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福原愛、再婚&第3子妊娠
23/09/14 08:47:34
ネタバレサイト見てきた。ここの貼り付けは見る気しないけど、あちらはしつこくないし見やすい。あと2週間ちょいしかないのが残念すぎる。絶対ロスになる。
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古トピの為、これ以上コメントできません
23/09/14 08:54:31
>>6185 ネタバレはネタバレなのでは?笑 ネタバレみたくない、うざいって言ってなかったですか?
23/09/14 08:58:29
>>6185 これ以上あまり刺激しないほうが みんなで完全スルー、に歩調合せてもらえませんか?
23/09/14 09:07:35
>>6185 「らんまん」に南方熊楠の名が 史実では万太郎と対面なしもネット「最終回で対面を」熱望の声【ネタバレ】 12日に放送されたNHK連続テレビ小説「らんまん」では、“知の巨人”南方熊楠が名前だけ登場。史実では万太郎(神木隆之介)と熊楠は実際に会うことはなかったと言われるが、ネットでは熊楠の登場を願う声が上がった。 この日の「らんまん」では、万太郎のもとへ南方熊楠から「新種在中」と記した荷物が届く。熊楠との面識はもちろんない万太郎は「初めての方じゃ」と手紙を開封。長い長い手紙に「ほとばしっちゅうのう」と万太郎はビックリ。手紙には14年ぶりに日本に帰ってきたこと、大英博物館でも学んだことなどが延々と書かれており、自分で学名をつけたので確かめてくれといって植物標本を送りつけてきた。 万太郎の見立てでは「この子は新種じゃない」。虎鉄(濱田龍臣)は、植物分類学の大家である万太郎に学名をつけて送りつけるという行為に嫌悪感をあらわにする。だが万太郎は「植物に熱意ある人が現れた」「この熱から目はそらせん。いつか会ってみたいのう」と目を細める。するともう一つ、別の標本が。そこには「ハチク」と書かれており、万太郎の表情が一変する…。 “知の巨人”とも呼ばれた博物学・民俗学の大家である熊楠。史実では2人は文通は交わすものの、実際に出会うことはなかったと言われる。だが今回はドラマとあって、実現しなかった2人の対面を熱望する声も。「南方熊楠 ここでらんまんに関われる 胸熱過ぎる」「最終回で万太郎おじーちゃんと南方熊楠が対面するシーン欲しい!!」「南方熊楠ってどんな人なんだよぉおぉぉお!!!(出演するなら誰なんだろう)」「万太郎が認めた植物熱のある南方熊楠さん、どんな方なのか気になる!!」などの声が上がっていた。 出典:デイリースポーツ
23/09/14 09:20:01
>>6185 資産家の青年・永守徹が万太郎を支援 モデルは京大法学部学生の池長孟 牧野富太郎の標本を買い取り借金解消【連載記事復刻】篤志家は大学生だった (1) 朝ドラ「らんまん」で早川逸馬(宮野真守)は、神戸の資産家だという永守徹(中川大志)を万太郎に引き合わせました。永守は万太郎の植物標本の保管と植物図鑑発刊のための費用を支援したいと告げます。京都帝国大学を卒業したばかりだという青年の思いがけない申し出に、万太郎と寿恵子(浜辺美波)の2人は当惑もします。 実はこれも史実に沿ったエピソードです。資産家の青年は、当時は京都大学の学生だった池長孟(いけなが・はじめ)だと考えられます。 「らんまん」をもっと深く、もっと楽しく! 牧野富太郎博士の特設サイトはこちら! 大正5(1916)年のことでした。牧野富太郎の経済的な困窮は極まっていました。膨大な借金を抱えていたのです。借金を返済するには植物標本を売却するしかない。そこまで追い詰められており、そのことが朝日新聞の記事になったのです。 記事が掲載された直後、池長は牧野の標本を全て買い取って借金を解消しようと申し出をしたのです。牧野は青年の熱意に歓喜しました。 史実はどうだったのか。過去の連載記事を復刻しました。 『淋しいひまもない 生誕150年 牧野富太郎を歩く』(36)篤志家は大学生だった 牧野富太郎の経済的困窮は、京都大学法学部に通う学生によって救われた。 名は池長孟(はじめ)といい、当時54歳だった牧野より30歳ほども若い25歳の青年である。 1891(明治24)年に神戸市兵庫区に生まれた池長は、資産家であった池長家の養子に迎えられ、養父の莫大(ばくだい)な財産を若くして引き継いでいた。 このころ、後に立憲政友会総裁となる久原房之助(当時、日立製作所などを設立していた実業家)も牧野を援助しようと手を上げていた。それを断り、大学生からの申し出の方を受けた理由を牧野は特に書き残してはいない。財界の大物からの支援により、何かのしがらみが生まれることなどを懸念したのだろうか。 □ 牧野の貴重な標本が海外に流出するかもしれない。池長は新聞記事を読んで心を動かされ、新聞社に駆けつけた。そして標本を買い取ることを申し出た。そればかりでなく、買い取った標本はそのまま牧野に寄贈しようという。若者の純粋な篤志だった。 電光石火のごとく、話は進む。 牧野窮状の記事が朝日新聞に掲載されたのは1916(大正5)年12月18日。直後に池長の申し出があって、牧野はすぐに妻と東京から神戸に向かい、同24日、池長に面会する。 「牧野富太郎と神戸」の著書のある元兵庫県生物学会会長、白岩卓巳さんによると、自ら牧野家に出向くことにしていた池長は急な来神に驚いたらしい。 出典:高知新聞
23/09/14 09:20:48
>>6185 資産家の青年・永守徹が万太郎を支援 モデルは京大法学部学生の池長孟 牧野富太郎の標本を買い取り借金解消【連載記事復刻】篤志家は大学生だった (2) そして4日後、今度は池長が上京して、牧野の債権者と会って交渉。同30日には、はや朝日新聞記者、長谷川如是閑(にょぜかん)の神戸の自宅で援助の正式契約を結んだ。 契約は以下のようなものだった。 ・10万点の植物標本を3万円で買い取り、それを牧野富太郎に寄贈する ・牧野家へ月々若干の援助をする ・会下山(えげやま)の正元館に標本を保管し、新たに植物研究所を設立する ・毎月1回は神戸に行って研究する 会下山の正元館とは、小学校の講堂を移築した建物で、池長の父が所有していた。ここを植物研究所にすることにした。契約には買い取った標本を寄贈するという項目もあるが、牧野もさすがにそこまでは、と思ったのだろう。それは固辞した。 〈池長植物研究所の名も実は牧野植物研究所とすべきであったが、私は池長氏に感謝の実意を捧(ささ)ぐるためにその研究所に池長の姓を冠したのでした〉(自叙伝) こうして、牧野の借金問題は解決をみた。 □ ところで、当時の3万円は、どれぐらいの価値を持つのか。白岩さんは「米価や当時の経済状況から推測して、おそらく1億円ぐらいではないか」とする。 牧野は晩年に書いた「自叙伝」で振り返っている。 〈新聞社で相談をしてくれた結果、この池長氏の好意を受ける事になって、池長氏は私のために二万円だか三万円だかを投(なげ)出(だ)して私の危急を救うて下された。永い間のことであり私の借金もこんな大金になっていたのである〉 「大金」だという認識はあるものの、「二万円だか三万円だか」という牧野の表現には驚いてしまう。その差額は大変なものだ。 おおざっぱな書き方にすぎなかったのかもしれないが、牧野の金銭感覚に触れるような感じがする。 □ 会下山に向かった。(2013年2月18日付、社会部・竹内一) 出典:高知新聞
23/09/14 09:27:32
>>6185 【朝ドラ『らんまん』ここが気になる#23】綾と竹雄、藤丸の泣けるシーンでも影が薄い万太郎は最終回への布石なのか (1) 矢部万紀子 『らんまん』第23週、万太郎(神木隆之介)は虎鉄(濱田龍臣)を伴い、東北へ植物採集に行った。2か月後に帰宅してからは、寿恵子(浜辺美波)が渋谷で開店する待合茶屋を応援、末っ子の千鶴をおぶって部屋の掃除をし、庭に木を植えることを提案した。と、書いたけれど、実のところ今週の万太郎、かなり存在感が薄めだった。 理由はわかっている。最終回まで残り3週、ここから万太郎の「図鑑出版」への猛ダッシュが始まる。それを前にとりあえず万太郎はさておいて、最終回へ向けての布石を打つ。そういう週だったのだと思う。 図鑑出版へ向けて打たれた布石は、アルミニウム印刷機だ。図鑑の成功の最終兵器になると、見ている全員が思ったはずだ。 まずは、東京に竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)が出てきた。綾と寿恵子が万太郎について語る。そこで寿恵子が、石板印刷では図版を大量に刷れないと訴える。ややあって、野宮(亀田佳明)が万太郎の家を尋ねてくる。彼が語ったのが、西洋で発明されたアルミニウムの印刷機。筆遣いそのままに版下が作れて大量に刷れる、と。 同時進行で、寿恵子のビジネスの手腕が描かれた。千鶴を出産後、渋谷に通っては現地の長所を把握、キーパーソンに声をかけて協力を取りつけ、万全の態勢で開業する。途中、万太郎へのプレゼンでは「この街はきっと唯一無二の街になります」と宣言する。「先見の明」ありまくりの寿恵子だが、このビジネスの目標が店の成功にとどまらないのは言うまでもない。アルミニウムの印刷機は「2000円? 5000円?」と万太郎に問う。買う気満々の寿恵子のビジネスモデルは、外食産業の成功→印刷業への設備投資→出版ビジネスの成功。明治の出版プロデューサーなのだ。 出典:fumufumunews
23/09/14 09:28:51
>>6185 【朝ドラ『らんまん』ここが気になる#23】綾と竹雄、藤丸の泣けるシーンでも影が薄い万太郎は最終回への布石なのか (2) 矢部万紀子 藤丸の一人語りと、意気投合した綾と竹雄の関係に泣ける 最終回に向けての筋道は見えた。問題は、万太郎がどう動くかだ。実はこれも見えている。私の想像では、たぶん何もしない。十徳長屋で標本を整理していると、いろんな人がやってくる。そこからドラマが起きて、最後は成功へ。そう予想する根拠は、それが万太郎だからだ。 23週もそうだった。まず綾と竹雄が上京し、長屋近くで屋台を開いた。万太郎と寿恵子が食べているところにやってきたのが、藤丸(前原瑞樹)と波多野(前原滉)だ。そこから、「醸造学」の話になる。酒造りをあきらめていない綾と竹雄が、醸造を研究する学者を知らないかと2人に尋ねる。手を挙げたのが、藤丸だった。 東大を卒業し、菌類の研究ができないか探したがどこにもなく、今は実家の酒問屋を手伝っている。それが藤丸の現在地だ。だから、手の挙げ方が奥ゆかしい。「もう1杯、飲んでいく」と万太郎と波多野に言って、屋台に残る。何のお酒がいいかと綾に聞かれ、綾と竹雄が造る新しい酒がいい、と答える。わかりにくいが、これが挙手なのだ。 そこからなぜか、「俺、きっと無理なんですが」と言う。「おいおい」とツッコミたくなるが、ここからの藤丸のセリフが聞かせた。無理なのに研究がしたくなった、菌類なら何でも好きなのだ、醸造と菌類の研究はまったく違うから一から学ばねばならない、だけど外国の文献を読むことならできる。藤丸の声は甘えん坊の声。そうずっと思っていた。その声のまま、一気に語る藤丸。優しく、メンタルが弱い。だけど心では、何かを成し遂げたいと思ってきた。それが伝わってきて、ちょっと泣けた。 綾は藤丸をまっすぐに見て、小さくうなずいていた。そしてこう言った。「新しい酒の注文、承りました。きっとうまいです。私らの学者先生と造るがですき」。竹雄が「藤丸さん、よろしゅうお頼み申します」と続けた。相当泣けた。勝ち組じゃないけど心優しい者同士が、ともに歩んでいこうとする。こういう場面に私は弱い。 出典:fumufumunews
23/09/14 09:29:56
>>6185 【朝ドラ『らんまん』ここが気になる#23】綾と竹雄、藤丸の泣けるシーンでも影が薄い万太郎は最終回への布石なのか (3) 矢部万紀子 野宮と波多野の別れにも、深くはかかわらない万太郎 屋台からの帰り道、波多野は万太郎に野宮の話をする。画工だった野宮と自分の“格差”について語る。自分は農科大学の教授の話を受けた、野宮は辞表を出すらしい。「結局僕は、野宮さんを見捨てたんだ」と。 ことほどさように、万太郎はただ“存在する”だけだ。そこに人が来て、ドラマが動き出す。野宮と波多野の別れが描かれた。そこに万太郎もいたが、かえって野宮に気を遣われる。最後に万太郎の長屋を訪ねた野宮が万太郎一家を写生しながら話したのが、アルミニウム印刷機だった。 23週の途中、『らんまん』の脚本家・長田育恵さんのインタビューがネット上にアップされた(9月7日『リアルサウンド』)。全話を書き終えての総括で、万太郎という人物について長田さんは、《『草花を一生涯愛した』というシンプルなテーマを持った槙野万太郎を、広場に見立てて、その人物の元に集まる人々や関係性、ネットワーク、皆の人生が咲き誇るさまを描き出そうとしていました》と語っていた。 『らんまん』主人公の万太郎を演じる神木隆之介 撮影/高梨俊浩 そうか、万太郎は「広場」なのか。広場とはそこにあるもので、ドラマを動かすのは集まる人々。だから藤丸と綾と竹雄に泣けて、万太郎には泣けないのも当然なのだ。万太郎に感じる「残念さ」のからくりを理解した。長田さんの狙いどおり、私は最後、綾と竹雄と藤丸のお酒が完成する場面で泣きたい。 《執筆者プロフィール》 矢部万紀子(やべ・まきこ)/コラムニスト。1961年、三重県生まれ。1983年、朝日新聞社入社。アエラ編集長代理、書籍部長などを務め、2011年退社。シニア女性誌「ハルメク」編集長を経て2017年よりフリー。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』など 出典:fumufumunews
ぴよぴよ
23/09/14 09:34:27
>>6185 朝ドラ「らんまん」から「ブギウギ」へバトンタッチセレモニー 現在放送中のNHKの連続テレビ小説「らんまん」に代わって、10月2日から「ブギウギ」が始まるのを前に、9月13日、大阪でバトンタッチセレモニーが行われました。 セレモニーは大阪 中央区のNHK大阪放送局で行われ、 ▼「らんまん」に出演している神木隆之介さんと浜辺美波さん、 ▼「ブギウギ」に出演する趣里さんが、 顔を合わせました。 神木さんは「あと少しで終わってしまうことに寂しさもありますが、皆さんに最後まで届いて心に残る作品であればいいなという思いが強くなっています」とあいさつしました。 趣里さんは「自分が出演する作品が始まると思うと、ズキズキ、ワクワクという気持ちです。舞台のシーンがたくさんあるので、ブギウギを見て一日を元気に始めてほしい」と話していました。 このあと恒例のプレゼント交換が行われ、神木さんと浜辺さんが舞台となった高知の間伐材を使ったボードや高知産のみかんなどを渡し、趣里さんはヒロインの実家が銭湯であることにちなんで、おけを贈りました。 そして最後に神木さんと浜辺さんから趣里さんにバトンが渡されました。 「ブギウギ」は、「東京ブギウギ」などのヒット曲で知られる戦後の大スター、笠置シヅ子さんをモデルにした物語です。 連続テレビ小説「らんまん」は9月29日に最終回を迎え、「ブギウギ」の放送は10月2日から始まります。 出典:NHK WEBNEWS
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.6185 フラワーガール
23/09/14 08:47:34
ネタバレサイト見てきた。ここの貼り付けは見る気しないけど、あちらはしつこくないし見やすい。あと2週間ちょいしかないのが残念すぎる。絶対ロスになる。
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コメント
古トピの為、これ以上コメントできません
返信コメント
No.6186 ジューンブライド
23/09/14 08:54:31
>>6185
ネタバレはネタバレなのでは?笑
ネタバレみたくない、うざいって言ってなかったですか?
No.6187 ゴンドラで入場
23/09/14 08:58:29
>>6185
これ以上あまり刺激しないほうが
みんなで完全スルー、に歩調合せてもらえませんか?
No.6189 ハネムーン
23/09/14 09:07:35
>>6185
「らんまん」に南方熊楠の名が 史実では万太郎と対面なしもネット「最終回で対面を」熱望の声【ネタバレ】
12日に放送されたNHK連続テレビ小説「らんまん」では、“知の巨人”南方熊楠が名前だけ登場。史実では万太郎(神木隆之介)と熊楠は実際に会うことはなかったと言われるが、ネットでは熊楠の登場を願う声が上がった。
この日の「らんまん」では、万太郎のもとへ南方熊楠から「新種在中」と記した荷物が届く。熊楠との面識はもちろんない万太郎は「初めての方じゃ」と手紙を開封。長い長い手紙に「ほとばしっちゅうのう」と万太郎はビックリ。手紙には14年ぶりに日本に帰ってきたこと、大英博物館でも学んだことなどが延々と書かれており、自分で学名をつけたので確かめてくれといって植物標本を送りつけてきた。
万太郎の見立てでは「この子は新種じゃない」。虎鉄(濱田龍臣)は、植物分類学の大家である万太郎に学名をつけて送りつけるという行為に嫌悪感をあらわにする。だが万太郎は「植物に熱意ある人が現れた」「この熱から目はそらせん。いつか会ってみたいのう」と目を細める。するともう一つ、別の標本が。そこには「ハチク」と書かれており、万太郎の表情が一変する…。
“知の巨人”とも呼ばれた博物学・民俗学の大家である熊楠。史実では2人は文通は交わすものの、実際に出会うことはなかったと言われる。だが今回はドラマとあって、実現しなかった2人の対面を熱望する声も。「南方熊楠 ここでらんまんに関われる 胸熱過ぎる」「最終回で万太郎おじーちゃんと南方熊楠が対面するシーン欲しい!!」「南方熊楠ってどんな人なんだよぉおぉぉお!!!(出演するなら誰なんだろう)」「万太郎が認めた植物熱のある南方熊楠さん、どんな方なのか気になる!!」などの声が上がっていた。
出典:デイリースポーツ
No.6190 ハネムーン
23/09/14 09:20:01
>>6185
資産家の青年・永守徹が万太郎を支援 モデルは京大法学部学生の池長孟 牧野富太郎の標本を買い取り借金解消【連載記事復刻】篤志家は大学生だった
(1)
朝ドラ「らんまん」で早川逸馬(宮野真守)は、神戸の資産家だという永守徹(中川大志)を万太郎に引き合わせました。永守は万太郎の植物標本の保管と植物図鑑発刊のための費用を支援したいと告げます。京都帝国大学を卒業したばかりだという青年の思いがけない申し出に、万太郎と寿恵子(浜辺美波)の2人は当惑もします。
実はこれも史実に沿ったエピソードです。資産家の青年は、当時は京都大学の学生だった池長孟(いけなが・はじめ)だと考えられます。
「らんまん」をもっと深く、もっと楽しく! 牧野富太郎博士の特設サイトはこちら!
大正5(1916)年のことでした。牧野富太郎の経済的な困窮は極まっていました。膨大な借金を抱えていたのです。借金を返済するには植物標本を売却するしかない。そこまで追い詰められており、そのことが朝日新聞の記事になったのです。
記事が掲載された直後、池長は牧野の標本を全て買い取って借金を解消しようと申し出をしたのです。牧野は青年の熱意に歓喜しました。
史実はどうだったのか。過去の連載記事を復刻しました。
『淋しいひまもない 生誕150年 牧野富太郎を歩く』(36)篤志家は大学生だった
牧野富太郎の経済的困窮は、京都大学法学部に通う学生によって救われた。
名は池長孟(はじめ)といい、当時54歳だった牧野より30歳ほども若い25歳の青年である。
1891(明治24)年に神戸市兵庫区に生まれた池長は、資産家であった池長家の養子に迎えられ、養父の莫大(ばくだい)な財産を若くして引き継いでいた。
このころ、後に立憲政友会総裁となる久原房之助(当時、日立製作所などを設立していた実業家)も牧野を援助しようと手を上げていた。それを断り、大学生からの申し出の方を受けた理由を牧野は特に書き残してはいない。財界の大物からの支援により、何かのしがらみが生まれることなどを懸念したのだろうか。
□
牧野の貴重な標本が海外に流出するかもしれない。池長は新聞記事を読んで心を動かされ、新聞社に駆けつけた。そして標本を買い取ることを申し出た。そればかりでなく、買い取った標本はそのまま牧野に寄贈しようという。若者の純粋な篤志だった。
電光石火のごとく、話は進む。
牧野窮状の記事が朝日新聞に掲載されたのは1916(大正5)年12月18日。直後に池長の申し出があって、牧野はすぐに妻と東京から神戸に向かい、同24日、池長に面会する。
「牧野富太郎と神戸」の著書のある元兵庫県生物学会会長、白岩卓巳さんによると、自ら牧野家に出向くことにしていた池長は急な来神に驚いたらしい。
出典:高知新聞
No.6191 ハネムーン
23/09/14 09:20:48
>>6185
資産家の青年・永守徹が万太郎を支援 モデルは京大法学部学生の池長孟 牧野富太郎の標本を買い取り借金解消【連載記事復刻】篤志家は大学生だった
(2)
そして4日後、今度は池長が上京して、牧野の債権者と会って交渉。同30日には、はや朝日新聞記者、長谷川如是閑(にょぜかん)の神戸の自宅で援助の正式契約を結んだ。
契約は以下のようなものだった。
・10万点の植物標本を3万円で買い取り、それを牧野富太郎に寄贈する
・牧野家へ月々若干の援助をする
・会下山(えげやま)の正元館に標本を保管し、新たに植物研究所を設立する
・毎月1回は神戸に行って研究する
会下山の正元館とは、小学校の講堂を移築した建物で、池長の父が所有していた。ここを植物研究所にすることにした。契約には買い取った標本を寄贈するという項目もあるが、牧野もさすがにそこまでは、と思ったのだろう。それは固辞した。
〈池長植物研究所の名も実は牧野植物研究所とすべきであったが、私は池長氏に感謝の実意を捧(ささ)ぐるためにその研究所に池長の姓を冠したのでした〉(自叙伝)
こうして、牧野の借金問題は解決をみた。
□
ところで、当時の3万円は、どれぐらいの価値を持つのか。白岩さんは「米価や当時の経済状況から推測して、おそらく1億円ぐらいではないか」とする。
牧野は晩年に書いた「自叙伝」で振り返っている。
〈新聞社で相談をしてくれた結果、この池長氏の好意を受ける事になって、池長氏は私のために二万円だか三万円だかを投(なげ)出(だ)して私の危急を救うて下された。永い間のことであり私の借金もこんな大金になっていたのである〉
「大金」だという認識はあるものの、「二万円だか三万円だか」という牧野の表現には驚いてしまう。その差額は大変なものだ。
おおざっぱな書き方にすぎなかったのかもしれないが、牧野の金銭感覚に触れるような感じがする。
□
会下山に向かった。(2013年2月18日付、社会部・竹内一)
出典:高知新聞
No.6193 ハネムーン
23/09/14 09:27:32
>>6185
【朝ドラ『らんまん』ここが気になる#23】綾と竹雄、藤丸の泣けるシーンでも影が薄い万太郎は最終回への布石なのか (1)
矢部万紀子
『らんまん』第23週、万太郎(神木隆之介)は虎鉄(濱田龍臣)を伴い、東北へ植物採集に行った。2か月後に帰宅してからは、寿恵子(浜辺美波)が渋谷で開店する待合茶屋を応援、末っ子の千鶴をおぶって部屋の掃除をし、庭に木を植えることを提案した。と、書いたけれど、実のところ今週の万太郎、かなり存在感が薄めだった。
理由はわかっている。最終回まで残り3週、ここから万太郎の「図鑑出版」への猛ダッシュが始まる。それを前にとりあえず万太郎はさておいて、最終回へ向けての布石を打つ。そういう週だったのだと思う。
図鑑出版へ向けて打たれた布石は、アルミニウム印刷機だ。図鑑の成功の最終兵器になると、見ている全員が思ったはずだ。
まずは、東京に竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)が出てきた。綾と寿恵子が万太郎について語る。そこで寿恵子が、石板印刷では図版を大量に刷れないと訴える。ややあって、野宮(亀田佳明)が万太郎の家を尋ねてくる。彼が語ったのが、西洋で発明されたアルミニウムの印刷機。筆遣いそのままに版下が作れて大量に刷れる、と。
同時進行で、寿恵子のビジネスの手腕が描かれた。千鶴を出産後、渋谷に通っては現地の長所を把握、キーパーソンに声をかけて協力を取りつけ、万全の態勢で開業する。途中、万太郎へのプレゼンでは「この街はきっと唯一無二の街になります」と宣言する。「先見の明」ありまくりの寿恵子だが、このビジネスの目標が店の成功にとどまらないのは言うまでもない。アルミニウムの印刷機は「2000円? 5000円?」と万太郎に問う。買う気満々の寿恵子のビジネスモデルは、外食産業の成功→印刷業への設備投資→出版ビジネスの成功。明治の出版プロデューサーなのだ。
出典:fumufumunews
No.6194 ハネムーン
23/09/14 09:28:51
>>6185
【朝ドラ『らんまん』ここが気になる#23】綾と竹雄、藤丸の泣けるシーンでも影が薄い万太郎は最終回への布石なのか (2)
矢部万紀子
藤丸の一人語りと、意気投合した綾と竹雄の関係に泣ける
最終回に向けての筋道は見えた。問題は、万太郎がどう動くかだ。実はこれも見えている。私の想像では、たぶん何もしない。十徳長屋で標本を整理していると、いろんな人がやってくる。そこからドラマが起きて、最後は成功へ。そう予想する根拠は、それが万太郎だからだ。
23週もそうだった。まず綾と竹雄が上京し、長屋近くで屋台を開いた。万太郎と寿恵子が食べているところにやってきたのが、藤丸(前原瑞樹)と波多野(前原滉)だ。そこから、「醸造学」の話になる。酒造りをあきらめていない綾と竹雄が、醸造を研究する学者を知らないかと2人に尋ねる。手を挙げたのが、藤丸だった。
東大を卒業し、菌類の研究ができないか探したがどこにもなく、今は実家の酒問屋を手伝っている。それが藤丸の現在地だ。だから、手の挙げ方が奥ゆかしい。「もう1杯、飲んでいく」と万太郎と波多野に言って、屋台に残る。何のお酒がいいかと綾に聞かれ、綾と竹雄が造る新しい酒がいい、と答える。わかりにくいが、これが挙手なのだ。
そこからなぜか、「俺、きっと無理なんですが」と言う。「おいおい」とツッコミたくなるが、ここからの藤丸のセリフが聞かせた。無理なのに研究がしたくなった、菌類なら何でも好きなのだ、醸造と菌類の研究はまったく違うから一から学ばねばならない、だけど外国の文献を読むことならできる。藤丸の声は甘えん坊の声。そうずっと思っていた。その声のまま、一気に語る藤丸。優しく、メンタルが弱い。だけど心では、何かを成し遂げたいと思ってきた。それが伝わってきて、ちょっと泣けた。
綾は藤丸をまっすぐに見て、小さくうなずいていた。そしてこう言った。「新しい酒の注文、承りました。きっとうまいです。私らの学者先生と造るがですき」。竹雄が「藤丸さん、よろしゅうお頼み申します」と続けた。相当泣けた。勝ち組じゃないけど心優しい者同士が、ともに歩んでいこうとする。こういう場面に私は弱い。
出典:fumufumunews
No.6195 ハネムーン
23/09/14 09:29:56
>>6185
【朝ドラ『らんまん』ここが気になる#23】綾と竹雄、藤丸の泣けるシーンでも影が薄い万太郎は最終回への布石なのか (3)
矢部万紀子
野宮と波多野の別れにも、深くはかかわらない万太郎
屋台からの帰り道、波多野は万太郎に野宮の話をする。画工だった野宮と自分の“格差”について語る。自分は農科大学の教授の話を受けた、野宮は辞表を出すらしい。「結局僕は、野宮さんを見捨てたんだ」と。
ことほどさように、万太郎はただ“存在する”だけだ。そこに人が来て、ドラマが動き出す。野宮と波多野の別れが描かれた。そこに万太郎もいたが、かえって野宮に気を遣われる。最後に万太郎の長屋を訪ねた野宮が万太郎一家を写生しながら話したのが、アルミニウム印刷機だった。
23週の途中、『らんまん』の脚本家・長田育恵さんのインタビューがネット上にアップされた(9月7日『リアルサウンド』)。全話を書き終えての総括で、万太郎という人物について長田さんは、《『草花を一生涯愛した』というシンプルなテーマを持った槙野万太郎を、広場に見立てて、その人物の元に集まる人々や関係性、ネットワーク、皆の人生が咲き誇るさまを描き出そうとしていました》と語っていた。
『らんまん』主人公の万太郎を演じる神木隆之介 撮影/高梨俊浩
そうか、万太郎は「広場」なのか。広場とはそこにあるもので、ドラマを動かすのは集まる人々。だから藤丸と綾と竹雄に泣けて、万太郎には泣けないのも当然なのだ。万太郎に感じる「残念さ」のからくりを理解した。長田さんの狙いどおり、私は最後、綾と竹雄と藤丸のお酒が完成する場面で泣きたい。
《執筆者プロフィール》
矢部万紀子(やべ・まきこ)/コラムニスト。1961年、三重県生まれ。1983年、朝日新聞社入社。アエラ編集長代理、書籍部長などを務め、2011年退社。シニア女性誌「ハルメク」編集長を経て2017年よりフリー。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』など
出典:fumufumunews
No.6196
No.6197 ハネムーン
23/09/14 09:34:27
>>6185
朝ドラ「らんまん」から「ブギウギ」へバトンタッチセレモニー
現在放送中のNHKの連続テレビ小説「らんまん」に代わって、10月2日から「ブギウギ」が始まるのを前に、9月13日、大阪でバトンタッチセレモニーが行われました。
セレモニーは大阪 中央区のNHK大阪放送局で行われ、
▼「らんまん」に出演している神木隆之介さんと浜辺美波さん、
▼「ブギウギ」に出演する趣里さんが、
顔を合わせました。
神木さんは「あと少しで終わってしまうことに寂しさもありますが、皆さんに最後まで届いて心に残る作品であればいいなという思いが強くなっています」とあいさつしました。
趣里さんは「自分が出演する作品が始まると思うと、ズキズキ、ワクワクという気持ちです。舞台のシーンがたくさんあるので、ブギウギを見て一日を元気に始めてほしい」と話していました。
このあと恒例のプレゼント交換が行われ、神木さんと浜辺さんが舞台となった高知の間伐材を使ったボードや高知産のみかんなどを渡し、趣里さんはヒロインの実家が銭湯であることにちなんで、おけを贈りました。
そして最後に神木さんと浜辺さんから趣里さんにバトンが渡されました。
「ブギウギ」は、「東京ブギウギ」などのヒット曲で知られる戦後の大スター、笠置シヅ子さんをモデルにした物語です。
連続テレビ小説「らんまん」は9月29日に最終回を迎え、「ブギウギ」の放送は10月2日から始まります。
出典:NHK WEBNEWS