• No.85 咲良うた

    25/06/01 16:35:10

    ☆第13週「サラバ 涙」ネタバレ
    昭和21年(1946年)1月
    「子供たちに間違った教育をしてしまった」とのぶは教員を辞める
    次郎が肺結核となっていた
    次郎は「新たな夢ができた」とのぶに告げていたがその数日後急変して亡くなった
    嵩が復員、柳井家に戻ると「千尋が戦死した」と知らされる
    ある日「夫を亡くした」と聞いた嵩がのぶを訪問し4年ぶりに再会し、のぶは嵩に励まされた
    次郎の残した日記の速記をのぶは読み解いて次郎の新たな夢を知る
    それは「のぶの未来を信じる」次郎の言葉だった
    それを機にのぶは速記の学習を始め、高知新報の入社試験を受けて晴れて記者に採用された

    ☆第14週以降のネタバレは今のところ無いみたい…

    ☆のぶのモデル・小松暢の結婚歴と職歴
    やなせたかしと出会う前に
    昭和14年。東京で日本郵船勤務の6歳年上の小松総一郎と結婚してました
    「小松」はこの時の姓ですよ
    総一郎との間に子供はいなかったようだね
    総一郎が復員してから病死しました。これは次郎と似せた経緯にしてますね
    暢は総一郎の死後、父の故郷だった縁で高知新聞社に入社。
    高知新聞社初の女性記者(もう一人同期で女性記者がいた)
    在籍期間は1年も満たなかったそうです。
    暢さんは速記が得意だったそうです。のぶはその点も取り入れたのね。
    当時暢さんはドイツ製ライカの一眼レフカメラを使用していたそうです。
    おそらく のぶは次郎の遺品のカメラを新聞社で使うかも?
    (ちなみに暢さんが使っていたライカの一眼レフカメラが総一郎からのプレゼントらしいよ)
    高知新聞社を退社して東京に来た暢さんは社会党の代議士の秘書になったそうだよ

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

広告

返信コメント

  • まだコメントがありません

投稿するまえにもう一度確認

ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。

上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。