急上昇
武田勝頼
ビルマ(ミャンマー)の戦地がとんでもなく激戦地だと、今さら知り、胸が押し潰されそう
食べるもなのが何もなくて、何でも食べたっていう話は聞いてたけど…
祖父は数年前に亡くなったけど…
どんどん戦争体験者がいなくなって、戦争を知らない私が子どもたちに戦争の怖さを伝えていけるのか、不安すぎる…
戦争の話、直接聞いたことある?
古トピの為、これ以上コメントできません
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No.1 長宗我部信親
20/08/26 09:32:07
うちは中国大連に出兵してた。
実際前線には行かなかったみたいで、
戦争の恐ろしさより、先輩や上部の兵隊さんが怖かったっていつも話してくれた。
軍隊の上下関係で常に暴力があったって。
3年前に亡くなったけど、年金の額は高かったと聞いてる。
戦争に行くと高いらしい。
長生きして海外旅行もたくさん行ってたから
本当に良かったなぁと思う。
返信
No.2 馬場信春
20/08/26 09:37:07
あるよ。母方の爺ちゃんは満洲に行ってた。鉄道の仕事でだったけど、戦況が思わしくなくなってからは多分自分の仲間も戦場に駆り出されたんだろうね、それっぽいことを私は直では聞いてないけども叔母ちゃんたちが、その話し始めるとすごく辛そうな顔してたと聞いた。人が人を殺めるのが当たり前に行われるとんでもない世界だよ。終戦になって帰還してからいただいた勲章とか、そう言うのは酔っ払うと自慢げ持ってきては孫たちに見せてたなあ。もう10年以上前に亡くなっちゃったけど、当時は子供過ぎてまた爺ちゃんの自慢話始まった~って若干うんざりしてたけど、今ならもっと興味持って話聞けたと思うからとても心残り。ちなみに父もギリギリ戦前生まれで終戦当時4歳。ど田舎で農家だし、戦時中もひもじい思いしてなかったらしいです。戦闘機が空を飛ぶのは数回見たとは言ってた。
ほんと、実際の体験を語れる人が減ってきましたね。テレビでもあまりやらなくなった。戦争の話なんか、って思う人も増えてるかもだけど、大事なことですよ。人間て忘れるから。忘れないで、2度と繰り返さないようにしなきゃいけないのに。
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No.3 主 武田勝頼
20/08/26 09:38:40
祖父から聞いた中で覚えてるのは、食べるものが何もなくて何でも食べた、何でもというのは祖父と兵隊仲間の尊厳を守るためにここでは伏せるけど、当時のビルマ(ミャンマー)の戦地の様子はNHKなど様々な媒体が取材してまとめてあるので調べれば出てくる。
返信
No.4 主 武田勝頼
20/08/26 09:42:13
皆さん、ご家族の戦争の体験を書き込んでいただき、ありがとうございます。
本当に、忘れてはならないことですよね。
忘れないようにするためには、文字にして残したり、音声を残したり、何かしていかなければならないですよね。
おっしゃる通り、人間て忘れちゃうんですよね…怖いですよね
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No.5 黒田官兵衛
20/08/26 09:43:15
私の亡父はシベリア抑留組です
…と言ってもピンと来る人が、ママスタには何人いるかな?
もし興味があれば検索してみて下さい
壮絶な状況に何年も身を置き、命辛々やっと帰国したらしいですが、残念ながらその頃の話は1度もしてくれませんでした
辛すぎて語りたくない…思い出したくない…それが本音だったのでしょう
母は満州から引き揚げて来ました
こちらも引き揚げの前後から戦後の苦労時代の話しはしてくれません
私も強いて聞こうとはしません。が、戦争の実体験を残したい気持ちと いつも葛藤しますね
返信
4件
No.6 豊臣秀吉
20/08/26 09:46:47
私は1977年生まれなんだけど、思えば終戦は1945年、終戦から30年くらいしか経ってない頃に生まれてるんだよね。小学生くらいなら聞いたらもう話がわかるくらいだろうし、もっともっと周りの戦争体験者の話をたくさん聞いとくんだったなあ。
返信
1件
No.7 足軽(長柄)
20/08/26 09:53:54
>>5
帰ってこられたんですね。
話聞きたかったですよね。
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1件
No.8 主 武田勝頼
20/08/26 09:57:08
皆さんありがとうございます。もっと聞いておけば良かったという後悔と、でも話したくないこともたくさんあるんだろうという気持ちがない交ぜになりますよね。
返信
No.9 本多正元
20/08/26 10:00:51
私の祖父はアメリカ捕虜の人たちの事を唯一虐めたり暴力を振るったりしなかった日本兵としてアメリカから感謝状頂いてた。誇りです。
返信
No.10 陶晴賢
20/08/26 10:01:27
>>5
満州からの引き揚げてきた人は昔話したくないことばかりだと思う。
つらいね
返信
1件
No.11 主 武田勝頼
20/08/26 10:14:24
インパール作戦
知ってますか?インド~ビルマで行われた作戦です。
白骨街道とも呼ばれます。
一部の狂信的な戦争推進者のせいで、戦争では本当に無意味にたくさんの人の命を奪うんだということがよく分かる作戦です。
返信
1件
No.12 足軽(長柄)
20/08/26 10:20:01
うちも何でも食べたと。
ベルトに木の皮、カエル、虫も
返信
No.13 鍋島直茂
20/08/26 10:23:19
96歳の祖父がシンガポールに行ってたよ
子供の頃から戦争の話を何回も聞いた
写真もあるし祖父が現地の猿と仲よくなって親代わりしてたんたけどその猿も写ってるよ(笑)可愛い
こういう話を聞いてほしいんだけど、テレビとかどこに言えばいいか分からないまま
祖父が生きてるうちにと思うけど
返信
2件
No.14 本多正元
20/08/26 10:24:38
>>13
動画撮ってみたら?
御存命で話してくれるなんて貴重だと思う。
返信
1件
No.15 足軽(長柄)
20/08/26 10:26:55
しかし何で日本を出てまで戦争をしなければならないのか。明らかに日本を守るためとは言えないよね。
返信
2件
No.16 上杉謙信
20/08/26 10:26:55
あるよ。祖父母。もう亡くなったけどね。まさに永遠の0そのままで祖父の話か?と思ったくらい。祖父ともう一人だけ助かって日本に帰れたんだって。父方の祖母はまさに長崎。みんなトンネルやら防空壕に逃げ込んだけど、したいがいたるところに転がっていて、怖いという感情より必死だったって。
返信
No.17 上杉謙信
20/08/26 10:29:13
>>15
巻き込まれたんだよ。いつもいつの時代も日本は平和だけを願ってた。
返信
1件
No.18 高坂昌信
20/08/26 10:32:41
うちの祖父は決して戦争の話はしなかった。
でも腕や脚にある刺青が戦地に行かなければならない辛さを物語ってた。
手足がバラバラになっても脚一本腕一本だけでも生き残った仲間に拾ってもらって家族の元に帰ってこれますようにって思いで仲間と彫ったみたい。
返信
No.19 鍋島直茂
20/08/26 10:33:48
>>14
それ良いですね
ありがとうございます
返信
No.20 佐竹義重
20/08/26 10:38:40
私の祖父はパプアニューギニアで亡くなってます。遺体は戻って来てませんが・・・。祖母と結婚してすぐに戦場に行ったらしいです。24歳くらいかな。
返信
No.21 佐々木小次郎(強い)
20/08/26 10:41:18
>>17
平和を願うのは国民。
戦争をしたりする思考は上の人たちで、動かされるのは下の兵士たち。
日本も他国を占領してたことあるしね。
返信
No.22 黒田官兵衛
20/08/26 10:42:31
>>7
>>10
父が亡くなった後に母が言ってたのですが、時折2人だけで「あの頃(終戦前後)は辛かったね…」と話してたらしいです。ですが、具体的な事は言及せず ただそれだけ
でも経験者には、そのひと言で全てが分かるんだろうなぁと思います
正直、平和な時代に生まれ過ごして来た私には、戦争が一体どういう物なのか、想像もつきません
親が体験者だと言うのに…私自身、いい歳をしているのに、お恥ずかしい限りです
でも両親が戦火を潜り抜け、生きて帰国してくれたからこそ私が産まれたのです
もうそれだけで、両親には素直に お疲れ様と ありがとうを言えますね
返信
No.23 佐々木小次郎(強い)
20/08/26 10:42:38
祖母がチラッと話してくれたことがある。
祖父は軍人で写真で見た事あるくらい。
昔は虫とかカエルとか、ゲテモノ食べて補ったりしてたんだよね。
今じゃ考えられないけどさ。
返信
No.24 真田幸村
20/08/26 10:44:57
>>15クーデターにより政権を把握した陸軍のトップが領土を広げたかったから。
侵略戦争に反対してた軍人もいたんですけどね…
そして、戦争に駆り出された職業軍人ではない国民→農民、職人、学生など…が沢山、軍上層部から命を使い捨てにされたんですよね。
返信
No.25 上泉信綱
20/08/26 10:45:56
祖父が呉の造船所で終戦迎えてあの広島の原爆のキノコ雲を見たと生前言ってた。
あと、空からアメリカ軍のものだろうドラム缶が家の近所に落ちてきてたって。給油が終わった空き缶を捨ててたのでは?っていってた。田舎だから空襲は無かったって。
返信
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No.26 本多正元
20/08/26 10:47:09
>>25
なんだかゾクッとした…
返信
No.27 内藤昌豊
20/08/26 10:47:42
>>5
批判じゃなくて、ご両親おいくつですか?
子どもの頃に満洲から引き揚げてきた方がいましたがけっこうご高齢なんじゃないですか?
私は祖母が84歳祖父が生きていれば89歳。
戦争の話を聞いてみたことあるけど戦地や空襲の話は聞いてない。
祖父が「昔は卵も貴重で兵隊さんに持っていかれてしまうから山の中に埋めて隠してたんだよ」と言っていた程度かな。
返信
No.28 結城秀康
20/08/26 10:49:51
>>5
シベリアに抑留された方の話は本読んだりテレビで見たりしてます
ソ連は卑怯ですよね、終戦のほんの少し前に戦争に参戦してきて、やることが卑劣
ソ連人が一番残忍だと思ってます
返信
1件
No.29 浅井長政
20/08/26 11:01:52
あるよ。祖父はシベリアに抑留されていたってよく話してくれた
辛かった事なんか話したくないだろうけど、それを知らない時代の子が
多いからって、小学校にも出向いて講談してたよ
終戦記念日に追悼に出向く遺族も年々高齢化して減ってきてるのも事実だよね
忘れてはならない事だと思うけどね
返信
No.30 榊原康政
20/08/26 11:26:38
ルソンのジャングルで、子供を置き去りにしたお母さんとか気持ちを思うと辛すぎる。
お母さんが先に死んじゃうと子供は離れなくて、その場で同じように死んで白骨化した親子の遺体がたくさんあったとか。
返信
No.31 足軽(長柄)
20/08/26 11:36:30
>>28
でもユダヤ人を助けたのはソ連ですよ。
アメリカが一強になるのを抑止してるのもソ連。
返信
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No.32 ザビエル
20/08/26 11:40:20
祖父本人からは聞いたことない。
亡くなってから祖母や母に聞いた。
シベリア抑留されて周りは寒さと飢えでバタバタ死んでいってたけど、祖父は理髪師の技術が上手くてロシア人に好評で気に入られて、何かと暖かい部屋に呼ばれて散髪やシェービングしてやってたって。
そうすると硬いパンとか貰って、部屋に戻って仲間にコソッと分けてしのいでたって。
で引き上げで日本に帰ってきたら恵比寿の自分の店は焼き払われて土地は朝鮮人に早い者勝ち!って横取りされてたって。
それから目黒、武蔵小山…転々と理髪店に職人として入って稼いで、それで昭和28年に今の場所に定住したって。
そこを母が継いで、私もここで同じ仕事して。
ここはここで大きな軍事工事があったから、戦後はアメリカ軍に占拠されてしばらくアメリカ人専用の居住区があって門兵がいて…、って土地だった。
だからお客さんからも戦争の話はよく聞く。
それを私の子ども達にも伝えていってるよ。
祖父の軍服、ゲートル姿の写真もあるし見せながら話して聞かせたりしてる。
返信
No.33 尼子晴久
20/08/26 11:44:00
病院で働いていた時、特攻隊にいたという患者さんと少しお話しをしました。
あと数日終戦が遅ければ、自分も出撃していたそいです。
それを聞いて「よかったですね」と言いそうになった時「自分だけ帰ってきちゃった…」と。
本人は明るく話してくださいましたが、安易に「帰ってこられてよかった」なんて言えないなと。
当時終戦70年くらいだったと思いますが、70年もの間ずっと帰ってきてしまったことを悔やんでいたのかと思うと…
戦争は恐ろしいですね。
返信
No.34 佐々木小次郎(強い)
20/08/26 14:17:32
インパールやニューギニア戦線の生き残りのお孫さんがここにいらっしゃるなんてマジで胸熱だわ…
若き日のお祖父様が死んでいたら、貴女もそこにいないはず
太平洋戦線の中でも屈指の地獄から生還できたお祖父様は、類稀な強運と精神力の持ち主だったに違いないわ
その素晴らしい血を受け継いだ貴女も、日々を無駄にすることなく、悔いなき人生を送りましょう
返信
No.35 成田甲斐
20/08/26 14:19:51
>>31
ソ連もユダヤ人迫害してなかった?
返信
No.36 長宗我部元親
20/08/26 14:23:07
終戦の直前、祖父は特攻隊に行ってたんだけど、祖父より若い青年(少年?)が出撃の前夜勉強してたんだって
祖父が明日死ぬのになぜ勉強してるんだ?と聞いたら、「自分はもっと勉強がしたかった」って言ったそう
翌日彼は…
祖父は運良く出撃の少し前に終戦を迎えて生きて帰ってこられた
子供の頃聞いた話だから朧気だけどこんな感じ
返信
1件
No.37 島津義弘
20/08/26 14:25:39
もう亡くなったけど、私の祖父はシベリアからの復員者。
でも一度も戦争の話や、抑留されてたときの話を聞いたことがない。
まっっったく話そうとしなかった。
「戦争体験を語り継いでください」という依頼もすべて断ってたらしい。
それだけ本当につらくて苦しかったんだと思う。
優しい祖父がどんな思いをしてきたのかを考えるだけで、今でも涙が出そうになる
返信
1件
No.38 榊原康政
20/08/26 21:13:46
>>11
ムチャグチ本当にクソ!
私は寺内正道艦長が好きです。
返信
No.39 やま
20/08/26 21:32:37
うちの祖父は東京にいて、まだ小学生だったから長野へ数年学童疎開してた。頭にシラミがわいたり、いじめがあったり、親に会えない悲しみ。東京に帰ってきてから東京大空襲にあい、家族と逃げたって。当時の記録を見ると、よく家族全員生き残ったなとおもう。体は無事でも心に沢山傷を負ってしまった。
自分が子供を産んでから、我が子が学童疎開なんてあり得ないって思ったよ。自分が死ぬかもしれないし、母親としても辛い時代だったろうね。
私も子供と一緒に祖父の戦争体験や当時の記録写真見ながら勉強しているけど、あまりにショッキングな写真はまだ見せていない。戦争せず、外国と仲良くやっていくことを学ばせたい。
返信
No.40 今川氏真
20/08/26 21:44:40
>>6
その気持ち分かるわぁ。だから記憶に残っている政治家とかも、みんな戦争中は兵隊だった人とか沢山いたわけだよね。普通に子供の頃に近所にいたおじいさん達も。トピズレかもしれないけど、よくもまぁこんな短期間に復興して次から次へと新しい物つくったり発明したり出来たもんだよね。
返信
1件
No.41 豊臣秀頼
20/08/26 21:50:53
>>37うちも同じ。シベリア抑留してたそうですが、寡黙な人で直接聞けずです。
一言では言い尽くせないんでしょうね。
返信
No.42 島津義久
20/08/26 22:05:53
護衛兵だったから戦地には行かなかったみたい。諜報活動などもあり戦後も当時のことは子どもたちにも何も話さなかったみたい。
激戦地や特攻などの最前線に立たれた方の貴重な話は本当に何らかのずっと残る形で残していくべきだと思う。
返信
No.43 榊原康政
20/08/26 22:11:47
旦那の祖父は足に弾があったらしい。
恩給?けっこう貰えたとか。
旦那の家系は体格いいからすぐに兵隊にとられちゃったんだろうな。
返信
No.44 上泉信綱
20/08/26 22:17:49
祖父が満洲に赴任しててシベリア抑留されてたらしい。命掛けで逃亡後家族を探し日本に変装して帰って来たと昔聞いた。もう祖父はずっと前に他界してるけどね。
こういう戦争はもう起こらないと思う。今の戦争は一つの爆弾とかで結果が付く位太平洋戦争とかの時代から兵器が向上してる。
先進国同士はもうロボットや宇宙戦争の時代に入りつつあると思う。
返信
1件
No.45 直江兼続
20/08/26 22:22:15
直接は聞いた事がない。年を取れば取るほど戦争の事を調べるようになって本当に日本の教育って戦争について何も教えてないなと思った。道徳の教科書には戦争の事も載せて欲しい。そうしないといつか忘れて争い事が起きてしまう。
返信
No.46 本多忠勝
20/08/26 23:39:16
祖父に「戦争行ったの?」って小さいときに聞いたことあるけど怖くて詳しく聞けなかった。
もし爺ちゃんが人を殺したことがあるって言ったら嫌いになるかもしれないってなんだか恐ろしくて、それ以上聞けなかった。
「行ったよ」とだけ答えてくれたけど、もっと当時の話しを聞いておくべきだったなと今では思います。
返信
No.47 藤堂高虎
20/08/26 23:57:31
祖父は戦争には行かなかったけれど、空襲があったとき家を守るために家に残っていて、爆弾が隣の家に直撃したらしい。でも不発弾だったから助かった家も焼けずに済んだと言っていた。
祖母からは、また別の空襲のときに乳母車に小さい子供(私の父や叔父たち)を三人乗せて逃げたと聞いた。空襲のあった方角を振り返って見たらものすごく焼けていて夜空が真っ赤だったと言っていたよ。
返信
No.48 上泉信綱
20/08/27 06:45:02
>>44
シベリアから逃亡って本当にすごい!
返信
No.49 山中鹿之介
20/08/27 07:06:00
旦那の祖父は爆撃されて吹き飛ばされ難聴になったんだと。私の祖父は生まれつき足が悪く、赤札は免れたと聞いた。どちらももう亡くなってます。
返信
No.50 明智光秀
20/08/27 07:07:44
ネトウヨは日本のために戦ったこういう人たちバカにするのなんで?
返信