AIに架空のトピを作ってもらった

匿名

少しの努力が大きな成果を生む

25/09/11 15:05:04

トピックタイトル
義母からの手作り料理、正直つらいです…
本文
義母が毎週のように「作りすぎちゃったから」と、大量のお惣菜や煮物を持ってきてくれます。気持ちはありがたいのですが、正直わが家の味付けとは違うし、好みではないものも多いです。せっかく作ってくれたものを捨てるわけにもいかず、頑張って食べています。
断っても「せっかく作ったのに」と悲しそうな顔をされるので、どうしたらいいか悩んでいます。同じような経験をされた方、どうやって対処していますか?

「ママスタ 義母 投稿作って」って入れたら作ってくれた
こんな風にみんな作ってるのかな?

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.1 言わぬが花

    25/09/11 15:07:21

    すごいね!全然違和感ない。ここまで作れるものなんだ。

  • No.2 少しの努力が大きな成果を生む

    25/09/11 15:12:46

    >>1
    びっくりしたよ
    何個か例を出してきたけど全て違和感ない感じだよ
    で、ありがちなネタだった(笑)
    判断が難しい時代になったものだね

  • No.3 継続は力なり

    25/09/11 15:14:29

    すんごい時代だねぇ

  • No.4 本当に大切なのは、今ここにあるもの

    25/09/11 15:14:36

    義祖母世代な感じ

  • No.5 馬鹿は死ななきゃ治らない

    25/09/11 15:35:41

    なんだそうだったのか

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  • No.6 自分を信じろ、でもGPSも使え

    25/09/11 15:36:37

    >>5

  • No.7 自分を信じろ、でもGPSも使え

    25/09/11 15:37:34

    もっと他にも作ってみて

  • No.8 少しの努力が大きな成果を生む

    25/09/11 15:48:55

    >>7
    「ママ友」って入れた場合
    【トピ立て】
    ママ友関係って、どうしてこんなに気を使うんだろう...
    【本文】
    幼稚園のママ友グループにいるんだけど、付き合いに疲れてきちゃった。
    ランチ会とかイベントとか、誘われれば断りにくいし、SNSも常にチェックしないといけない気がして。
    みんなでいるときは楽しいんだけど、終わった後のどっとした疲れがすごくて。
    正直、ママ友付き合いって本当に必要?
    無理して付き合うくらいなら、子どものためにもならない気がするんだけど...。
    同じように感じてる人、いますか?

    …簡単だね コピーするだけ
    それもタダ(笑)
    信じられなくなりそうだ(苦笑)

  • No.9 言わぬが花(でもたまには言った方が花)

    25/09/11 16:25:09

    この手のトピはみんな釣りだと思ってた

  • No.10 馬鹿は死ななきゃ治らない

    25/09/11 16:31:54

    林真理子風エッセイをAIに作ってもらった

    義実家から、現金のお祝いをいただいたことは一度もない。ゼロである。
    その代わりにというか、両家で集まるたびに必ず義両親が食事代を出す。いや、正確に言うと「ありがたくも出してくださる」。しかも毎回、きまってこう言うのだ。
    「遠くからわざわざありがとうございます。◯◯家としてお祝いはこちらでさせていただきます」
    ──どうです、この堂々たる宣言。

    けれど行き先は毎回同じ。義両親のお知り合いの中華料理店である。アットホームでリーズナブル、大人6人食べてもお会計はだいたい1万5千円。私の心の電卓は、いつもチーンと鳴る。「はい、今日のお祝いは1万5千円なり」と。しかも子どもたちはまだ3歳と1歳、チャーハンのひと口も食べない。これで「◯◯家としての晴れやかなお祝い」と言われても、どうにも箸が進まない。

    一方の私の実家ときたら、対照的である。孫の節目には毎回5万円以上を包み、さらにおもちゃや洋服まで抱えてやって来る。まるでサンタクロースが年中無休で働いているかのようだ。するとどうしても比べてしまう。「食事代1万5千円 VS 現金5万円+プレゼント」。結果は言うまでもない。

    もちろん私や両親も「今日は私たちが出しますよ」と言ってみる。だがそのたびに義両親はきっぱりと断る。「いえいえ、◯◯家として払うのが当然ですから」──出ました、“◯◯家”。このフレーズがとにかく大好きらしい。回鍋肉の隣で繰り返される“家”の連呼に、私は心の中で「この人たちはいったい何の家元なのだろう」とつぶやくのである。

    考えてみれば、義両親にとって「食事代を出すこと」が最大の見せ場なのかもしれない。舞台でいうならカーテンコール、歌舞伎でいうなら見得を切る場面。「よっ!◯◯家!」と掛け声をかけたくなるほど誇らしげだ。けれど、その金額は毎回1万5千円。安くておいしいのはありがたいけれど、「これがお祝い…?」と首をかしげながら、私は今日も中華スープをすすっている。

  • No.11 少しの努力が大きな成果を生む

    25/09/11 16:37:44

    >>9
    まー釣りだろうなとはいつも思う
    主コナーズだったり返事が曖昧だったりするからな
    そこで判断かな?

    なんとなく今回やってみたけど…たったこの言葉だけでありがちな作り話をするとは
    驚愕だね

  • No.12 馬鹿は死ななきゃ治らない

    25/09/11 16:39:22

    AIで林真理子風エッセイにした

    義母からの“愛情爆弾”を受け止める日々

    ――林真理子風エッセイ

    義母という存在は、宇宙に浮かぶ巨大惑星のようなものです。重力が強すぎて、こちらの小さな抵抗など意味をなしません。私の義母もそのタイプで、毎週のように「作りすぎちゃったから」と大量のお惣菜を持ってきてくださいます。

    ありがたいんですよ、もちろん。愛情を注いでくださっているのは分かっています。けれども、わが家の味付けとはどうにも合わない。なぜ煮物がこんなに黒光りしているのか、なぜひじきが砂糖菓子のように甘いのか。私は毎週、「義母味」という新しいジャンルの学問に挑んでいる気分です。

    しかも、その量たるや。タッパーのフタが閉まる瞬間、義母はなぜか満足げに微笑みます。そのとき私の冷蔵庫は、またひとつ“義母煮物保管庫”と化すのです。子どもたちも最初は「わあ!」と喜びますが、二日目には「ママ、またこれ?」と小声で抗議。私も「まあまあ、食べてみなさい」と言いながら、内心では同じことを思っているのです。

    断ろうと試みたこともあります。しかし義母は、宝塚の大女優ばりに目を伏せ、唇を震わせながら一言。
    「せっかく作ったのに…」
    ――この台詞に勝てる嫁は、果たして世に存在するのでしょうか。私は即座に敗北し、両手でタッパーを受け取るしかありません。

    そうして、我が家の冷蔵庫は今日も義母料理でパンパン。私はもはや「嫁修行」ではなく「義母料理トライアスロン」に挑んでいるのです。

    さて、この話のオチ。先日、あまりにも冷蔵庫がいっぱいで、子どもがアイスを探して泣き出しました。仕方なく私は、冷凍室の奥に追いやられていた義母の“黒光り煮物”をひとつ取り出し、「これもアイスみたいに冷たいわよ」と出してみたのです。子どもは渋い顔をしながらも一口。「……うん、やっぱりまずい」ときっぱり。

    ――ああ、やっぱり血は争えない。私と子ども、同じ味覚のDNAに、そっと安堵したのでした。

  • No.13 馬鹿は死ななきゃ治らない

    25/09/11 16:45:43

    義母の煮物について

    ――五木寛之風エッセイ

    人にはそれぞれ、生まれ育った土地の味がある。
    それは、郷愁というよりも、もっと根深い「生き方の記憶」に近いものかもしれない。

    義母が毎週のように持ってくる大鍋の煮物やお惣菜を前にすると、私はいつも立ち止まってしまう。
    味は、正直に言えば、私の好みとは違う。砂糖が強すぎる。煮汁が濃すぎる。ひと口食べると、舌に残る甘さがいつまでも去っていかない。だが、義母はその味を信じている。長い年月をかけて育ててきた“自分の味”を。

    私の家庭に持ち込まれたその味は、少し異物のように浮いてしまう。子どもたちは「またこれ?」と顔をしかめる。私も同じ思いを抱きながら、それでも箸をつけざるを得ない。捨てることはできない。そこには義母の気持ちが、いや、生きてきた時間そのものが詰まっているからだ。

    断ろうとしたこともある。「お気持ちだけで十分です」と言った私に、義母は静かに答えた。
    「せっかく作ったのに」
    ――その声は、かすかに震えていた。あのとき私は、何も言い返せなかった。

    人は年をとると、自分の存在を誰かに示したくなる。料理はその手段のひとつなのだろう。義母にとって鍋いっぱいの煮物は、「まだ私は誰かの役に立てる」という証明にほかならない。

    だから私は今日もタッパーを受け取る。冷蔵庫は狭くなるし、味覚の冒険も続く。だが、それでいいのかもしれない。義母の味に合わせることは、彼女の人生に敬意を払うことだからだ。

    ある夜、ふと思い立って義母の煮物に自分の好みのスパイスを加えてみた。クミンや唐辛子。すると、意外にも新しい味わいが立ち上がった。翌日、子どもたちが「これなら食べられる」と言ったとき、私は少しだけ笑った。

    ――義母の時間と、私の時間。その二つが、同じ鍋の中でゆっくりと溶け合っていく。そんな気がした。

  • No.14 馬鹿は死ななきゃ治らない

    25/09/11 16:52:38

    義母の煮物

    ――風

    義母は、毎週のように鍋をかかえてやって来る。
    「作りすぎてしまったのよ」
    そう言いながら、まだ湯気をのこした惣菜を卓の上に置く。

    ありがたいことだ、と私は思う。
    けれども、口に含むと、わが家の味とはどこか遠い。
    醤油の濃さが舌にしみ、砂糖の甘さが骨に残る。
    私の舌は、義母の年月を映す鏡であるかのように、昭和の匂いを思い出す。

    冷蔵庫のなかは、義母の煮物で満ちていく。
    レンコン、こんにゃく、人参。
    同じ具材が並びながら、少しずつ違う色をしている。
    私の子どもたちは初めこそ面白がり、二日目には箸を止める。
    「またこれ?」とつぶやく声は、秋の虫のようにかすかで寂しい。

    断ろうとしたこともある。
    「せっかく作ったのに」
    義母のその言葉は、胸の奥に冷たい石を落とす。
    私は微笑みをつくり、再びタッパーを受け取る。

    ある夜、煮物を温め直しているとき、ふと気づいた。
    この重さ、この味は、義母の孤独の形なのかもしれない。
    ひとりの台所で、誰かのために手を動かす時間。
    その手のぬくもりが、煮物の汁にしみこんでいるのだろう。

    私は箸をとり、少し冷めたレンコンを口に入れた。
    やはり甘すぎる。けれども、その甘さが、どこか胸を締めつけた。

    ――義母の煮物は、わが家の味ではない。
    けれども、義母の人生の味であった。


    川端康成はいいねえ

  • No.15 恥をかいても前に進むことが大事

    25/09/11 16:57:06

    どこかのバカのトピより読みやすくていいね!
    賢いなあ

  • No.16 二度あることは三度ある

    25/09/11 17:59:51

    わかってはいるけど、こちらも暇を潰したいからなんて答えるかな?とついついコメントを残してしまう時があるんだよね。笑

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*コメント欄のパトロールでYahoo!ニュースのAIを使用しています

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