宮世琉弥「戻れるなら…いつかここに」 7歳で被災、俳優になって叶えたい夢 #知り続ける

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  • 23/03/11 14:22:53

宮城県・東松島市。この街の駅に今年1月、1枚のポスターが貼られていた。しばらく見ていると若い女性たちが次々と写真を撮りに訪れる。話を聞くと、岩手から2時間かけて撮りに来たという人もいた。
ポスターに写る男性は、俳優・宮世琉弥(みやせ・りゅうび)さん、19歳。去年、TBSドラマ『君の花になる』などCMやドラマに立て続けに出演。若い世代を中心に人気を博す俳優の1人だ。宮世さんは12年前、東松島市に暮らす小学1年生だった。そして、東日本大震災で被災している。

しかし、以来12年間、当時暮らしていた場所に足を運んだことがなかったという。思い出すのが辛い出来事も多く、足が遠のいていたのだ。
今回宮世さんは、ある決意をもって地元を訪れることにした。
(TBSテレビ 3.11 震災特番Nスタスペシャル“いのち” ディレクター 原田真衣)


小学1年だった当時 車ごと津波に流され…

「海から1km程のところに学校があって、帰り会の途中でした。突然、地震が起きて机の下にもぐって…理科室のガラスが割れて床に散乱してしまっていて。何が起きているんだろうって不安で友達と震えていたのを覚えています」

その後、間もなく母親が学校に迎えに来てくれたのだという。
母の運転する車に乗って宮世さんは学校を離れ、田んぼ道を走っていた。当時、市内の保育園に通っていた妹を「このまま迎えに行くのかな…」と思っていた。

そのとき、車の後ろから這うように津波が迫ってきた。

「真っ黒な水がバーッて後ろの方から迫ってきたんです。逃れようと母がハンドルをきったんですが…すぐに追いつかれて、車ごと押し流されて。怖いというよりも、とにかくパニックで」

そのまま、数百メートルにわたって津波に流された。
ゆるやかなカーブにさしかかったところで車は道を外れ、草木が生い茂る斜面に乗り上げた。宮世さんは母と一緒に車から脱出、斜面を必死に上り、高台に逃れたという。

「津波から逃れた後、車や、人が流されていくような光景も目にしました。あとになって、自分だけが助かって良かったのかなという気持ちも抱きました。今回、現地に戻ってきて感じたのは、自分のいのちが助かったのも色んな偶然が重なったことなんだということです。もし違う場所にいたら、少しでも何かが違っていたら、自分のいのちもなくなっていたかもしれないって」


以降、続きあり。

https://news.yahoo.co.jp/articles/eca74107d18ee6e109779739603621f63e36c667?page=1

  • 1 いいね

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    • 31
    • 松江城山公園
    • 23/03/18 11:15:14

    トラウマになりそうな体験だね。
    これも運だよね、怖かっただろうな…

    ブルーム復活お願いします。

    • 0
    • 23/03/18 11:01:49

    >>25なんで?

    • 0
    • 29
    • 大法師公園
    • 23/03/17 17:09:20

    ブルームまた見たい

    • 0
    • 23/03/15 10:00:51

    >>26
    ぷっ

    • 2
    • 23/03/14 09:50:52

    >>26
    佐藤しおりも

    • 0
    • 26
    • お花見(まだ咲いていない)
    • 23/03/14 06:36:49

    研ナオコに似てる人か

    • 2
    • 23/03/14 06:35:24

    >>14
    なんか伊藤健太郎臭がするんだよな

    • 1
    • 24
    • 泉自然公園
    • 23/03/14 06:33:40

    いつもカメラ目線で自分大好きな子だね

    • 1
    • 23
    • 斐伊川堤防桜並木
    • 23/03/14 06:26:23

    >>14
    学生らしいんじゃない?はしゃいだりさ
    今はもう20過ぎたから落ち着いただけでは。

    • 0
    • 23/03/14 04:12:14

    美奈代の息子にいそうな顔の子ね。

    • 3
    • 23/03/14 03:51:52

    >>14 ホントに?誰かと間違えてない?

    • 0
    • 23/03/14 01:36:43

    目が、、

    • 2
    • 23/03/13 16:26:38

    最近よくでるね

    • 0
    • 23/03/13 15:28:44

    >>14
    イケメンよね

    • 0
    • 23/03/13 11:37:26

    >>14
    ヤンキーだったの?

    • 0
    • 23/03/13 08:49:08

    >>14
    どんな?

    • 1
    • 23/03/13 08:47:30

    ドラマ恋する母たちで、仲里依紗の息子役でかわいい子だなと初めて知った。被災していたんだね。全然知らなかった。
    頑張ってほしい。応援してます。

    • 2
    • 14
    • お花見(花より団子)
    • 23/03/13 08:39:38

    >>13
    この人学生時代めちゃくちゃヤンチャで今のテレビのキャラと違いすぎて毎回驚く(笑)

    • 3
    • 23/03/13 08:36:26

    >>11
    高橋文哉が忙しそう

    • 1
    • 23/03/12 23:30:05

    この人、宮城県なんだ、

    • 0
    • 23/03/12 22:14:07

    BLOOM復活して

    • 1
    • 23/03/11 23:03:12

    真面目なんだ

    • 0
    • 9
    • 吉香公園・錦帯橋
    • 23/03/11 22:16:40

    中村倫也のコーヒーのドラマのおぼっちゃんか。いい顔してるよね。

    • 0
    • 8
    • 城山公園
    • 23/03/11 22:11:34

    まもーって言う人?

    • 0
    • 7
    • 上野公園
    • 23/03/11 21:45:41

    応援するわ

    • 4
    • 23/03/11 21:40:57

    >>5
    続編やりそうだよね

    • 0
    • 23/03/11 21:37:29

    この人、本田翼のドラマの人?

    • 1
    • 23/03/11 21:23:57

    可哀想

    • 0
    • 23/03/11 14:24:50

    12年前の記憶を胸に 抱く夢とは

    震災後、宮世さんの母校は近くの学校と合併し、場所をうつした。2月、宮世さんが学校を訪れると、あっという間に子どもたちに囲まれた。みんな宮世さんが地元の先輩だと知っているのだという。

    この場所で、宮世さんはこんな話をしてくれた。

    「将来、震災をテーマに自分で映画を作りたいんです。宮城の人たちの思いを伝える作品。地元でも撮影をしたいです。東北で生まれ育っても、あの震災を経験していない人たちはこれからもっと増えていきます。震災を風化させたくないという思いを、僕なりのやり方で、作品で伝えていきたい。まだまだ時間がかかるかもしれませんが…ずっと大切にしたい夢です」

    宮世琉弥さんは、12年前の記憶を胸に、夢を追い続ける。

    ※この記事は、TBSテレビとYahoo!ニュースとの共同連携企画です。

    • 0
    • 23/03/11 14:24:11

    「戻れるなら、いつかここに戻ってきたい」

    震災当時の辛い経験から、地元に戻ってくることを避けていた宮世さん。しかし、今​回12年ぶりに当時の地元を訪れた。俳優という仕事を選んだことで、自分の役割に気付いたからだという。

    「今の僕にできることは当時の記憶や思いを発信していくことだと思うんです。“被災”と言っても経験したことは1人1人違います。自分も伝える側になるのだったら、自分のいのちがどのようにして守られたのか、向き合いたいと思ったんです」

    3.11を風化させたくないという強い思いで、宮世さんは地元に立った。

    「戻れるなら、いつかここに戻ってきたいですね」

    現地を歩きながら、宮世さんは何度かこうつぶやいた。そう思うのはなぜなのか。

    「震災前、父と鳴瀬川や野蒜(のびる)海岸に釣りに行ったり、マロと近所を散歩したり、みんなでよくバーベキューしたりとか、楽しい思い出がたくさんあるんですよね。避難生活の間も、両親は僕を笑顔にしようとしてくれていた記憶があるんです。ボランティアで来てくれた人たちも色んな遊びを教えてくれたりして…だから辛い記憶、ばかりじゃないんです」

    思い出すのを避けてきた辛い記憶が残る場所。しかし、そこに戻って思い出したのは支えてくれた人たちの優しさだった。
    12年が経った今、初めて感じることもある。

    「きっと当時は、両親や周りの人たちが僕に知らせなかった大変なことが本当に沢山あったんだろうなって。でも両親はそれを極力見せないようにしてくれていた。当時の体験は辛いことだけど、僕の原点はやっぱりこの場所のままだなって思います」

    • 0
    • 23/03/11 14:23:27

    「絶望、これは嘘だって自分の中で信じ込ませるようにしていました」

    震災で、宮世さんの家族は全員無事だったが自宅は全壊となった。幼い頃から一緒だった愛犬の“マロ”も津波に飲まれ、死んでしまった。

    「マロは家族のような、僕にとって兄弟のような存在でした。最後まで一緒にいてあげられなかったこと、ずっと悔しい思いでした。ただ不思議だったのは、家もほとんど全部流されて何も無くなっているのに、マロだけは自宅のすぐそばで見つかったんです。家族を、マロが守ってくれたんじゃないかって思っています」

    さらに、同い年でとても仲の良かった、はとこを亡くした。

    「もう絶望、でした。ずっとそばにいた人が亡くなったっていうことが、信じられなくて…母から聞いて、これは嘘だって自分の中で信じ込ませるようにしていました」

    震災後、宮世さんは転校を余儀なくされた。県内の別の場所に引っ越したため、それ以来、当時暮らしていた地元を訪れる機会はほとんどなかったという。当時の辛い記憶から逃げたい、という思いもあったという。

    震災から4年がたった2015年3月。宮世さんに転機が訪れる。
    家族で宮城県女川町で開かれた「復興祭」を訪れた。そしてアイドルグループ「ももいろクローバーZ」のパフォーマンスを見て、周囲の人たちが笑顔になっていくのを感じた。

    “自分も周りの人たちを笑顔にしたい”。そんな思いから芸能界に入った。

    「“宮世”っていう苗字は芸名で、ファンの方から募集して、つけてもらった名前です。“宮城から世界へ”という意味が込められているんです。僕の思いにすごくぴったりだなと思います。宮世という名前が似合うような大人になっていきたいなって」

    • 0
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