのぶは読み解いて次郎の新たな夢を知る
    それは「のぶの未来を信じる」次郎の言葉だった
    それを機にのぶは速記の学習を始める
    柳井家に健太郎がやって来た
    ある日、のぶが闇市で客と行商のやり取りを速記していたときにそばで酒を飲んでいた男たちに声を掛けられた
    (声を掛けたのが東海林かな…)のぶは闇市で渡された東海林(津田健次郎)の名刺をたよりに高知新報にやって来た
    闇市でのことは覚えていなかった東海林だったが、のぶは入社試験を受けるように誘われた
    のぶは高知新報の入社試験を受けて晴れて記者に採用された

    ☆第14週以降のネタバレは今のところ無いみたい…

    ※新キャスト
    ★津田健次郎
    東海林 明(しょうじ あきら)役
    高知新報の編集局主任。戦後の闇市でのぶと出会い、のぶに高知新報の採用試験を受けることを薦める。

    ★鳴海唯
    小田 琴子(おだ ことこ)役
    高知新報にのぶと共に戦後初の女性記者として入社。ふだんはおしとやかだが、酒が入るとじょう舌になる。

    ★倉悠貴
    岩清水 信司(いわしみず しんじ)役
    高知新報の編集局記者。後に地方紙としては異例の総合雑誌「月刊くじら」の立ち上げメンバーの一員になる。

  • No.101 咲良うた

    25/06/15 16:46:11

    ☆第12週「逆転しない正義」ネタバレ(後半)
    2週間が経過して食糧難は深刻になった
    飢えの限界に達した嵩は倒れてしまった

    夢の中に父・清が現れた。もうすぐ餓死をしてしまうと確信してる嵩、千尋は名誉の戦死をするのだろうと嘆く嵩に
    清は「こんな戦争で息子たちを死なせてたまるか。お前がやっていることは無駄じゃない。紙芝居であんなに喜ばれたじゃないか。お前は父さんの分も生きろ。そして何年かかってもみんなが喜ぶ作品を作るんだ」
    そして嵩が目を覚ますと駐屯地のベッドにいた。嵩は味方の兵に担ぎ込んでくれたのだ
    駐屯地に救助隊が到着して食糧も届いた。健太郎は嵩にお粥を食べさせた

    その頃のぶは呉市にある海軍病院に入院している次郎の見舞いに来た
    次郎は肺の病気(初期の肺結核)を患って入院していた。笑顔で意外と元気そうな次郎はのぶに質問するばかりで自分のことを話そうとしない

    7月4日午前2時に高知の街に空襲。のぶは次郎のカメラを持って逃げ惑う人の群れの中で遠くから泣き叫ぶ子供のところに逆走していく
    駆け寄った少年・なおきと一緒に逃げ出そうとするが近くに焼夷弾が落ちて、なおきはパニックになり動けず
    「たっすいがーはいかん。ハチキンがついとるき。行くで!!」
    焼夷弾の雨の中なおきの手を引きのぶは一所懸命に走った

    翌朝、のぶを心配した羽多子、蘭子、メイコが高知に来た
    高知市の焼け野原の中でのぶは家族たちと再会。
    なおきは必死の捜索でなおきの両親に無事に再会した
    息子を抱きしめる両親となおきの姿とのぶはカメラのシャッターを押した

    1か月後 日本の敗戦で戦争は終わった。

  • No.100 咲良うた

    25/06/15 16:43:57

    ☆第12週「逆転しない正義」ネタバレ(中盤)
    昭和20年(1945年)春
    戦争が激しくなったせいで嵩は元の部隊に戻り戦闘任務に就く
    嵩や健太郎がいる駐屯地では食糧の補給路を寸断され飢えと戦う日々に。嵩と健太郎は乾パンを食べながら朝田パンのことを思い出していた

    その頃朝田パンは材料が無くなっていまい乾パンを作れずに休業中
    のぶは勤労奉仕となった子供たちと農家の手伝いに勤しんでいた

    駐屯地ではついに食糧が底をついて正気を無くした康太が食糧を求めて民家に押し入りそこの老婆に小銃を向けた…嵩が制止し小銃を取った
    どうせもうすぐ死ぬなら最後ぐらい腹いっぱい食べたいと嘆く康太、そして嵩たちにその老婆がゆで卵をくれて康太と嵩たちは泣きながら食べた

    岩男が外にいるとリンが近寄って来るが、「近寄ればリンがスパイ容疑にかけられるといけないから近づくな!これまでありがとう」と岩男が言ったとき、
    リンが「サヨウナラ イワオサン」と言って岩男のポケットから拳銃を取り出して岩男を銃撃した

    駆けつけた八木や嵩たちは岩男を駐屯地に搬送した
    岩男が自分がリンの親の仇だったと告げ「リンに会ったら伝えてくれ。俺は喜んじょる。リンはようやった」と言った亡くなった

    八木からリンについて事情を知る嵩
    1年前にゲリラ討伐がリンの家の村が標的になりリンの両親が射殺された
    リンの母はリンを庇って撃たれた。母を撃ったのが岩男だったのだ
    そう話すと八木はやり場の無い怒りを爆発させた

  • No.99 咲良うた

    25/06/15 16:40:59

    ★ネタバレサイト(「朝ドラPLUS」など)のネタバレ記事とテレビの番組表(サイト)にあるあらすじから要約してお知らせしている。

    ☆第12週「逆転しない正義」ネタバレ(前半)
    絵の才能を見込まれ宣撫班に任務に就いた嵩
    ※宣撫班…中国の占領地で地元の中国人の心の安定のために食糧の配布など懐柔を任務とした旧日本軍の嘱託

    嵩が事務局に来ると兵士たちの顔や腕に傷を負っていた
    どうやら日本軍を桃太郎に見立てた紙芝居が地元の中国人たちに反感を買って騒動が起きていた
    宣撫班の任務は武力でなく占領地の中国人たちを安心させることが役目
    それにより次の作戦として地元民の中国人たちの老若男女問わずに反感買わない紙芝居作りが必要となり、嵩の絵が評価されていたので嵩が地元民を喜ばす紙芝居を作るように命令された
    騒ぎがあった市場に行くと地元民たちは嵩たちを睨んで帰れコールをされてしまう。地元民たちにしてみれば日本の兵たちにはかなり迷惑しているのだ
    これにより嵩が日本軍がやっている正義の戦争に疑問を持っていく
    やって来た健太郎に日本軍のしていることの苛立ちを健太郎にぶつけていたところに週士官がやって来て、嵩の軍を批判する発言をかき消すように健太郎は自分も紙芝居の色塗りの手伝うことを言い出した。
    とっさに嵩は健太郎を班長に宣撫班に編入の依頼を出すことに…その流れで宣撫班に健太郎も入った

    数日後、地元民の少年・リンが岩男達に懐いて岩男と相撲をとるのを嵩はそれをヒントに父・清(二宮和也)が手帳に書いていた一文「双生の関係」を参考に日本と中国と共に歩いていくことの話を健太郎と紙芝居を描いた

    紙芝居の審査には八木も参加。紙芝居を見せると島中隊長は「話がぼやけているから鬼退治がいいのでは」と言うが、八木は桃太郎で騒動が起きたからこの話のほうが良いと助け舟により採用された
    早速地元民たちに紙芝居を見せるが通訳を介して観客たちが笑っているのでいい手ごたえを感じたものの、泣かせる話なのにみんな笑っていた
    八木が中国語を知っていたので通訳が話を変えて中国人が喜ぶ話に変えていたのを嵩と健太郎に知らせた
    経過がどうであれ嵩の紙芝居が地元民にとても面白かったという評判が上官の耳にも入った
    嵩は宣撫班の絵画制作部門の主任になり、その後も紙芝居を作り続けた

  • No.98 咲良うた

    25/06/15 16:29:32

    >>97
    読んでくれてありがとう!!
    今週で戦争は終わるから もう辛抱だね
    >>96
    清が生きていて軍曹になっていた展開だったらすごいけど、それは無理みたいね…

  • No.97 花より団子

    25/06/13 08:40:39

    いつもネタバレありがとうございます!
    先週から泣きっぱなしでドラマ見てます。
    つらいけど‥改めて戦争はあかんって思いながら。
    来週はお話しがさらに辛そうですが見ます!

  • No.96 違う?

    25/06/13 08:34:48

    軍曹ってニノ?

  • No.95 咲良うた

    25/06/10 06:54:31

    今週の話
    嵩が試験当日 馬小屋で寝過ごした!

  • No.94 咲良うた

    25/06/10 06:53:30

    今週の話
    健ちゃんが笑顔で嵩にアンパン差し入れ

  • No.93 隣の芝生は青い

    25/06/09 12:24:40

    ホントに戦時中って辛いね。
    いまの時代に戦争が始まったらどうなるんだろうって思うわ。
    行きたくない、行かせたくないって言うだろうし、あんなに殴られるってね。

  • No.92 他人の評価は気にしない

    25/06/09 10:55:53

    今週来週と頑張って見ます。
    先週の金曜の号泣からの、今週からは忍耐になりそうです。

  • No.91 咲良うた

    25/06/08 15:25:12

    ☆第14週以降のネタバレは今のところ無いみたい…

    ☆のぶのモデル・小松暢の結婚歴と職歴
    やなせたかしと出会う前に
    昭和14年。東京で日本郵船勤務の6歳年上の小松総一郎と結婚してました
    「小松」はこの時の姓ですよ
    総一郎との間に子供はいなかったようだね
    総一郎が復員してから病死しました。これは次郎と似せた経緯にしてますね
    暢は総一郎の死後、父の故郷だった縁で高知新聞社に入社。
    高知新聞社初の女性記者(もう一人同期で女性記者がいた)
    在籍期間は1年も満たなかったそうです。
    暢さんは速記が得意だったそうです。のぶはその点も取り入れたのね。
    当時暢さんはドイツ製ライカの一眼レフカメラを使用していたそうです。
    おそらく のぶは次郎の遺品のカメラを新聞社で使うかも?
    (ちなみに暢さんが使っていたライカの一眼レフカメラが総一郎からのプレゼントらしいよ)
    高知新聞社を退社して東京に来た暢さんは社会党の代議士の秘書になったそうだよ

  • No.90 咲良うた

    25/06/08 15:22:56

    ☆第12週「逆転しない正義」ネタバレ
    宣撫班に任務に就いた嵩は絵が評価されて地元民を喜ばす紙芝居を作るように命令された
    宣撫班に健太郎も入る
    嵩は父・清(二宮和也)が手帳に書いていた一文を参考に紙芝居を描いて
    それが八木の助け舟もあり評判が良かったのでその後も紙芝居を作り続けた
    昭和20年(1945年)
    嵩や健太郎がいる小倉連隊がいる中国では食糧の補給路を寸断され飢えと戦う日々に。嵩は乾パンを食べ名がら朝田パンのことを思い出していた
    その頃朝田パンは材料が無くなっていまい乾パンを作れずに休業中
    のぶは勤労奉仕となった子供たちと農家の手伝いに勤しんでいた
    駐屯地ではついに食糧が底をついて正気を無くした康太が地元の老婆に小銃を向けた…(経緯不明)岩男がリン(?)に銃撃され息絶えた
    飢えの限界に達した嵩は夢の中に清が現れた
    そして目を覚ますと駐屯地のベッドにいた
    その頃のぶは呉市にある海軍病院に入院している次郎の見舞いに来た
    次郎は肺炎を患って入院していた。次郎は質問するばかりで自分のことを話そうとしない
    7月に高知の街に空襲。のぶは逃げ惑う人の群れの中で遠くから泣き叫ぶ子供のところに逆走していく
    翌朝、焼け野原の中でのぶは家族たちと再会。1か月後終戦

    ☆第13週「サラバ 涙」ネタバレ
    昭和21年(1946年)1月
    「子供たちに間違った教育をしてしまった」とのぶは教員を辞める
    次郎が肺結核となっていた
    次郎は「新たな夢ができた」とのぶに告げていたがその数日後急変して亡くなった
    嵩が復員、柳井家に戻ると「千尋が戦死した」と知らされる
    ある日「夫を亡くした」と聞いた嵩がのぶを訪問し4年ぶりに再会し、のぶは嵩に励まされた
    次郎の残した日記の速記をのぶは読み解いて次郎の新たな夢を知る
    それは「のぶの未来を信じる」次郎の言葉だった
    それを機にのぶは速記の学習を始め、高知新報の入社試験を受けて晴れて記者に採用された

  • No.89 咲良うた

    25/06/08 15:12:56

    ☆第11週「軍隊は大きらい、だけど」ネタバレ(後半)
    その1か月後、小倉連隊が中国に出動命令が出た
    出発前夜に連隊のメンバーは酒を飲んで盛り上がっていた
    酒の席から離れて星を見ていた八木に嵩がやって来てお礼を言った
    八木もまた読書好きで井伏鱒二が好きだったようでそれが縁で嵩のことを面倒みてくれていたようだ。嵩はお礼に描き上げた八木の横顔のスケッチをプレゼントした
    八木は嵩に「お前は弱い。軍でやっていくには要領をもって進級するしかないが、戦場では伍長の階級は関係ない。弱いものが戦場に生き残って帰って来るには卑怯になるしかない。仲間が殺されても仇を討つなんて思うな」と助言を言った

    そして中国に到着した小倉連隊は福建省の駐屯地に着いて現地の治安維持に担当となった
    嵩と康太はそこで同級生だった岩男と再会した
    岩男は1年前から野戦任務で就いていた。嵩は伍長なので岩男の上官になるので「嵩殿」と敬語を使った
    岩男は「嵩殿から奪って食べた弁当は美味かった」と告げ康太と弁当を奪った後にのぶに下駄で殴られたことなど思い出話に花を咲かせた

  • No.88 咲良うた

    25/06/08 15:11:58

    ☆第11週「軍隊は大きらい、だけど」ネタバレ(中盤その2)
    千尋は子供のころからのぶが好きで戦争が終わったら(既婚だが)のぶにプロポーズすると嵩に告げた
    寛が言った言葉「なんのために生まれて、何をして生きるのか。分からないまま終わるのは嫌じゃ 戦争が無かったら法学の道に究められたし、兄貴とももっと酒を飲めたのに。母さんに親孝行したかった。俺は国のために死ぬより愛する人のために生きたい」と嘆いた。
    嵩は「生きて帰ってこい。帰ったら一緒にシーソーに乗ろうな」と返答して別れた。

    ☆柳井千尋のモデルは、やなせたかしの弟・柳瀬千尋
    子供のころの経緯はドラマの千尋とほぼ同じ
    高知高等学校から京都帝国大学法学部に進学
    養父・柳瀬寛さんは医学生として京都府立医学専門学校(現在の京都府立医科大学)に通い、養母の柳瀬キミさんが京都出身。夫婦は京都の地で出会い、結婚したので千尋は養父母の縁のある京都である京大を選んだのかも?
    1944年3月に卒業予定が6カ月短縮して1943年9月で卒業
    卒業後は海軍予備学生になりその後海軍少尉になり駆逐艦「呉竹」に乗り命の保証の無い特別任務に就いてしまう
    小倉の部隊にいた兄・嵩に最後の挨拶に来たのはドラマと同じ
    任務のため戦地に向かうとフィリピン沖バシー海峡で攻撃受けて呉竹もろとも沈没して22歳で戦死。その際に中尉に昇進。

  • No.87 咲良うた

    25/06/08 15:10:20

    ☆第11週「軍隊は大きらい、だけど」ネタバレ(中盤その1)
    3か月後、嵩は班長の当番に昇格
    ある日、中隊長の島仙吉(横田栄司)が内務班に見学の際に馬場に「軍人勅諭を言え!」と言われて馬場はしどろもどろ、対して嵩は五か条をすべて言えた
    島に褒められた嵩は数日後、島に推薦され陸軍幹部候補生のテストをうけることに。
    試験勉強のために当番や使役を免除されて自習室を使うことができた
    試験前日に厩舎の不寝番を申し出て徹夜で勉強していた嵩に健太郎がアンパンの差し入れをした
    試験当日、嵩は寝過ごしてしまった
    試験から3週間後に嵩は島に呼ばれた
    一緒に受けた目黒は甲種幹部試験に合格、嵩も試験には合格したが寝過ごしたこともあり甲種は無理だったが乙種幹部試験に合格
    嵩は乙種幹部候補生になった
    この試験に嵩を受けさせてほしいと島にお願いした神野班長(奥野瑛太)にお礼を言った嵩に神野は八木から頼まれたのだと打ち明けられた。嵩は。おちこぼれの自分に目をかけてくれた八木の真意がわからないままだった

    その頃、のぶは次郎から手紙が届いていた。

    昭和19年(1944年)4月 嵩は伍長に昇格
    夏。千尋は京都帝国大学を繰り上げで卒業して海軍予備学生に志願して海軍少尉になっていた
    千尋からの手紙で嵩は小倉の旅館で千尋に会って食事をした
    千尋は予備学生には自ら進む気は無かったが他の学生たちが志願してしまったので卑怯者になりたくなくて志願した
    航空隊には不合格だった。千尋も視力は悪かったせいもあるが耳は良かったので海軍で駆逐艦に乗り敵のスクリューを探知して爆雷を投下する任務に就いた
    法で弱者を助けたくて法律家になりたかった千尋の変わりように嘆く嵩
    5日後に佐世保から駆逐艦に乗る千尋は寛の引き出しから見つけた父・清(二宮和也)が中国にいたころに書いた手帳をお守り代わりにと嵩に渡した
    千尋は清の写真をお守り代わりにするようだ
    食事が終わったとき、嵩は相撲か柔道をやらないかと誘うが千尋はシーソーがやりたいと言った

  • No.86 咲良うた

    25/06/08 15:07:17

    ★ネタバレサイト(「朝ドラPLUS」など)のネタバレ記事とテレビの番組表(サイト)にあるあらすじから要約してお知らせしている。

    ☆第11週「軍隊は大きらい、だけど」ネタバレ(前半)
    昭和17年(1942年)夏。嵩は福岡の小倉連隊の内務班に配属
    そこでは理不尽な暴力による指導だった
    荷物の整理をしていた嵩のカバンから井伏鱒二の詩集を出していると古兵・馬場(板橋駿谷)に取り上げられ詩集は破られて鉄拳制裁を食らった
    そこに上官の一人・八木信之介(妻夫木聡)がやって来て嵩に「軍人勅諭」を覚えるように言われた

    軍隊での嵩は何をしても鈍くさいので朝から晩まで怒鳴られて鉄拳制裁を食らう。その晩の軍人勅諭も覚えることもなかなか頭に入らない
    翌日、馬の世話係になった嵩は康太と加畑と目黒と行動を共にした
    その晩に馬場から呼び出された4人は馬場といた甲田の帽子が行方不明で持ち物検査になった
    嵩の寝台から甲田の帽子が見つかり馬場から「柳井が盗んだ」と疑われ否定する嵩に馬場が鉄拳制裁をしようとしたときに八木が登場
    馬場から話を聞いた八木を嵩を連れ出した。どうやら馬場からの暴力から救ってくれたようだ。
    改めて八木は嵩に軍人勅諭を覚えるように命令し、さらに靴磨きを命じた

    嵩が大量の靴を磨いていたときに先輩兵士が「たるんでいる!」と注意してきた
    その先輩兵士が健太郎だった!半年前に小倉連隊に入隊して炊事班で食事を作っていた
    健太郎と再会で少し救われた嵩だった

  • No.85 咲良うた

    25/06/01 16:35:10

    ☆第13週「サラバ 涙」ネタバレ
    昭和21年(1946年)1月
    「子供たちに間違った教育をしてしまった」とのぶは教員を辞める
    次郎が肺結核となっていた
    次郎は「新たな夢ができた」とのぶに告げていたがその数日後急変して亡くなった
    嵩が復員、柳井家に戻ると「千尋が戦死した」と知らされる
    ある日「夫を亡くした」と聞いた嵩がのぶを訪問し4年ぶりに再会し、のぶは嵩に励まされた
    次郎の残した日記の速記をのぶは読み解いて次郎の新たな夢を知る
    それは「のぶの未来を信じる」次郎の言葉だった
    それを機にのぶは速記の学習を始め、高知新報の入社試験を受けて晴れて記者に採用された

    ☆第14週以降のネタバレは今のところ無いみたい…

    ☆のぶのモデル・小松暢の結婚歴と職歴
    やなせたかしと出会う前に
    昭和14年。東京で日本郵船勤務の6歳年上の小松総一郎と結婚してました
    「小松」はこの時の姓ですよ
    総一郎との間に子供はいなかったようだね
    総一郎が復員してから病死しました。これは次郎と似せた経緯にしてますね
    暢は総一郎の死後、父の故郷だった縁で高知新聞社に入社。
    高知新聞社初の女性記者(もう一人同期で女性記者がいた)
    在籍期間は1年も満たなかったそうです。
    暢さんは速記が得意だったそうです。のぶはその点も取り入れたのね。
    当時暢さんはドイツ製ライカの一眼レフカメラを使用していたそうです。
    おそらく のぶは次郎の遺品のカメラを新聞社で使うかも?
    (ちなみに暢さんが使っていたライカの一眼レフカメラが総一郎からのプレゼントらしいよ)
    高知新聞社を退社して東京に来た暢さんは社会党の代議士の秘書になったそうだよ

  • No.84

    ぴよぴよ

  • No.83 咲良うた

    25/06/01 16:33:01

    ☆第11週「軍隊は大きらい、だけど」ネタバレ
    昭和17年(1942年)夏。嵩は福岡の小倉連隊の内務班に配属
    そこでは理不尽な暴力による指導だった
    だが、上官の一人・八木信之介(妻夫木聡)だけは暴力をしない
    その八木からの計らいで嵩は幹部候補生試験を受けて乙種幹部候補生になった
    昭和19年(1944年)夏。嵩が伍長になった頃に千尋がやって来た
    千尋は京都大学を繰り上げで卒業して海軍予備学生に志願して海軍少尉になっていた
    千尋は子供のころからのぶが好きで戦争が終わったらのぶをつかまえると嵩に告げた
    その1か月後、小倉連隊が中国に出動命令が出た
    八木は出発前夜に嵩に「弱いものが戦場に生き残るのは卑怯者だ」と言った
    そして中国に到着した小倉連隊は福建省の駐屯地に着いて現地の治安維持に担当となった

    ☆第12週「逆転しない正義」ネタバレ
    宣撫班に任務に就いた嵩は絵が評価されて地元民を喜ばす紙芝居を作るように命令された
    嵩は父・清(二宮和也)が手帳に書いていた一文を参考に紙芝居を描いてそれが評判良かったのでその後も紙芝居を作り続けた
    昭和20年(1945年)
    嵩や健太郎がいる小倉連隊がいる中国では食糧の補給路を寸断され飢えと戦う日々に。飢えの限界に達した嵩は夢の中に清が現れた
    そして目を覚ますと駐屯地のベッドにいた
    その頃のぶは呉市にある海軍病院に入院している次郎の見舞いに来た
    次郎は肺炎を患って入院していた
    7月に高知の街に空襲。翌朝、焼け野原の中でのぶは家族たちと再会。1か月後終戦

  • No.82 咲良うた

    25/06/01 16:27:59

    ☆第10週「生きろ」ネタバレ(後半)
    嵩は出征のため高知に戻る
    嵩の坊主頭(というか短髪)を見たのぶは、いつもの「お国のために立派なご奉仕を」としか嵩に言えなかった
    千代子もまた同じセリフを寛の遺影と共に告げた

    その際に、登美子が姿をあらわし嵩に「死んじゃダメよ!卑怯と思われても逃げて生きて帰りなさい!」と泣き叫んだ

    登美子の発言でやって来た憲兵らにのぶは登美子を庇って「お国のことを思うのはみな同じだけど、生きて戻ってきてほしいと願うの母親なら当然だと思います」と言って嵩に「必ずもんてきい。お母ちゃんのためにも必ず生きてもんてきい」と言った

    登美子やのぶを連行しようとする憲兵に嵩は「母が取り乱して失礼いたしました。立派にご奉仕してまいります」と敬礼し、のぶは笑顔で嵩を見送った

    高知連隊に来た嵩は二等兵で小学校の同級生の・康太(櫻井健人)と二人を含めて20人が勇猛果敢で有名な福岡の小倉連隊に転属となった

    小倉連隊を康太と見学に行った嵩は途中で健太郎らしき人物を見つけていた際に案内してる班長と康太とはぐれてしまった

    そこに一人の上官・八木(妻夫木聡)に声をかけられて「戦場では気のたるんでるやつが死ぬ、気を引き締めろ」と注意されたので嵩は「鉄拳制裁」をされると思ったが、その上官はすぐに去ってしまった

  • No.81 咲良うた

    25/06/01 16:22:41

    ☆第10週「生きろ」ネタバレ(中盤)
    次郎が戦争の影響で航海が中止になり、家に戻った次郎はのぶと朝田家にやって来た
    父・結太郎のことを聞かれたのぶは嵩が描いた結太郎とのぶのスケッチを次郎に見せた
    話題は「ハチキンおのぶ」の話になり、のぶはみんなからからかわれるが、「
    今の自分をお父ちゃんが見たら変わってしまった…と思うであろうか?」と不安になるのぶ。
    帰りの列車の中でのぶは「戦争が終わったら、生徒たちに楽しい授業をして、次郎さんと一緒にいろんな国へ行ってみたい」と次郎に告げた

    次郎は今回の航海が中止になったのは船を軍事物資と兵隊を運搬するための軍の輸送船にする改修からだと告げた
    ついに次郎の航海する日がやって来た。出発の際に次郎は「自分に何かあったときには代わりに夢を叶えてくれ」と愛用のカメラをのぶに渡そうとするが拒むのぶ。
    次郎は日本がアメリカやイギリスに勝てると思っていないことをのぶに告げ、「戦争が終わるのは日本が勝つ時」と言うのぶに次郎は「そんな勇ましく生徒たちに教えるのだね」と、カメラをのぶの首にかけた
    「カメラで撮ってみて」と要求する次郎にのぶは「無事に戻れたら撮ります。お国のために立派なご奉仕を」と言うものの「生きて帰って来て!」までは言えずじまいだった

    のぶの生徒・紀子の兄に赤紙が来て心配する生徒に「日本が必ず勝つ」と言って勇ましい言葉をかけるものの内心は心が震えていた。
    そのことや次郎を見送るときにも思っていることが言えなかったことを蘭子に打ち明け、こんな自分が教師をやってい良いのか?と言うのぶに蘭子は「愛国の鑑にも悩みがあるんだね」と安心していた

    嵩にも召集令状が届いた
    嵩から報告された座間は嵩に一緒に付きあうように言われ、すでに会う予定だった登美子と3人で喫茶店にお茶をした
    嵩は自分が軍隊でやっていけるのかと聞かれた登美子は「嵩は子供の頃から虫も殺せなかったのに軍隊でやっていけるわけない」と全否定して立ち去った
    どうやら登美子は軍人と3度目の結婚をしているようだ

  • No.80 咲良うた

    25/06/01 16:15:25

    ★ネタバレサイト(「朝ドラPLUS」など)のネタバレ記事とテレビの番組表(サイト)にあるあらすじから要約してお知らせしている。

    ☆第10週「生きろ」ネタバレ(前半)
    朝田家を出て行った屋村
    乾パン作りの前の晩に屋村は釜次に戦争と乾パンを忌み嫌う理由を話した

    第一次世界大戦で屋村は出兵していた
    もちろんヨーロッパに日本軍が行ってはいない
    屋村は銀座の美村屋で修行中にもっと美味いパンを焼きたくてカナダに船で密航したのだ。
    だが、カナダに到着してもパンなど焼くこともなく「イギリス軍の兵士」としてヨーロッパ大戦に参加してしまったようだ
    戦場では仲間がどんどん撃たれて死んでいくのを見てきたがそれよりもつらいのは腹が減ることだった
    食事をとれずに死んでいく兵士もたくさんいた。食べ物はビスケットと乾パンだけだった。食べるものが無くなると死んだ兵士のコートから乾パンを取って食べてきたのがトラウマになってしまったようだ
    御免与町に来た時もすぐに出ていくつもりだったが、のぶから呼び止められたことが何度もあったせいで(今まで呼び止めれられることが無かったから)十年以上も長居してしまった

    屋村は朝田家に乾パンの作り方のメモを残して去って行った
    朝田パンを閉めることは屋村の本望ではないと思った羽多子らは引き続き乾パンを焼きながら朝田パンを続けることにした

    小学校では生徒たちから朝田パンが閉まっていることを指摘されたのぶは
    「しばらくはあんぱんは食べられないかもしれないけど、戦争が終わったら したいことは、みんなで一緒に美味しいあんぱんをたべること
    そのためにも日本が勝つように一丸となって努めること」と告げた

    昭和16年(1941年)
    太平洋戦争勃発。小麦粉は配給制になったので朝田パンは休業となり、店の前は配給所となった
    のぶの小学校でも徹底した軍事教育をしていた

    昭和17年(1942年)
    嵩が東京の製薬会社の宣伝部に勤務して1年経過、健太郎は広告事業社で働いていた
    ある日、健太郎がいつもより辛いカレーを作った。健太郎に「赤紙が来たので明日に福岡に戻り入隊することになった」と嵩に告げた
    翌日嵩は健太郎を駅まで見送った

  • No.79 咲良うた

    25/05/29 22:50:36

    >>77 どういたしまして😆👍
    戦後は楽しい話が多いといいなぁ

    明日の話
    ヤムさんが朝田家を出ていく😢

  • No.78 馬の耳に念仏

    25/05/26 09:28:09

    月曜から涙でしたね
    >>77 そうだね、メイクは後の方がいいね(;_:)
    いつも要所要所で登美子が出て来るけど誰が伝えているのかしらねぇ
    寛叔父さんからの千代子おばさんなのかなぁ…

  • No.77 少しの努力が大きな成果を生む

    25/05/24 20:51:04

    ネタバレありがとうございます。
    戦争でつらい話が続きそうな週ですが‥
    でもドラマは楽しみです。
    ドラマが終わってからメイクする事にします。

  • No.76 咲良うた

    25/05/24 15:14:41

    第9週 のぶと次郎の祝言の時のシーン

  • No.75 咲良うた

    25/05/24 14:59:05

    ☆第14週以降のネタバレは今のところ無いみたい…

    ☆のぶのモデル・小松暢の結婚歴と職歴
    やなせたかしと出会う前に
    昭和14年。東京で日本郵船勤務の6歳年上の小松総一郎と結婚してました
    「小松」はこの時の姓ですよ
    総一郎との間に子供はいなかったようだね
    総一郎が復員してから病死しました。これは次郎と似せた経緯にしてますね
    暢は総一郎の死後、父の故郷だった縁で高知新聞社に入社。
    高知新聞社初の女性記者(もう一人同期で女性記者がいた)
    在籍期間は1年も満たなかったそうです。
    暢さんは速記が得意だったそうです。のぶはその点も取り入れたのね。
    当時暢さんはドイツ製ライカの一眼レフカメラを使用していたそうです。
    おそらく のぶは次郎の遺品のカメラを新聞社で使うかも?
    (ちなみに暢さんが使っていたライカの一眼レフカメラが総一郎からのプレゼントらしいよ)
    高知新聞社を退社して東京に来た暢さんは社会党の代議士の秘書になったそうだよ

    ☆柳井千尋のモデルは、やなせたかしの弟・柳瀬千尋
    子供のころの経緯はドラマの千尋とほぼ同じ
    高知高等学校から京都帝国大学法学部に進学
    養父・柳瀬寛さんは医学生として京都府立医学専門学校(現在の京都府立医科大学)に通い、養母の柳瀬キミさんが京都出身。夫婦は京都の地で出会い、結婚したので千尋は養父母の縁のある京都である京大を選んだのかも?
    1944年3月に卒業予定が6カ月短縮して1943年9月で卒業
    卒業後は海軍予備学生になりその後海軍少尉になり駆逐艦「呉竹」に乗り命の保証の無い特別任務に就いてしまう
    小倉の部隊にいた兄・嵩に最後の挨拶に来たのはドラマと同じ
    任務のため戦地に向かうとフィリピン沖バシー海峡で攻撃受けて呉竹もろとも沈没して22歳で戦死。その際に中尉に昇進。

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