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  • No.66 尼子晴久

    20/08/27 07:49:34

    うちの祖父もミャンマーにいたよ。
    海で見たことない綺麗な魚が釣れたって話と、次の戦地に移動する時に違う部隊に同じ同郷の幼馴染みと偶然会ったって話くらいしかしてくれなかったな。

  • No.65 黒田官兵衛

    20/08/27 07:48:50

    >>62
    そして空軍だった祖父からは、あまり戦争の話しは聞くことはなかったけれど、祖父が出兵するときに皆が寄せ書きしてくれた日の丸の旗や、千人針の布を見せてもらったことがある。
    生々しかった覚えがある。

  • No.64 古田織部

    20/08/27 07:47:17

    亡くなった祖父は積極的に話そうとしなかった

    でも脇腹に鉄砲玉を食らったとか、食べるものがなくて死んだ兵士の肉を食べたとか言ってた
    人の肉は臭くて臭くてのぉ…って言ってたのが忘れられない

  • No.63 毛利元就

    20/08/27 07:44:39

    父が満州でうまれた。
    敗戦後、船での帰国中あかちゃんを海にすててる人いたらしいよ。口減らしで。
    帰国しても食べるものもなく、いじめられたって言ってた。

  • No.62 黒田官兵衛

    20/08/27 07:39:53

    祖母の家は農家だったので、裕福ではないけど食べるものには困らなかったから、よく町なかの人たちが着物などを持って、物々交換に来ていたと。
    その後、大きな空襲があり、母は小さな妹の手を引いて裏山に逃げ、ひたすら走って山の向こうまで逃げたが、幸い家は燃えずに済んだとか、母の姉は従軍看護婦として中国に行っていたとか聞いた。

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  • No.61 長宗我部盛親

    20/08/27 07:39:31

    おじいちゃんが旧大卒の海軍でした
    写真見せてもらったけどイケメン
    海軍の将校はエリートだったんだって

  • No.60 大谷吉継

    20/08/27 07:37:04

    >>36
    特攻隊に行った若者たちは、みんな優秀な人たちだったんだよね、今で言う東大生とか、そう言う。家族に当てた手紙とか見てもさ、みんな達筆で…。生きていたら、日本を引っ張って行くような面々だったのだろうし、その貴重な命がどれだけ失われたのか、そう思うとやっぱり戦争ってとんでもないものなんだと思う。

  • No.59 松永久秀

    20/08/27 07:34:27

    身内から語り継がれなくなっても、こうやっていろんな形で知って繋がっていくのも大切な事だね。私の祖父と曽祖父が体験者だけど本人達からは一切話を聞いた事ない。でも当時の写真は残ってるし子供の頃は毎年夏に、ばあちゃんと軍人さんの大きい墓の掃除をしてたな。

  • No.58 大谷吉継

    20/08/27 07:32:35

    >>40
    昭和30年代にはもう近代化に入ってたからね~。まわりの助けもあったにしろ、日本人てほんとすごいんだわと同じ日本人ながら思うわ。

  • No.57 宮本武蔵(強い)

    20/08/27 07:30:39

    うちの祖父は、弟さんと同じ戦地に派遣されて目の前で弟さんが敵からの攻撃で亡くなるのを見たらしい。
    祖父自身も数年前に亡くなったけど、亡くなるまで戦争の影響で弟さんの敵になったアメリカ人が大嫌いだったよ。

  • No.56 丹羽長秀

    20/08/27 07:26:54

    おじいちゃんは火達磨になったけど、大きな木にぶつかって消火して助かったこと
    おばあちゃんは海軍工廠に居て空襲を受けて命からがら逃げ出したこと
    というのは聞いたけど子供の頃だったから怖くてそれ以上聞いてない。大人になった今しっかり聞いておけばよかったと思う

  • No.55 黒田官兵衛

    20/08/27 07:25:55

    上野の西郷像の所に上がる階段に、白い服を着て、首から空き缶をぶら下げたり、前に置いたりした傷痍軍人(しょういぐんじん)さんが何人もいて、中にはアコーディオンを弾いたり、ハーモニカを吹いている軍人さんもいたと、母から聞いた。
    やはり子供心にとても怖かったけど、いつも恐々缶にお金を入れてあげたとも言っていた。

  • No.54 宮本武蔵(強い)

    20/08/27 07:25:43

    >>52
    私の父(59)も同じこと言ってた
    小さい頃はそのような方がまだいたとか

    たまに膝から下を曲げて足が無い人に見せかけて詐欺の人もいたらしい。バレると走って逃げる

  • No.53 陶晴賢

    20/08/27 07:20:50

    祖母が東京に住んでいた時
    空襲の中を麻疹に罹かっていた長男(2才)を抱いて必死に逃げて、気付いた時にはその子が亡くなっていた。
    って話を一度だけ聞いた。
    聞かされた時は子供だったから「ふ~ん」って感じだったけど、子供を持った今、想像すると胸が締め付けられる思いがするわ。

  • No.52 内藤昌豊

    20/08/27 07:15:43

    昔のお祭のテキヤの屋台が並んでるところで、軍服着た足や手が無い人が箱ぶら下げてお金集めてたりしてたよ。物凄く怖かったの覚えてる。

  • No.51 最上義光

    20/08/27 07:08:20

    特攻隊で2人亡くなってる

    あとはおじいちゃんが海軍で海外に戦争に行ってる間に日本で疫病が流行って
    おじいちゃんのお母さんとお姉さんが亡くなったんだって
    小さな弟と病気のお父さんがリアカーに遺体を乗せて何時間かかけて山の上の遺体を焼くところまで行ったとか。

  • No.50 明智光秀

    20/08/27 07:07:44

    ネトウヨは日本のために戦ったこういう人たちバカにするのなんで?

  • No.49 山中鹿之介

    20/08/27 07:06:00

    旦那の祖父は爆撃されて吹き飛ばされ難聴になったんだと。私の祖父は生まれつき足が悪く、赤札は免れたと聞いた。どちらももう亡くなってます。

  • No.48 上泉信綱

    20/08/27 06:45:02

    >>44
    シベリアから逃亡って本当にすごい!

  • No.47 藤堂高虎

    20/08/26 23:57:31

    祖父は戦争には行かなかったけれど、空襲があったとき家を守るために家に残っていて、爆弾が隣の家に直撃したらしい。でも不発弾だったから助かった家も焼けずに済んだと言っていた。
    祖母からは、また別の空襲のときに乳母車に小さい子供(私の父や叔父たち)を三人乗せて逃げたと聞いた。空襲のあった方角を振り返って見たらものすごく焼けていて夜空が真っ赤だったと言っていたよ。

  • No.46 本多忠勝

    20/08/26 23:39:16

    祖父に「戦争行ったの?」って小さいときに聞いたことあるけど怖くて詳しく聞けなかった。
    もし爺ちゃんが人を殺したことがあるって言ったら嫌いになるかもしれないってなんだか恐ろしくて、それ以上聞けなかった。
    「行ったよ」とだけ答えてくれたけど、もっと当時の話しを聞いておくべきだったなと今では思います。

  • No.45 直江兼続

    20/08/26 22:22:15

    直接は聞いた事がない。年を取れば取るほど戦争の事を調べるようになって本当に日本の教育って戦争について何も教えてないなと思った。道徳の教科書には戦争の事も載せて欲しい。そうしないといつか忘れて争い事が起きてしまう。

  • No.44 上泉信綱

    20/08/26 22:17:49

    祖父が満洲に赴任しててシベリア抑留されてたらしい。命掛けで逃亡後家族を探し日本に変装して帰って来たと昔聞いた。もう祖父はずっと前に他界してるけどね。

    こういう戦争はもう起こらないと思う。今の戦争は一つの爆弾とかで結果が付く位太平洋戦争とかの時代から兵器が向上してる。
    先進国同士はもうロボットや宇宙戦争の時代に入りつつあると思う。

  • No.43 榊原康政

    20/08/26 22:11:47

    旦那の祖父は足に弾があったらしい。
    恩給?けっこう貰えたとか。
    旦那の家系は体格いいからすぐに兵隊にとられちゃったんだろうな。

  • No.42 島津義久

    20/08/26 22:05:53

    護衛兵だったから戦地には行かなかったみたい。諜報活動などもあり戦後も当時のことは子どもたちにも何も話さなかったみたい。
    激戦地や特攻などの最前線に立たれた方の貴重な話は本当に何らかのずっと残る形で残していくべきだと思う。

  • No.41 豊臣秀頼

    20/08/26 21:50:53

    >>37うちも同じ。シベリア抑留してたそうですが、寡黙な人で直接聞けずです。
    一言では言い尽くせないんでしょうね。

  • No.40 今川氏真

    20/08/26 21:44:40

    >>6
    その気持ち分かるわぁ。だから記憶に残っている政治家とかも、みんな戦争中は兵隊だった人とか沢山いたわけだよね。普通に子供の頃に近所にいたおじいさん達も。トピズレかもしれないけど、よくもまぁこんな短期間に復興して次から次へと新しい物つくったり発明したり出来たもんだよね。

  • No.39 やま

    20/08/26 21:32:37

    うちの祖父は東京にいて、まだ小学生だったから長野へ数年学童疎開してた。頭にシラミがわいたり、いじめがあったり、親に会えない悲しみ。東京に帰ってきてから東京大空襲にあい、家族と逃げたって。当時の記録を見ると、よく家族全員生き残ったなとおもう。体は無事でも心に沢山傷を負ってしまった。
    自分が子供を産んでから、我が子が学童疎開なんてあり得ないって思ったよ。自分が死ぬかもしれないし、母親としても辛い時代だったろうね。
    私も子供と一緒に祖父の戦争体験や当時の記録写真見ながら勉強しているけど、あまりにショッキングな写真はまだ見せていない。戦争せず、外国と仲良くやっていくことを学ばせたい。

  • No.38 榊原康政

    20/08/26 21:13:46

    >>11
    ムチャグチ本当にクソ!
    私は寺内正道艦長が好きです。

  • No.37 島津義弘

    20/08/26 14:25:39

    もう亡くなったけど、私の祖父はシベリアからの復員者。
    でも一度も戦争の話や、抑留されてたときの話を聞いたことがない。
    まっっったく話そうとしなかった。
    「戦争体験を語り継いでください」という依頼もすべて断ってたらしい。
    それだけ本当につらくて苦しかったんだと思う。
    優しい祖父がどんな思いをしてきたのかを考えるだけで、今でも涙が出そうになる

  • No.36 長宗我部元親

    20/08/26 14:23:07

    終戦の直前、祖父は特攻隊に行ってたんだけど、祖父より若い青年(少年?)が出撃の前夜勉強してたんだって
    祖父が明日死ぬのになぜ勉強してるんだ?と聞いたら、「自分はもっと勉強がしたかった」って言ったそう
    翌日彼は…
    祖父は運良く出撃の少し前に終戦を迎えて生きて帰ってこられた
    子供の頃聞いた話だから朧気だけどこんな感じ

  • No.35 成田甲斐

    20/08/26 14:19:51

    >>31
    ソ連もユダヤ人迫害してなかった?

  • No.34 佐々木小次郎(強い)

    20/08/26 14:17:32

    インパールやニューギニア戦線の生き残りのお孫さんがここにいらっしゃるなんてマジで胸熱だわ…

    若き日のお祖父様が死んでいたら、貴女もそこにいないはず
    太平洋戦線の中でも屈指の地獄から生還できたお祖父様は、類稀な強運と精神力の持ち主だったに違いないわ
    その素晴らしい血を受け継いだ貴女も、日々を無駄にすることなく、悔いなき人生を送りましょう

  • No.33 尼子晴久

    20/08/26 11:44:00

    病院で働いていた時、特攻隊にいたという患者さんと少しお話しをしました。
    あと数日終戦が遅ければ、自分も出撃していたそいです。

    それを聞いて「よかったですね」と言いそうになった時「自分だけ帰ってきちゃった…」と。

    本人は明るく話してくださいましたが、安易に「帰ってこられてよかった」なんて言えないなと。

    当時終戦70年くらいだったと思いますが、70年もの間ずっと帰ってきてしまったことを悔やんでいたのかと思うと…

    戦争は恐ろしいですね。

  • No.32 ザビエル

    20/08/26 11:40:20

    祖父本人からは聞いたことない。
    亡くなってから祖母や母に聞いた。
    シベリア抑留されて周りは寒さと飢えでバタバタ死んでいってたけど、祖父は理髪師の技術が上手くてロシア人に好評で気に入られて、何かと暖かい部屋に呼ばれて散髪やシェービングしてやってたって。
    そうすると硬いパンとか貰って、部屋に戻って仲間にコソッと分けてしのいでたって。
    で引き上げで日本に帰ってきたら恵比寿の自分の店は焼き払われて土地は朝鮮人に早い者勝ち!って横取りされてたって。
    それから目黒、武蔵小山…転々と理髪店に職人として入って稼いで、それで昭和28年に今の場所に定住したって。
    そこを母が継いで、私もここで同じ仕事して。
    ここはここで大きな軍事工事があったから、戦後はアメリカ軍に占拠されてしばらくアメリカ人専用の居住区があって門兵がいて…、って土地だった。
    だからお客さんからも戦争の話はよく聞く。
    それを私の子ども達にも伝えていってるよ。
    祖父の軍服、ゲートル姿の写真もあるし見せながら話して聞かせたりしてる。

  • No.31 足軽(長柄)

    20/08/26 11:36:30

    >>28
    でもユダヤ人を助けたのはソ連ですよ。
    アメリカが一強になるのを抑止してるのもソ連。

  • No.30 榊原康政

    20/08/26 11:26:38

    ルソンのジャングルで、子供を置き去りにしたお母さんとか気持ちを思うと辛すぎる。

    お母さんが先に死んじゃうと子供は離れなくて、その場で同じように死んで白骨化した親子の遺体がたくさんあったとか。

  • No.29 浅井長政

    20/08/26 11:01:52

    あるよ。祖父はシベリアに抑留されていたってよく話してくれた
    辛かった事なんか話したくないだろうけど、それを知らない時代の子が
    多いからって、小学校にも出向いて講談してたよ
    終戦記念日に追悼に出向く遺族も年々高齢化して減ってきてるのも事実だよね
    忘れてはならない事だと思うけどね

  • No.28 結城秀康

    20/08/26 10:49:51

    >>5
    シベリアに抑留された方の話は本読んだりテレビで見たりしてます
    ソ連は卑怯ですよね、終戦のほんの少し前に戦争に参戦してきて、やることが卑劣
    ソ連人が一番残忍だと思ってます

  • No.27 内藤昌豊

    20/08/26 10:47:42

    >>5
    批判じゃなくて、ご両親おいくつですか?
    子どもの頃に満洲から引き揚げてきた方がいましたがけっこうご高齢なんじゃないですか?

    私は祖母が84歳祖父が生きていれば89歳。
    戦争の話を聞いてみたことあるけど戦地や空襲の話は聞いてない。
    祖父が「昔は卵も貴重で兵隊さんに持っていかれてしまうから山の中に埋めて隠してたんだよ」と言っていた程度かな。

  • No.26 本多正元

    20/08/26 10:47:09

    >>25
    なんだかゾクッとした…

  • No.25 上泉信綱

    20/08/26 10:45:56

    祖父が呉の造船所で終戦迎えてあの広島の原爆のキノコ雲を見たと生前言ってた。
    あと、空からアメリカ軍のものだろうドラム缶が家の近所に落ちてきてたって。給油が終わった空き缶を捨ててたのでは?っていってた。田舎だから空襲は無かったって。

  • No.24 真田幸村

    20/08/26 10:44:57

    >>15クーデターにより政権を把握した陸軍のトップが領土を広げたかったから。

    侵略戦争に反対してた軍人もいたんですけどね…

    そして、戦争に駆り出された職業軍人ではない国民→農民、職人、学生など…が沢山、軍上層部から命を使い捨てにされたんですよね。

  • No.23 佐々木小次郎(強い)

    20/08/26 10:42:38

    祖母がチラッと話してくれたことがある。
    祖父は軍人で写真で見た事あるくらい。
    昔は虫とかカエルとか、ゲテモノ食べて補ったりしてたんだよね。
    今じゃ考えられないけどさ。

  • No.22 黒田官兵衛

    20/08/26 10:42:31

    >>7
    >>10

    父が亡くなった後に母が言ってたのですが、時折2人だけで「あの頃(終戦前後)は辛かったね…」と話してたらしいです。ですが、具体的な事は言及せず ただそれだけ
    でも経験者には、そのひと言で全てが分かるんだろうなぁと思います

    正直、平和な時代に生まれ過ごして来た私には、戦争が一体どういう物なのか、想像もつきません
    親が体験者だと言うのに…私自身、いい歳をしているのに、お恥ずかしい限りです
    でも両親が戦火を潜り抜け、生きて帰国してくれたからこそ私が産まれたのです

    もうそれだけで、両親には素直に お疲れ様と ありがとうを言えますね

  • No.21 佐々木小次郎(強い)

    20/08/26 10:41:18

    >>17
    平和を願うのは国民。
    戦争をしたりする思考は上の人たちで、動かされるのは下の兵士たち。
    日本も他国を占領してたことあるしね。

  • No.20 佐竹義重

    20/08/26 10:38:40

    私の祖父はパプアニューギニアで亡くなってます。遺体は戻って来てませんが・・・。祖母と結婚してすぐに戦場に行ったらしいです。24歳くらいかな。

  • No.19 鍋島直茂

    20/08/26 10:33:48

    >>14
    それ良いですね
    ありがとうございます

  • No.18 高坂昌信

    20/08/26 10:32:41

    うちの祖父は決して戦争の話はしなかった。
    でも腕や脚にある刺青が戦地に行かなければならない辛さを物語ってた。
    手足がバラバラになっても脚一本腕一本だけでも生き残った仲間に拾ってもらって家族の元に帰ってこれますようにって思いで仲間と彫ったみたい。

  • No.17 上杉謙信

    20/08/26 10:29:13

    >>15
    巻き込まれたんだよ。いつもいつの時代も日本は平和だけを願ってた。

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