第二次世界大戦、祖父はビルマに出兵したのは知ってたけど、

  • なんでも
  • 武田勝頼
  • 20/08/26 09:28:39

ビルマ(ミャンマー)の戦地がとんでもなく激戦地だと、今さら知り、胸が押し潰されそう

食べるもなのが何もなくて、何でも食べたっていう話は聞いてたけど…

祖父は数年前に亡くなったけど…

どんどん戦争体験者がいなくなって、戦争を知らない私が子どもたちに戦争の怖さを伝えていけるのか、不安すぎる…

戦争の話、直接聞いたことある?

  • 1 いいね

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    • 116

    ぴよぴよ

    • 20/08/30 19:37:44

    うちの祖父は、日中戦争で満州に行ってました。今生きてたら103才かな
    海軍で敵に銃弾が上手く当たらないと上官からの暴力が酷くて、暴力だけで泡吹いて死んでしまった兵士も居たそうです。
    第二次世界大戦が始まる寸前に祖父が当時流行っていた病気?で一時帰国して横須賀基地の病院にずっと入院してる時に、隣のベットの人が名古屋から来た兵士だったみたいでずっと名古屋さ帰りたいって叫んでたって。
    でもその兵士全身包帯でグルグル巻きで、その包帯から大量の血が溢れていてそのまま亡くなったと聞いた
    未だに祖父の戦時中のアルバムがあるけど、そこには刀と長い拳銃を持ってる祖父が写っていて、中には食堂で日本女性の満面な笑顔の写真があるんだけど、祖父にとって日本兵にとって日本女性がどれだけ癒しな存在だったか見て分かる
    日本に着いた時、海岸沿いで日本女性達が日本の旗を掲げて出迎えてくれたとき、祖父は女性はみんな綺麗だなーっと思ったと聞いてる
    あと祖母は当時福島に居たけど、広島と長崎の原爆の前に1トン爆弾が福島の郡山に落ちて凄い数の人が死んだよって聞いた。
    祖母は山奥に住んでたから家族皆んな助かったけど、助かった人が山奥に逃げ込んで来て顔や身体が真っ黒になって来てみんな死んでしまったと泣いてたと、
    後からアメリカから見た日本の戦争番組で原爆の練習に使われたと聞きました
    思い出せるのはこれくらい

    • 1
    • 20/08/30 18:43:47

    今、広島の絶後 っていう本読んでる

    • 1
    • 20/08/30 18:39:45

    あさっては第二次世界大戦が始まった日だ。これがあの戦争の真実であり、現実だ。二度と繰り返してはいけないし、忘れてはいけない。

    最悪の秋・4(ハッピーバースデートゥーユー https://youtu.be/_z-1fTlSDF0 の替え歌)

    最悪の秋
    最悪の秋
    1939年の秋
    最悪の九月


    最悪の秋
    最悪の秋
    第二次世界大戦が始まった秋
    始まりの秋


    最悪の秋
    最悪の秋
    人類史上最悪の戦争が始まった秋
    まやかしの秋


    最悪の秋
    最悪の秋
    忘れてはいけない秋
    過ちの秋

    • 0
    • 20/08/29 17:24:19

    >>111
    ラバウル正解!! 馴染みの無い国の名前は間違えやすいねw

    • 0
    • 20/08/29 17:14:08

    >>110
    ラバウルじゃね(笑)

    • 1
    • 20/08/29 17:13:11

    >>107
    ラウバルじゃない? フィリピンとか向こうの方じゃないっけ?
    友達のおじいちゃんが言ったところだわ。あと、鬼太郎の作者の水木しげるって妖怪書くの得意だった漫画家さんもそう

    友達のおじいちゃん餓死寸前でなんとか帰って来れたそうだけど、そのおじいちゃんちょっと面白い人で罠仕掛けて小動物取るとか、餌とか何もないけど釣りして魚とかザリガニとか獲れるもの全部獲ったとか、上の兵隊さん?に隠れて同期で食べたんだよって

    とにかく食べ物が無かったらしくて敵を倒す兵士じゃなくて、食えるものを探す漁師みたいな日々だった話が凄い面白かった。あと、とにかく死にたくなかったから隠れて難を過ごして上の兵隊さんにぶん殴られて痛かったけど、その兵隊さん弾に当たって負傷して薬とかも大してなくまともに治療も出来ないまま1週間ぐらい生きてて、その間に生を付けてもらおうとカエルとか獲って焼いて食べさせたりしてたら「どこからそれ持ってきたんだ?」って聞かれて「自分で捕りました!」って怒られるの覚悟で言ったら「お前は銃の腕は悪いが狩りの腕はありそうだから、日本に帰ったら猟師になれ…」って怒られずに笑いながら言われて少しして亡くなったって。「生きて本土に帰れると思うな!ここで戦って死線を守れ!!」みたいなことばっかり言ってた鬼みたいな人だったけど、この人もやっぱり国に帰りたかったんだなぁ…って、遺品を遺族に届けた話も聞いたなぁ…

    子供相手だから面白く聞こえる部分だけ教えてくれてたんだなと大人になって気付いたよ。革靴まで煮て食べるぐらい物資が届かず、直接は書かないけど帰ったら出家したくなるような事も沢山あった場所らしいね… 

    • 2
    • 20/08/29 16:52:34

    死んだばーちゃんより少し年上だったお寺のおばあちゃんからはよく教えてもらったよ。お寺が浅草にあるんだけど、当時お寺のすぐ傍にばーちゃんちもあって檀家だったから2人は仲良かった。ばーちゃんはまだ女学生?って言い方だったと思うけど、お寺のおばあちゃんは嫁いできたばかりの頃に戦争で東京大空襲があって空襲の話はよくしてくれた

    火が凄くて熱いからみんな隅田川に飛び込んだけど遺体が塊みたいになって浮いてた話とか、川じゃない方向に走って逃げた近所の人たちは結構助かったけど川の方向と合羽橋って言ってたかな… あっちに行った人はみんなだめだったって。旋風だったと思うけど火の竜巻みたいなのが起こってて、逃げてる時に遠くにそれが見えて地獄みたいだったとか

    でも、ばーちゃんは一言も話してくれないまま亡くなった
    学校でそういう授業があって自分の祖父母で戦争体験がある人が居たら聞いてみてねっていう宿題を出されて聞いてみたこともあったけど、頑なに話さず「うるさいわね!忘れたわよ!!」って、普段大人しい人からいきなり怒られて子供ながらに理不尽だし怒るような事聞いてないし‥とショックだったけど、お盆の時期お寺のおばあちゃんに話したらうちのばーちゃん東京大空襲で同級生の親友が焼死してた。あと自宅で出産見守って仔馬時代から可愛がってた大事な馬を逃がせずに死なせてしまってたとか、卒業したら結婚しようって話になってた人に赤紙が来て戦地から戻って来なかったとか辛いことばかりで「思い出す事すらしなくない、私は全部忘れる」って終戦の時に涙堪えながら言ってたらしい。お寺のおばあちゃんがあの時の彼女の顔がいまでも忘れられないって、だから思い出せないであげてねって。戦時体験の語り部も誘った事あったらしいけど断られたそうで、語り部やってるおじいちゃんおばあちゃんを尊敬するし、二度と繰り返さないでねって気持ちは絶対忘れずに子供に引き継ごうと思ってる。長文ごめんね

    • 1
    • 20/08/29 15:43:00

    >>85
    ちなみに神風特攻隊は海軍だよ

    • 1
    • 20/08/29 15:32:03

    母方の祖父は大尉だったので、立派な軍服着て馬に乗っる写真が残ってて、楽しい話や大変だったをしてくれた。父方の祖父は一兵卒としてナバウルにいたらしい。復兵したときは立って歩けずほとんど這ってたらしいし、戦争の事は死ぬまで一切喋らなかったらしい。真言宗で在家出家もしてたよ。押して知るべしって思ってた。

    • 2
    • 20/08/29 15:16:34

    これは、ドイツで実際に、起こったことであり、現在も起こっていることであり、これから十分先起こりえることである。
    この物語に登場する国々で起きたことは、今後、日本で起きる可能性は低いが、反日国家はもちろん、日本の周辺国では十分に起こりえることでもある。

    十 nとはナんなのか

    大きな戦争を起こして、多くの人々を、殺して傷つけたnという国が、大きな戦争に負けて、後に西と東の2つ分断された。
    そして、東の国の人たちと政府は、そうしなかったが、西の国では、最初に大きな戦争を起こした人たちと、戦争を指揮したり、戦争に行った人たちはもちろん、戦争を支持した人たち全員を、西の国の政府と、遠くの国の政府と人々が、攻撃したとき、西の国の人たちは多くがそうしたし、国を挙げてやった。
    自分は当時生まれてなかったが、自分がその西の国に移住したときは、自分は子どもで、西の国の人たちと仲良くなろうとしたし、みんなそうしていたので、自分もそうした。
    時は流れ、大きな戦争を起こした人たちの末裔や、その大きな戦争に行った人たちの末裔まで、西の国の政府と、遠くの大国の政府と人々が攻撃したとき、西の国の人たちは多くがそうしたし、国を挙げてやった。
    自分は、西の国が、大きな戦争を起こした時に、一緒に戦争をした、同盟国の移民であり、自分の叔父は元憲兵だったし、曾祖父は元将軍だったが、曾祖父は死んでいた、叔父は大嫌いだったので、親族の中には不安を覚えた者はいたが、自分は西の国が大好きだったし、不思議には思ったが、怖くはなかったので、一緒に攻撃した。
    長い年月が経ち、自分も年を取り、西の国と東の国が統一した時、東の国の人たちと、西の国と、東の国が勝手に属国にしていて、その国の中で、もめ事が多い、※ファシリアール共和国の人たちと、※ワイマールクセン共和国の人たちを、西の国の政府と、遠くの大国の政府と人々が攻撃したとき、西の国の人たちは多くが疑問を感じたし、統一を後悔するものもいたが、国を挙げてやった。
    自分も疑問に感じたし、統一を後悔したし、ファシリアール共和国と、ワイマールクセン共和国は嫌いじゃなかったが、西の国とは違い、東の国は大嫌いだったので、どうでもよかったこともあり、一緒に攻撃した。
    そして晩年、その統一された国と一緒に、大きな戦争を起こした時の同盟国の移民はもちろん、いろんな国から来た移民及び難民を、統一した国の政府と、遠くの大国の政府と人々が攻撃したときには、自分を含め多くの人が後悔したが、すでに遅かった。
    最後に自分が言い残したことは「どうかjと発音してください」ということだった。

    ※ファシリアール共和国。かつて西と東に分断されていた、ある国の西に属し、南部にあるb州とされていて、独立主張が強い地域。
    b州×
    ファシリアール共和国〇

    ※ワイマールクセン共和国。かつて西と東に分断されていた、ある国のかつては東に属し、南東部にあるs州とされていて、独立主張の強い地域。
    s州×
    ワイマールクセン共和国〇

    追伸・この物語の主人公「自分」のモデルは実在します。
    俺はこの人を知っています。
    ママスタによく書き込みをしている人です。
    もしかしたら、今日も、ママスタに何か書き込んでいるかもしれませんね。

    • 0
    • 20/08/28 06:04:33

    祖母は空襲から逃げた話よくしてくれた。
    田んぼのなかを一生懸命走って、ぬかるみで靴が脱げたけど必死だった話。
    祖父は通信兵だったからまた違う話が聞けたんだけど、もう忘れてしまったよ…
    祖父はなくなり、祖母は痴呆。
    もう聞くことはできない大事な話、あのときはまたこの話かーなんて思ってたのにな

    • 2
    • 20/08/27 22:37:40

    母方祖父はニューギニアで戦死、父方祖父は中国にいた(母子ともに)が帰国してからすぐ病死したらしい。

    母方祖母と同居して中2まで一緒に過ごしたら、戦争の愚痴、悲しい事などは一切話さなかった。言ってたのはここら辺は空襲で焼け野原になり、○○町まで見えてたんだよとか、食べる物が無くて着物を持って汽車に乗り、田舎に行って米と替えてきたとかその程度だった。

    夫戦死して3人の子供1人で育てて、しかも夫死んでるのになぜかその兄弟とその家族と同居してたとか、もはや自分なら発狂レベルの日々だったのに
    (母の方が理不尽な事を子供心に覚えてて愚痴ってた)本当に一切言わなかった。
    父方祖母も言わなかった。

    明治生まれの女性ってとんでもなく強いって思ったよ。

    • 4
    • 103
    • 服部半蔵(強い)
    • 20/08/27 22:36:49

    亡くなった祖父も満州から東南アジアの方に駆り出されてたって。大型の船何艘かで渡ってる時爆撃にあって船が次々に沈んで仲間が死んでいったって。現地でも仲間が亡くなっていって、食べるものもなくて痩せて痩せて。森の野生の果物がとにかく美味しく感じたって。自分の兄達は全員戦死したみたい。

    • 3
    • 20/08/27 22:30:39

    父方の祖父は警察官で母方の祖父は結核で二人とも出征してない。公務員と病人は出征しなくていいようになってたみたい。

    • 1
    • 20/08/27 22:26:00

    >>94知ってる人は教えてくれればいいじゃないの。

    • 0
    • 20/08/27 22:23:13

    聞いてみたかったけど、聞いて良いのかわからず、聞けなかったな。

    うちの祖父母は広島寄りの山口県の人だけど、広島に原爆が投下された時、恐ろしく空が光って、外で遊んでいた子供らがビックリして家に駆け込んできたって話は聞いたことがある。

    • 1
    • 20/08/27 22:15:36

    >>94あなた、冷たい人なのね

    • 2
    • 98
    • 宇喜多秀家
    • 20/08/27 22:11:23

    国外に逃げてて、よその子も一緒に連れて戻ってきた。
    その際、浅草寺が開けてくれて 泊めて貰えた。とかくらい。

    • 2
    • 20/08/27 22:09:05

    私は小学生の頃何度も聞いたけど、教えて貰えなかった…

    • 1
    • 20/08/27 22:03:44

    >>91
    帰国したあとの差別もかわいそうだった。
    村人を守るため体張ったのに。

    • 2
    • 20/08/27 21:51:55

    >>94私は、自分が戦争を知らないことに不安と恐怖を覚えたので、このトピで、皆さんのご家族が体験した戦争をお聞きできたら、と思い、トピを立てました。

    歴史を知らないからこそ、知りたくてトピを立ててるのです。

    知らないから書き込むな、では、本末転倒になってしまうのです。

    戦争の怖さ、理不尽さを忘れないためにも、知らないことを知るのが初めの一歩だと思うのです。

    皆さん、ご家族、ご親族の戦争の体験を書き込んで下さり、本当にありがとうございます。全て読んでます。とても考えさせられます。

    • 3
    • 94
    • 長宗我部盛親
    • 20/08/27 21:31:40

    >>85
    常識だよ。陸軍と海軍のみ
    日本の歴史を知らないなら書き込みしなきゃ良い

    • 0
    • 20/08/27 21:29:18

    このトピは皆さんに読んで欲しい。

    • 3
    • 20/08/27 13:25:53

    もう1つ。「竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記」
    ママスタのトピで知った本だけど、これも酷い悲し戦争のお話。ロシアの男に対して嫌悪感でいっぱいなります。戦争は残酷です。

    • 1
    • 20/08/27 13:17:54

    あと、黒川開拓団の話は涙無くして読めない。まだご存知でない方は、ネットで記事が読めるので是非読んでみて下さい。

    • 1
    • 20/08/27 13:14:09

    >>13
    シンガポールに旅行に行った時、戦争資料館に行ったんだけど、日本人が侵略して来てた酷いことをしたって言う内容の展示がしてあった。そこに行くまで自分は知らなかったから複雑だった。

    • 1
    • 20/08/27 10:38:19

    >>87
    うちのじぃちゃん、ばぁちゃん、戦争の話ししてくれなかった。

    • 3
    • 88
    • 小早川隆景
    • 20/08/27 10:37:02

    >>52
    千葉県出身の37歳だけど、小さい頃成田山の参道で手足のない人が地面に座って戦争で手足を失いました。募金して。みたいな看板かけた人見たことある。子供ながらに怖いなと思ってホームレスとかと同等に見てたけど大人になってから思い返すと感慨深い。見なくなったのは戦後、時が経ったからだね。

    • 2
    • 20/08/27 10:17:26

    小学生の時に祖父母に戦争体験を聞いてくるって宿題があったなぁ

    • 1
    • 20/08/27 10:06:05

    祖父がシベリアに抑留されて無事に帰国出来てた。
    私が小学生の頃、祖父に戦争の話を聞いた時、『あの頃は、戦争に行くことが正しいと思ってた。そう言われてきたから。』ってだけ話してくれた。

    • 4
    • 85
    • 黒田官兵衛
    • 20/08/27 10:04:05

    >>65
    ごめんなさいね。
    飛行機に乗っていたと聞いていたから、勝手に空軍だと思い込んでいました。
    日本は空軍は無くて、正しくは陸軍なんですね。
    けど(笑)までつけて、小バカにしなくてもいいじゃないですか。
    あなたが詳しいのなら、その場で教えてくれればいいだけなのに…

    • 11
    • 20/08/27 09:59:25

    私の祖父もビルマに行ってた。
    祖父の話も、原爆が落とされた時に長崎にいた祖母の話も8月は特によく聞いてた。当時は辛い話を聞くのが苦痛だったけど、大人になった今、あれは聞けて良かったと本当に思う。
    祖父母は共に亡くなったけど、伝えていくって大切なことだと思う。

    • 3
    • 20/08/27 09:50:09

    私41歳がおじいちゃん大好きで、昔、小学生の頃おじいちゃんちに泊まると、寝るときに横でお話ししてくれた。
    楽しい話や戦争の話。

    うちのおじいちゃんは南京に行ったって、戦争は人の心をなくすって、市民が懇願しても打ったって、敵にしか見えなかったって。
    敵か味方か、だから、やらないといけないって心理状態で、私が大人になった今にして思えば、多分情なんて出していられる世界ではなかったんじゃないかなと思うけど。
    おじいちゃんは、正しくいようとする人だったから、私たちに自分の間違った感覚を何度も何度も話したんだと思う。 懺悔とか、自分が壊れていた事とか、でもそういう時代だから、抗えなかったんだろうけど。

    • 4
    • 20/08/27 09:45:10

    祖父が電話交換手で、祖母と満州へ。叔父叔母
    満州生まれ。親戚が亡くなったため日本に一時帰国している間に終戦になったため、満州から引き上げの苦労などは経験しなかった。祖母が裁縫などが上手で満州では近所の兵士の服を編んだり、直したり、ご飯を作ったりしていたお礼に帰国の時は沢山の兵隊さんが手を貸してくれて帰ってこれたそう。
    あまり戦争で苦労した話は聞かなかったけど、よく考えたら祖母は広島の出身だし、祖父の左足には被弾の跡が残っていた。
    子どもに聞かせられるような話じゃ無かったんだろうと思う。

    • 1
    • 20/08/27 09:36:56

    >>80
    あと英語や生け花等色々習ったって。

    • 1
    • 20/08/27 09:34:07

    祖父は海軍で乗ってた艦が米軍に攻撃されて沈められた。海に浮かんでた所を仲間の艦に助けられたって言ってた。
    祖父が1番若くて艦が攻撃された時に戦旗?を持って守る役目だったらしい。

    • 2
    • 20/08/27 09:32:38

    うちの祖父は話したがらなかった。
    ただ家族のためにって戦地へ行って帰ってきたら家族は全員死んでいたってその一言と体に残った銃弾を見ただけで胸が苦しくなったよ。

    • 6
    • 20/08/27 09:30:35

    あるけどうちは田舎の疎開地で爆撃とか無かったらしいし、ひいじいちゃんは病気で出兵無かったからひもじいご飯の話(といっても米の産地だったから魚が無いとかその程度)とか防空壕に避難訓練した話くらいしかない。

    • 1
    • 20/08/27 09:29:48

    私も祖父に戦争の体験聞いてみたことあるけど、思い出したくないのか話せないほど壮絶だったのか、何も教えてくれなかったんだよね。
    子供ながらに無理に聞くのはやめようと思ってそれっきりだけど、もう95歳だからなぁ…

    • 0
    • 20/08/27 09:25:00

    あるよ。爺ちゃんの足に銃弾受けた傷あった。仲間がたくさん死んだ話を聞いたよ。日本に残ったバアちゃんも食べるために闇市(違法)で食べ物を買って帰る途中、兵隊さんに見つかって追われて捕まって背負ってる袋の中身を見せろと詰め寄られ、とっさにその場に座り何も入ってないコロスなら殺せと開き直ったら、こいつは持ってないと思ったのか他の人の方を追い始めて助かったと言ってた。出兵した人はもちろん、残った人たちも必死で生きてくれたから私たちに命が繋がってる。

    • 5
    • 75
    • 長宗我部盛親
    • 20/08/27 09:05:12

    >>65
    空軍はありません(笑)

    • 0
    • 74
    • 長宗我部盛親
    • 20/08/27 09:05:07

    >>65
    空軍はありません(笑)

    • 0
    • 20/08/27 09:04:00

    つい先日、家族で戦争の話をしました。
    この時期は広島の原爆の話を毎年します。

    体験に関しては直接聞いたことないです。私と旦那の祖父、曾祖父共に戦地に行った戦争体験者ではないから。
    疎開してきた人や、戦争を体験した方々が逃げてきて、知らない人にご飯を出してあげたり、泊まらせてあげた話は聞き、写真も沢山ありました。
    私が初めて戦争について知りたいと思ったのは高校生の時です。初めて、知覧特攻平和会館へ行って特攻隊の話を聞いたことがきっかけです。
    驚きと恐怖、身内や周りには体験者がいないにしても、何も知らないで育ってきたことが恥ずかしかったです。子ども達が産まれて、小学生になったら資料館とか連れて行きました。

    小さなうちはただ怖いって感情になるし、まだ早いかな?とは思うけど、戦争を知ること、昔の人達がどんな生活をしてきたか、私達がこうやって普通に生活できて恵まれていることも、今を生きる人達に伝えていきたいですね。
    私も、胸が押し潰されそうで苦しくなりました。子ども達にもっと伝えていきたいと思います。

    • 4
    • 20/08/27 08:18:25

    うちの祖父が言ってた。
    侵略して強姦するのがみんな好きだった。
    息子の前で母親を、父親の前で娘を、って

    祖父はそれが嫌で嫌で。

    • 3
    • 20/08/27 08:13:35

    祖母が原爆落とされた当時女学生で、投下翌日から市内に入って看護の手伝いしたそう。
    負傷者の傷口にウジ虫が湧くのをピンセットで取り除いたと言ってたよ。
    話してくれたのは一度きり。

    • 4
    • 70
    • 猿飛佐助(強い)
    • 20/08/27 08:01:51

    おばあちゃんの青春時代は戦争だったからかわいそう。楽しいことあったの?って聞いたとき
    戦争だったけど、女学校へ通う汽車では(男子と女子は乗る車両がわけられてたらしい)
    あの人素敵だねって友達と内緒話したり
    帰り道に流行りの歌をみんなで歌ったり(イチ押しは「乙女の首途」)
    三つ編みにお花をさしてかわいくしてみたり
    流行雑誌をみんなで読んでいろいろ想像したり
    ギリギリまでちゃーんと青春してたんだよ。大変だったけど、楽しいこともあったよ
    って言ってた。

    • 9
    • 20/08/27 07:55:34

    このトピ昔ありましたよね。良いトピが古になってしまい。
    家の祖父はいっさい話してくれなかったです。 とても怖い思いをしたのか、よく夜中にうなされたり叫んでた覚えがあります。PTSDだったと思います。

    • 9
    • 20/08/27 07:51:18

    今戦争起きたら逃げられる人本当に奇跡になるだろうね…

    • 2
    • 67
    • 宇喜多秀家
    • 20/08/27 07:50:29

    私の祖父は偉い人だったと聞いた、沢山のバッチや刀や鉄砲を持っていたと。
    終戦を知らないまま目的地に向かう途中、中国に捕まり捕虜になり人間として扱ってもらえなかったと聞いて悲しくなった。
    命からがら逃げ出し自宅に戻ってきたときは骨と皮で赤黒く変色してたりと傷だらけだったそう、

    • 2
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