- なんでも
- おはぎ
- xg6drUgzK3
- 17/10/20 11:46:34
朝鮮人って本当にヤバイんだね。
何も知らずにいたけど、日本には朝鮮人がたくさん居て、乗っ取られそうになってたんだね。
私みたいな平和ボケしてる人が居たら知って欲しい
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朝鮮人って本当にヤバイんだね。
何も知らずにいたけど、日本には朝鮮人がたくさん居て、乗っ取られそうになってたんだね。
私みたいな平和ボケしてる人が居たら知って欲しい
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>>25
生きていても『日本人』と名乗り出れない暮らしを今も強いられてる…?
これはちょっと信じ難いな-、
それに日本も昔は かなり酷い事をしてた時期があるんじゃないの?
古い話は持ち出さない方がいいと思う、旧ソ連だって酷い事をしてたって話は
聞いた事があるしね、きりがないよ。
>>24
この話が嘘だとしても、似たり寄ったりの虐殺、略奪がたくさんあったのは事実だよ。
中国に残った邦人の残留孤児はたくさん出てきてるけど、朝鮮に残された残留孤児は殺されたり、生きていても『日本人』と名乗り出れない暮らしを今も強いられてるんだよ。
何年か前に この話の事は聞いた事があるけど、ネット上で誰かが言い始めた
出所不明の信憑性に欠ける話だって聞いた。
何が本当なのか知らないけど、
人間同士が憎み合う原因になる様な事はあまり載せない方がいいよ
特にママスタの様な母親主体の掲示板にはね。
>>22これを見ると日本人と朝鮮人は永遠に相容れないのかなと思えてしまうね。
(>>21の続き)
彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は、次のように証言している。
和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを、子どもたちよ。
A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。
和夫:(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち、みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり、お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは、私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に、なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。
朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け、育ててきた結果は、つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら、帰ってやるわ。
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら、おれたちはどうやって食っていくんだ?)
B:死/ね、チョッパリ、シッパルノマ。
間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。
このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。
そしてなんと 十三人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。(金ソンス君は、この期に及んで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。
強姦に耐えられなかった彼女は、行為の途中で死亡し、Dは、ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して、まき散らした。
和夫には、一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に、近隣住民たちは眠れなかったそうだ。
その後、孤児になったヒミコは、食べ物を乞おうと、その付近をさまよったが、朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず、知らないふりをした。
結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時、ヒミコは小学校六年生の幼子だった。和夫の財産は、勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り、この事件は村人たちの沈黙の中、しだいに忘れられて行った。
和夫一家殺害事件
~「親日派のための弁明(著者金完燮氏 キム・ソンス君の証言)」より
和夫一家殺害事件 敗戦直後の朝鮮の状況
http://housai.iza.ne.jp/blog/entry/259737/
私は生粋の韓国人だ。でも、韓国人というものがあまりにも情けなく、えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに、自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?
日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。ところが、和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分たちの間違いを、日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。
和夫の亡骸は、釜山に大切に移葬され、毎年、日本人の墓参りが絶えない。以下は、和夫夫婦が死んだ日、ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時、金ソンス君も加害者だったが、殺害行為には同調しなかったそうだ。
和夫氏は、日帝時代によく見られた、慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの、和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって、乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。公務員だった和夫は、政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は、一種の軍事独裁体制で、政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。
当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには、朝鮮人の小作人たちから、法の規定以上の小作料を取り立てる、怪しからぬ人々もいたが、ふだんから人情味の厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一とし、村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。
自分たちの生活が困らなかったので、総督府の法令にしたがって、やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だった。
また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたが、その数は、一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族は、ふだん、このように 朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。
その日、まさに万歳の声とともに、太極旗が波のように風になびきつつ、朝鮮人の世がやって来た。神は、自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのか?
(続く)
>>18 日本ではなく朝鮮に居たからね。
>>17手のひら返す所とか、恩を仇で返す所、残虐行為をする所、全てにおいて人間ではないんだと思う。
孤児となってしまった夫妻の実子を助ける者は誰も居なかったみたいね...
調べるの怖いから調べてないけど主の説明読んだだけで鳥肌です。
キチすぎる。
>>15
私も大嫌いになったー
知らないと怖いね
知ってた。だから朝鮮人が嫌い!
>>13胸糞だよね。皆に知って欲しい。
日本で平然と通名を使って日本人になりすまし、強姦や窃盗、殺人などの犯罪を犯しながら在日特権で日本に居座っている朝鮮人は許せない
ググったら想像以上に胸糞だった
>>10
見た見た~
調べれば調べる程、朝鮮人大嫌いなったよ。
ぴよぴよ
朝鮮人って人間じゃないね。
某トピにも在日がイエローモンキーとか、自民党下げのレスしたりで異常者だとは思ってたけどこんな残忍な奴らだったんだね。
>>8やっぱり朝鮮人て異常だね。
ざっと大まかに書くと、
戦時中、朝鮮に渡っていた和夫夫妻が朝鮮孤児を不憫に思い、家族の一員として迎え入れ育て、朝鮮孤児も1人、2人、3人...と段々増えていったんだけど、天皇降伏した途端、父母として慕っていた和夫夫妻を斧で滅多刺しにしたり母と慕っていのに皆で強姦して残虐に殺して、最後に臓器まで取り出した事件です。
恩をあだて返すとはこの事だね…朝鮮人は捏造捏造言ってるけどね…
こんな軽い言葉では故人に失礼だけど、恩を仇で返す。ってこの事だね。
>>1あ、知ってた。酷い事件
知りません。
まぁ、えげつないよね。
詳細ぐらい書いてよね
知らない