• No.3 匿名

    14/03/04 16:01:55

    た日本の戦略的獲得事例と言えます。

    4. 第二次大戦後、ソ連ではなく米国に占領された こと 物量で到底相手にはなりませんでしたが、神風や 玉砕など狂気の沙汰で攻めてくる日本に、米国も 相当な被害を被ることになります。血を流して占 領しただけに、米国は日本をドイツのように分割 する気はありませんでした。

    5. 朝鮮戦争とベトナム戦争の勃発 第二次世界大戦でボロボロになった日本を復活さ せたのは、他ならぬ共産主義者たちでした。米国 にとっても、本国からの輸送距離を考えれば、再 び日本を戦略物資の生産基地とする他ありません でした。なぜなら、日本の産業施設は焦土化され ていましたが、それでも日本以外の国で、まとも なインフラを持つ国がなかったからです。実際、 韓国には1970年代までコピー機は一台もありませ んでした。

    以上です。

    回答者5(採用された回答) まず、地理的観点から説明しますと、日本はアジ アの中で最も東の端に位置し、陸地を中心とすれ ば辺境の地になります。しかし、海洋を中心とす れば世界各国の文化をすぐに受け入れることがで きるため中心国となったりもします。 これに加えて、島国という特性から、外勢の侵略 に対し必然的に保護が容易でした。実際、米国の 第二次世界大戦の爆撃以外で、本土が外部勢力か ら侵略を受けたことはありません。さらに文物に おいても、西洋文物だけでなく、中国、韓国から の大陸文化等が入り、文化の伝播者ではなく需要 者として役割を持ち、独特の文化を維持・発展さ せていくことができました。 そして、政治的な理由は、明治維新が挙げられま す。地理的な理由で、西洋世界から最も早く文物 を受け入れた結果、既存の地方武士勢力が力をつ け、江戸幕府の旧制度に抵抗を始めることになり ます。中でも幕府から最も疎外されていた薩摩藩 と長州藩が連合し、最終的に江戸幕府を崩壊さ せ、鎌倉幕府以来、操り人形に過ぎなかった日本 の王の存在を自分たちの勢力成長のイデオロギー に利用しました。 そして、坂本龍馬や福沢諭吉のような西洋の文物 を受け入れることを積極的に奨励した人が、日本 の進むべき道を提示し、脱亜入欧(アジアを脱し てヨーロッパと肩を並べること)を積極的に推進 し模倣することで成長を遂げ、今日の先進国に至ってます

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