【正論】平和主義という「防波堤」は危うい 日本の体質は「恫喝」に脆弱だ 元駐米大使

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  • 17/09/20 12:38:35

【正論】
平和主義という「防波堤」は危うい 安保・国防は「脱情緒」の世界だ 元駐米大使・加藤良三

2017.9.18 08:00

 敗戦という大型台風の被害に懲りて、平和主義の防波堤を造ることになった。「安全に安全に」を呪文のように繰り返しているうちに、次第に沖合にせりだし、気がつくと水平線の彼方(かなた)、非現実的な遠方にこれが築かれてしまった。

 そのために、防波堤の内側で大波が起こり、生態系がゆがみ、赤潮が充満し、このままで大丈夫かという懸念が強まってきた-。

 以上は日本に訪れうる状況をたとえ話風に述べたものである。


≪アメリカが助太刀してくれるだろう≫

 北朝鮮の問題が激しさを増し、Jアラートが鳴っても住民は「どこへ行けばいいのか分からない」という。もっともである。国民の多くはまずもって、北のミサイルは日本には来ないだろうと漠然と感じてきた。

 万が一飛んできても、自衛隊がPAC3やイージスシステムやらで全部撃ち落としてくれる、黙っていてもアメリカが助太刀してくれるだろうと思っている。

 私自身はもう少し慎重で、ミサイル防衛能力一つにしても、必ずしも万全とはいえないのではないかと考えてしまう。

 若い頃、アメリカの安全保障の専門家から、ソ連のミサイル攻撃に対してアメリカは迎撃によって持てる核能力の15~20%を残存させることができ、これだけ残ればソ連に対して壊滅的ダメージを与えることができるという話を聞いた。その数値の低さに驚いた記憶がある。

 これは冷戦中の話であるから、今とは事情が変わっているかもしれない。しかし、安保・国防の世界はこうした冷徹、客観的な検討の積み上げの上に築かれる「脱情緒」の世界なのだ。


≪日本の体質は「恫喝」に脆弱だ≫

 つい最近、北朝鮮が大気圏外で核を爆発させれば、地上のコンピューター、ITシステムが軒並みダウンする危険があるとする記事を見た。その北朝鮮のはるか前から、アメリカやソ連、中国などはこの能力を保持しているわけで、アメリカでは既に3千余りの施設を特定し、電磁パルスの防護措置を完了していると聞いたことがある。日本は、こうした防護対象施設の特定などを1カ所なりとも行っているのだろうか。

 日本の雰囲気に戻ると、いざというときに政府、自衛隊が守ってくれなかったということになると、不当・不法な攻撃を加えた相手を非難するより先に、自分の政府を糾弾する声一色になることが懸念される。

 8月に報ぜられた世論調査によると、73・9%の日本人が「今の生活に大体満足している」と回答したそうである。前に本欄で触れたことがあるが、数年前の世論調査では83%の日本人が「次も日本人に生まれたい」と答えている。

 一方、別の世論調査では「国に侵略があった場合、身をもって戦う用意があるか」との問いに対して「イエス」と答えた日本人は調査対象64カ国・地域中、最低の11%にとどまった。

 これは戦後、日本が誇るべき「成功物語」を象徴する数字であろう。しかし、そこでハッピーエンドになるとは限らないのが国際社会の現実であり、本質である。

続く

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    • 17/09/20 12:39:02

    続き

     前述の数字が物語るものは、日本および日本国民が、「軍事的恫喝(どうかつ)」以前に「政治的恫喝」に脆弱(ぜいじゃく)な体質になっているということだろう。

     日本は法治主義でまいります、しかし、法の支配ならぬ人治主義の国や国民情緒主義の国などに対しては「触らぬ神に祟(たた)りなし」「お金で片付く話なら」というアプローチでまいります、という姿勢でどこまで切り抜けられるのか。

     防波堤をはるか遠くに造ることに邁進(まいしん)し、「日本は危険な国です」と、あちこちに注進して回る勢力には、このような日本の精神構造に甘え、それを悪用している者がいるのだろうと推察する。


    ≪ニヒリズムの匂いすら感じる≫

     想像するに、為政者とは辛(つら)いものである。そのような日本を前提として仕事しなくてはならない。一方では国際的現実がある…。

     ダッカで起きたハイジャック事件での日本の対応を思い出す。あのとき、日本政府は「人命は地球より重い」との認識に基づき「超法規的措置」を選択した。

     この先、憲法改正というオーソドックスな手法では間に合わない危機も起こりうるだろう。そのとき、さしも高資質の日本国民でさえ、なりふり構わぬ対応を政府に求めても驚くに当たるまい。意識的か無意識か分からないが、為政者が必要に迫られて超法規的措置を採ることを、一つの解決と考えているのではないのか。

     「仕方がない。自分の責任ではない」といって「洞が峠」を決め込むことができる。結局、国全体として、そこに最後の落としどころがあるだろうという節操のない感覚である。

     そこにはニヒリズムの匂いすら感じられる。そうでなければ、国権の最高機関である国会で、これだけ本質を外れた論議ばかりが行われるはずがないと思われても仕方がないのである。(元駐米大使・加藤良三 かとう りょうぞう)


    産経ニュース
    http://www.sankei.com/column/news/170918/clm1709180004-n1.html

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