- ニュース全般
-
続き
前述の数字が物語るものは、日本および日本国民が、「軍事的恫喝(どうかつ)」以前に「政治的恫喝」に脆弱(ぜいじゃく)な体質になっているということだろう。
日本は法治主義でまいります、しかし、法の支配ならぬ人治主義の国や国民情緒主義の国などに対しては「触らぬ神に祟(たた)りなし」「お金で片付く話なら」というアプローチでまいります、という姿勢でどこまで切り抜けられるのか。
防波堤をはるか遠くに造ることに邁進(まいしん)し、「日本は危険な国です」と、あちこちに注進して回る勢力には、このような日本の精神構造に甘え、それを悪用している者がいるのだろうと推察する。
≪ニヒリズムの匂いすら感じる≫
想像するに、為政者とは辛(つら)いものである。そのような日本を前提として仕事しなくてはならない。一方では国際的現実がある…。
ダッカで起きたハイジャック事件での日本の対応を思い出す。あのとき、日本政府は「人命は地球より重い」との認識に基づき「超法規的措置」を選択した。
この先、憲法改正というオーソドックスな手法では間に合わない危機も起こりうるだろう。そのとき、さしも高資質の日本国民でさえ、なりふり構わぬ対応を政府に求めても驚くに当たるまい。意識的か無意識か分からないが、為政者が必要に迫られて超法規的措置を採ることを、一つの解決と考えているのではないのか。
「仕方がない。自分の責任ではない」といって「洞が峠」を決め込むことができる。結局、国全体として、そこに最後の落としどころがあるだろうという節操のない感覚である。
そこにはニヒリズムの匂いすら感じられる。そうでなければ、国権の最高機関である国会で、これだけ本質を外れた論議ばかりが行われるはずがないと思われても仕方がないのである。(元駐米大使・加藤良三 かとう りょうぞう)
産経ニュース
http://www.sankei.com/column/news/170918/clm1709180004-n1.html- 1
17/09/20 12:39:02