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読書感想文
今年もまもなく、各局のテレビドラマが秋の改編期を迎える。しかし近年、「見たいドラマがない」と嘆いている人も多いのではないだろうか。
芸能界・テレビ界の構造と内幕を、当事者への取材で明らかにする田崎健太氏のレポート。今回は、これまで誰も踏み込まなかったドラマ制作の「現場」から、その凋落の理由を解き明かす。
あるプロデューサーの自嘲
少し前、老人ホームを舞台としたテレビドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)が昼間の放映にもかかわらず高視聴率を記録し、話題となった。82歳になる脚本家の倉本聰は、このドラマを書いたきっかけは「同年配の友人たちが『見るテレビ番組がない』と漏らしたことだ」とインタビューで語っている。
大人の鑑賞に堪えるテレビドラマがほとんど存在しない、というのは多くの視聴者が感じていることだろう。
人気ドラマが軒並み25%~35%の高視聴率を誇った1990年代と比べると、現在のドラマの平均視聴率はシーズン最高でも20%前後、15%を越えればヒット作という状況まで下がっている。テレビドラマの質の低下、そして視聴率低落の背景には何があるのかーー。
キー局のドラマ制作に携わるあるテレビプロデューサーは、日本のテレビドラマの現状について自嘲気味にこう言う。
「今、テレビドラマなんて観るのは馬鹿だけ。話が面白いかどうかとか、どうでもいいんだ。自分の好きなタレントが出ていたら、キャーと言って喜ぶ人、そういう人だけが観ている」
そしてこう続ける。
「日本のドラマというのは、世界の現在の潮流の中できわめて特殊な存在になっている。例えば1話あたり製作費が3000万円かかるとして、それで10話作ると3億円になる。普通ならば、3億円で面白いものを作って、それをいろんな形で売って10億円の売上げにしようと考える。実際にアメリカ、あるいはアジアでも韓国のテレビドラマはそう考えて世界中に進出している。
韓国の場合、20話のドラマをワールドマーケットに出す、あるいは東南アジアで販売して、何億かの売上げが出る。だから主演の俳優には1話3000万円ベースからギャラを提示することが出来る。イ・ビョンホンクラスになると1話あたり1億円払える」
一方、一部を除いて日本のテレビドラマは日本国内での視聴率獲得、ひいてはスポンサーからの資金獲得しか念頭になく、二次利用といっても再放送、あるいはDVD販売しか考えていない。そのため、内向きになりがちであるという。
「まず広告代理店がスポンサー企業から金を集めてくる。そこから広告代理店とテレビ局の取り分を抜いた残りが製作費となる。芸能プロダクションの仕事は、その制作費をいかに『むしり取る』か、ということになっている」
「むしり取る」とはつまり、自社所属の俳優を1人でも多く起用させることである。
つづく
9月3日 現代ビジネス 田崎 健太
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52618
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No.4 セミ
17/09/04 16:16:54
なげー!なげーーよ!!
返信
No.3 金魚釣り
17/09/04 16:14:25
録画機能が発達したせいもあるんじゃない?
ドラマなんて録画で見てる人多いと思う。今も昔も面白いのは面白いし、つまらないのはつまらない。
返信
No.2 主 読書感想文
17/09/04 16:13:18
しかし、日本シナリオ作家協会の会員で、映画・テレビドラマの脚本を多数手がける脚本家の西岡琢也は、橋本のような仕事のやり方は今では通用しないと話す。
「生身の役者が演じるわけだから、多少(脚本を)変えたり、シーンを入れ替えたりするというのは以前からあった。昔はプロデューサーから前もって『この部分を変えます』という連絡があったけれど、それもだんだんなくなっていった。
今は監督、役者たちが勝手に変えている。特にテレビの人は、決定稿ですと言って(完成した原稿を)渡したときは『ありがとうございました』と言うけど、後は自分たちで変えればいいと思っている。決定稿とは名ばかり。いわば『名ばかり決定稿』ですよ。
とはいえ、テレビドラマというのは映画と違って尺が決まっているから、放送時間をいかに埋めるかという作業でもある。CMとの絡みとか、撮影所を使える日程の都合とかで、脚本に手を入れるのはやむをえない部分もある」
そもそも、日本のテレビドラマはテーマが限られている。ほとんどのドラマは恋愛物、あるいはサスペンスである。欧米では政治物やSF物なども人気を博しているが、なぜ日本ではそうしたドラマが作られないのか。
「民放のドラマの場合、CMのスポンサー企業の商品に、化粧品といった20代、30代の女性をターゲットにした物が多い。だから、それにふさわしい番組を作ろうという話になってくる。当然、難しい社会派の内容は見ないから、恋愛物だというふうになる。素材は限られてきますよね」(西岡)
一方、サスペンスの2時間ドラマの対象とされる年齢層はもっと上になる。
「あれは、例えば序盤に笑えるシーンがあって、10時くらいになると犯人だと思われていた人が死んで、最後は意外な人物が断崖の上で犯罪を告白するというふうに、構成のパターンが決まっている。
殺し方にしてもあまり残虐過ぎてはいけないし、2時間でまとめなきゃならないので、動機が入り組んでいると時間内に説明できないから駄目。そうなると借金、あるいは夫の愛人、遺産を巡る争いなど、いくつかのパターンに集約される。
なぜそういうドラマが量産されているかというと、単純に視聴率が取れるから」
いつの時代も犯罪はつきない。そして時代によって、社会の歪みは変わり、犯罪の質も手口も、動機も変わるものだ。本来ならば、テレビドラマはそこに目を向けるべきではないのか――。
こう問うと、脚本家の坂田義和は首を振った。坂田もまた日本シナリオ作家協会の会員である。
「例えば、今年1月にオンエアーされた『愛を乞うひと』は、出来不出来は別にして、幼児虐待を扱った社会派のドラマだった。当然、内容は暗くなり、視聴率も期待できない。こうしたドラマは、文部科学省などの『お墨付き』がない限り作りづらいというのが現状です」
『愛を乞うひと』は篠原涼子主演、読売テレビ制作で、文部科学省選定スペシャルドラマとして2017年1月に放映された。連続ドラマではなく、単発の作品である。
ば松本清張。彼の名前は視聴率が取れるとテレビ局が判断しているのか、今なお彼の原作を使ったドラマは作られている。中でも『砂の器』は映画化、テレビドラマ化が何度も行われてきた。
『砂の器』の原作では、犯人は自身の父親がハンセン病であることを隠すために殺人を犯すのだが、1974年製作の映画化の際には、こうした設定が「ハンセン病に対する差別を助長する」として患者団体から抗議を受けた過去がある。2004年に中居正広(SMAP)の主演でリメイクされたときは、この「父親がハンセン病」という設定そのものが消え、作品から毒が抜かれることになった。
同じ松本清張の原作でも、時代設定が現代に置き換えられることもある。これはストーリーの都合というよりは、経費削減によるものだと前出の西岡は指摘する。
「2007年にリメイクされた『点と線』のように昭和30年代の街並みを再現したものもありましたが、普通はそこまでできない。お金を掛けられないから、現代劇にする。そうなると松本清張さんが描こうとした物語でなくなってしまうんですよ」
そして西岡はこうも続ける。
「もちろん、例えば恋愛物であったとしても、大人の鑑賞に堪えうるドラマを作ることは可能です。ただ、全体的に今の作り方はやはり視聴率本位で、中身がどうなっているかを気にしない傾向がある。レベルがどんどん下がっているから、視聴者が韓流ドラマや海外ドラマに流れるのも分かります」
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No.1 主 読書感想文
17/09/04 16:13:09
「一番の問題は、キャスティングの主導権がテレビ局でなく、大手のプロダクションにあること。芝居が出来るか、出来ないかなんかどうでもいい。このタレントでこういうストーリーで行きたい。いわゆるプロダクションによる『行政』で決まっていく。BSのドラマが顕著なんだけれど、一部の大手プロダクションの息の掛かった俳優ばかりキャスティングされている」
プロダクション主導でキャスティングが決まっていくことは、関係者の間では「行政」あるいは「事務所行政」と呼ばれている。
キスさえ「事務所NG」が入る
本来、キャスティング――配役は、ドラマの根幹に関わるものだ。
アメリカやヨーロッパの映画、長編テレビドラマではまず脚本があり、その配役を決めるためのオーディションが行われる。有名無名を問わず、俳優はそのオーディションを受けて、その役柄に合うかどうかを制作者側に判断してもらうことになる。
前出のプロデューサーは、冷ややかな口調で言う。
「だから、日本とどんどん差が開いていく。アメリカの場合はいい役柄を掴めば、スターになれる。だから俳優も努力する。しかし、日本の場合は役柄に合っていようがいまいが関係ない。プロダクションの力関係で配役が決まるから。
よくある設定に、自信なさげで地味な女の子が、眼鏡を取るとすごく綺麗だったというパターンがある。でも、そもそも日本のドラマでは明らかな美人を配役しているので、ストーリーに説得力がなくなる」
難しいドラマは観てもらえない
本来、脚本はオーケストラにおける楽譜のようなもので、作品の骨格と言ってもいい。
黒澤明の映画『七人の侍』などの脚本で知られる橋本忍は、著書『複眼の映像』の中でこう書く。
〈 通常、私は脚本直しをした監督とは、二度と組むことはない。第一線級の監督は脚本の直しなどはしない。脚本を直すのは、腕のない二流もしくは三流監督の、偏狭な私意や私見に基づくもので、脚本にとっては改悪以外のなにものでもなく、私たちはこうした無断改訂の常習者を「直し屋」と呼ぶが、「直し屋」はそれが習性で、脚本が誰であれどんな作品であれ、改作をやめない。だから私は相手が「直し屋」と分かると、徹底して仕事を忌避する 〉
つづく
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