永承
横浜の法律事務所に勤務していた坂本堤弁護士(当時33歳)と妻の都子(さとこ)さん(同29歳)、長男龍彦ちゃん(同1歳)一家3人がオウム真理教信者に殺害された事件から4日で30年になる。坂本さんの同僚らは毎年9月、3人が見つかった新潟、富山、長野を訪れ、しのぶ旅を続けている。当時を知らない若手弁護士の参加も増えた。【国本愛】
3日午前11時ごろ、一家の墓がある鎌倉市の円覚寺松嶺(しょうれい)院で法要が行われ、親交があった弁護士や学生時代の同級生ら約40人が参列した。
坂本さんの3期先輩で事務所の同僚だった小島周一弁護士(63)は、いつものように「来たよ」と声をかけ、「仲間やみんなをこれからも守ってくれよ」と語りかけた。
坂本さんと司法修習同期で、オウム真理教の犯罪被害者支援機構副理事長などを務める中村裕二弁護士は墓前で「坂本の目指していたことはまだできていない、申し訳ない」と伝えた。被害者の被害回復は十分に進まず、オウムの事件を知らない若者が増えていると懸念する。
◇坂本、来なかったぞ
1989年11月7日昼前のことだった。小島さんは同僚から「坂本、来なかったぞ」と聞かされた。坂本さんは前日に続き、予定の会合に現れなかった。「オウムをやってたからな」。不安にかられた小島さんはその夜、坂本さんの母さちよさんや同僚と坂本さんの自宅に入った。もぬけの殻だった。「事件に巻き込まれたのではないか。そんな緊張感を持っていたから、荒らされた跡が見当たらない室内を見て『普通じゃん』と思ってしまった」と小島さんは言う。それでも坂本さんが失踪するはずはないと考え、磯子署に届け出た。
92年には、弁護士有志で発足させた「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」の会員が3000人を超えた。正当に活動する弁護士が家族ともども連れ去られるという事件。小島さんは「弁護士が『この事案は仕返しが怖そうだから』と尻込みするようになれば、市民はトラブルに丸裸で立ち向かわなくてはならない。市民が法に守られて暮らす世の中への妨害だという認識が広がった」と話す。
しかし、事件は最悪の結末を迎える。95年9月、一家3人の遺体が見つかった。
小島さんは新潟の山中へ急いだ。白布をかけられた坂本さんの遺体が通り過ぎるのを見て、涙が止まらなかった。
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No.1 主 永承
19/11/04 16:58:55
「こんなところに独りぼっちで6年もいたのか」。捜査員も泣いていた。オウムへの憤りが募った。
◇「どんな人でも変われる」
小島さんは坂本さんの人柄を「どんな人でも変われると人間の可塑性を信じていた」と振り返る。殺人事件を起こして反省の態度をみせない少年にも「自分から反省できる子は事件を起こさない。そういう子でも、きっといつか変われる」と言うような弁護士だった。
事件から30年。「弁護士になってわずか2年半、ピュアで正義感が強いままで止まっている坂本が、ふとした瞬間に『小島さん、何やってんだよ』と声をかけてくる気がする。それで、後ろ指をさされるような仕事はできないぞと自分を奮い立たせるんです」と小島さん。坂本さんは今も同僚を励ましている。
毎日新聞社 11/04 13:39
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No.2 享和
19/11/04 23:26:18
坂本弁護士、とてもお幸せそうだったのにね。家族まで巻き添えにするなんて、オウムは本当に罪深い。
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