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21/01/11 21:00:46
>>993 【大正コソコソ(史実)話】その参 千代さんのモデルの浪花千栄子さん 道頓堀から逃げて向かった先は憧れだった京都でした 京都観光した千栄子さんはお屋敷の奉公先を探し、口入れ屋から紹介されたのはカフェー「オリエンタル」 「キネマ」と違い、こちらは兵隊さん相手にしてたようですよ 女給の仕事が嫌だった千栄子さんはキッチンで働こうとしますが、先輩のユリさんから世話を焼いてくれて源氏名「スミちゃん」で女給をしてました ここでは売春もしてたのでお金のために千栄子さんもそんなこともしてたようです 女優になりたいユリさんからの誘いで半ば強引にオリエンタルを辞めて嵐山のプロダクションに採用されました ですが、そのプロダクションは詐欺まがいで、撮影をするふりだけして入会金を踏んだ食っていたので出資者も集まらず倒産しました …このエピソードは千代さんをスカウトした詐欺の黒木さんの話に絡めてますね 倒産の際に監督さんの紹介で千栄子さんは「村田栄子一座」に女中として入り、ユリさんも付いてきました …「山村千鳥一座」のモデルですが村田栄子一座は海外の作品を公演していたようですよ 千栄子さんも物覚えがよくてすべての台詞を覚えられたので、栄子さんの弟子入りすることが出来て台詞覚えの悪い栄子さんに舞台そでで教えるプロンプターもしていたようですよ 栄子さんは千鳥さん以上に癇癪持ちで無意味に千栄子さんに辛くあたり散らすことも多く千栄子さんは生傷が絶えなかったそうです ひどいときは3階から蹴り落とされて1階まで転げ落ちたとか……そう考えると千鳥さんはまともなほうですよね~
21/01/15 07:46:16
>>1075 【大正コソコソ(史実)話】その肆 千代ちゃんが演じた「正チヤンの冒険」は 大正12年(1923年)からアサヒグラフ→朝日新聞で大正14年まで連載されていたマンガだったようてすよ 画は東風人さん・ストーリーは織田小星さんが作った新聞4コマ漫画 主人公の少年「正チャン」と相棒の「リス」による様々な冒険の旅を描かれていたようです 単行本で7巻出ていたそうです 続編「正チヤンのその後」が大正15年に連載してました 4コマでしたが連載が続くにつれて4コママンガだけではなく長編ストーリー漫画も描かれてたそうですよ 連載途中から正チャンがかぶることが増えた大きなボンボンが頭上についた毛糸の帽子は「正チャン帽」と呼ばれ、子供たちの間で流行したそうです 「おちょやん」でも話題にしてましたが、原作とした舞台が1924年10月1日から同月21日までの20日間、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)月組が公演してました 1926年には白黒の無声映画も公開されたようですよ
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古トピの為、これ以上コメントできません
21/01/18 18:59:25
>>1131 【大正コソコソ(史実)話】その伍 山村千鳥一座のモデル「村田栄子一座」もまた「正チャンの冒険」を公演してました 主役の正ちゃんは座長の村田栄子さんが演じる予定でした…そこは千鳥さんとは大きく違いましたね 栄子さんが肺炎になり急遽 台詞も覚えていて正ちゃんの年齢に近い千栄子さんが抜擢されました 本番となると千栄子さんは、せっかくの覚えていた台詞が飛んでしまい誤魔化すために飛んだり跳ねたり舞台で大きなアドリブで演じたのが大当たりしたようですよ 「その参」でもお伝えしたように栄子さんは千栄子さんに対してかなりのパワハラと暴力がひどかったので劇場(三友劇場)の主人が千栄子さんを可愛そうに思い「東亜キネマ」の等持院撮影所に千栄子さんを推薦して入れてあげたそうですよ 劇場主人が栄子さんより千倍栄えるように千栄子さんに「香住千栄子」という芸名をつけてくれたそうです (栄子さんが名付けた説もあるようですけどね) その後の村田栄子一座は衰退をしていき京都から離れ地方巡業を続けてましたが昭和2年、金沢での舞台中に栄子さんは倒れて37歳でこの世を去ったようですよ
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No.1075 胡蝶しのぶ
21/01/11 21:00:46
>>993
【大正コソコソ(史実)話】その参
千代さんのモデルの浪花千栄子さん
道頓堀から逃げて向かった先は憧れだった京都でした
京都観光した千栄子さんはお屋敷の奉公先を探し、口入れ屋から紹介されたのはカフェー「オリエンタル」
「キネマ」と違い、こちらは兵隊さん相手にしてたようですよ
女給の仕事が嫌だった千栄子さんはキッチンで働こうとしますが、先輩のユリさんから世話を焼いてくれて源氏名「スミちゃん」で女給をしてました
ここでは売春もしてたのでお金のために千栄子さんもそんなこともしてたようです
女優になりたいユリさんからの誘いで半ば強引にオリエンタルを辞めて嵐山のプロダクションに採用されました
ですが、そのプロダクションは詐欺まがいで、撮影をするふりだけして入会金を踏んだ食っていたので出資者も集まらず倒産しました
…このエピソードは千代さんをスカウトした詐欺の黒木さんの話に絡めてますね
倒産の際に監督さんの紹介で千栄子さんは「村田栄子一座」に女中として入り、ユリさんも付いてきました
…「山村千鳥一座」のモデルですが村田栄子一座は海外の作品を公演していたようですよ
千栄子さんも物覚えがよくてすべての台詞を覚えられたので、栄子さんの弟子入りすることが出来て台詞覚えの悪い栄子さんに舞台そでで教えるプロンプターもしていたようですよ
栄子さんは千鳥さん以上に癇癪持ちで無意味に千栄子さんに辛くあたり散らすことも多く千栄子さんは生傷が絶えなかったそうです
ひどいときは3階から蹴り落とされて1階まで転げ落ちたとか……そう考えると千鳥さんはまともなほうですよね~
No.1131 竈門炭治郎
21/01/15 07:46:16
>>1075
【大正コソコソ(史実)話】その肆
千代ちゃんが演じた「正チヤンの冒険」は
大正12年(1923年)からアサヒグラフ→朝日新聞で大正14年まで連載されていたマンガだったようてすよ
画は東風人さん・ストーリーは織田小星さんが作った新聞4コマ漫画
主人公の少年「正チャン」と相棒の「リス」による様々な冒険の旅を描かれていたようです
単行本で7巻出ていたそうです
続編「正チヤンのその後」が大正15年に連載してました
4コマでしたが連載が続くにつれて4コママンガだけではなく長編ストーリー漫画も描かれてたそうですよ
連載途中から正チャンがかぶることが増えた大きなボンボンが頭上についた毛糸の帽子は「正チャン帽」と呼ばれ、子供たちの間で流行したそうです
「おちょやん」でも話題にしてましたが、原作とした舞台が1924年10月1日から同月21日までの20日間、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)月組が公演してました
1926年には白黒の無声映画も公開されたようですよ
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.1178 胡蝶しのぶ
21/01/18 18:59:25
>>1131
【大正コソコソ(史実)話】その伍
山村千鳥一座のモデル「村田栄子一座」もまた「正チャンの冒険」を公演してました
主役の正ちゃんは座長の村田栄子さんが演じる予定でした…そこは千鳥さんとは大きく違いましたね
栄子さんが肺炎になり急遽 台詞も覚えていて正ちゃんの年齢に近い千栄子さんが抜擢されました
本番となると千栄子さんは、せっかくの覚えていた台詞が飛んでしまい誤魔化すために飛んだり跳ねたり舞台で大きなアドリブで演じたのが大当たりしたようですよ
「その参」でもお伝えしたように栄子さんは千栄子さんに対してかなりのパワハラと暴力がひどかったので劇場(三友劇場)の主人が千栄子さんを可愛そうに思い「東亜キネマ」の等持院撮影所に千栄子さんを推薦して入れてあげたそうですよ
劇場主人が栄子さんより千倍栄えるように千栄子さんに「香住千栄子」という芸名をつけてくれたそうです
(栄子さんが名付けた説もあるようですけどね)
その後の村田栄子一座は衰退をしていき京都から離れ地方巡業を続けてましたが昭和2年、金沢での舞台中に栄子さんは倒れて37歳でこの世を去ったようですよ